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斎藤 珠里 text by Julie Saito 
[2006.10.10]

BALLET DE L'OPERA パリ・オペラ座情報

John Neumeier << LA DAME AUX CAMELIAS >> ジョン・ノイマイヤー「椿姫」にみるモロー vs ガニオ

2006~2007 年シーズンのオペラ座バレエは9月18日、ジョン・ノイマイヤー版『椿姫』で開幕した(ガルニエ宮)。作品については、これまで「パリは燃えているか?」 で度々取り上げてきたので、今回はアルマン役に初挑戦した新エトワールのエルヴェ・モローとマチュー・ガニオに着目して二人の舞台を比較してみたい。モ ローについてはアニエス・ルテステュとの共演2回目の21日、ガニオは前シーズンに引き続きクレール・マリ=オスタと組んで臨んだ今シーズン初の27日の 舞台を観た。

まず、風貌からしてモローとガニオは対照的だった。ダークヘアーで筋肉質、甘いマスクとセクシーさを併せ持つモローに対し、金髪で痩身、ギリシャ彫刻のよ うな顔立ちの正統派美男子ガニオ。踊りにしても、両者をあえてイメージで比較するならモローは動、ガニオは静。それに応じたキャスティングも絶妙で、エネ ルギッシュなモローには孤高な美しさで淡々と踊るルテステュ、端正なガニオには小悪魔的な魅力をもつオスタが、両者の個性をさらに際立たせて見せていたと いえる。

二 人の経歴を簡単に紹介すると、モローは1989年にオペラ座バレエ学校に入学、95年(18歳)でオペラ座入団。着々と昇格して2002年にはプレミア・ ダンスールに任命されたものの、その後は足踏み状態が続いていた。今年3月3日、ヌレエフ版『ラ・バヤデール』のソロル役を踊って念願のエトワールに。い わゆる古典作品よりもベジャールやフォーサイス、ノイマイヤーなどの作品での活躍が目立つ。
ガニオはローラン・プティ・バレエのスターダンサーだった父デニス・ガニオと母ドミニク・カルフーニの間に生まれ、地元マルセイユでバレエを始めた。 1999年にオペラ座バレエ学校に入学、最終の2学年を経て2001年(17歳)、オペラ座に入団した。毎年昇格して2004年5月20日、『ドン・キ ホーテ』のバジル役を踊って男性では最年少エトワールの座に。レパートリーはまだ少ないが古典もコンテンポラリーもほぼ半々にこなしている。

モローとルテステュ


ガニオよりも6歳ほど年上のモローはダンサー経験も豊富なせいか、何といっても演技力が目を引く。先シーズンに怪我で降板を余儀なくされたのが、文字どお り「怪我の功名」だったのかと思わせるほど、ひとつひとつの場面に入念な役づくりが伺えた。まず第1幕、大勢の男性が集う社交場ではマルグリットに軽くい なされてしまったアルマンが彼女の館を訪れ、二人が初めて向き合うシーン。長いすの片端に座ったマルグリットに誘われ、傍らに腰掛けたときから二人の運命 が走り出してしまうのが見て取れる。どちらかといえば無表情なルテステュなのに、二人が徐々に心を開いていく過程が手にとるようにわかるのは、モローの目 の表情や仕草が相手の動きに瞬時に反応しているからなのだろう。それは教えられるものではなく、天性の演技力としか言い様がないほどだった。


オスタとガニオ

クレール・マリ=オスタ


一方のガニオは、持って生まれた身体がすべてと言える。演技では、むしろ先輩格のオスタが出色だ。社交界で持てはやされているマルグリットが館に戻り、鏡 に映し出した自らのやつれた姿に顔を覆うシーンが印象的だ。自分自身の命が長くないこと、本当の恋を求めていること・・・後ろ姿から痛いほど見てとれる。 そこに現れるガニオは、何も知らない純情無垢な青年そのもの。顔の表情や仕草からだけでは、長いすに共に腰掛けたマルグリットに対する一途な思いがモロー のようには伝わってこない。しかし、愛を告白するソロの踊りで、舞台の空気が一変した。細長い手足、長い首筋、大きな手---上腕を頭上に高く伸ばしたと きやジュッテしたときの手の表情が軽やかでダイナミックだ。また、顔の彫りが深いため、うつむいた瞬間にスポットライトを浴びると秀でた額と鼻筋が白く浮 かび上がり、その陰影が気持ちのニュアンスまでも表現していうように映る。ガニオ本人がどこまで計算しているかは別として、その恵まれた身体能力がオーラ を放ち、ひたむきな美青年の心を強く印象付けた。

モローとガニオの違いを決定的に見せつけたのは後半に入ってからだ。マルグリットが自分の元を離れて古巣に戻ったことを知ったアルマンの動揺と焦り。他の 男を選んだと思い込み自暴自棄になって破廉恥な態度をとってしまうアルマン。前半のロマンチックな青年のもつ一面として未熟な人間の弱さを対比してみせる 場面だが、ガニオの美しい容姿だけでは役不足の感が否めない。誤解のために公衆の面前でマルグリットを手荒に扱ってしまうところも、ガニオの演技は少々青 臭い。それがモローになると、1幕・2幕で見せた好男子ぶりからは想像もつかないほど身勝手な男の執拗さが強調される。やけっぱちになって他の女に手を出 し乱暴に上半身の衣服をはだく場面では、まるで映画のベッドシーンかと思わせるほどの演技力を見せつけた。


モローとルテステュ

モローとルテステュ


第3幕は、さらにモローの独壇場。オペラと異なり、マルグリットの最期にアルマンは間に合わない。マルグリットの女中から手渡された日記によって、アルマ ンが壮絶な彼女の最期を知る。ノイマイヤーは、舞台下手でアルマンが日記を読む間に、舞台上手でマルグリットが最期を演じる、という映画的な手法を取り入 れることに成功した。マルグリットにしてもアルマンにしても、この20分ほどの時間は踊りよりも演技の力が試される。特に、アルマンの振りは日記を読むだ けだ。ガニオはうなだれて日記を読む、という演技に終始していた。が、モローは舞台上で進行するマルグリットの最期の場面場面に仕草や表情で反応する。単 に日記を読むという振りの中に、その感情を盛り込む高度な演技力だ。それがあまりにも自然体なため、マルグリット役のルテステュの演技にも観客の同情が集 まり、客席では目に手をあてている姿をみかけた。

演技力がものをいうノイマイヤーの『椿姫』では、モローに軍配が上がったと思う。ただ、長身のルテステュのリフトでは少々ぎこちなさも目立ったのは事実 だ。その点、息を呑むようなガニオの美しい踊りとオスタの華のある演技力は、審美眼をもつパリ市民には受けたようだ。ガニオ&オスタ組のカーテンコールは モロー&ルテステュ組を抜いて十回ほど続き、ブラボーの声と客席が一体となった拍手の唱和が鳴り止まなかった。