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三光 洋 Text by Hiroshi Sanko 
[2009.03.10]

パリ・オペラ座のリファール『白の組曲』、プティ『アルルの女』、ベジャール『ボレロ』

BALLET de l’OPERA de Paris
Serge Lifar « Suite en blanc » . Roland Petit«L’Arlésienne», Maurice Béjart «Boléro»
パリ国立オペラ座バレエ団
セルジュ・リファール『白の組曲』、ローラン・プティ『アルルの女』、モーリス・ベジャール『ボレロ』

 セルジュ・リファール(1905-1986)、ロラン・プティ(1924生)、モーリス・ベジャール(1927-2007)という三人の全く性格を異にする振付家の作品を並べたプログラムである。
前半のリファール振付『白の組曲』Suite en blanc(上演時間40分)は、当晩で418回目の公演となったパリ国立オペラ座バレエ団のレパートリーを代表する作品である。1882年初演のバレエ『ナムーナ』を抜粋して作られ、1943年にプルミエが行われている。(『ナムーナ』は2幕3場のグラン・バレエとして1882年3月6日に初演された。19世紀フランスを代表する詩人・劇作家アルフレッド・ミュッセ原作の『カサノヴァ回想録』をもとに、シャルル・ニュイテールが台本を書き、リュシアン・プティパが振付けた。アドリア海に浮かぶコルフー島の刺客たちの世界を背景に、アディアーニとオッターヴィオという二人の主人の間で揺れる女奴隷ナムーナをヒロインとする荒唐無稽な筋である。特にここで踊られる「シガレットのパ」は、才能豊かなダンサーだった21歳のエマ・リヴリが激しい動きのために煙草の火が衣裳に燃え付いて死亡した1863年の事故以後は、火を消した煙草を手にするようになったことで知られている。)
 

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 色彩感にあふれるエドガール・ラロの序曲はリファールが書き残しているように「非常に美しい、きわめて『コレグラフィック』な音楽」である。幕が開いた途端、客席から拍手が沸いた。白と黒の二色だけの衣裳と舞台はシンプルそのものだが、誰が見てもはっとさせられる。男性のタイツ以外はすべて白という衣装が、黒一色の何もない空間にくっきりと浮き上がる。
リファールは原曲から10曲を選んで振付けたが、ソロ、パ・ド・ドゥ、パ・ド・トロワが何の筋もなしに並んでいる。「美しいヴィジョンを構成」した「ダンス・テクニックのスタイル練習帳(エチュード)」となっている。
それだけにソリストのテクニックの優劣が明確に出た。まず男性4人と踊った「パ・ド・サンク」のミリアム・ウルド・ブラアムに拍手が集まった。それにつづいたのが有名な「パ・ド・シガレット」である。メランコリーをたたえたラロの旋律に乗って愁いを帯びた表情としなやかな指の動きが目に付いた(エミリー・コゼット)。圧巻だったのは、クラリネットの響きに導かれた「マズルカ」(ソロ)と「アダージュ」(デュオ)。前者はニコラ・ル・リッシュによる余裕たっぷりの踊り。後者はあでやかなオーレリー・デュポンと気品のあるエルヴェ・モローが息の合ったところを見せた。
バレエ団での序列を踏まえ、アカデミックな技法を網羅したクラシック・バレエの様式美を集成した見ごたえある作品で、リファールは戦後再度『黒と白』Noir et blancと改題して取り上げている。長年の歴史によりヒエラルキーが顕著なパリ国立オペラ座バレエ団の全体像がはっきりと見えるという点でも貴重だろう。
これだけでもガルニエ宮まで足を運んだ甲斐があったが、圧巻だったのは休憩後の『アルルの女』(上演時間38分)である。

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 黄金の麦畑を黄色い太陽が照らしているゴッホの絵が後方にかかり、舞台そのものは裸である。黒のジレにワイン色の腰巻、白のシャツに黒のズボンの若者たち。黒の服に白のブラウス、クリーム色のリボンが愛らしい村娘たち。ヒロインのイヴェットだけが白一色である。白と黒を基調とする衣装にワインレッドがワンポイントで入り、背景に黄色という色彩でやわらかな光の照明も加わって昔のプロヴァンスの村が目の前に広がった。ローラン・プティの洗練された色彩感覚は疑いようもない。
しかし、プティの舞台の魅力は一人一人のダンサーが脇役までそろって登場人物としての生き生きとした感情を吹き込まれ、ドラマを織りなしていることだろう。ドーデの原作は1866年に刊行された『風車小屋便り』に収録された実話に取材した短編小説『アルルの女』だが、73年に3幕の戯曲に自ら仕立て直している。
プロヴァンスの豊かな農家の跡取り息子フレデリ(小説ではジャン)はビロードとレースに包まれた小さなアルルの女と婚約するが、女の元愛人がその過去をフレデリの父親に話したために破約となる。そして、両親を安心させるためにフレデリを慕う幼馴染のイヴェット(小説には登場しない)との結婚を受け入れるが、アルルの女を忘れることができず、納屋の塔に駆け上がって飛び降りてしまう。

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「私の劇にはアルルの女は登場しません。あるのはその影だけです。話題にのぼり、死ぬほど恋い焦がれる人がいるにもかかわらず、姿を現すことはないのです」とドーデ自身が語っているが、不在の魅力は通常のヒロインにはないものだ。プティはこの「不在のヒロイン」をフレデリとイヴェットの二人の視線ではっきりと描き出した。ヒロインを想うフレデリの視線は宙をさまよい、目の前にいるイヴェットの懸命なまなざしと交差することはない。バンジャマン・ペッシュはひたすら見えない相手に恋い焦がれる青年の抑えられない情念を全身と視線、表情で観客の目に刻みつけた。デルフィーヌ・ムッサンのひたむきなまなざしと、フレデリに全身ですがりつく姿からはイヴェットの純情がひたひたと見る人の胸にしみてきた。
ムッサンが上着の結び目を解いて肩から落とす仕草にはイヴェットの体当たりの純情がほとばしった。最後に、大きく開いた窓枠の白と床の照明以外はすべてが闇と化した舞台で湧き上がる情熱に突き動かされ、窓から飛び降りるまでのペッシュの踊りによって、窓の向こう側の死の空間だけでなく、手前の空間までもが死に侵され、生きる場を失った姿に誰もが息をのまざるを得なかった。
ビゼーの濃密な音楽にぴったりのプティの振付にはただただ脱帽するしかない。あまりのインパクトの強さに、隣にいたフランス人のダンス評論家は「これだけの舞台を見たら、もうこのまま座ってはいられない」と隣りにいた私に断って、場面転換で次の『ボレロ』の舞台が用意されている間に席を立っていったほどだった。 
 

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 最後はベジャールによる『ボレロ』(上演時間16分)。当初予定されていたマリー=アニェス・ジロに代わってニコラ・ル・リッシュが踊った。ベジャールはインタヴューで「半裸の上半身、腕と全身を使ってソリストは旋律線(メロディーのライン)出さなければならない」と語っている。
ル・リッシュの体つきや顔の輪郭はモネ歌劇場でベジャールが最初に作品を発表したときに踊ったジョルジュ・ドンはよく似ているが、表情はより野性味がある。
最初見えるのは手だけ。やがてソリストの全身が照明に浮かび上がるが、周囲は闇に沈んでいる。しかし、テーブルを取り囲む椅子に腰をかけたダンサーたちの肉体がソリストの身体を支えているのが感じ取れる。最初は身動きせず、曲が進むにつれて少しずつ動き出し、そのうちに何人かが立ち上がってテーブルの周囲で踊る。最後には全員がテーブルを取り囲むことになるのだが、その間、単純なメロディーを繰り返すラヴェルの音楽のリズムを体現するのが周囲のダンサーたちだ。照明に照らされないものかかわらず、威圧感が立ち上ってくる。(昨年8月にヴェルサイユ宮殿の庭園で行われた東京バレエ団公演を見たが、その時にはシルヴィ・ギエムのソロは周囲と隔絶していて、今となっては同じ作品とはとうてい思えない。)
この群衆にかっちりと支えられてはじめて中央のソロが活きてくる。ル・リッシュの闇に浮き上がる半裸の肉体に集められたエネルギーが、汗のしぶきとなって空中に舞った。独特の野性味にみちた動きから洗練されたエレガンスが浮き出してくる。16分の演奏が終わると、興奮した客席から拍手が沸き起こり、長い長いカーテンコールとなった。唯一惜しまれたのは前半好調だったパリ国立オペラ管弦楽団の演奏だろう。オーボエがソロの部分ですべり、金管にも誰もが愕然とさせられる乱れがあった。「オペラハウスの中で世界最高のオーケストラ」(ジェラール・モルチエ総監督)に、舞台上のダンサーたちにみなぎっていた緊迫感が欠けたのは残念な限りである。

ともあれ、一晩で20世紀のネオ・クラシック・バレエが目指したさまざまなアプローチを、現在パリ国立オペラ座バレエ団が誇る踊り手たちによって俯瞰できたのは望外の喜びだった。
(2009年2月14日、パリ・オペラ座ガルニエ)

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