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斎藤 珠里 text by Julie Saito 
[2007.05.10]

L'OPERA DE PARIS パリ・オペラ座公演から

RUDOLF NOUREEV : DON QUICHOTTEヌレエフ版『ドン・キホーテ』をめぐって

  パリ・オペラ座バスティーユ劇場で2月末から4月頭まで15回にわたって上演されたヌレエフ版『ドン・キホーテ』の舞台は、何かと話題に事欠かなかった。 バジル役を客演したボリショイ・バレエ団のデニス・マトヴィエンコについては前号で書いたが、ほかにもエマニュエル・ティボー、カール・パケット、ジェレ ミー・ベランガールといった気鋭のプルミエ・ダンスールが連日、競演していたからだ。
オペラ座ファンなら誰しも考えることは同じ。今年2月のローラン・イレールの引退で、一つ空きが出たエトワールの座には誰がつくのか。ひょっとしたら、舞 台上でのエトワール発表の“歴史の場面”に遭遇できるかもしれない---。私もそんな思いを馳せていた1人。しかし、どの日の配役で見ようかと迷っていた ら3月28日、あっさりと決まってしまった。

ジェレミー・ベランガール

ジェレミー・ベランガールのエトワール昇格
  ベランガールがレティシア・プジョルを相手にバジルを踊った直後、舞台の上でブリジット・ルフェーブル芸術監督からエトワール昇格を告げられたのだ。当日 は、客席にオレリー・デュポンやマリ=アニエス・ジロの姿があったというから、関係者の間では事前に“内部情報”が出回っていたのかもしれない。
残念ながら、ベランガールをエトワールとしてイメージできなかった私は“歴史の証人”になれなかったが、新エトワール誕生のアナウンスに客席は総立ちし、 温かい拍手が鳴り止まなかったという。一方で、今なおバレエ関係者やファンのブログなどでは賛否両論の嵐が吹き荒れている。意見を集約すると、パケット派 とティボー派の擁護に大別できる。
ベランガールとパケットは同じく1987年にオペラ座バレエ学校に入学した“同期”。だが、バレエ団入団を決めたのはベランガールが一年早かった。以後、 ベランガールに追いつくようにパケットもコリフェ、スジェと昇格していき、2001年に両者そろってプルミエ・ダンスールの座についた。言わば、出世争い を繰り広げてきたわけだ。
どちらかといえば、パケットは王子役が似合う顔立ちで古典作品の出演が多く、ベランガールは野生児のような雰囲気を生かしてコンテンポラリー作品での活躍 が目立つ。だから「ベランガールが、『ドン・キホーテ』でエトワールに任命されるなんて」という反応も少なくなかった。パケットにしてみれば、心中穏やか ではないことは想像に難くない。
ただ、ベランガールにしろパケットにしろ、現時点では、エトワールとしてのインパクトに一つ欠けるように思われる。ストイシズムを舞台で表現するマニュエ ル・ルグリ、ワイルドとセクシーを併せ持つニコラ・ル・リッシュ、端正なマチュー・ガニオ、情感を漂わせるエルヴェ・モロー・・・。エトワールには何かビ ビっとくるオーラ、他の追随を許さない形容詞が思いつくのに、ベランガールとパケットにはこれといった強い個性が感じられないのだ。
 とはいえ、それなりのタイトルを与えらると、人間は底力を出すもの。エトワールとなったベランガールの今後の舞台を注目したい。


ジェレミー・ベランガール

ジェレミー・ベランガール、
レティシア・プジョル

ジェレミー・ベランガール、
レティシア・プジョル




ティボーとウルドブラアム
私 がむしろ“大穴”ではないかと期待していたのは、昨年末の『ジゼル』の第1幕でミリアム・ウルドブラアムと、インパクトある村の男女のバリエーションを 踊ったエマニュエル・ティボーだった。ティボーは、先のベランガールやパケットよりもずっと早く15歳半でオペラ座に入団した注目株で、ヌレエフと同じ舞 台に立ったこともあるとか。とんとん拍子に2年間でスジェまで昇格したが、それからプルミエ・ダンスールになるまで12年もかかった。しかし、不屈の精神 で精進していたというから、その努力が報われるかもしれない、と思っていたのだ。3月31日、ティボー(バジル)とブラアム(キトリ)の舞台を見た。
『ドン・キホーテ』は、ポワント・ワークが真骨頂とも言われる。それもフロアにおけるピルエットやピケだけではない。ジュッテ(跳躍)したりバットマンで 前脚を蹴り上げたりしたときにシャープな弧を描くつま先の美しさ、そこに秘められたキトリの性格を読み取るのが面白い。
 前号で触れたオレリー・デュポンと比べると、ウルドブラアムは小悪魔的なキトリだ。デュポンが、流れるような動きの中で見せる静止ポーズに細心の注意を 払っていたのに対し、ウルドブラアムは『カルメン』を思わせる激しい気性の女を、エネルギッシュでスピーディーな身のこなしと鋭いポワント・ワークで表現 する。旅籠屋の娘という設定からすると、ウルドブラアムのキトリは真実味がある。
 ティボーは、一つひとつのフレージングの中で最大限に時間を引き伸ばしておいて“見せ場”をつくるから、跳躍やピルエットにスリルがある。ただ、バジル という役柄の限界かもしれないが、職人肌のテクニックに終始している感も否めない。逆に、器用さが裏目に出ているのかもしれない。マトヴィエンコよりも遥 かにメリハリの効いた動きなのだが、バジルという人間が見えてこないのが残念だった。
 技術があれば、ある程度までは出世街道を突っ走ってこられる。でも、エトワールというと、さらに求められるのが知性と情、品格---。プルミエ・ダン スールの顔ぶれに、果たして飛びぬけたエトワール候補がいたのだろうか。それは、技術偏重と指摘される現在のオペラ座バレエ学校の教育方針そのものへの疑 問にもつながるように思われた。

ミリアム・ウルドブラアム、エマニュエル・ティボー




ミテキ・クドーと話して
  今回の『ドン・キホーテ』では、第2幕の幻想の場で、キューピッド役やトリオを踊ったミテキ。小柄ながらも西洋人の容姿と東洋的な顔立ちをあわせもつ不思 議な魅力で、舞台では後方にいてもすぐわかる。まわりのダンサーたちと比べると自己主張しない方だから、損しないのかと気になる。でも、ひたむきに踊って いる姿そのものが、彼女自身の美意識であり、生き方をも投影している。
 先日、ある雑誌の取材を通してミテキとオペラ座について雑談する機会を得た。オペラ座バレエ学校時代からの旧友で、同団スジェ仲間の夫ジル・イゾワール (38)との間に5歳の娘ジャッドちゃんと2歳の息子タオちゃんがいる。オペラ座では、出産を経て舞台復帰した女性ダンサーがすでに20人ほどに上るが、 「二人の子持ちは私だけ」と、笑う。育児と舞台の両立は大変だが「私の人生にとっては、かつてないほど充実しています」とも。
いまのオペラ座のこと、彼女の心境について聞いた。

---残されたオペラ座でのキャリアを、どのように築きたいと考えていますか。
「特に野心はありません。自分に与えられた役柄をきちんとこなしながらも、子供や夫との生活を大切にすることを一番に考えています」

---オペラ座のダンサーとして生きる楽しさ、辛さは何ですか。
「楽しさは、素晴らしい振付家や作品と出会い、大好きなバレエを踊れることに尽きます。辛さは、いつも羨望ややっかみが渦巻くなかで、同僚はいつもライバ ルだということ。学校に入ったときから、心を許せる友だちをみつけるのが非常にむずかしいと感じてきました」

---ルフェーブル芸術監督が就任してから、オペラ座の演目ではコンテンポラリーの比重が高くなってきましたが、歓迎すべきことですか?
「いまの時代の人たちの感覚に訴える作品を上演する傾向は喜ぶべきだと思います。ただ踊る側にとってみると、肉体的には非常にきついというのが本音です。 クラシック作品とコンテンポラリー作品では、使う筋肉が全く違います。時期的に離れていれば問題ないのですが、いまはレパートリーの上演サイクルが早いの で、クラシック作品の公演中に、翌週のコンテンポラリー作品のリハーサルが入っていたりするわけです。身体がついていかないところで、仲間の怪我も多く なっているのが現状です」

---最近のオペラ座バレエ学校については、何か感じることはありますか。
「体操選手も顔負けといったアクロバティックな技術習得に力を入れすぎているような気がします。もちろん、最近の振付作品がそれを求める傾向にあるからな のですが、バレエダンサーにとって必要な成熟した表現力を育む土壌があるのか、ちょっと気になります」

---今後、どんな作品を踊っていきたいですか。
「キリアン、ジェローム・ロビンズ、勅使川原三郎・・・。勅使川原作品は、心に潤いをもたらしてくれます。同僚のダンサーにとっても、これまでにない体験でした。またぜひ、一緒に仕事をさせていただきたいです」

 ミテキがクラシック作品とコンテンポラリー作品を踊り分けることの肉体的負担を話してくれたことで、私も腑に落ちたことがある。3月中のガルニエ宮で上 演されていたプティの『失われた時を求めて』で、心身ともに消耗が激しいサン・ルー役を連日のように踊っていたステファン・ブイヨンが、『ドン・キホー テ』(3月31日)の舞台ではエスパーダ役を務めていたからだ。たまたま3月26日のプティ作品で全力投球したような演技を見せてくれた直後だっただけ に、魂が入っていないエスパーダ役でのブイヨンのことが気になっていた。ミテキがいうように、無理をすれば怪我をしかねない。彼としては身体をいたわりな がら、ギリギリのところで“役をこなす”程度に踊っていたのかもしれない。
 新旧の作品を盛りだくさんにラインアップしている最近のオペラ座は興行的には成功しているのかもしれないが、そのプログラミングを支えるダンサーたちの 負担は想像以上に大きい。バレエ団の運営のむずかしさを改めて考えさせられた。


ミテキ・クドー(キューピッド)

ミテキ・クドー(右端)