海外レポート
古代ギリシャでは、デルフィは<大地のへそ>であり、世界の中心と考えられていた。 (実際に<へそ>に見立てられていた石が博物館に保存されている)そしてここには、世界遺産である「アポロンの神殿」の遺跡がある。 紀元前6世紀頃、デルフィはアポロンの神託(予言)が下された聖地で、各都市国家の盛大な捧げものが贈られて大いに繁栄した。 古代のアテネではオリンピックの祭典が行われるようになったが、ここデルフィでは、アポロが芸術の神であったことから、音楽や舞踊の祭典「ピュティア祭」が行われた。 20世紀初頭、イサドラ・ダンカンはクラシック・バレエが盛んだった西欧で革新的なフリーダンスを踊った。 ダンカンは古代ギリシャの文化を深く信奉し、実際に彼女の一家を引き連れてアテネに渡り、舞踊学校を創り様々の芸術的活動も行った。 そして、当時は当のギリシャ人たちの間でも忘却の彼方にあった、古代ギリシャ文化の素晴らしさを再発見させた。 ダンカンはその頃、デルフィにも訪れて「ピュティア祭」復活のインスピレーションを与えた。実際、20世紀に入ってから二度ほど「ピュティア祭」の復活は試みられている。 今年はデルフィ市長の呼びかけに、ダンカンの継承者でニューヨークのイサドラ・ダンカン国際学校の芸術監督ジーン・ブレシアニが応じて、「デルフィ芸術フェスティバル」開催が実現した。 と、前振りが長くなってしまったが、ブレシアニの主導のもと各国から60名余の参加者が集い、フェスティバルが幕を開けた。 イサドラ・ダンカンのダンスの復元、古代ギリシャにまつわるダンス公演、神話学のレクチャー、ヒーリングのムーヴメントの講習、ビーチでのワークショップ、 デルフィの遺跡ツァー、神話に関するフィルム上映、洞窟の古代劇の鑑賞など、連日細密なスケジュールが組まれた。 多くの参加者は、ホテルから朝7時30分のヒーリングのムーヴメントの講習に出てストレッチも行い、時には朝市に立ち寄る。 午前中は神話のレクチャーを受け、午後はワークショップ、フィルムの上映会などに参加し、最終日に向けたダンスのリハーサルを行う。 夜はパフォーマンスを観て、ディナーでみんなと交流する、といったかなりハードなスケジュールをこなした。
そして最終日。古代ギリシャの競技場の遺跡に参加者全員が集 まって、クロージング・セレモニーが行われた。 この競技場は、7000人の観客を収容できたという巨大なもので、トラックの長さは178メートルもあり、大理石でできたスタート台まである。ちょっと手 入れをすれば今でも充分に使えそうな雰囲気だった。 競技場のほぼ中央にキャンドルが灯されて、リノリュウムがひかれ、ダンカン・ダンスの復元やブレシアニの振付作品、古代ハープの演奏やモノローグ劇などが繰り広げられた。 そしていよいよデルフィ市長が見守る中、全員がギリシャ風のチュニックを纏って、リハーサルの成果を踊り、深い交歓を交わし歓びを分かち合った。 人類とダンスの関わりの根源を改めて実感した「デルフィ芸術フェスティバル」は、こうして幕を閉じた。 | |||||||||||