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斎藤 珠里 text by Julie Saito 
[2007.02.10]

BALLET DE L'OPERA パリ・オペラ座から

Patrice Bart: COPPELIA パトリス・バール版『コッペリア』

 パリ・オペラ座バスティーユ劇場で2006年12月15日~1月4日、オペラ座芸術監督補佐兼バレエ・マス ターのパトリス・バール版『コッペリア』が上演された。これまで『ドン・キホーテ』『ジゼル』『白鳥の湖』『くるみ割り人形』『ロミオとジュリエット』な ど、数々の古典バレエの名作に新解釈を与えてきたバール。1996年にパリ・オペラ座で初演された『コッペリア』につきまとう賛否両論の真意を確かめに 12月28日、劇場に足を運んだ。

 席について目に飛び込んできたのは、舞台背景に描かれた不可解な模様だった。よくみると、レオナルド・ダヴィンチの人体解剖図を連想させる人形の製図。 周辺には、綿密なデッサンの身体パーツに、物理学の数式が書き込まれている。右下には、全裸の女性が身体を折り曲げたりひねったりした様子もみえる。エ ツィオ・トフォルッティの舞台美術が、これから始まるバールの奇怪な世界に好奇心を抱かせてくれる。

  バールの『コッペリア』は、日本でお馴染みのコメディタッチの『コッペリア』とは様相がかなり違う。原作になっているドイツ・ロマン派の小説家エルンス ト・テオドール・アマデウス・ホフマンの短編小説『砂男』(1816年出版)により近い解釈といえる。原作では、「夜更かしをする子供には、砂男が目玉に 砂をかけてえぐり抜く」という怖い話を聞かされた主人公が、大学生になってスパランツァーニ教授の娘オランピアに恋をするという設定。しかし、オランピア は実は自動人形で、砂男が手に入れた子供の目玉が使われていると知って愕然とする。やがて砂男の化身をみて発狂し、命を絶つというオカルト小説だ。

バレエ『コッペリア』でも、幻想と仮想現実、二重人格、狂気が主題となって、コッペリウスの人物像に投影される。だから、コッペリウスの演技力がものをいう。恋人同士のスワニルダとフランツも登場するが、筋書き上は脇役的な存在として描かれている。


 全体的な構成には難点も感じたが、プロローグは物語の悲劇性を暗示する見事なつくりだ。舞台は、コッペリウスの館にある実験室。貴族的な雰囲気のコッペ リウスは、ともに実験を試みている科学者スパランツァーニ教授からオピウムをもらいうけると、幻影なのか、書斎にある巨大な本の中に美しい女性をみる ---。金色の大きな髪飾り、東欧的な民族衣装、目を伏せたエキゾチックな女性像だ。オピウムの力もあってか、コッペリウスはその女性に恋をしてしまう。

エトワールのジャン=ギヨーム・バールが扮するコッペリウスは、影のあるセクシーな男性だ。
一幕では、フランツという恋人がいながら、スワニルダ(ファニー・フィアット)がコッペリウスの危ない魅力に引きこまれてゆく、という設定に必然性をも たせる。むずかしいバレエ・テクニックは何一つないのに、背中や手先足先の表情からマッド・サイエンティストとしての貫禄十分の演技だった。


 この日のスワニルダはファニー・フィアット(スジェ)、フランツはジェレミー・ベランガール(第一舞踊手)だった。フィアットはそつなく踊るタイプで オーラはあまり感じられなかったが、スコットランド地方の民族舞踊エコセーズでみせた軽妙な足さばきは見事だった。バレエのポワント技術とも違い、足先を カタカタとぶつけながら交差させたり宙に舞ったり---。リバーダンスを彷彿とさせるものがあった。

 ジェレミー・ベランガールは、年齢のせいか体重増なのか、太ももや腰まわりの太さが気になる。ジャンプ力はあるが、はつらつとしたフランツ青年のイメー ジはない。スワニルダが恋人の留守をいいことに、コッペリウスにそそのかされて館まで訪れてしまうのも無理はない、と感じた。

  バール版は、甘さを徹底的に排除して心理劇に焦点をあてた『コッペリア』を意図した点では成功しているが、ドリーブの色彩豊かな音楽を用いた民族舞踊を何 でもかんでもぶち込んでいる感が否めない。コッペリウスとスパランツァーニ教授、スワニルダ、フランツの主要人物の後に、大勢のダンサーがうごめくといっ た舞台フォーメーションも雑然としている。人物像を複雑にしている上に舞台が整理されていないため、何が何だか、という場面にしばしばぶちあたった。


 しかしエピソードでは、ジャン=ギヨーム・バールの存在感が再び際立った。命を吹き込まれたかのようにみえたコッペリアが、実はスワニルダが扮しただけ のいたずらだと知って、呆然と立ちつくす様。骨組みだけになった自動人形を前に、発狂してゆく過程は涙を誘うほど迫力ある。
今風にいえば、機械オタクと“萌え”の心理。トラウマ・・・。現代版『コッペリア』としてのアプローチ自体にはキラリと光るものがあった。