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斎藤 珠里 text by Julie Saito 
[2007.07.10]

L'OPERA DE PARIS パリ・オペラ座公演から

Fredrick Ashton : LA FILLE MAL GARDEE
フレデリック・アシュトン振付『リーズの結婚』

 パリ・オペラ座バレエ団はオーストラリアを公演ツアー中だが、ガルニエ宮では“留守番組“によって英国の振付家フレデリック・アシュトン(1904ー 1988)の代表作『リーズの結婚』(ラ・フィユ・マル・ガルデ)が6月22日~7月15日まで上演されている。

ガニオ、フロスティ
マチュー・ガニオ

『リーズの結婚』自体は『ジゼル』と並ぶ最古のバレエ作品。オペラ座の公演プログラムによれば、1789年、振付家ジャン・ドーベルヴァルの演出が仏南西 部ボルドーで初演され、大成功を収めている。オペラ座のレパートリーとして上演されたのはジャン=ピエール・オメール版(1828年)だったが、バレエ・ パントマイムの要素が強かったため、ロマン派バレエのブーム到来で“お蔵入り”。再演が試みられたこともあったが、20世紀に入ってからは『ジゼル』や 『白鳥の湖』の人気で、また影を潜めてしまったという。
 今回、オペラ座の新レパートリーとなったアシュトン版は1960年、英国ロイヤル・バレエ団によって初演されたもの。フランス民謡曲のアレンジを用い て、作品の持ち味である牧歌的叙情性とユーモアを留めながら、高度なバレエ・テクニックを盛り込むことにも成功し、日本を含む世界中で上演されている。

 私が観たのは6月23日、ヒロインのリーズ役にはスジェのマティルド・フロスティ、その恋人役の農夫コーラスにはマチュー・ガニオという顔合わせだった。
 フロスティは、マルセイユ国立バレエ学校(マリ=クロード・ピエトラガラ校長時代)で研鑽を積んでオペラ座バレエ学校に編入。2002年に17歳でオペ ラ座入団を果たしてから、ほぼ毎年昇進を果たして快進撃を続けている。以前にフランス国営テレビが放映したドキュメンタリーでは、バレエ学校の最終学年に いたフロスティとステージ・ママの二人三脚ぶりが際立っていた。インタビューでは、はにかみながらも淀みなく答える“おしゃまさん”“ぶりっこ”のイメー ジが強く、その立ち居振る舞いは、今も舞台上で色濃く残っている。しかし、穿った見方をすれば、現実離れしたコミカルな「昔むかしの物語」のヒロインとし ては、むしろ適役なのかもしれない。

マチルド・フロスティ

第一幕、フランスの田舎が舞台。寝巻き姿で登場するリーズは、恋人コーラスの目につくようにピンクのリボンを木の枝にかけておく。二人の仲を快く思わない リーズの母親シモーヌの目を盗んで、デュエットを披露。フロスティの表情や仕草は一つひとつが作為的で、「私を見て」といわんばかりの演技が浮いてしま う。ガニオにはフロスティほどの自己顕示欲はのぞかないものの、相乗効果がそうさせるのか、一緒に踊る場面では、マイム的な要素の方が強く出てしまう。芝 居は芝居、ダンスはダンスとして気持ちを切り替えないと、“古風”な作品としての『リーズの結婚』に舞い戻る。アシュトンが、バレエ・テクニックを駆使し て“刷新”しようとした意図が感じられない。
だから、第1幕では、アシュトンの真骨頂ともいえる英国調“ふざけ方”をバレエに取り入れた場面の方がウケていた。男性ダンサーが演じるシモーヌ役には、 英国でのキャリアが長い客演ダンサーのローラン・ノヴイスが抜擢され、肉襦袢をまとった格好での身振り手振りを交えた「木靴の踊り」に拍手が大きかった。 そのほか、鶏の格好による「鶏の踊り」、そして豪農のバカ息子役アランの拍子抜けした純朴な人物像を、ファビアン・ロック(スジェ)が好演していた。

マチュー・ガニオ

第二幕、シモーヌの家が舞台。アランとの結婚を急ぐ母親を出し抜いて、コーラスとの結婚を強引に認めさせてしまうリーズの独壇場だ。ドタバタ劇をマイムで 進行させるアシュトンのスピーディでメリハリの利いたツボを、フロスティはよく心得ている。その意味では、ガニオの影は薄い。願い叶って二人の結婚が認め られ、喜びのパ・ド・ドゥを披露する場面で、ようやく“バレエ”を見せてくれた。特に、小さなパを複雑に組み合わせたアシュトンの振付におけるガニオのし なやかな足首。いわば歌舞伎にも近い“しな”をつくるフロスティの表情もアクセントになって、後半を盛り上げていた。
 ほかの配役との比較をしていないので、偏った見方になっているかもしれない。が、今回の舞台を観た限りでは、英国人が好きな演劇性やマイムが前面に出た アシュトン版『リーズの結婚』を、そのままコピーしてオペラ座が上演する真意は何なのだろうか、と考えさせられてしまった。アシュトンやケニス・マクミラ ンに共通する人物像の描写は、英国の長い舞台人の歴史で培われているものだ。そこに挑むだけの覚悟が、オペラ座にはあったのだろうか。
オペラ座ならではの解釈、オペラ座ダンサーならではの表現力、というものを感じられないと、ただの“英国かぶれ”の亜流に終わってしまう。それが、公演が 終わったときに“子供騙し”の言葉が頭に浮かんでしまった理由なのかもしれない。
演奏はバリー・ワーズワース指揮、オペラ座管弦楽団。