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斎藤 珠里 text by Julie Saito 
[2008.01.10]

L'OPERA NATIONAL DE PARIS パリ・オペラ座公演

RUDOLF NOUREEV : CASSE-NOISETTE ルドルフ・ヌレエフ振付:『くるみ割り人形』

 1985年12月に初演されたヌレエフ版『くるみ割り人形』は、年末恒例のパリ・オペラ座の人気演目になっている。前半はオペラ座のスト騒ぎで公演中止 が相次ぎ、上演されても衣装や舞台装置なしという異例な状態に見舞われたが、そんな中でクララ役を演じたドロテ・ジルベールがエトワール昇進を決めたとい う嬉しいニュースも飛び込んだ。残念ながら私はジルベールの『くるみ割り人形』は今回観逃してしまったが、オペラ座通のバレエファンや関係者によれば、 「静止ポーズで、プレパレーションのポールドブラをしただけでオーラが溢れる逸材。娘クララとしての初々しさと、王子(マニュエル・ルグリ)とパ・ド・ ドゥを踊るときの成熟した女性としての魅力の演じ分けは天下一品」だったという。私はバスティーユ・オペラで12月17日、ヌレエフ版『くるみ割り人形』 99回目の公演を第一舞踊手同士のメラニー・ユレル、クリストフ・デュケーヌという組み合わせで観た。

精彩を欠いたユレルとデュケーヌ
 ジルベールの舞台を絶賛する声を耳にしていたこともあって、主役を踊ったユレルとデュケーヌの影は薄かった。2006年12月の昇格コンクールで第一舞 踊手になったデュケーヌは王子役なのに、その品性にふさわしい身のこなしが見られないのだ。ひとつの動きから次の動きに移ってゆくときに、5番なら5番と いう通過点のパを正確に通っていないから、しまりなく見える。ジャンプ後の着地などでもクッペした足先に神経が配られていないから、ポーズに洗練さを欠 く。自分の動きを厳しい目で確認しないのか、それを見落とすバレエマスターの問題なのか、年末の『くるみ割り人形』と『パキータ』が書き入れ時とあって過 密スケジュールを重ねた結果のリハーサル不足なのか・・・ソリストを踊る責任を果たしきれないオペラ座ダンサーの現状は、周囲からは図りきれないものがあ る。
 ユレルの方は、登場した場面で損をしている。クララとしての溌剌とした少女らしさがのぞかないのだ。この作品の根幹を成す要素が「純粋な少女だけが見ら れる夢」なのだから、この夢見る乙女心が描ききれないと物語の面白さは半減してしまう。さらに言わせてもらうなら、ユレルの上半身が鍛えきれていないの か、すっきり見えない。太めクララでは少女らしさが出せるはずがなく、どことなく‘薹が立った’感が否めなかった。
 作品の最大の山場である第二幕のヴァリエーションも、技術的な問題が目立った。リフトでは危なっかしい場面に観客が肝を冷やし、ユレルの顔が青ざめた。その後は二人の動きにメリハリを欠き、デュケーヌは息も絶え絶えに無難にまとめるだけ。若さを感じられない舞台だった。

キャラクターダンサーの活躍
 ヌレエフの振付は、群舞に至るまで非常に込み入っていて複雑だ。ワルツにしてもダウンビートにアクセントをもってくるような‘ひねり’が随所に見られ、 さらに細かいステップをパとパの間に挟むから、音に乗り切れていないダンサーが目立った。ヌレエフが現場を指揮していた時代の『くるみ割り人形』を見てみ たかった。用意周到に考えた上での振付のはずだが、残念ながら、今のオペラ座には細かい点をチェックする機能が甘い、と感じた。
 とはいえ、今回の舞台では数人のキャラクターダンサーたちが目立った。特にイチオシは、アラビアの踊りの女を演じたオレリア・ベレ。鋼のような強靭な筋 肉と柔軟さを併せ持つ身体性に加え、表情にも全身にもあでやかさを称えて、役どころにぴったりの魅力を振りまいた。カーテンコールでも主役を食ってしまう ほどの拍手と喝采を浴びていた。
 スペイン、アラビア、ロシア、中国という異国情緒あふれるキャラクターダンスの最後に登場するのは、ブルボン王朝風の衣装にかつらをつけて踊る「パスト ラル」だ。二人の淑女を相手に踊ったブルーノ・ブッシェが出色の出来。手先や足先に常に神経が行き届いていて、空中で脚を交差させるブリゼやシャンジュモ ンを鮮やかに見せる。ヌレエフが想定したとおりの‘典雅なバレエ’の世界が繰り広げられ、続く「花のワルツ」への繋ぎとしても効果的だった。


「くるみ割り人形」

「くるみ割り人形」
写真は筆者の観た舞台と異なります。


子ねずみたちが、縁の下の力持ち

 オペラ座バレエ学校の生徒たちが大活躍した舞台でもあった。第一幕のクリスマスパーティに集まった子供たち、クララの夢に出てくるねずみの大群と、ねず みを退治する兵隊たち。一年前は一番下の第6学年でベルトラン・バレーナ先生に絞られていた男の子たちが舞台に上っていた。子供どうしが牽制しあう場面で は機敏で、甘さがない。ねずみの足踏みは、小刻みな動きがリアリスティックに響いて怖いほどだ。第一幕の場面場面で‘子役’たちがツボを心得た演技を見せ るから、全体が引き締まる。下手をすると間延びしやすい第一幕が、これほどまで演劇性を帯びていたのも、一重にオペラ座の子ねずみたちが縁の下の力持ちと して能力を発揮していたからだろう。
 しかし、カーテンコールでは、オペラ座ダンサーがすべて舞台に上がっても、生徒たちはカーテンの裾に控えていて登場しない。最初のカーテンコールが終 わったときに一回のみ、舞台に整列して観客の拍手を浴びただけだ。あくまでも学校の生徒として、分相応の立ち居振る舞いをさせる。これが子供を甘やかさな いフランスの流儀に叶っていることであり、オペラ座の伝統としても存続している。それにしても、オペラ座バレエ学校の生徒たちは年末、連日のように 2000人を越す観客の前でプロのダンサーたちと同じ舞台に立つわけだ。この経験の大きさは、思い図って余りある。