ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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斎藤 珠里 text by Julie Saito 
[2008.12.10]

BALLET DE L'OPERA DE PARADIS パリ国立オペラ座バレエ公演から
JOSE MARTINEZ : LES ENFANTS DU OARADIS

ジョゼ・マルティネズ振付:『天井桟敷の人々』

『天井桟敷の人々』は先月号ですでに三光洋氏が、同作品のベースとなった映画との比較において演劇的な観点から舞台を取り上げた。今回、私は異なる配役でみた二公演を、主に振付やダンサーに焦点をあてて比較してみたい。

まず、公演日と主要キャスティングを紹介しよう。
11月1日
ギャランス(女芸人)・・・・・・・・・・・・・イザベル・シャラヴォラ
バティスト(フュナンブル座パントマイマー)・・マチュー・ガニオ
ルメートル(貧乏俳優でバティストの友人)・・・アレッシオ・カルボン
ナタリー(フュナンブル座の女優)・・・・・・・ミュリエル・ズュスペレギー
伯爵(ギャランスを愛人にする)・・・・・・・・クリストフ・デュケーヌ

11月8日
ギャランス・・・・・・・・・・・・・・・・・・エヴ・グリンシュタイン
バティスト・・・・・・・・・・・・・・・・・・ブルーノ・ブシェ
ルメートル・・・・・・・・・・・・・・・・・・カール・パケット
ナタリー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・アリス・ルナヴォン
伯爵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・オーレリアン・ウエット

 いずれの日も、ラスネール役(悪漢)はヴァンサン・シャイレ、幕間にガルニエ宮内の中央階段で演じられた『オテロ』のデズデモーナ役はミテキ・クドーが、オテロ役のルメートル(カルボン、パケット)を相手に踊った。

 まずギャランス。シャラヴォラもグリンシュタインも双璧に足の甲が抜群に美しいが、特にシャラヴォラが前方にアラベスクやグランバットマンをした ときの脚線美には目を奪われた。また華奢な背中の筋肉がコケティッシュな魅力を醸し出し、どことなく物悲しい薄幸な女の魅力を伝える。一方のグリンシュタ インは、一つ一つの動きがシャープで、傷つきやすいのに気位が高い雰囲気をもつ。

 バティストは大きな差があった。ガニオはギリシャ彫刻のような顔立ち、体の線も細い。いわば「生まれたときから銀の匙を咥えて」を絵にしたような 王子様、立っているだけで最年少エトワールの風格が備わっている。それが、逆にバティスト役には仇になった嫌いがある。つまり、ギャランスに惚れたままナ タリーと結婚、子供との幸せ家族をポイとしてしまう優柔不断な男の脆さや葛藤がにじみ出てこないのだ。その点、スジェからの大抜擢でバティスト役を射止め たブシェは、ナイーブなほど純情で近視眼的。まるで子供のように女性に母性を求め、右往左往する男の弱さを体現していた。なかでも二幕、結婚したバティス トが舞台公演中、客席に伯爵と連れだっていたギャランスをみつけて動揺するソロは、内側から崩れてゆく心情を吐露して圧巻だった。

 しかし何といっても二つの公演で最も違いが大きかったのはナタリーの存在だった。ジュスペレギーの演じるナタリーは「こんな私だけど」と、最初か ら恋に対して腰が引けている。必ずしもバティストとの関係が思い通りに進まなくても、自分で自分を納得させてしまうタイプの愛し方だ。他方、ルナヴァンは あまりにも純粋で、捨てられたら身投げしてしまいそう。体当たりの演技で自らの葛藤、一心不乱の愛情をバティストに向ける情の深い女だ。百戦錬磨とも言う べき恋多きギャランスとの対比が描かれないと、この物語の面白さは半減してしまう。その点で、ルナヴァンの演技は出色の出来だった。

 バティストの友人で貧乏役者という設定のルメートルも、大事な脇役だ。カルボンは持ち前のテクニックを披露して客席を何回も沸かせ、調子のいい軽 めの男を好演した。ところが、パケットはガニオと同じく容姿も佇まいも気品があって “お坊っちゃま” の域を出ない。幕間の『オテロ』でも、妻に猜疑心をもってしまった男のコンプレックスが描けていなかった。ミテキ・クドーにしても、最初から最後までお人 形のように微笑をたたえたデズデモーナに徹しているだけ。夫の弱さが故に犠性となる女の悲しさが伝わらないと、物語後半への伏線として挿入された意味を為 さないと感じた。

 そのほかではギャランスを愛人にした伯爵を演じたクリストフ・デュケーヌが洗練した身のこなしの中に、いくら地位はあっても愛情は手に入れられな い男の苦悩を滲ませ、いい味を出していた。一方、ウエットは葛藤の表わし方がストレートすぎて、貴族特有のデカダンスは感じられなかった。

 音楽と振付はよく呼応し、宿屋の女将はコミカルな音楽にあわせてフレデリック・アシュトンの足技を彷彿とさせた。また第二幕直後のスカルラッティ の音楽にあわせた群舞の披露は物語とは何ら関連性がなく、マルティネズが同僚の団員たち全員に配慮した「思いやり出番」だったのかとさえ思わせるほど違和 感があった。ダンサーも音楽も衣装も揃えて大風呂敷を広げたわりには、観終わったときに心に残る踊りはなかった。なぜバレエ化したいと思ったのか、その答 えが出せないまま消化不良の作品を舞台にのせてしまったのではないだろうか。そんな疑問が残った。
(2008年11月1日、8日夜、ガルニエ宮)

撮影/Sebastian MATHE/Opera National de Paris