ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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斎藤 珠里 text by Julie Saito 
[2007.08.10]

Festival d'Avinon アヴィニヨン演劇祭から

ダンス作品も多彩に、南仏に新風吹く

 7月に入ると、すっかりヴァカンスモードになってしまうパリ。オペラ座のダンサーたちも地方で自主公演をしたり、ダンス研修などの先生を務めたりしてい る。市内では目ぼしいダンスが見られないので、思い切って南仏へ。フランスでも最も有名なアヴィニヨン・演劇祭をのぞいてみることにした。アヴィニヨンで は芝居が主流を占めるとはいえ、斬新なダンス作品もイン(演劇祭事務局の正式招聘)で上演されたほか、800以上もあるオフ(基本的に自主公演)劇場の中 には朝から晩までダンス公演を上演しているものもあった。

Sacha Waltz : insideout
サシャ・ワルツ振付『インサイドアウト』

  演劇祭のメーン会場から専用のシャトル・バスで約20分。シャトー・ブロン会場で7月13~18日(15日は休み)、 ベルリン出身の女性振付家サシャ・ワルツの作品が上演された。シャトー・ブロンとは、フランス語で白い城の意味。古風な城の中で公演されるのかと楽しみに 行ったら、だだっぴろい展示会場や倉庫を連想させるような殺風景な建物だった。
 開演は夜7時と10時の2公演。私は最終日の夜10時の回に行ったところ、チケット売り場にはキャンセル待ちの客が長蛇の列をつくっていた。アヴィニヨ ン演劇祭では、開演5分前までに予約済みチケットをプレス関係者や客が取りに来ない場合、キャンセル待ちの客に流すシステムを敷いている。実際、このとき も30枚近くのチケットが放出され、全員が入場することが出来た。私もキャンセル待ちの一人だったので、チケットを手に喜んで会場に入ったが、何のことは ない。着席ではなかったのだ。
 広い場内に、大小さまざまな大きさのコンパートメントで仕切られたブースがあったり、プレハブ小屋が周辺にいくつか作られたりしている。まるで実験室 だ。観客は、そこを自由に見学することが出来るシステムになっている。最初に私が見たのは小屋の中で狂人と化したビール腹の男性(ダンサーなのか?)だっ た。まるで豚のように白い肌でパンツ一枚の姿を晒し、吼えまくってはドアをバタンと開け閉めしている。これがダンス公演なのだろうか、と幸先からいやな予 感がした。

  次にみたのは広場で大道芸風にデモンストレーションするアジア系の男女カップル。まさにアルゼンチン・タンゴを彷彿とさせる脚と脚の絡み合い、女性が背を反らせるセクシーさをのぞかせる。
 大きな部屋に入ると、ひとつの壁に10数個開いた10センチ角の小窓から、外にいるダンサーたちの身体の一部が同時に突き出されるというパフォーマンス を見た---手、肘、顎、唇、目・・・。私たちが所有する同じ身体の部位であるのに、集合体で見せられると異様なイメージを作り出す。
 後半、会場内がいきなり暗くなり、戦時中のような警報音とともにナチの放送を思わせるようなアナウンスがドイツ語で流れた。映画でみたような光景なのだ が、自分がその中に身を置いてみると、「芝居」であるのはわかっていても、立ちすくんでしまう。ダンサーたちがバタバタと走り出てきて、観客の前で奇妙な 格好に着替えたり、口論を始めたりする。作品全体を通して、観客は、きつねにつままれる。
 そう考えてみると、作品のタイトルである『インサイドアウト』(裏表の意味)も、なるほどと思えてきた。つまり、観客とダンサーの位置関係を逆転してみ せるという実験を通して、リアルタイムで行うパフォーマンスの時空間をあらゆる角度から味わってみるということなのだろう。
 以前にリヨン・オペラ座バレエの公演でみたサシャ・ワルツの公演は、純粋のコンテンポラリー・ダンスだったが、この作品はダンスと言い切れないほど芝居 に近い。フランス初演となったこの作品は、アヴィニヨン演劇祭を意識して上演されたのか、実験劇場の様相が色濃かった。

Raimund Hoghe : 36, Avenue Georges Mandel
ライムント・ホーゲ振付『ジョルジュ・マンデル通り36番地』


 こちらもドイツの振付家になる前衛的な作品だ。プログラムの略歴によると、ホーゲはブッパタール生まれ。最初はドイツの週刊誌ディー・ツァイトの記者を 務めていたが、1980年から10年に渡ってブッパタール舞踏団におけるピナ・バウシュのドラマトゥルグを務め、その経験をもとにして書いた2冊の本を出 版している。89年ごろから劇場のための作品に着手、俳優やダンサーによって上演されるようになった、とある。
 ダンサーとしての経験はどこにも書かれていない。しかし、今回は彼のソロ・パフォーマンスによる「ダンス公演」という位置づけだ。どうなるのだろうか。半信半疑で、7月20日の公演を観た。
 タイトルの、『ジョルジュ・マンデル通り36番地』というのは、世界に名声を馳せたオペラ歌手マリア・カラスが息を引き取ったアパルトマンの住所だ。1977年のこと。つまり、今年が没後30周年にあたる。
 ホーゲは、インタビューの中で「カラスのアパルトマンの写真を見てインスピレーションが沸いた」と話している。世間で大絶賛をされていた歌手としての人 生とは裏腹に、晩年の孤独を、カラスが残した歌声を通して描きたかったという。だから作品全編に、カラスの歌手としての人生を集約したエッセンスが散りば められる。バックに流れるのは、キャリアを本格的にスタートさせた1949年から引退を決めた74年のレコーディング、そしてテレビやラジオなどでインタ ビューを受けたときの肉声だ。

  公演会場は、ペニトン・ブロン・チャペル。古い小さな教会の中だった。観客が場内に入りはじめたとき、すでに舞台にはホーゲが毛布をかぶって寝ていた。 あたり一面に、彼女の私物と思われるものが散らばっている。ハイヒール、洋服、ペン・・・。アシスタントの男性が、そのオブジェクトを一つずつ、ぐるりと 囲むように水をつけた筆で舞台上に線を引いてゆく。最後は、寝ているホーゲの回りも。すると、カラスが十八番にしていたベリーニのオペラ『ノルマ』の中の アリア「カスタ・ディーバ」が流れた。
   美声というよりも、女としての生き様を真摯にぶつけたようなカラスの声は、聴くものを激しく揺さぶるような力強さがある。細い身体から振り絞られた声に 宿る孤独感---。この作品のテーマを提示する。このアリアが流れると、毛布をかぶって寝ていたホーゲが毛布を背中に羽織った形で立ち上がり、壁にもたれ かかった。両手で毛布の先をもち、ゆっくりと両手を広げる様が、翼に似ている。マリア・カラスが成功に向かって飛び立つ様なのか、それとも、翼をもぎ取ら れた哀れな姿なのか・・・。
 次々と彼女の歌声が流れるたびに場面展開し、ホーゲは舞台上のオブジェを小道具に見立ててダンスする。しかし、動きは恐ろしくゆっくりで、単調だ。一つ のポーズで静止すること1分、次のポーズに移ってまた1分、といった感じなのだ。もちろん、ポーズは用意周到に考えられたものであるには違いない。ハイ ヒールを履いて両足を前後に大きく開き、前足の膝をまげて数分静止するポーズには、カラスの女性としてのジェスチャーを彷彿とさせる。

  ホーゲは徹底的に、カラスの人生を研究したに違いない。彼女が最後に公式の場面で歌ったのは1974年、初来日でツアーしていたときに立ち寄った札幌で 披露したアンコールの「カルメン」だった。ときたま掠れた声が混じるその録音を流しながら、ハイヒールを履いたホーゲが舞台の上を、円を描きながら歩きま わる。片手をぐるぐる回しながらの動作は、「どうせ、誰も真剣に聴いちゃいないのよね」とでも言っているようだ。実際、この録音には、歌い終わった瞬間 に、間髪入れずに日本人男性から飛んだ大声の「ブラボー」が入っている。彼女自身が不調を感じていたのに、世間では絶賛される---。結局、誰も私の声な んかわかっちゃいないんだ、という孤独感を助長したのかもしれない。それを端的にとらえた見事な演出なのだが、舞台だけを観てそんな背景が読み取れるだろ うか。

 ミニマリズムで表現主義的という形容詞がぴったりのホーゲには賛否両論が伴う。この日の公演でも、30人近くが途中で席を立って帰っていった。カーテン コールでもブラボーとブーイングが半々。そんな中、ホーゲは舞台中央にカラスの写真を置き、白い花を供えた。ま、彼女へのオマージュとして自己満足の世界 を描いたのだと思えば納得できる。公演を観たあるバレリーナも「ダンスと思って見なければ許せるんだけれど」とコメントしていた。
 2008年3月6~14日、パリのテアトル・ド・ラ・バスティーユでも上演される予定だ。