ダンサー、ホールバーグが舞台に立った『クンストカマー』、オーストラリア・バレエ団が4人の気鋭振付家による "美しきモンスター" を上演
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ワールドレポート/オーストラリア
岸 夕夏 Text by Yuka Kishi
AUSTRALIAN BALLET オーストラリア・バレエ団
『KUNSTKAMER』『クンストカマー』
Choreography : Sol León, Paul Lightfoot, Crystal Pite, Marco Goecke
ソル・レオン、ポール・ライトフット、クリスタル・パイト、マルコ・ゲッケ:振付
コンテンポラリー・ダンスで世界的に高い評価を受けているオランダのネザーランド・ダンス・シアター(NDT)。NDTの創立60周年を記念して制作された『クンストカマー』は、2019年10月にオランダのハーグで世界初演された。作品は当時のNDT芸術監督(2011〜2020)ポール・ライトフット、NDT芸術アドバイサー(2012〜2020)ソル・レオン、そして2人のNDT准常任振付家(2008〜)クリスタル・パイトとマルコ・ゲッケ(2013〜)ら4人の振付家による共同創作。2020年にパリ、ロンドン、マドリッド、バーデンで予定されていたNDTの『クンストカマー』公演は、パンデミックによりキャンセルされた。オーストラリア・バレエ団が創立60年を迎える今年、ヨーロッパを飛び越してNDT以外のカンパニーによる初上演となった。
シドニー公演は4月29日から16日間に18公演、メルボルンでは6月3日から9日間に11公演で、6月10日はライブビューイングが行われる。オーストラリア・バレエ団のデヴィッド・ホールバーグ芸術監督がダンサーとして舞台に立つことも話題を呼んでいる。シドニーとメルボルンでそれぞれ10回と6回のゲスト出演が予定されている。シドニーの初日公演を観た。
The Australian Ballet KUNSTKAMER" David Hallberg Photo Daniel Boud
『クンストカマー』は、オランダの薬剤師アルベルトゥス・セバが18世紀に出版した博物・動植物画譜「Cabinet of Natural Curiosities」から想を得たもので、135分の2部構成。ベートーヴェン、シューベルトからジャニス・ジョップリン、ジョビィ・タルボットまで、15人の多彩な作曲家の音楽と、4人の振付家のクリエーションが時空を超えて絡み合うように織りなされる。「驚異の部屋」「不思議の部屋」と呼ばれる「クンストカマー」は、15世紀から18世紀にヨーロッパで作られていた様々な珍品を集めた博物陳列室で、今日の博物館の前身とされる。
幕が開くとヘンリー・パーセルのオペラ『ディドとエネアス』の歌声が響く中、スケルトンに映し出されたダンサーがスローモーションのように踊っている。嘆きの歌とともに舞う超自然的な存在がゆっくり溶けてゆくと、動物か鳥の啼き声が聞こえ、観客を一瞬にして不思議な世界に導く。たくさんの扉がついた高い壁が舞台を三方から囲む。ダンサーが行き交う窓と扉は、『クンストカマー』の象徴だという。
壁の隙間からすっと現れたデヴィッド・ホールバーグが開脚して最初に発した言葉は「痛い!」。白塗りにしたピエロ顔(アダム・エルメス)を分身のように伴い、時にはデュエットを踊り、扉から不意に現れてはバレエ的な技を見せる。優雅なピルエットを披露し、台詞や笑い声を発し、舌をだす彼が放った光はまばゆい。ホールバーグの役を劇場のゴーストと言う。
The Australian Ballet "KUSTKAMER" Adam Elmes David Hallberg Photo Daniel Boud
The Australian Ballet "KUSTKAMER" David Hallberg Photo Daniel Boud
The Australian Ballet "KUSTKAMER" Benedicte Bemet Photo Danel Boud
黒と白、光と影を基調とした美術でただ一人、真っ赤なコスチュームのベネディクト・べメイは奇妙な声を発し、射るような視線で強靭なパワーを放った。壁に張り付いたシルエットは華麗な蝶の標本のようだ。美しい蝶との戯れを自然美として抽出し、デュエットはそれを可視化した。そこには『クンストカマー』が描く、アートと科学の間に横たわる神秘性が現出した。(音楽:ベートーヴェン「フィデリオ」より序曲 / 振付: ソル・レオン)
『クンストカマー』にはダンスごとに18の表題がついている。マルコ・ゲッケは3つの自作の一つに「ジャニス」と名付けた。
退廃的でノスタルジックなキャバレー風の音楽、胸に迫る物悲しい声で絞り出すジャニス・ジョップリンの歌声と、カクカクしたダンスとマイムが共振した「ジャニス」。蝶と蛾の衣装をまとい、高速の掌の動きとカクカクとした上体で身体を痙攣させ、口を開けた奇異な表情のマーカス・モネリに魅了された。関節を自在に可動させるダンサーの動きは、感情を装備した機械仕掛けの人形にも見える。泣き顔を歪ませ、脱力した身体をふらつかせ、或いは狂人のようなさまは、装いを捨てた人間の生の姿か情動なのか。エキセントリックと童心が何とも絶妙に溶け合ったダンスには悲哀と滑稽が入り混じり、言い難い感動を覚えた。
The Australian Ballet "KUNSTKAMER" Artists of the Australian Ballet Photo Daniel Boud
The Australian Ballet "KUNSTKAMER" Dana Stephens Timothy Coleman Photo Daniel Boud
第1部の最後を飾ったのはポール・ライトフットとクリスタル・パイトの共作「ベートーヴェン」。総勢40人以上のダンサーが舞台を埋め尽くし、ユニゾンのアンサンブルを繰り広げた。波打つ群舞から湧き上がるエネルギーが渦巻いて、ベートーヴェン交響曲第九番(第2楽章)の歓喜と合体。扉を閉める大きな音さえも楽曲の一部となり、大きな奔流が劇場をおおう。パワーの連鎖が巻き起こした爽快なカノンは、第2部、パイト振付の「シューベルト・メモリー」と好対照を成した。シューベルトが31歳でこの世を去る2ヶ月前に完成されたピアノソナタ21番(2楽章)。舞台後方で演奏される清澄で美しいピアノソロに、多勢の群舞は流れるようにフォーメーションを変化させ、形成されたうねりは有機的だ。
The Australian Ballet "KUNSTKAMER" Artists of the Australian Ballet Photo Prudence Upton
終焉を予感させる天上から降り注ぐ光に向かって客席に背を向け、祈りを捧げるように踊るユニゾンの群舞。朗々とした歌声のコーラス部隊に変身したダンサーが、ヘンリー・パーセルのオペラ『アーサー王』(第3幕)を合唱するという演出は、意表を突いた愉しい驚きだった。
「過去・現在」と題した最終場面では、1965年のオーストラリア・バレエ団初の海外公演出発前に撮った写真の前方で、ダンサーが同じポーズをとった。この時、劇場を覆っていた空気は高揚感の極みに達した。(音楽:ジョビー・タルボット/ 振付:ポール・ライトフット)
異なるスタイルをもつ4人の気鋭振付家の作品が見事に一体となった『クンストカマー』は、ライトフットがニックネームで呼ぶ、まさに "美しきモンスター" だった。新たな言語を学ぶに等しい、セリフ・歌・演技ありの複雑に絡みあった作品の上演は、ホールバーグとNDTどちらにとってもリスクであったと二人は語る。リスクは杞憂に終わり、満席の観客は総立ちになって熱い喝采を舞台に送った。それはホールバーグが新たな時代のリーダーの座を堅固にした瞬間だった。レオン、ライトフット、パイト、ゲッケら4人の振付家も加わったカーテンコールでは、たくさんのブラボーが長い間響き渡った。
オーストラリアの著名な舞踊評論家たちは、シドニー初日公演の舞台評を一様に同じ言葉で結んだ。「告白すると私は(評を書くという)職務を忘れ、魅入ってしまった。(この公演は)見逃すな」(シドニー・モーニングヘラルド紙、ジル・サイクス)。「傑作中の傑作、1度の鑑賞では不十分」(アート誌ライムライト、ジェンソン・アントマン)。「ダンス愛好家は二つに分かれる。この公演を観た人と、観なかった可哀想な人」(全国紙ジ・オーストラリアン、デボラ・ジョーンズ)。"迷宮博物館"とでも形容したい稀有な空間に惹きつけられて、私は後日ふたたび劇場の席に座った。
*デヴィッド・ホールバーグの出演が予定されている『クンストカマー』ライブビューイングは、6月10日(金)午後7時15分(オーストラリアの東部標準時間)より世界同時配信される。チケットの購入は以下のリンクより。
https://australianballet.com.au/the-ballets/live-on-ballet-tv#buy-tickets/4496
The Australian Ballet "KUNSTKAMER" Artists of the Australian Ballet Photo Daniel Boud
(2022年4月29日 シドニーオペラハウス)
『クンストカマー』KUNSTKAMER
振付:ソル・レオン、ポール・ライトフット、クリスタル・パイト、マルコ・ゲッケ
(Sol León, Paul Lightfoot, Crystal Pite, Marco Goecke)
音楽:
オーラヴル・アルナルズ、ベラ・バルトーク、ルートヴィヒ・ベートーベン、ベンジャミン・ブリテン、クリストフ・グルック、ジャニス・ジョップリン、アルヴォ・ペルト、ヘンリー・パーセル、リチャード・ロジャース、ホゼ・サンドヴァル、フランツ・シューベルト、ヨハン・シュトラウス2世、ジョビー・タルボット、ウィリー・メイ・ソーントン
Ólafur Arnalds, Béla Bartók, Ludwig van Beethoven, Benjamin Britten, Christoph W Gluck, Lorenz Hart, Janis Joplin, Arvo Pärt, Henry Purcell, Richard Rodgers, Jose Sandoval, Franz Schubert, Johann Strauss Jr, Joby Talbot, Willie Mae Thornton
照明デザイン:トム・ベヴォールト、ウド・ハバーランド、トム・ヴィサ
(Tom Bevoort, Udo Haberland, Tom Visser)
衣装:ジョク・ヴィサ、ハミエン・ホーランダー(Joke Visser, Hermien Hollander)
美術:ソル・レオン、ポール・ライトフット(Sol León, Paul Lightfoot)
映像(テーマ/指導/振付):ソル・レオン(Sol León)
ニコレット・フレイロン指揮 オペラオーストラリア交響楽団
(Nicolette Fraillon conducting Opera Australia Orchestra )
配役(2022年4月29日)
ベネディクト・べメイ(Benedicte Bemet)
デヴィッド・ホールバーグ(David Hallberg)
アダム・エルメス(Adam Elmes)
ルシエン・スゥ(Lucien Xu)
カラム・リネイン(Callum Linnane)
ブレット・チノーウェス(Brett Chynoweth)
エイミー・ハリス(Amy Harris)
オーストラリア・バレエ団ダンサー(Artists of the Australian Ballet)
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