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三光 洋 Text by Hiroshi Sanko 
[2009.05.11]

ルグリが引退公演に自ら望んだオネーギン役で圧倒的な演技力

BALLET de l’OPERA de Paris
パリ国立オペラ座バレエ
John Cranko « Onéguine » ジョン・クランコ『オネーギン』

音楽 チャイコフスキー
編曲とオーケストレーション クルト・ハインツ・シュトルツェ
振付と演出 ジョン・クランコ
装置と衣装 ユルゲン・ローゼ
照明 ステーン・ビヤルケ
ジェームス・タッグル指揮  パリ国立オペラ管弦楽団
オネーギン マニュエル・ルグリ
タチアナ クレール=マリ・オスタ
レンスキー マティアス・エイマン
オリガ   ミリアム・ウルド=ブラアム
グレミン将軍 クリストフ・デュケンヌ

南アフリカ出身でドイツのシュツットガルト・バレエ団で活躍した振付家ジョン・クランコ(1927-1973)による『オネーギン』(1965年)がパリ国立オペラ座バレエ団のレパートリーに入った。4月24日19時30分からの第5回公演を見た。

主役のオネーギンは、5月15日の「デフィレ」付きの公演を最後に44歳で引退するエトワールのマニュエル・ルグリが踊った。
ルグリはウィーン国立歌劇場バレエ団の芸術監督に就任することが決まっているが、5月末から6月初めまで招待エトワールとしてローラン・プティの『プルーストあるいは心情の間欠』(『失われた時を求めて』)にシャルリュス役でガルニエ宮に再度登場することが決まっている。

ルグリは1964年10月19日にパリで生まれた。1974年にイヴォンヌ・グーベに才能を見出され、奨学金を貰ってサル・プレイエルにあったグーベのバレエ学校に入学した。1976年に11歳でパリ国立オペラ座バレエ学校に入学し、1980年に弱冠16歳でコール・ド・バレエに入った。1982年にはスジェに昇格し、1986年2月の『アレポ』初日にエリック・ヴ・アンとともにベジャールによりエトワールに任命された。しかし、舞踊監督だったヌレエフはベジャールの越権行為に怒り、この決定をいったん取り消した。しかし同年7月11日にニューヨークのメトロポリタンオペラハウスで公演された『ライモンダ』(ヌレエフ振付)で、ヌレエフによりエトワールに再任命されている。

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さてバレエ『オネーギン』はロシアを代表する詩人・劇作家であるプーシキンによる同名の韻文の小説に想を得て、1965年にクランコが振付け、1967年に改訂した作品だ。最も大きな特徴はチャイコフスキーの傑作オペラ『オネーギン』の音楽を一切使わずに、同じ作曲家の他の作品をシュトルツェが編曲した音楽を利用していることだ。ワルツ、マズルカ、ポロネーズ、さらにピアノ曲『四季』(作品37b 1月「炉辺で」から12月「クリスマス」までの12曲からなる)がオーケストラ用に編曲されている。これにオペラアリアのオーケストラ編曲が加わる。
 
オネーギンは男女の感情のすれ違いがテーマ。主人公のオネーギンは影のある美青年BEAUX TENEBREUXの典型であり、その求愛を夫への貞節を守るために自分の心情に反して退けるヒロインのタチアナはロシア女性の鏡と見なされている。
バレエ全体の構成は
第1幕 第1場 田舎のラーリナ家の館の庭
第2場 同じ館のタチアナの寝室
第2幕 第1場 ラーリナ家の舞踏会
第2場 無人の公園
第3幕 第1場 帝都サンペテルスブルクのグレミン将軍館の舞踏会
第2場 同じ館のタチアナの閨房
となっている。上演時間は第1幕が36分、第2幕が26分、第3幕が25分で20分の休憩が二回入る。

[第1幕第1場] 田舎のラーリナ家の館の庭
幕が上がるとドイツの装置家ユルゲン・ローズによるラーリナ家の庭を描いた布がロシアの豊かな地方地主の生活を彷彿とさせる。右手に一人離れてヒロインのタチアナが横たわって本を読んでいる。左手の建物の前にある大木の下には丸テーブルが置かれ、ラーリナ夫人に乳母、タチアナの妹オリガの三人が談笑している。メランコリックな姉と無邪気な妹という人物像の対比がどれだけ表現できるかが前半の眼目の一つである。
ここにオリガの許婚者レンスキーが年上の友人オネーギンを連れて登場する。
オネーギンは帝都サンクトペテルスブルクからやってきた青年貴族である。現在
と違ってテレビはもちろん、日刊新聞も地方の村では手にできない時代にあって、都からの貴人がどれほどか人々の注意を引いたかは想像するにかたくない。家格からしてもラーリナ家には届かない殿上人である。
黒服をまとったオネーギンは、挨拶しようとする人たちを冷然と無視して、一直線にタチアナの方に歩み寄る。ルグリの傲然としたダンディーらしい物腰は冷めた主人公にぴったりだ。
ここでオネーギンはタチアナを連れて左手から退場し、オリガとレンスキーの相愛のカップルの場面となる。最初にのびやかな肢体のエイマンがソロを踊ってから、憂愁を帯びた旋律に乗ってミリアム・ウルド=ブラアムのオリガとのパ・ド・ドゥになる。曲そのものは素晴らしいのだが、若い喜びにあふれるカップルが踊る場面に適切かどうかは大いに疑問を抱かせる選曲である。それでも、しなやかなブラアムを安定しゆとりのある軽やかなエイマンと若さあふれる二人の息がよく合って、相愛の許婚者たちにふさわしい幸せな雰囲気が立ち上った。
これにオネーギンとタチアナの最初のパ・ド・ドゥが続く。音楽はチャイコフスキーの『ロメオとジュリエット』の二重唱である。タチアナを手にした本のタイトルを見て軽蔑あふれる一瞥をルグリが投げる。刺すよう視線はあまりにも鋭く、だれもがヒロインが気の毒になるほどだった。オスタはプーシキンが「悲しげで口数が少ない」と形容したヒロイン像に近づこうと努力したが、今一つ愁いを帯びた感じが出ない。
半透明の幕を下ろして、その背後で許婚者二人の愛情あふれる別れの場面は目に美しい。タチアナは自分のほうを振り向こうとしないオネーギンをさびしげに見つめながら、爪先立ちしたまま一人で後退して左手から退場する。

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[第1幕第2場] 同じ館のタチアナの寝室
高い丸天井。右手に天蓋付きのタチアナの寝床。左手にろうそくと筆記具をおいた小さな机。乳母が去るとタチアナはベッドから起き上がり、鏡の前に立った後、すぐに机に座ってオネーギンへの手紙を書き始める。照明が青みを帯びた色に変わると、鏡の向こうにオネーギンの影が現われ、次いで鏡の中から部屋に入る。
二人の白と黒の衣裳の対比は鮮やかだ。ここでパ・ド・ドゥとなるが朝の光が射すとオネーギンは姿を消す。この重要な場面がソロでなく、夢とはいえ二人で踊るという振付には首をかしげざるを得ない。タチアナの思慕が抑えようとしても抑えられなくなって本来ならば書いてはいけない手紙を書くに至る気持ちの高揚を辿れば、一つの場面としてもっとインパクトが強いものになるはずだ。ヒロインの心の打ち明け役としての乳母があまり描きこまれていないのも気になった。

[第2幕第1場]  ラーリナ家の舞踏会
花籠が天井から吊差がった舞踏室。タチアナの名の祝いの会に近隣の老若男女が詰めかけている。若いレンスキーとオリガを先頭に招待客たちが所狭しと踊る。エイマンの切れ味のよい身ごなしとウルド=ブラアムの小柄な軽快な所作からは若さがはじけていた。オネーギンは他の人を無視してタチアナと一度だけ形式的に短く踊り、すぐ左袖の机の前に座ってトランプのカードを所在なげにもてあそぶ。タチアナは右袖の椅子に腰かけてオネーギンの方を心配そうに見やる。胸をふくらませて送った手紙への返事を待っている。中央の人込みと前方のぽつんとした二人のコントラストは鮮やかだ。涙にくれるタチアナを乳母が慰める。
他の人たちが別室に行っている間にオネーギンはヒロインに近づき、手紙を破って返す。呆然と立ち尽くすタチアナの手からはらはらと手紙の断片が床に落ちていく。捨てられた手紙を戻ってきたレンスキーが拾った後、グレミン将軍がタチアナにダンスを申し込む。(グレミン将軍は都に住む宮廷貴族なので、原作ではこの田舎には登場せず、第3幕でオネーギンの従兄弟としてはじめて現れる。)
ここで、グレミンとタチアナ、オリガとオネーギンの舞台中央でのパ・ド・カトルとなる。
途中でタチアナがオリガの手をひいてレンスキーと踊らせようとするが、妹はオネーギンと踊り続ける。腹を立てたレンスキーだが、まずタチアナになだめられ、オリガも奥のソファーに二人で座ってくれたのでいったんは機嫌を直す。
一方のタチアナは一向に自分の方に振り向かないオネーギンに失望の色を濃くし、退場する。ここで再度オネーギンが仲良く踊っていたレンスキーとオリガの間に割って入り、オリガと踊りはじめるのでさすがのレンスキーも顔色を変える。ウルド=ブラアムは少し軽率でコケットなオリガのイメージにぴったりだ。
若い怒りを爆発させ、白手袋でオネーギンの頬を殴るエイマンの演じるレンスキーは迫力たっぷりだ。このカップルは見事というしかない。オネーギンは白手袋を拾い、決闘の申し出を受ける。レンスキーと対照的に落ち着きを失わない主人公はルグリならではの小憎らしいほどの演技力あってのものだ。
タチアナとオリガの二人がレンスキーに取りなそうとするが、傷ついて詩人はタチアナに寂しげに挨拶し、縋りつくオリガを手荒く突き放して退場する。

[第2幕第2場]  無人の公園
場面転換の間に幕が下り、舞台前方にオネーギンが現れる。ルグリは全身に後悔の念を漲らせ、ピストルを見つめたままゆっくりと歩いて袖に消える。短いが前夜のラーリナ家での舞踏会で何の罪もないレンスキーを退屈しのぎのためだけに挑発したことへの自己嫌悪が仕草と視線にはっきり見えた。
無人の木立。空には月がかかっている。哀愁を帯びたチェロとオーボエに乗って、レンスキーがソロを踊る。天を仰いでは崩れ落ちる動作の繰り返しからは、自分の命があとわずかで終わる予感にとらえられた青年詩人の無念さが感じられた。黒のショールをまとった女二人が登場し、レンスキーとのパ・ド・トロワとなる。
レンスキーは肩に置かれたオネーギンの和解の手を振り払い、オリガを突き放して退場する。舞台奥でオネーギンとレンスキーが向かいあうかと思うとレンスキーが崩れ落ち、舞台前方でオリガが泣き崩れる。やがて、前方に現れたオネーギンはタチアナの方を見ることさえできずに、手で顔を覆い、うつろな視線で足を踏み出すところで幕が下りる。
ちなみに、原作ではここでタチアナとオリガの二人は登場しない。決闘の場面は介添人以外の第3者に知らせてはならない。「明日の朝レンスキーとオネーギンが墓場への道を血で争うのを、もしタチアナが知ったなら、--ああことによると、彼女の愛が、ふたたび二人の友を仲直りさせたかも知れぬ。」とプーシキンは書いている。決闘の場面に姉妹が立ち会うというのはどうにも不自然で理解に苦しむ。ルグリの演技がすぐれているだけに、男だけの場面にすればはるかに本当らしく、かつ緊迫感が増しただろう。

[第3幕第1場]  帝都サンクトペテルスブルクのグレミン将軍館の舞踏会
第2幕と第3幕の間は原作では二年半程度が経過しているが、クランコはなぜか十年間が経過したという設定にしている。(この変更には大きな問題がある。原作では、まだ若いオネーギンはやり直しがきくと考えるが、タチアナはあえて老将軍に対して貞節を守るが、クランコの振付では若々しい将軍と初老のオネーギンという組み合わせになっている。主人公二人のすれ違いが本来もっていた救いようのない悲劇性が失われる結果になっている。)
オネーギンは「決闘で親友を殺してから、26歳まで目的もなく漫然と暮らし、あてどのない遍歴の旅にのぼった。だがやがて、旅にもこの世の一切と同様に飽きがきて都に舞い戻り、船から夜会に顔を出した。」ここで、従兄弟のグレミン将軍の館で開かれていた夜会に出かけ、将軍の妻となっていたタチアナと再会する。シャンデリアが煌煌と輝くサロンは将軍の豊かさを象徴している。タチアナは結婚によって田舎地主の娘から都の上流社交界の貴婦人に変身したのである。
舞踏会のワルツの音楽はもう一つ華やかさにかけ、豪華な衣装や装置とのずれが感じられた。オペラではきらびやかなファンファーレから始まるところである。赤のデコルテになったドレスを着たタチアナが将軍に手をひかれて登場し、社交人士たちからの挨拶を受ける。タチアナの変貌に驚いたオネーギンは呆然とし、近づくこともできず、遠くから目線で追いかける。将軍からオネーギンを紹介されたタチアナははっと驚くが、夫婦はすぐサロンから退室してしまう。(原作には「彼女がどんなに思い乱れ、驚きもし愕然としたにもせよ、彼女は素振り一つ変えなかった。以前と同じ物腰を保ち、会釈のしぶりも静かだった。」とある。振付家の人物造形とは全く違っている。)ルグリは髭を生やし、第2幕までと比較してぐっと老けている。将軍が若々しいこともあいまって、この設定はどうにも不自然である。照明が変わって、オネーギンの夢想となり、一瞬目の前をかつて本を手に物思いに耽っていた田舎娘タチアナのイメージが横切る。ルグリは影のある表情で、鬱々とした主人公の心境をよく現わしていた。オスタも社交夫人としてのタチアナの方が前半よりも演じやすいようだった。

[第3幕第2場] 同じ館のタチアナの閨房

タチアナは鏡台の前に座り、オネーギンから届けられた手紙のことを想っている。夫の胸に首をうずめて外出しないで館にとどまってくれるように懇願するが、夫はていねいに挨拶をして姿を消してしまう。
一人となったところに、オネーギンが駆け込んでくる。鏡台の前に座ったままタチアナは動かない。クラリネットのメランコリックなソロをバックに主人公はヒロインに縋りつこうとするが、退けられる。次いでオネーギンは背後からタチアナをはがいじめにし、首筋に接吻する。何度も拒んだ挙句に、いったんは自ら相手の胸に飛び込む。彼女は今も彼を愛しているからだ。しかし、手紙を取り出してびりびりと破る。ひらひらと断片が床に落ちるのを目にしたオネーギンが部屋を飛び出して駆け去った後を戸口まで追ったヒロインが、前方に引き返してきたところで静かに幕が下りる。
この場面はルグリが全く衰えを感じさせない身体により、情熱に突き動かされる主人公を体現して緊迫感のあるパ・ド・ドゥとなった。ここでは交響詩『フランチェスカ・デ・リミニ』の主要動機が音楽のテーマとして使われている。
クランコによる振付は、全体としてオネーギンの物語を知らない人にも話の展開が「わかりやすい」もので、豪華な衣装や装置によってロシア社交界の雰囲気がそれなりに感じられたことは間違いない。
自分から引退公演にぜひこの役をと希望したルグリは圧倒的な演技力により影のある一筋縄では表現できない主人公にふさわしい陰影を与えていた。これに対し、ヒロインのタチアナにはどうしても不満が残った。オスタはタチアナの純粋さを表現することはできたが、第2幕までの田舎の夢見る乙女と第3幕の社交界の花形への変身は単なる技術能力を越えた演技力が求められる。しかし、問題はダンサーではないのだろう。配役に当たって、タチアナとオリガとに全く違うタイプのダンサーを起用することが重要だ。また、何箇所が原作を引いて指摘した通り、プーシキンの原作をクランコが大きく手直ししたために、本来の人物から離れてしまった結果、オネーギンとタチアナのすれ違いの悲劇が持つ痛切さが少なからず削がれてしまったのは残念な限りだ。
(2009年4月24日 パリ・オペラ座ガルニエ 19時30分開演21時50分終演)
 

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