エイミー・ハリスが渾身の演技で有終の美を飾ったオーストラリア初演、アシュトン振付『マルグリットとアルマン』
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ワールドレポート/オーストラリア
岸 夕夏 Text by Yuka Kishi
AUSTRALIAN BALLET オーストラリア・バレエ団
『Frederick ASHTON'S "THE DREAM" and " MARGUERITE AND ARMAND"』
『真夏の夜の夢』『マルグリットとアルマン』 振付:フレデリック・アシュトン
オーストラリア・バレエ団の2023年シドニー・シーズン後半となるフレデリック・アシュトン(1904~1988) の2作品『真夏の夜の夢』と『マルグリットとアルマン』が、11月10日より19回上演された。初日公演の2週間ほど前に、プリンシパルのエイミー・ハリスが引退を発表。アダム・ブル、アンバー・スコットに続いて今年3人目のプリンシパル・ダンサーの引退となった。奇しくも3人とも22年間カンパニーに在籍し、観客から人気のあるダンサーだ。
現在オーストラリア・バレエ団の男性プリンシパル・ダンサーは4名のみ。これを補うかのように世界的ダンサーのダニール・シムキンが5回、『真夏の夜の夢』のパック役でキャスティングされた。すでに3都市での公演が終了した新制作『白鳥の湖』でもシムキンは、アデレードとブリスベンで各2回ずつ客演。デヴィッド・ホールバーグ芸術監督はかつて、オーストラリア・バレエ団初のゲスト常任アーティストというタイトルを与えられたが、シムキンは今年、それを凌ぐ頻度でオーストラリア・バレエ団に客演している。ほぼ満席の初日公演を観た。
The Australian Ballet "Marguerite And Armand" Amy Harris Photo Daniel Boud
前半の演目は『マルグリットとアルマン』。アレクサンドル・デュマ・フィスの半自伝的小説『椿姫』を基に、アシュトンが1963年、バレエ界のレジェンドペア、マーゴ・フォンテインとルドルフ・ヌレエフのために振付けた1幕作品。2000年にシルヴィ・ギエムが踊るまで、他のダンサーが踊ることは封印されていた。ギエムは今年、オーストラリア・バレエ団のゲストコーチになっている。
初日のタイトルロールはエイミー・ハリスとシニア・アーティストのネイサン・ブルックで、4キャストが組まれた。
シンプルな装置と4つの場面。13人のダンサーが登場するが、踊るのは主にタイトルロールの2人だけで、濃密なドラマを40分に凝縮した振付からは、ダンサーの演劇性と表現力が如実に表れる。私の記憶に残るハリスは、圧倒的な存在感を示した『不思議の国のアリス』のハートの女王(2018年新国立劇場バレエの『アリス』に客演)や、『眠れる森の美女』の慈愛あるリラの精、多くのコンテンポラリー・ダンスの技巧で、常に観客を魅了してきた。オーストラリア初演となる『マルグリットとアルマン』で、"女優バレリーナ" エイミー・ハリスを観たのは初めてだった。
"Marguerite And Armand" Amy Harris & Artists of The Australian Ballet photo Daniel Boud
"Marguerite And Armand" Nathan Brook photo Daniel Boud
19世紀パリの高級娼婦マルグリット・ゴーティエは結核を患い、死に瀕している。もうろうとした意識の中、病床でアルマンの幻影を見る第1場から過去がフラッシュバックされていく。
『椿姫』の原題La Dame aux camélias を直訳すると「椿の花の貴婦人」。ハリスのマルグリットは穢(けが)れのない、"貴婦人"の形容もふさわしい娼婦だった。白い花を若い年下の男・アルマン(ブルック)に投げたハリスは悪戯っ子のような表情をのぞかせ、19歳の年齢差があったオリジナルキャストの設定を自然なものにした。感情の激しい落差奔流した第3場。"田舎" では、ハリスの上体は愛の歓喜で紅潮し、二人の昂まる情感がダンスからほとばしる。別れを命じたアルマンの父親に対し、プライドを捨て、病の身をさらしても許しを乞う姿は哀れを誘った。別れを誤解したアルマンがサロンで公然とマルグリットを屈辱した時、黒いドレスに身を包み、全身から悲しみを放出したハリスの嘆きの表情は胸を打つ。艶然とした姿は消えて、肩を落とし背を丸め、ポワントで去ってゆく姿はただ痛々しい。 アルマン役のブルックはクールな貴公子然とした容貌をもつ。 マルグリットが出会いの瞬間に魅せられるのに十分な、身体ラインの美しさがダンスから立ち上がった。
The Australian Ballet "Marguerite And Armand" Nathan Brook & Amy Harris Photo Daniel Boud
The Australian Ballet "Marguerite And Armand" Nathan Brook & Amy Harris Photo Daniel Boud
The Australian Ballet "Marguerite And Armand" Nathan Brook & Amy Harris Photo Daniel Boud
The Australian Ballet "Marguerite And Armand" Nathan Brook & Amy Harris Photo Daniel Boud
オーケストラの調べとともに、物語を通して演奏されるフランツ・リスト(1811~1886)のピアノソナタが何と雄弁にダンサーの心情を物語ったことか(ピアノ独奏はアンドリュー・ダンロップ)。シンプルな装置の中で、セシル・ビートン(1904~1980)がデザインした鮮やかな衣装が際立った。マルグリットの赤、白、黒のドレスは、ノルウェーの画家エドヴァルト・ムンク(1863~1944) の絵画『生命のダンス』を想起させる。ムンクは誕生から死までの生命の循環を、赤(誕生)、白(若き日)、黒(老い)と女性の服で表した。
最終場面でマルグリットはアルマンの腕の中で息絶える。初日では二人の間に湧きあがるケミストリーがまだ完全燃焼してなかったように感じられた。観る者の心を震わせた渾身の演技で有終の美を飾ったハリスとそれを伴走したブルックに、観客は惜しみない熱い拍手を送った。
The Australian Ballet "Marguerite And Armand" Amy Harris & Timothy Coleman Photo Daniel Boud
"The Dream" (Ashton) Artists of The Australian Ballet Photo Daniel Boud
後半はウィリアム・シェイクスピアの『真夏の夜の夢』を基にした一幕バレエで、1964年に英国ロイヤル・バレエが初演した。英語の原題は『ザ・ドリーム』。音楽はフェリックス・メンデルスゾーン(1809~1847)が17歳で作曲した原作と同名の『真夏の夜の夢』。中でも「結婚行進曲」は特に有名だ。妖精夫婦に4キャストが組まれた。7人のプリンシパルの中で、ソリストランクの山田悠未もタイターニア役で5回舞台に立つ。山田とペアを組むのはブレッド・チノーウィスで、パック役はシムキン。
The Australian Ballet "The Dream" (Ashton) Hugo Dumapit & Rina Nemoto Photo Daniel Boud
物語の発端は妖精の王オベロン(チェング・グォ)と女王タイターニア(近藤亜香)の夫婦喧嘩。目覚めて最初に見る生き物に惚れてしまう媚薬を点じるように、オベロンから命じられた妖精パックが引き起こす恋の騒動だ。
タイターニアはパックのいたずらで、ろばの首を被されてしまった職工のボトムに一目惚れ。近藤は細かい足さばきを鮮やかにこなし、コケティッシュな威厳で妖精の女王を 好演。ボトムにキスをされるとうっとりするエロチックなコメディエンヌの顔も見せた。
2組の人間カップルのコミカルなダンスが冴えていた。三角関係が四角関係になるドタバタ喜劇が、幻想的な妖精の世界に笑いの花を咲かせた。とりわけ、ハーミア役の根本里奈が演じた恋する乙女のおとぼけぶりと優美な技芸のアンバランスが秀逸。しなやかなアームスでアラベスクをして、速い精緻な足捌きで舞台を横切った。
マジカルな世界を余すことなく伝えたのが妖精の群舞。ゆらゆら揺れるアームスと、かすかに傾げた上体が妖精たらしめ、鋭敏な高速のフットワークは生命の鼓動を感じさせ、コーラスの歌声は物語を立体的にした。
ロバ頭のボトム(ルーク・マーチャント)のポワントワークが素晴らしく、観客の笑いと喝采を浴びた。しかし同夜の白眉は何と言っても、その至芸で "まさに妖精!"と観客の目を奪ったパック役のブレッド・チノーウィスだろう。ギロリとした視線と人間らしからぬ存在感。ふわりと宙に舞い見事な足捌きを空中で見せ、床に吸い付くような柔らかな足裏で無音で着地する。先の『ジュエルズ』ロンドン公演でも、ガーディアン紙はチノーウィスを絶賛した。「『ルビー』では際立っていた。ダンスは軽やかで音楽的で閃きがある。同じフレーズの中で柔らかく、鋭く、緩急をつけ、喜びに溢れている。」
The Australian Ballet "The Dream" Luke Marchantz Photo Daniel Bou
"The Dream" Brett Chynoweth Photo Daniel Boud
"The Dream" (Ashton) Artists of The Australian Balle Photo. Daniel Boud
詩的な抒情とユーモアのセンスが散りばめられたコメディバレエと、愛と死を濃密に描いたドラマチックバレエ。長大な文学作品を、重層的で豊潤、凝縮した作品に変容できる舞踊芸術の不思議さと偉大さに感嘆し、アシュトンの多彩な魅力を堪能した一夜だった。
(2023年11月10日 シドニーオペラハウス)
『マルグリットとアルマン』 "Marguerite and Armand"
振付:フレデリック・アシュトン (Sir Frederick Ashton)
舞台監修:グラント・コイル (Grant Coyle)
音楽:フランツ・リスト ( Franz Liszt)
オーケストラ編曲:ダッドリー・シンプソン (Dudley Simpson)
装置・衣装:セシル・ビートン (Cecil Beaton)
照明(原デザイン):ジョン・リード(John B Read)
照明2023年再デザイン:サイモン・ベニソン (Simon Bennison)
配役 (2023年11月10日)
マルグリット:エイミー・ハリス (Amy Harris)
アルマン:ネイサン・ブルック (Nathan Brook)
父親:ティモシー・コールマン(Timothy Coleman)
侯爵:ジョセフ・ロマンスヴィック (Joseph Romancewicz)
ピアノ独奏:アンドリュー・ダンロップ (Andrew Dunlop)
『真夏の夜の夢』 "The Dream"
振付:フレデリック・アシュトン (Sir Frederic Ashton)
舞台監修:クリストファー・カー (Christopher Carr)
音楽:フェリックス・メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn)
オーケストラ編曲:ジョン・ランチベリー (John Lanchbery)
装置・衣装:デヴィッド・ウォルカー (David Walker )
照明(原デザイン):ジョン・リード(John B Read)
照明2023年再デザイン:サイモン・ベニソン (Simon Bennison)
配役 (2023年11月10日)
タイターニア:近藤亜香 (Ako Kondo)
オベロン:チェンウ・グォ (Chengwu Guo)
パック:ブレット・チノーウェス(Brett Chynoweth)
ボトム:ルーク・マーチャント (Luke Marchant)
ハーミア:根本里奈 (Rina Nemoto)
ライサンダー:ヒューゴ・デュマピット (Hugo Dumapit)
ヘレナ:ヴァレリー・テレスチェンコ (Valerie Tereshchenco)
デミトリアス:メイソン・ラブグローブ(Mason Lovegrove)
合唱:シドニー・フィルハーモニー合唱団
バリー・ワーズワース指揮(ゲスト) オペラオーストラリア管弦楽団
(Guest conductor Barry Wordsworth conducting Opera Australia Orchestra )
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