ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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斎藤 珠里 text by Julie Saito 
[2007.06.10]

L'OPERA DE PARIS パリ・オペラ座公演から

Noureev : CENDRILLON ヌレエフ版『シンデレラ』
コゼットとベランガール、新エトワールの舞台

コゼットの“エトワール誕生劇”

エミリー・コゼット エトワール任命

ガルニエ宮で4月上旬から上演されていた『シンデレラ』が公演回数をわずかに残すばかりとなった5月5日の子供の日、“歴史”に遭遇した。配役は、シンデ レラ役にエミリー・コゼット、スター男優(従来でいうところの王子様)役にマチュー・ガニオ。実は、オペラ座の関係者周辺では「コゼットは5月3日か5日 の“登板”の日に、エトワールに任命されるのでは」という噂が出ていたのだ。それを小耳に挟んで、当初は3日を所望したがチケットは手に入らなかった。い わば“仕方なく”5日を選ばざるを得なかったのだが・・・。
最初のカーテンコールの直後、オペラ座バレエ部門の芸術監督ブリジット・ルフェーブル女史がマイクを手に舞台の袖から出てきて、こうアナウンスした。
「今晩のシンデレラの舞台を観て、オペラ座総芸術監督と相談した結果、エミリー・コゼットをエトワールに任命することを決定しました」
 瞬間、コゼットは両手で顔を覆い、場内からは「ウォー」と、いっせいにどよめきが起きた。ルフェーブル女史から祝福のキスを受けたときも目は潤んでいた が、キャスト全員から温かい拍手を背中に浴びながら舞台中央に歩み出たコゼットの笑顔は晴れやかだった。自信に満ちた表情からは「この日のために、苦労も 甘んじて受け入れてきた」と読み取れなくもなく、折りしも『シンデレラ』ストーリーの主人公の生き様にも重なって印象的な任命式だった。
 カーテンコールの合間も、幕の向こうではキャストどうし盛り上がっていたらしい。カーテンの上がるタイミングが予測できなかったのか、途中、コゼットを 抱き上げてぐるぐる回るガニオの姿が“露出”するというハプニングもあって、劇場内には打ち解けた雰囲気が流れた。
 オペラ座“名物”のエトワール任命は、ジョゼ・マルティネス以降のオレリー・デュポンやアニエス・ルテステュ、ジャン=ギヨーム・バールなどは幕の向こ うで言い渡され、観客が“歴史の証人”となれない時代もあったが、今回のように舞台と客席が喜びを共有する瞬間に居合わせられた幸せを、かみ締めている。
 さて、エトワール昇進を決めたコゼットの『シンデレラ』の舞台に話を移そう。
 のっけから目を奪われたのは、長身のコゼットならではの長い手足を生かした表現力だった。ボリショイ・バレエ団はよく“身振りが大きくて派手”と評価さ れるが、コゼットにも、その表現があてはまる。一つひとつの動きにアクセントやメリハリがついて見えるもうひとつの理由は、絶妙なスピード感でポーズの見 せ場をピタっと決めるからだろう。だから、バットマンからフェッテ・アントールナン、後方アチチュードといった一連の流れの中で、つま先の位置が残影とし て宙に残り、観るものの脳裏に美しい放射線状を焼き付けてしまう。
 今年26歳のコゼットは1993年にバレエ学校に入学、17歳でオペラ座に入団した98年にはパリ国際ダンスコンクールのジュニア部門で1位を受賞して いる。2000年にコリフェ、01年にスジェ、04年にプレミエール・ダンスーズへと着々と昇進してきた。
 刃物のように鋭いシャープな動きとインパクトのある表情づけが魅力のコゼットは、古典作品よりもコンテンポラリー作品で力を発揮するダンサーだと思う。 その意味でも、現代作品の上演回数を増やしているルフェーブル芸術監督の方針にも沿う新エトワール誕生といえる。


 

エミリー・コゼット、マチュー・ガニオ


エミリー・コゼット

エミリー・コゼット、マチュー・ガニオ


 ところで、この日の舞台では、ほかのダンサーたちの動きもよかった。
 まずはガニオ。登場したときから洗練された物腰が舞台にオーラを放つ。加えて、美しい足さばき、シンデレラに心を奪われた男の真剣な表情、自分を見せる ことよりもコゼットを引き立てようとする心遣い---。ガニオの演技は、以前よりもずっと成熟さを増して、内から湧き出すエトワールとしての素養が、はっ きりと見てとれる舞台だった。ガニオが相手役だったからこそ、コゼットも会心の演技が出来たに違いない。
継母役のジョゼ・マルティネスの演技も、初日と比べてずっと練れていた。振りは決してわざとらしくなく、何気なくシンデレラを見やる目つきや、踵を返して 退室するときの後姿にまで“性根そのものがいじわる”と思わせるだけの説得力を帯びていたのだ。第3幕では、ガラスの靴の持ち主として名乗りを上げさせた 娘たちではダメだとわかると、「なら私の足で試して」と、図々しくもスター男優の前に自らの大きな足をドスンと置く。それが失敗に終わったときの形相は、 まさに般若の面。アル中夫(シンデレラの父親)に愛想をつかし、脱出の望みをもかけた女の最後の悪あがきだったのかもしれない。コミカルに演じるのではな く、真剣そのものに大口を開けて卒倒する様が滑稽で、観客の大きな笑いを呼んでいた。
最後に忘れてはならないのが、ミテキ・クドーの夫でもあるジル・イゾワール(スジェ)。この日はダンス教師役として登場した。ほかの公演で観たクリスト フ・デュケーヌの演技も悪くはなかったが、役自体に特別な感慨をもてなかった。しかし、アジア人とのハーフのイゾワールは、風貌からいっても謎めいた雰囲 気を称えている上、細身で動きが小気味いい。シンデレラにダンスを教える場面では、「彼女をスターにする鍵を握っているのは私」とばかりの自己顕示欲を見 せ、少々、冗長になりがちな第2幕に独特なアクセントをつけていた。


(中央)ジル・イゾワール



ベランガールの舞台から

ジェレミー・ベランガール、
エレオノラ・アバニヤート

3月28日の『ドン・キホーテ』でエトワール任命を受けたばかりのジェレミー・ベランガールが主演した『シンデレラ』は4月30日の公演1回きり。完売のなか、どうにか天上桟敷で観ることが出来た。相手役は、エレオノラ・アバニヤート。
細部まではよく見えなかったものの、ベランガールのエネルギーや躍動感は劇場のてっぺんにまで伝わる。第2幕で時計が12時を回り、消えてしまったシンデ レラの“捜索”に仲間と共に馬を走らせるシーンでは、自分でギャロップを踏みながら馬にまたがっている様を表現する。コミカルな演技の中にも跳躍の見せ場 を外さない。
ガラスの靴の落とし主を探しに、スペインや中国、ロシアへ・・・。まるで、好きな女の子を追い求めて、世界の果てまで駆けてゆくようなひたむきさが、ダンスに現れていた。
ただ、演技の面では気になる点もあった。シンデレラが男優の前に初めて姿を現したときや、舞台上の一角で男優の真向かいに座ったシンデレラがハイヒールか らトゥシューズに履き替える時間、ダンス教師からシンデレラが“振り”を指導してもらっている間などに、ベランガールが相手役のアバニヤートにあまり関心 を示しているようには見えなかったことだ。
その点、ガニオはこの舞台上の“待ち時間”にまで神経を張り詰めた演技を見せてくれた。
何度か同じ作品を観ていると、目は重箱の隅をつつきたくなる。でも、踊っていないときの立ち居振る舞いが、実は作品の流れに大きなインパクトを与えていることに気づかされる。
 テクニックや芸術家気質では皆から太鼓判を押されるベランガールだが、エトワールとしては、もうひとつ精進してもらいところだ。


エレオノラ・アバニヤート

エレオノラ・アバニヤート

ジェレミー・ベランガール




Robyn Orlin : L’Allegro, il Penseroso ed il Moderato
ロビン・オーリン:『陽気な人、思い耽る人、そして穏健な人』


世界初演のダンス+オペラのメディアミックス
 4月23日~5月12日、ガルニエ宮で南アフリカ気鋭の女性振付家ロビン・オーリンによる新作バレエが世界初演された。といっても、実際には、バロック 音楽の演奏で定評がある指揮者ウィリアム・クリスティーの下に集まったオーケストラや合唱団、歌手たち、そして映像メディアの融合を図った大コラボレー ション。作品自体は「バレエ」でなく「オペラ」扱いだったため、最高金額のチケットが130ユーロ(バレエは80ユーロ)と高めだったが、最高水準のバレ エと音楽を一晩に味わえるという触れ込みだ。5月7日の公演を観た。
 創作に関しては、オペラ座総芸術監督のジェラール・モルティエ氏とバレエ部門の芸術監督ブリジット・ルフェーブル女史が、歌と音楽、ダンスを結び付けた作品を上演したいという念願の思いがあったのだという。
17世紀の英国詩人ジョン・ミルトンが残した対峙する二つの詩に、ヘンデルがインスピレーションを受けて1740年に作曲したオード(自由形式の叙情詩な どに単旋律の歌をつけたもの)が用いられた。核になっているコンセプトは、「陽気な人」と「思い耽る人」に代表される人間を対比し、両者の間にある「穏健 な人」が人生に求められているというメッセージ。つまり、極端ではなく、中庸こそが人を豊かにするのだと諭す意味合いが強い。
オペラ座から初めて委嘱された振付家オーリンも、ヘンデルの意図にインスピレーションを受けたに違いない。映像作家フィリップ・レネとの共同作業で、舞台 背景の映像でサバンナの野生動物や陽気な部族を紹介する一方で、アパルトヘイト(人種隔離政策)や都市化の犠牲になったスラムなど、南アの光と影を対比さ せた。
オペラ座バレエ団からは、ニコラ・ル・リッシュ、ヤン・ブリダール、アリス・ルナヴァンが主要役柄を演じたほか、ミテキ・クドーや韓国のヨン・ゲル・キム など、主にスジェに属するダンサーを中心に男女6人ずつの総勢12人が出演した。
現代社会をリアルに捉えた録画映像の前で、歌手たちが歌い、ダンサーたちが水着やバロック時代の衣装やかつら、カラフルな民族衣装などに目まぐるしく着替 えて登場する。その身体の一部や全体を、舞台に設置したカメラがとらえ、舞台背景の映像にシンクロさせてみせる、という手法が使われた。
映像とダンサー、歌---。3者の間にどういう関連性があって創作されたのか不可思議な場面が多かった。“面白い試み”であることに異議は唱えないが、果 たしてオペラ座ダンサー、それもル・リッシュのようなエトワールを動員する必要があったのかは疑問だ。彼の登場場面といえば、若くない肉体をさらした下着 姿、ライオンの頭の被り物を載せて、あたかもサバンナのライオンの上に乗った格好で突っ立った姿---。
全体を通して、踊る場面はほとんどなく、ダンサーたちは舞台の上で着替えたり、床に置かれたアヒルの人形を口でくわえて拾い上げたり、歌手をテープでぐる ぐる巻きにしたり・・・。はっきり言って、印象に残った動きはひとつもない。記憶にあるのは、奇抜な格好で次々に舞台に登場し、ただただ目まぐるしい場面 展開が繰り広げられたことだ。
しかし、音楽の演奏、趣向は高水準だった。客席の前方10列ほどに“客”を装って私服で座っていた合唱団メンバーが突然立ち上がり、スポットライトが当 たって、観客側を向いて歌い出したときの衝撃は忘れられない。ケイト・ロイヤル(ソプラノ)、トビー・スペンス(テノール)、ロドリック・ウィリアムズ (バス)、エリック・プライス(ボーイソプラノ)の力量は筆舌に尽くしがたい。さらに、歌手たちは、ダンサーたちとの“からみ”も演じながら歌うといった 芸達者ぶりも見せた。
最後の場面では、9.11で無残に崩れ落ちてゆくニューヨークのワールド・トレードセンターが映し出されるなか、「中庸こそが人間を幸せにする」といった 趣旨の歌が歌われる。争いを繰り返す人間に反省を促す力強いメッセージで、締めくくられた。
オペラ座バレエ団の使い方には多いに不満が残ったが、ともすればどこを切っても“金太郎飴”的なヘンデルのマイナーな作品に光を与えたことは事実だ。ダン スと音楽のコラボレーションとうたわれていたが、音楽の力が完全に勝っていた。カーテンコールでも、ル・リッシュの影は薄く、ソプラノ歌手のロイヤルに一 番大きな声援が飛んでいたことが、それを物語っていた。