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斎藤 珠里 text by Julie Saito 
[2008.03.10]

OPERA NATIONAL DE PARIS パリオペラ座バレエの公演から PINA BAUSCH:ORPHEE et EURYDICE ピナ・バウシュ振付のオペラバレエ:オルフェオとエウリディーチェ

18世紀オペラとピナのストイシズムの融合 合唱と群舞のハーモニーの集大成


 ガルニエ宮で2月4日~19日、ドイツを代表するピナ・バウシュが振付・演出を担当したグルックのオペラ『オルフェオとエウリディーチェ』が上演され た。この作品はピナ・バウシュが芸術監督を務めるヴッパタール舞踊団によって、1975年6月に初演された後、26年間の空白を経て1991年、当時のダ ンサーやピナが記憶の断片をつなぎあわせる形で再演された。パリオペラ座での初演は2005年5月、大反響を呼んだ。今回もフランス国営放送で生中継され たほか、席の最高価格が150ユーロだったにも関わらず毎公演とも売り切れが続出する人気だった。

 作品自体はオペラとして書かれたものだが、ピナ・バウシュは、ギリシャ悲劇の主人公カップルであるオルフェオとエウリディーチェ、愛の神アモーレという 登場人物それぞれに歌手(オルフェオにはメゾソプラノ、エウリディーチェと愛の神にはソプラノ)を組ませた。声が表現するのは神話における詩的な物語、ダ ンサーの身体はドラマの厚みを表現する、という役割を与えて全体を構成したのだという。

 私が観た2月18日の配役は、オルフェオがジョゼ・マルティネス、エウリディーチェがエレオノラ・アバニャート、愛の神は先日のオペラ座昇級コンクールでプレミエール・ダンスーズに昇格したミュリエル・ズュスペルギーによって演じられた。

第一場面 哀しみ

 幕が開くと、頭上に高くリフトされ宙に横たわった女性が目に飛び込んでくる。蛇に噛まれて黄泉の国に旅立ったオルフェオの最愛の妻エウリディーチェの死 を象徴的に描いたものだ。枯れて横たわった大樹が柔らかい天井からの光に浮かび上がる。その周囲で、黒いオーガンジーの衣装に身を包んだ群舞の女性ダン サーたちが身体をくねらせ、上腕をしならせ、合唱と一体になって深い嘆きを表現する。ふと舞台奥手を見れば、壁際の高いところに、血の気を失った純白の衣 装のアバニャートが佇んでいる----。インパクトの強い舞台演出に、のっけから圧倒された。
 しかし、「霊界に行ってしまった妻を取り戻すためなら何でもする」と愛の神アモーレに誓うオルフェオを演じるマルティネスの動きの切れ味が悪く、説得力 が感じられない。第一、上半身裸という姿に若さが見られず、リアリティを超えた普遍的なギリシャ悲劇のヒーローを演じるには無理があった。 アモーレを演 じたズュスペルギーは、快活な動きを見せたが、歌手のフレージングとひとつ噛み合わないのが気になった。

第二場面 暴力
 霊界に妻を捜しにやってきたオルフェオが、黒服の男性ダンサーたちによって象徴される妖怪や死神に立ち向かう場面だ。
 舞台左奥に倒れた椅子が一つ。右袖にはずらりと背の高い椅子が並べられ、椅子の脚に引っ掛けられた糸が数本、舞台を横切る形でピンと張られている。照明 は右袖より水平方向に当てられ、その光線の流れにそって、白いコスチュームの女性ダンサーたちが目をつぶったまま舞台の上を流れるように動く。一方、黒服 の男性ダンサーたちは、跳躍を駆使したエネルギッシュな動きを見せる。人間界への想いを絶ちがたい女性たちの苦悩、その彼女たちを黄泉の国へと引き入れる 強引な男性たち----そんな構図が白と黒という衣装、流動的vs能動的な動きのコントラストによって明快に提示されるのだ。ここでも、群舞によるユニゾ ンの動きが音楽とあいまって出色の出来だったが、肝心のマルティネスの絶望感が伝わってこなかった。

第三場面 平和
 オルフェオがエウリディーチェを幸福な人々の庭園で見いだす場面だ。有名な「精霊の踊り」の音楽にあわせて、薄いピンク色のコスチュームをまとった女性 8人が穏やかな光線に包まれて軽やかに舞う。舞台上には、透明のついたてがあり、その手前に置かれた赤いヒナゲシの花、薄緑色のソファーが彩りを添える。 ついたてに写ったダンサーたちの肉体そのものが動く舞台装置として効果的に使われ、タブローを構成していた。オーケストラと合唱の音楽と群舞とがかもし出 すハーモニーはピナならではのもの。
 ここで再会するオルフェオとエウリディーチェ。アバニャートはくったくのない少女のような初々しさで、喜びを全身で表現する。その真摯なエウリディー チェの姿に感化されたのか、それまで亡霊のようだったマルティネスに生気が戻ったようにも見えた。「地上に戻るまで、決して妻を見てはいけない。掟を破れ ば永遠に妻を失う」と愛の神に誓わされた約束を胸に、オルフェオは背後に妻エウリディーチェを従え、地上へと戻ってゆく。右手後方に配置された群舞のダン サーたちは客席に背を向けて立ち、二人が手を取り合って進んでゆく姿とは対比的、絵画のような構図を成していた。

第四場面 死
 明るいトーンだった第三場面から一転し、灰色の三方の壁だけというシンプルな装置をバックに、裸のオルフェオ、赤のドレスのエウリディーチェ、黒服姿の女性歌手二人----肌色・赤・黒の三色が不吉なエンディングを予告するかのようだ。
 何も知らないエウリディーチェは、夫が自分の方を見てくれないことに悲嘆し、泣いて訴えるとオルフェオはたまりかねて振り向いてしまう。その瞬間、繊細 ではかないエウリディーチェを演じていたアバニャートは、愛の神との約束を破った夫のために、床に崩れ落ちてしまうのだ。続くオルフェオのアリア「エウリ ディーチェを失って」では、ピナはあえてダンサーを一切動かさず、歌手だけをエウリディーチェの亡骸の前にかがみこませた。一番大事な場面で、歌手がダン サーに代わって演じ、心情を歌い上げるという手法を用いることによって、観客は自然に作曲家グルックの和声に身を任せ、詩情に心を通わせることになる。
 作品の出発点があくまでもオペラであり、重要な場面では、音楽と歌手の存在をないがしろにしないピナの姿勢には、作曲家への敬意が感じられた。しかし、 妻の後を追って自殺しようとしたオルフェオを愛の神アモーレが救い二人が結ばれるというオペラのハッピーエンドを、ピナはあえてギリシャ悲劇に戻した点は 興味深かった。つまり、エウリディーチェは正真正銘、二度と戻らぬ人になり、オルフェオの絶望のうちに幕が下りるのだ。
 蛇に噛まれるという、いわば第三者によって妻を失うことよりも、自分の過ちによって妻を死に至らしめてしまうほど救いようのない悲劇はない。人間は自ら の愚かさによって自滅する、というギリシャ悲劇の普遍的メッセージの真髄に真正面から向き合ったピナ・バウシュ。18世紀オペラ特有の典雅なグルックの音 楽と絡み合う動きだけでなく、ストイシズムに貫かれたピナの振付が、作品に深みをもたらしたとも言える。オペラとバレエの融合の成果によって生まれた傑作 だと言ってよいだろう。