ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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三光 洋 Text by Hiroshi Sanko 
[2009.11.10]

「ダンスへの愛」と「恋人への愛」の相克 ムッサンが描いたヒロイン像

BALLET de l’OPERA de Paris
パリ国立オペラ座バレエ ガルニエ
JEAN CORALLI et JULES PERROT Choregraphie transmise par MARIUS PETIPA
adaptee par PATRICE BART et EUGENE POLYAKOV :Giselle
ジャン・コラリ、ジュール・ペロー原振付、マリウス・プティパ振付、
パトリス・バール、エウゲニー・ポリヤコフ改訂振付『ジゼル』
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パリ国立オペラ初演(1841年)で現在も同バレエ団のレパートリーを代表する人気作『ジゼル』が今シーズンの開幕公演だった。幕が上がると、藁葺きの農家がある深い森の村。奥の山上には二つ城がそびえている。このロマンチックな装置と衣装は1924年の再演に際してロシア・バレエ団の画家だったアレクサンドル・ブノワが作成したものによっている。ジョン・コラリとジュール・ペローの振付にマリウス・プティパの改訂も加味して、1991年にパトリス・バールとウージェーヌ・ポリアコフが仕上げた舞台である。
最初にちょっと気になったのは、森番に王子といるところを見咎められる所で、ジゼル役のデルフィーヌ・ムッサンが余裕たっぷりの人妻風に見えたこと。可憐な身振りが大人の表情と合わない。一方のアルブレヒト(ペッシュ)がジゼルを凝視する視線は激しく情熱的だった。『赤と黒』のジュリアン・ソレルとレナール夫人ならぴったりというカップルと言ってもいいだろう。オペラなら70歳を超えた男声歌手が青年役でも声さえあれば、全く違和感がないのと違い、身体表現のバレエの厳しさを感じたが、この印象は場面が進むにつれて霧のように消えていった。
それにしても、いつになく群舞のそろいがよくないのは驚かされた。7人の村娘の踊りも腕の角度のばらつきが大きいのが目立った。レスムジカ誌のアラン・アティヤスによると「外国ツアーが同じ時期に組まれていて、若手が起用されたためだ」という。
村娘の一人が転倒し、その後も退場するまでふらふらしたままだったのは実に痛ましく、みなの注意が一時はそちらに逸れてしまうほどだった。
 

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しかし、ムッサンは村祭りの女王に選ばれた後のソロからは、一挙に観客の目を釘付けにした。横恋慕した森番(ヤン・ブリダール)によって自分が心を委ねた相手の素性がわかった途端に視線から光が消え、床に倒れた。両手で頭を抱え、髪を掴んでは離す動作が繰り返される。中空を彷徨ううつろな視線を前にして、アルブレヒトもなす術もなく立ち尽くすのみだった。もはや王子も森番も目に入らない、見開かれた大きな瞳はぽっかりと墓穴が開いてしまったかのようだ。これほど胸を突かれる狂乱の場面に立ち会った衝撃は痛烈で、20分の休憩時間は頭がぼんやりしているままに終わっていた。
 

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オーボエの音が深い森を喚起して第2幕が始まった。奥に教会の廃墟、左に石の十字架。大木が左右から交差してトンネルになっている。鐘が12時を打つのが遠く聞こえてきた。ハープの調べに乗ってウイリーの女王ミルタが登場し、ヴァリエーションを優雅に踊った。エミリー・コゼットの女王は凛とした威厳があり、ジゼルが恋人の命乞いをする度に寂しげに、しかし毅然として拒んだ。ヤン・ブリダールは森番ヒラリオンの素朴さを巧まず感じさせた。
白い百合を一本づつ指先にかざしたジゼルのヴァリエーションは、音楽の流れによく乗った踊りだったが、特に憂いのあるムッサンの眼差しは忘れがたい。6時の鐘が鳴って、朝が到来したことがわかった時にそれまでとは一転した穏やかな表情をさっと見せて、白いジゼルのシルエットが舞台奥に消えた。
 

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ジゼルの愛を振り返る時、「ダンスへの愛」と「恋人への愛」との相克が大きな軸となっていることに気づく。これは19世紀によく扱われたテーマで、オペラならばオッフェンバックの『ホフマン物語』で「歌への愛」と「恋人への愛」とに身を引き裂かれる歌姫のアントニアが思い出される。ダンスにせよ歌にせよ芸術と日常的な現世の愛は相容れない。詩人テオフィル・ゴーチエは「彼女は舞踏会を愛しすぎた。それが彼女を殺した。」というヴィクトル・ユゴーの詩(『東方詩集』1828年の「亡霊」)にインスピレーションを得てジゼルの台本を書いている。
また、「狂乱の場面」はフランス革命後、バレエやオペラでしばしば取り上げられたテーマで、一つの作品の最大の山場となっている。ベッリーニの『清教徒』とドニゼッティの『ランメルモーアのルチア』が『ジゼル』初演のわずか6年前に初演されていることは偶然ではない。バレエではルイ・ミロン振付の『ニナあるいは愛で狂って』(1813年)が評判を呼んでいた。
また、当時シェークスピアがフランスで流行し、『ハムレット』のオフェーリアの狂乱が注目されていた。

こうした作品の背景を思い起こすと、一途に愛したがゆえに狂って命を落としながら、あくまでも恋人の命を守った後に、異界へと去って行くジゼルの姿がくっきりと浮かび上がってくる。今回ムッサンが単なる技術のひけらかしを超えた身体の全てを使って体現したのはこのヒロインの像なのだと思う。
(2009年10月9日 パリ・オペラ座ガルニエ/Photo (C) Julien Benhamou / Opéra national de Paris)

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