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秀 まなか Text by Manaka Shu 
[2010.05.10]

際立ったデュポンとルグリのパ・ド・ドゥ「ジェローム・ロビンスを讃えて」

Ballet de l’Opera national de Paris パリ国立オペラ座バレエ団
Hommage à Jerome Robbins「ジェローム・ロビンスを讃えて」

パリ・オペラ座バレエは、全幕物のバレエと並び、小品を並べたミックス・プログラムを頻繁に上演する。4月21日に開幕した『Hommage à Jerome Robbins』(ジェローム・ロビンスを讃えて)公演もその1つ。最近のオペラ座はあまり間をおかずに同じ作品を再演する傾向にあるが、小品集の場合には少し勝手が違う。4作品上演するとすれば、2作品は2年振り、1作は新作、1作は7年振りといった具合に、作品の組み合わせ内容を少し変えるのが鉄則だ。ところが、今回の4作品は2008年9月の公演内容とまるっきり同じ。1年半という短い期間の後に、更に洗練された4作品がガルニエ宮に再登場することになった。
オペラ座が自信を持って上演する、その4作品は『En Sol』、『The Concert』、『Triade』、『In the Night』。『Triade』のみ、バンジャマン・ミルピエの作品だが、あとの3つはもちろんロビンスの振付作品だ。

1作品目の、『En Sol』は、1975年5月15日初演の『Concerto in G』のこと。同年12月12日にレパートリー入りして以来、オペラ座ではト音(ソのこと)のフランス語読みのタイトルを使っている。
ロビンスはモーリス・ラヴェルの『ピアノとオーケストラのための協奏曲ト長調』の構成に従い、3部構成のバレエに仕立てた。
青、緑、黄緑、薄紫、赤紫、ピンクの色とりどりのボーダーラインのチュニック風の衣装を着た女性6人がいきなり飛び跳ね、第1楽章の始まりを告げる。男性6人が彼女たちに加わり、コート・ダジュールのような海辺のリゾート地を思わせる、太陽と波が描かれた青の背景幕の前で、恋のさやあてならぬ、軽快なダンスが展開する。すると、白のレオタードに身を包んだ女性ソリストがしっとりと現れるが、男性6人の手を思わせぶりに取ったのも束の間、颯爽と去ってしまう。その後に現れる男性ソリストも白のボディスーツ。登場の振付は女性ソリストとほぼ同じだが、群舞を従えて踊る彼には、重厚感が加味されていた。
彼が女性ソリストと初めて出会うのは第2楽章だ。9分間にも亘る男女ソリストのアダージュは劇的とは無縁の音楽に寄り添う。リフトなどの派手な大技であっても、エポールマンで歩くといった入学間もないバレエ学校の生徒が最初に習う基本中の基本の動作であっても、音楽の調子は同じ。このパ・ド・ドゥは踊り手にとって一つの挑戦だ。たゆたう水の調べのように淡々と流れる音楽に忠実な振付を再現するだけでは、習い立ての<バレエのお稽古>になってしまい、面白味に欠けてしまう。だから、踊り手のセンスで独自の色に染め上げなければならないのだが、恐ろしいほどの完璧主義だったロビンスの意図を守った範囲内でしか、ダンサーの自由は許されない。
第3楽章はコーダとなり、男女12人と男女ソリストが、プレストの早い音楽にのって戯れる。アカデミックなダンスで、ロビンスの処女作『ファンシー・フリー』のように、粋なミュージカルを思わせる華やぎに溢れている。

第1キャストのオレリー・デュポンとニコラ・ル・リッシュ、第2キャストのマリ=アニエス・ジロとカール・パケットの解釈に違いが大きく出たのは、やはり第2楽章だった。
デュポン、ル・リッシュ組からは繊細な情感が溢れ出た。終始音楽を大事にしながら、ポーズを取る寸前の、つなぎに当たる部分の<間の取り方>に工夫を凝らしてメリハリを出し、ためらいがちな男女の出会いを演出したのだ。今やオペラ座の看板カップルとなった2人は、音楽に潜む感情を表現するという一貫したロビンスの意図を、忠実に汲み取ったのである。
ジロ、パケット組の解釈は斬新だった。何と、ロビンスの振付をバランシン風に踊ってみせたのだ!(今さら言うまでもないが、NYCBの2大巨頭はバランシンとロビンスで、感情を表現するロビンスに対し、バランシンは純粋に音楽を表現する。)まっすぐな脚を振り上げて劇場の空気を動かし、さらに広い空間を生み出すジロと、長身から正統派のダンスを繰り出すパケット。足のラインや腕の長さといった身体的能力を存分に生かした2人のダンスは、音楽の視覚化を利用した二重構造になっていた。2つの身体の軌跡で<見える音楽>を作り出し、結果的に男女の逢瀬を見え隠れさせるのである。
全く同じ振付でここまで違うパ・ド・ドゥを堪能できるのは、個性の強いエトワールが揃うオペラ座ならでは、の醍醐味だ。

『The Concert』はピアノリサイタルに出かける人々の愉快な妄想を、9つのショパンのピアノ曲を散りばめて描くパロディだ。バレリーナ、妻とその夫、はにかみやの男、怒りっぽい娘……。副題の『それぞれの不幸なこと』の通りに、それぞれの行動にはオチがつく。ピアニストは汚れた鍵盤を拭こうとしてハンカチで拭くが、余計に粉で鍵盤を汚してしまい、演奏に聴き惚れる妻は、無理矢理連れてきた夫に鑑賞の邪魔をされる。その夫はと言えば、妻を殺したいほどに飽きていて、バレリーナと、彼女の魅力的なお尻に夢中なのだ。
オペラ座が本作品をレパートリーに入れたのは1992年だが、作品自体の初演は1956年と、すでに半世紀を超えている。にもかかわらず、現代の観客に変わらず受け入れられるのは、バレエへの風刺を逆手に取ってネタにしているからである。バレエの代名詞、『白鳥の湖』のアダージュを変形させて、バレリーナとはにかみやの男と踊らせてみたり、<担ぎ屋>と揶揄されがちな男性ダンサーに、1曲まるまる使って、バレリーナをあちらこちらに運ばせてみたり。ワルツの音楽では、全く揃わないのに、お高くとまった6人の群舞を登場させてしまうのだ。皮肉を笑いに変える、この知性。お膝元のNYCBの他にも、英国ロイヤル・バレエなど多くの名立たるバレエ団がレパートリーに加えているのは、作品に潜む深淵さに共感しているからだろう。
主役のバレリーナは自己陶酔が激しく、いちいちオーバー・アクション。第1キャストのドロテ・ジルベールは、一歩間違えればわざとらしさが強調されて<大根役者>になりかねない危うい振付を、さらに限界ぎりぎりの粋までに押し広げた。大きな眼を輝かせての徹底ぶりは歴代のバレリーナ役、イザベル・ゲランやエレオノーラ・アバニャートを凌ぐほどで、既にネタを熟知している私でも、お腹がよじれるくらいに笑ってしまった。特に、実生活でもカップルの夫役のアレッシオ・カルボネとのやりとりがいい。漫才の掛け合いレヴェルの<間の取り方>が絶妙で、何度見ても飽きないのだ。『オネーギン』『ジゼル』のようなドラマティックな役どころに次々と挑戦し、成功している彼女だが、コメディのセンスは天下一品。オペラ座随一のコメディエンヌの実力が発揮された。

第2キャストはエヴ・グリンシュタイン。『椿姫』のオランピアや、マノン、『天井桟敷の人々』の主役、ギャランスなどシリアスな役で力量を発揮する彼女にコメディが似合うだろうかと訝ったが、これが意外なはまり役。自身の持ち味でもある官能性を強調して、かなり挑発的なポーズを取る一方で、お人形のように小刻みに瞬きをしたり、美人の顔を信じられないぐらいにまで歪めたりと、お高くとまり切れない面を覗かせる。近寄りがたい高貴さと庶民性をちょうどいい按配で混ぜ合わせた彼女の、女優としてのセンスが光った。
他に、はにかみ屋の男のシモン・ヴァラストロ、マロリー・ゴディオン、怒りっぽい娘のロール・ミュレ、カロリーヌ・バンス、妻役のベアトリス・マルテル、オーレリア・ベレなど演技力に定評がある強力なベテラン勢も顔を揃えた今回の上演は、バレエの枠を優に超え、歌のないミュージカルと化していた。
もちろん、毎晩大受けだ。日本では毎年男性コメディ・バレエ団が来日したりして、コメディ・バレエ自体、珍しいものではないが、パリでは、特にオペラ座では観客が躊躇なく笑えるバレエが上演される機会は滅多にないのである。

『Triade』は、NYCBのプリンシパルで振付家としても大活躍中のバンジャマン・ミルピエの、2作目となるオペラ座委嘱作品。初演は前回の『Hommage à Jerome Robbins』公演初日の2008年9月20日。
今年33歳になるフランス人の彼は、SABに留学し、1995年にNYCBに入団、2002年にプリンシパルに昇格した屈指のダンサーだ。何度もロビンス作品で主役を務めた彼は、自身の舞踊言語で熟知しているロビンスのスタイルを『Triade』で再現した。
登場するのは男女4人。友達同士の女性2人、男性2人が男女の2カップルに進展するが、カップルがそれぞれに愛を暖めあうのではない。『Triade』(3人組)というタイトルが示すように、カップルの2人に、必ず<もう一人>の誰かが付き纏うのだ。
第1パ・ド・ドゥ(マリ=アニエス・ジロとヴァンサン・シャイエ、あるいはステファニー・ロンベールとオドリック・ブザール)では、女の視線が下手の幕に注がれる。男は目の前の自分に振り向かせようと必死に食い止めるが、女はことごとく男の腕をすり抜ける。第2パ・ド・ドゥ(ドロテ・ジルベールとニコラ・ポール、あるいはミュリエル・ジュスペルギーとマルク・モロー)は逆パターン。心ここにあらずの男を、女が引き戻そうと模索するのだ。第1、第2パ・ド・ドゥともに、舞台に登場しない<もう一人>の存在を、振付とニコ・ミュリの音楽が匂わせ、カップルの不安を掻き立てる。
第2パ・ド・ドゥ直後、その<もう一人>が露呈する。4人がはち合わせすると、第1カップルの女と第2カップルの男は何の躊躇もなく手を取り合ってしまうのだ!途端に混沌としていた空気に、緊張が走り、4人の誰もがそれぞれに、4 人の中の、ある3人を意識せざるを得なくなる。自分、恋人、そして<もう一人>を。
アカデミックなクラシック・バレエの技法を厳守しつつ微妙に変化させるネオ・クラシックの語法、微妙な緊張を伴う錯綜した人間模様、靄のかかったような鬱蒼としたとヨーロッパの空気感は、まさにロビンスのスタイル。ミュ-ジカル的な明るさと並行してロビンスが得意としたもう一つの世界観だ。『Triade』は、ロビンスの世界観に、無機質なセットや、コンテンポラリー・ダンスの技法のパ、腕の組み方、リフトで、現代的なスパイスを適所に盛り込み、見事にミルピエ自身の味に仕上がっていた。
大振付家へのオマージュ作品と称したもの殆どは、残念ながら独りよがりの作品であることが多いが、この『Triade』は、巨匠の作品を自身の舞踊言語で語り直すという作業を的確に、明快に提示していた。NYCBのみならず、ジュネーブ大劇場バレエ、ABT、パシフィック・ノ-スウェスト・バレエなどの大カンパニーがこぞって彼に作品を委嘱していることでも証明済みの、ミルピエの本物の才能が、本作品に迸っている。

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その『Triade』に深く影響を与えていると思われるのが、1970年1月29日初演の『In the Night』の、第3パ・ド・ドゥとコーダだ。『In the Night』はショパンの4曲のノクターンに合わせ、カップルが3つのパ・ド・ドゥでそれぞれ愛を深めた後、コーダとなる4曲目で3カップルが、一堂に会する、4部構成。23分というコンパクトな上演時間でありながら、中身は濃密。マクミランの『マノン』、ノイマイヤーの『椿姫』、クランコの『オネーギン』に代表されるドラマティック・バレエのように、ダンサーが自身の成熟度に合わせて内容を変化させたり、踊るパートを変えたりできる、幅のあるバレエで、人気も高い。現に1989年11月26日にオペラ座のレパートリーに入って以来、4月28日時点で、既に116回の上演回数を誇っている。
第1パ・ド・ドゥは、恋愛の初期段階だ。惹かれあっているものの、まだお互いの様子を窺って、駆け引きにも余念がない。身をかわして男性の手から逃れた女性を捕まえようと、男性が追いかけて舞台上手の奥にいくと、女性はすでに逆方向の下手前にいた。逃げる、掴む、かわす、離れる、捕まえる、の一連の行動から、2人の関係にはまだ相当の隔たりがあることが分かる。
ずっとこのパ・ド・ドゥを踊っているクレール=マリ・オスタとバンジャマン・ペッシュ組はさすがの安定感を見せたが、彼らに代わって第1キャストで登場したリュドミラ・パリエロとジェレミー・ベランガールは、それをやすやすと凌いでしまった。次々と大役をこなし、エトワールへの駒を着々と進めているパリエロは、ベランガールの好サポートを得て、初役ながら素晴らしい出来映え。今後ジゼル役やシルフィード役での起用も期待できそうな、ロマンティシズムを醸し出していた。

第2パ・ド・ドゥになると、男女の距離は一気に縮まる。男性は常にどっしりと構えて、女性を見守り、その男性に寄り添う女性が彼の腕を放すのは、ほんの僅かの間だけだ。だが、関係はあくまで対等。一方が他方に依存することはなく、お互いを尊重する、厚い信頼で結ばれている。
第1キャストのアニエス・ルテステュとステファン・ビュリョン、第2キャストのエミリー・コゼットとカール・パケットはどちらも絵に描いたような長身のカップル。パケットはその素晴らしいリフトの技術で、不安定になりがちなコゼットを頼もしく支えていたが、ここでは、何といっても、ルテステュの輝きが圧倒的だ。長身から繰り出される、ダイナミックな動きの一つ一つは、音楽にも敏感に反応し、繊細さも忘れない。ビュリョンとの息もぴったりで、落ち着いた大人のエレガンスを見せつけていた。
第3パ・ド・ドゥの男女は冒頭から波乱を予感させる。いきなり、女性が男性を詰るのだ。男性の浮気疑惑があるのだろうか。女性の、男性側への不信感はかなりのもの。男性は懸命に否定し関係修復に努めるが、女性は全く耳を貸さずに責め立て、怒りのあまり、下手の幕に姿を消してしまう。間もなく女性は舞台に戻るが、また口論になり今度は男性が上手の幕に走り去る。あれだけ嫌がっていたはずなのに、女性は、男性の不在を目の当たりにした途端、態度を一変させて崩れ落ちる。2人は切っても切れない深い関係なのだ。根底に本物の愛情が流れているからこそ、感情を剥き出しにして怒り狂い、しょっちゅう恋人の下を離れる。同じ離れる行為でも、第1パ・ド・ドゥとは全く事情が違うのだ。

第1キャストのデルフィーヌ・ムッサンとニコラ・ル・リッシュは、素晴らしい。リフトなどの技術面に長けていることはもちろんだが、何よりその着眼点に驚かされた。激情が渦巻く、このパ・ド・ドゥで、お互いに相手に逃げ道を与え、一歩引いたところで穏やかに相手を詰るのだ。ムッサンが舞台から姿を消すと、ル・リッシュはしょんぼりと肩を落として項垂れ、彼の腕をすり抜けたムッサンもまた、常に自問し冷静さを失わない。その裏には深い悲しみがある。2人にとっては、怒りよりも、この状況にあることの悲哀の方が強い。痛切な悲鳴がじわじわと2人の身を切り裂いていくのだ。

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第2キャストのオレリー・デュポンとマニュエル・ルグリにはいい意味で裏切られた。今までのデュポン、ルグリの名舞台から、容赦のない痴話喧嘩にまで発展しかねない、詰問の応酬になるだろう、と想像していたのだが、意外や意外、感情剥き出しの子供と常に冷静な大人が一人ずつ舞台上にいた。デュポンは心の奥底から湧き出る激情をストレートに、彼にぶつけるのだが、ルグリは微動だにしない。彼女が泣いても、いなくなっても、全く動じないのだ。決してデュポンへの愛情が冷めたわけではない。実は彼女は彼の掌の上で転がされている。どんなにわめこうとも、彼女が、最後には自分のところに帰ってくることを、ルグリは最初から悟っているのだ。
リフトでも、彼の懐の深さが際立つ。第3パ・ド・ドゥには、フィギュアスケートのアイスダンスさながらに、女性の身体を持ち上げながら、自らの周囲ギリギリに、女性を旋回させる難しいリフトがある。女性の身体で、男性の身体のラインを描くのだ。全く力みのないルグリのサポートで、デュポンは空中に舞い、真上に持ち上げられ、落とされる。阿吽の呼吸の2人が繰り出す緩急自在のリフトは、緊張と緩和の連続を強いられるカップルの会話と化していた。
そう、何もかもがドラマなのだ。アラベスク、ピルエット、リフト、眼をそらす、逃げ惑う。そして、ただ立っているだけでも、2人の心の葛藤が濃厚に立ち上ってくる。5分30秒のパ・ド・ドゥは見事な寸劇に仕立てられていた。最後には女性が折れ、男女は元のさやに納まると知っているのに、話の展開に思わず手に汗を握ってしまう、この緊迫感は、3時間に及ぶ全幕物で味わうそれと全く同じなのだ。
長く第1パ・ド・ドゥを踊ってきたルグリの、満を持しての第3パ・ド・ドゥの披露は、彼の、オペラ座への小休止を告げることになった。周知の通り、来シーズンからウィーン国立歌劇場バレエのディレクターに就任するルグリだが、将来的には2.3年に1度の割合で催されるオペラ座での特別な公演にゲスト出演することも考えられ、2度とオペラ座で踊らないとは言い切れない。だが、今シーズン最初にして最後のガルニエ宮での本出演は、間違いなくダンサーとしての一区切りだ。だから、1年前の『オネーギン』でのアデュー公演ほどではないが、いつもはクールなオペラ座の観客も興奮気味。彼が登場しただけで熱い拍手が飛び交い、トリの作品ではないにもかかわらず、カーテンコールもかなり長めであった。

ユダヤ系アメリカ人という、自身の出自が色濃く影を落としているかのように、ロビンスは、<底抜けの明るさ>と<混沌とした哀愁が漂う暗さ>という対極の作風を持ち味とした。
前者に分類される『En Sol』と『The Concert』、後者の『Triade』、『In the Night』。もちろん、ダンサーたちの名演があってこそだが、『Hommage à Jerome Robbins』は至極バランスの取れたプログラムだったと言える。対極のロビンスの作風を、一晩で堪能できてしまうのだから。
(2010年4月23日、24日、27日、28日 パリ・オペラ座ガルニエ宮)

Photos:(C)Sébastien Mathé
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