ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

From Paris <パリ>: 最新の記事

From Paris <パリ>: 月別アーカイブ

斎藤 珠里 text by Julie Saito 
[2008.05.12]

THEATRE des CHAMPS-ELYSEES シャンゼリゼ劇場から

SYLVIE GUILLEM et AKRAM KHAN “ Sacred Monsters” シルヴィ・ギエムとアクラム・カーン 『セイクレッド・モンスターズ』

 

『セイクレッド・モンスターズ』

  前回は同劇場でラッセル・マリファントと『PUSH』を共演したシルヴィ・ギエムが、今回は最近の注目株、バングラデシュ出身の両親から生まれた英国出 身の振付家&ダンサーのアクラム・カーンと4月15~20日、『セイクレッド・モンスターズ』を公演した。私が観た千秋楽は、客席総立ちの中で何度もカー テンコールとなった。

 この作品はギエムとの共演を念頭に創作され、2006年9月、ロンドンのサドラーズ・ウェルズ劇場で初演されている。セイクレッド・モンスターズは、フ ランス語で言うとモンストル・サクレ。元々、19世紀のフランスで使われた言葉で、名女優サラ・ベルナールなどの大物俳優を指した。現代感覚をもつス ター、また聴衆やメディアが注目するような芸術性と身体機能に優れた人物を意味したという。

 ギエムとカーンは幼くしてダンサーの道を進み、似た経験をしている。公演プログラムの解説によれば、「失敗が許されない完璧さを常に観客から求められる 舞台人は、まるで非人間的な『怪物」(モンスター)』そのものだ。この精神状態は、大人から常に過大な期待を強いられている子供の立場に近い」。この発想 が、作品の原点とも言える。

『セイクレッド・モンスターズ』

  ギエムは名門パリ・オペラ座バレエ学校出身、19歳で最年少エトワールの座へ上り詰めた。一方のカーンは7歳から北インドの宮廷舞踊カタックの基礎を学 ぶ。14歳で英国を代表する演出家ピーター・ブルックの傑作『マハーバーラタ』に出演、輝かしいデビューを飾った。しかし、ギエムもカーンも、教えられた ものではなく自分の内なる「声」に耳を傾けたい、身体による新たな実験を試みたい、との焦燥感に駆られてきたという。

 クラシックな技術や伝統、歴史、かたや現代社会と向き合う自分----。対立する二極の間を行き交う自分を、カーンはテニスのボールに見立ててこう告白 する。「テニスコートの中央に位置するネットのちょうど上にいる時に、最高の幸せを感じます」。また今回、ギエムのソロ部分を振付けた台湾のダンスカンパ ニー「雲門舞集(クラウドゲイト)」を率いる林懐民は、「この作品はギエムのポートレート。感受性の強い傷つきやすい女の子、それでいて自分の手の中に しっかり運命を握っている女戦士でもある。その二つの側面を描きたかった」とプログラムに寄せた。

 作品は、それぞれのソロとデュエットで織り成されている。これまでのギエムの公演で私が遭遇しなかったシーンも続出した。長大な英語のセリフ、そして歌 である。ギエムが、子供のころに聞いた歌なのだろうか。ノスタルジックな調子で口ずさむときの表情は、童心に返った少女そのもの。続くソロでは、太極拳を ベースにしたような大らかで伸びやかなダンスに身体を任せて踊る。

 一方のカーンは、インドの古典舞踊カタックで用いる鈴を足首に巻きつけ、目にも止まらぬ速さでステップとターンを組み合わせて、躍動感のあるソロを披露 する。カーンの踊り自体には興奮を誘われたが、クラシック・バレエ畑のギエムが全く異質なダンスに挑戦したのと比べると、カーンがどこまで自分のバック ボーンであるインド舞踊を逸脱しようとしたのか、果たして逸脱出来たのか、私には疑問が残った。

『セイクレッド・モンスターズ』

  しかし、異なるバックグラウンドをもつダンサーどうしのコラボレーションとして、試みは見事だった。淡々とそれぞれが自分とダンスのつながりを語り、ソ ロを踊り、二人の間で交わされるバングラデシュ語訛り(カーン)とフランス語訛り(ギエム)の掛け合いが自然で小気味いい。中でも極めつけは、ギエムがフ ランス語で言う「Emerveiller」(魅惑させる)をカーンに教えた場面だった。カーンは「英語では○○だよ」と返答、ギエムは「違う、違う」と例 を引っ張り出し、言葉を尽くして説明を試みるのだが、どうもフランス語で使うニュアンスが伝わらない。最後は、「フランス人じゃなきゃ、わからないのよ」 と捨て台詞を吐き、客席の笑いを誘った。
 この二人のやりとりは、よく計算されていたと思う。異なるバックグラウンドで身につけた言語感覚の間に生じる違和感は、身体感覚、ひいては男と女の感性 にもつながるからだ。続くギエムとカーンによるデュエットでは、二人が両手をしっかり握り合い、アイスダンスさながらの目まぐるしいフォーメーションを見 せる。そこには、異なる生い立ち、教育、感性----すべての要素が引き合ったり弾けたりしながら築かれる人と人との間のコミュニケーションの妙がのぞい た。しかし、クライマックスでは、ギエムがカーンの腰に両足を巻きつけ、身体を後ろに反らして二人が両手を横に広げる。美しく官能的な絡み合いから、四本 の手が天に向かって伸びる様からは、弥勒菩薩をも彷彿とさせる神々しさが感じられた。

 作品全編を通して、音楽の使い方が出色の出来だった。一言で言えば、声、打楽器、バイオリン、チェロが織り成す、無国籍音楽。古いヨーロッパの民謡のよ うでもあり、インド音楽のようでもあり、不思議なハーモニーと心地よいパーカッションが組み合って、ギエムとカーンの密な世界と絶妙に溶け合っていた。
(2008年4月20日、パリ、シャンゼリゼ劇場)