オーストラリア・バレエ団60周年記念公演はヌレエフへのオマージュとなる『ドン・キホーテ』で幕開けした

ワールドレポート/オーストラリア

岸 夕夏 Text by Yuka Kishi

AUSTRALIAN BALLET オーストラリア・バレエ団

"Don Quixote" Choreography : Rudolf Nureyev
『ドン・キホーテ』ルドルフ・ヌレエフ:振付

20世紀の大スター、ルドルフ・ヌレエフ (1938~93) は、旧ソ連から西側に亡命をした翌年1962年に、創立したばかりのオーストラリア・バレエ団を訪れている。また、ヌレエフとマーゴ・フォンテインがオーストラリア・バレエ団の『白鳥の湖』と『ジゼル』に客演したのは、創立から2年後の1964年だった。
ヌレエフは『ドン・キホーテ』を1966年にウィーン国立バレエ団に振付け、1970年にはさらに改訂を加えてオーストラリア・バレエ団で上演している。1972年、ヌレエフは当時の芸術監督ロバート・ヘルプマン卿(映画にはドン・キホーテ役で出演)と共同指揮により、『ドン・キホーテ』の映画撮影を行った。撮影場所はメルボルンのエッセンドン空港の飛行機格納庫。気温40度の中撮影は4週間にわたって行われ、大量の果物・野菜・魚などが市場から運び込まれたという。オーストラリア・バレエ団の60周年記念の一環として、今回、新たに製作された『ドン・キホーテ』は、1972年の映画のヴァージョンに手を加えて舞台版にしたもの。
メルボルンでは3月に13回の公演が行われ、4キャストが組まれた。シドニーでは4月8日から25日まで19公演が開催され、6組のキャストが発表された。プリンシパルの近藤亜香、ソリストランクの山田悠未、コリフェランクの渡邊綾、日系オーストラリア人のジル・オガイと6人中4人のキトリ役が日本人なのは異例のこと。海外ゲストとして、アメリカン・バレエ・シアターとベルリン国立バレエのプリンシパル、ダニール・シムキンがメルボルンとシドニーでそれぞれ3回ずつバジル役を踊った。"百年に一度の逸材"と称され、2015年に舞台を退いたシルヴィ・ギエムがプリンシパルダンサーのコーチとして招かれた。シドニーの初日公演を観た。

1.-TAB_Don-Quixote_Benedicte-Bemet_photo-Rainee-Lantry.jpg

The Australian Ballet "Don Quixote" Benedicte Bemet Photo by Rainee Lantry

装置・衣装は故バリー・ケイが担当した50年前の映画の美術を基にしている。布に描いた城のような書き割りは使用せず、装置はすべて立体だ。古い映画のように、冒頭の公演クレジットと配役名はフランスの挿絵画家ギュスターヴ・ドレ(1832-83)のオリジナル・エッチングの上に映し出された。(1860年代に出版されたセルバンテスの小説『ドン・キホーテ』では、ドレの挿絵を使用している)白黒の時代掛かった平面が立体セットにそのまま移り変わって、観客を舞台へと誘った。

2.-TAB_Don-Quixote_Benedicte-Bemet-and-Marcus-Morelli_photo-Rainee-Lantry.jpg

The Australian Ballet "Don Quixote"Benedicte Bemet and Marcus Morelli photo by Rainee Lantry

3.-TAB_Don-Quixote_Benedicte-Bemet-and-Marcus-Morelli_photo-Rainee-Lantry.jpg

The Australian Ballet "Don Quixote"Benedicte Bemet and Marcus Morelli photo by Rainee Lantry

マリウス・プティパの振付を基にしたヌレエフ版も他のヴァージョンと同様、物語の中心は若い男女の恋物語で、ドン・キホーテは脇役だ。同夜のドン・キホーテ役はプリンシパルのアダム・ブル。技巧・表現力ともに観客を魅了してやまないが、ブルはあと数ヶ月で引退する。巧みなメイクで夢見る老いた中世騎士を演じ、憂愁を滲ませ、コミカルな演技にも陰影を印した。
シドニー初日公演のバジル役は、当初、昨年イングリッシュ・ナショナル・バレエから移籍したジョセフ・ケーリーが配役されていたが、本番直前にプリンシパルに次ぐシニアアーティストのマーカス・モレリに変更された。キトリ役はプリンシパルのベネディクト・べメイだった。
豊かな表現力と堅固な技を持つモレリは、最初は少し緊張しているようにも見えたが、高い跳躍と的確な着地を決め、軽快できりりとした足遣いで美しい甲のアーチを披露した。べメイのテンポの良い伸びやかな踊りは、宿屋の元気なスペイン娘という役柄がよく似合う。このペアは初めて組まれたが、第1幕終盤のバジルがキトリを頭上に掲げる片手リフトもうまくこなした。
街の踊り子を演じたプリンシパルのエイミー・ハリス。彼女の精緻なダンスには、どのような役柄でもウィットと品の良さがある。赤いマントを鮮やかに翻したエスパーダ役はプリンシパルのカラム・リネイン。バルセロナの喧騒の中に存在感を示した闘牛士と、街の踊り子の鮮烈なダンスは物語に意外な光彩を差し、舞台を豊潤にした。

4.-TAB_Don-Quixote_Benedicte-Bemet_photo-Rainee-Lantry.jpg

"Don Quixote" Benedicte Bemet & artists of The Australian Ballet photo by Rainee Lantry

第2幕1場のジプシーの野営地。幕が上がると、立ち並ぶ立体風車の装置に客席から拍手が送られた。頭領のキャメロン・ホームスは野生的で切れの良いダンス。ジプシーの群舞からは荒涼としたスペインの光と影が立ち上がった。
2場のドン・キホーテの夢のシーンでは一転して、美しい絵画のような情景が現れた。森の女王役はプリンシパルのシャーニ・スペンサー(キトリ役でシムキンとペアを組んだ)。古典フォルムの美しさを示したスペンサーのダンスは、イタリアン・フェッテで観客を魅了。キューピッド役の山田悠未は浮遊感と流れるアームスが印象深く、天界からの使いを現した。
全幕に展開したすべての群舞に感嘆した。それぞれから発せられる感情が連なって、魂が吹き込まれたと感じた。ここ数年、このバレエ団のコール・ド・バレエには目を見張るものがある。ホールバーグ芸術監督の手腕が発揮されているのは確かだ。

5.-TAB_Don-Quixote_Marcus-Morelli_photo-Rainee-Lantry.jpg

The Australian Ballet "Don Quixote" Marcus Morelli photo by Rainee Lantry

第3幕結婚式のグラン・パ・ドゥで、モレリとべメイのペアは素晴らしかった。弾けるようにモレリの腕の中に飛び込んだフィッシュ・ダイブ。息のあったユニゾンは波に乗り、べメイはアラベスクの静止ポーズを余裕たっぷりに決める。ジャンプの大技を披露し、空中廻転で舞台を旋回するモレリに客席から大きな拍手が湧き、べメイは呼応するように勢いに乗ったフェッテを見せた。ペアの難技巧の応酬に、拍手と床を踏み鳴らす音が劇場に響き渡り、シドニー・オペラハウスには珍しいスタンディングオベーションをする人も多く、劇場は熱気に包まれた。
映画撮影時の映像も含めて、バレエ団はヌレエフにまつわるさまざまな逸話を配信した。早朝から夜10時を超えた撮影に及んでも、ヌレエフが妥協を許さない完璧主義者であったこと、ツアー中毎回舞台の袖に立って、メモをダンサーたちに渡したこと、アメリカツアー中にヌレエフがソロをやり直したのを見て、唖然としたことなどなど。ヌレエフの舞踊に対する愛とカリスマ性を、カンパニーは今なお語り継ぐ。ギエムは「彼は若手ダンサーにチャンスを与えた。それは彼の寛大さ。ルドルフも私も観客のために素晴らしい舞台を見せたい、そこには妥協などない」と全国紙ジ・オーストラリア(3月11日付)に語った。この『ドン・キホーテ』は、オーストラリア・バレエ団を世界の舞台に導く礎となったヌレエフへのオマージュである。

ヌレエフ版『ドン・キホーテ』は人間味にあふれ、鑑賞後は心地よい余韻が残る。ダンサーとクリエティブ陣によるパフォーマンスは、古典バレエの醍醐味を余すことなく実感させた。
(2023年4月8日 シドニー オペラハウス)

6.-TAB_Don-Quixote_Benedicte-Bemet-and-Marcus-Morelli_photo-Rainee.jpg

The Australian Ballet "Don Quixote Benedicte Bemet and Marcus Morelli photo by Rainee

『ドン・キホーテ』プロローグ付き全3幕バレエ Don Quixote
振付:ルドルフ・ヌレエフ(Rudolf Nureyev)
音楽:ルートヴィヒ・ミンクス(Ludwig Minkus )
オーケストラ編曲:ジョン・ランチベリー(John Lanchbery)
衣装:バリー・ケイ(Barry Kay)
舞台装置:リチャード・ロバーツ(Richard Roberts)
原舞台装置:バリー・ケイによるオリジナル映画デザイン( original film designs by Barry Kay)
照明:ジョン・バスウェル(Jon Buswell)
チャールス・バーカー指揮(ゲスト)オペラオーストラリア交響楽団
(Guest conductor Charles Barker conducting Opera Australia Orchestra )

配役(2023年4月8日)
ドン・キホーテ:アダム・ブル(Adam Bull)
キトリ / ドルシネア姫:ベネディクト・べメイ(Benedicte Bemet)
バジル:マーカス・モレリ (Marcus Morelli)
サンチョ・パンサ:ティモシー・コールマン(Timothy Coleman)
ロレンツォ: ブレット・サイモン(Brett Simon)
ガマーシュ:ポール・ノブロック(Paul Knobloch)
街の踊り子: エイミー・ハリス(Amy Harris)
森の女王: シャーニ・スペンサー(Sharni Spencer)
エスパーダ: カラム・リネイン(Callum Linnane)
キューピッド:山田悠未(Yuumi Yamada)
ジプシー頭領:キャメロン・ホームス(Cameron Holmes)
ファンダンゴソリスト: ダナ・スティーブンソン(Dana Stephensen) /ネイサン・ブルック(Nathan Brook)
リードブライズメイド:根本里奈(Rina Nemoto)
ガールフレンド:ジル・オガイ( Jill Ogai)/ライリー・ラップハム(Riley Lapham)

記事の文章および具体的内容を無断で使用することを禁じます。

ページの先頭へ戻る