オーストラリア・バレエ団とオーストラリア・ダンス・シアターが初共演。心に響くダイヤモンド・ジュビリーにふさわしい世界初演2作品

ワールドレポート/オーストラリア

岸 夕夏 Text by Yuka Kishi

The Australian Ballet & Australian Dance Theatre 「IDENTITY」
オーストラリア・バレエ団 & オーストラリア・ダンス・シアター(ADT)「アイデンティティー」

"THE HUM" Choreographed by Daniel Riley、 "PARAGON" Choreographed by Alice Topp
『THE HUM』ダニエル・ライリー:振付、『パラゴン』アリス・トップ:振付

オーストラリア・バレエ団の2023年シーズン2つ目のプログラムは「アイデンティティー」と題され、ADTの芸術監督、ダニエル・ライリーが創作した『THE HUM』とオーストラリア・バレエ団の常任振付家アリス・トップによる『パラゴン』という2つのコンテンポラリー・ダンスだった。
今回のシドニー公演は、オーストラリア・バレエ団としては珍しく、「アイデンティティー」とジョージ・バランシン振付『ジュエルズ』を日替わりで上演し、「アイデンティティー」は、オーストラリア・バレエ団とADTの初めての共演となった。ADTは1965年に創立され、国内外で活躍している現代舞踊カンパニーである。
「アイデンティティー」の2作品はともにオーストラリアを代表する二人の振付家による世界初演であり、シドニーでは5月2日から20日まで9公演が行われ、メルボルンでは6月16日から10回上演される。

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"The Hum"- Identity Dancers of The Australian Ballet & Australian Dance Theatre Photo Daniel Boud

『THE HUM』

「ダンサー、オーケストラ、観客との間に存在する目に見えないつながり。"THE HUM" は大地の歌であり、私たちの呼吸です」。ダニエル・ライリーはこう語る。
オーストラリアに約5万年前から定住していると言われる先住民族のアボリジニ。ライリーはアボリジニの一部族ウィラドゥリ人である。ライリーは公演プログラムの振付家ノートの冒頭にウィラドゥリ語でmurum (呼吸、生命の意)と記し、yindyamarra(敬意、思いやり、誇り、ゆっくりと、の意)という言葉で結んだ。
ドリームタイムと呼ばれるアボリジニ独自の継承文化の中に、天地や生物が存在しない「始まりの時代」がある。舞台に終始浮いている巨大な円を見ていると、ドリームタイムに導かれ、オーストラリアの内陸部を旅したイギリスの作家ブルース・チャットウィンが著した『ソングライン』の一節が思い出される。チャットウィンは天地創造を思わせる章で、「いつの日か水をたたえるはずのくぼみ。生命の源。生を受けたくぼみへ、ひとり残らず "もどって" いった」と書いていた。

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"The Hum"-Identity Dancers of The Australian Ballet & Australian Dance Theatre Photo Daniel Boud

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"The Hum"-Identity Dancers of The Australian Ballet & Australian Dance Theatre / Lilla Harvey Photo Daniel Boud

ダンサーは皆、彼方を見つめるようなまなざしをしている。ADTのダンサー6人が加わった17人のアンサンブルは絶えまなく動き、全員で片手を上げたり、天を仰ぐ動きや膝をついたり・・・時には古代の儀式のようにも見えた。
先住民のデボラ・シータム・フレイロンに委嘱された音楽は、ダイナミックでドラマ性があり、交響詩のよう。抽象的なダンスとは対照的にフルオーケストラに加えてピアノ、パーカッション、カスタネットを用い、ソプラノ歌手でもある作曲家の歌声でもあるように物語にその音色を響かせた。
マシュー・アディ考案の装置と照明デザインは、オーストラリアのランドスケープを表情豊かに表現した。炎や夕焼け、稲妻を想わせる照明、真っ赤な溶岩が湧き出て、うごめくような大地を想わせた。
弦楽器が奏でる情景にピアノのメロディーが謳いだすと、ダンサーは風が吹き抜けるように踊り、最後は赤い大きな円の中に消えていった。
クラシック・ベースのオーストラリア・バレエ団のダンサーと、コンテンポラリー・ダンスを主体とするADTのダンサーたちが共振し、60年の節目を祝う舞台に、新たな光を射し込んだかのようだった。

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"The Hum"-Identity Dancers of The Australian Ballet & Australian Dance Theatre Photo Daniel Boud

『パラゴン』

「60年の歴史を60分の作品にする。1年につき1分だ」。オーストラリア・バレエ団のデヴィッド・ホールバーグ芸術監督は、以前、カンパニーの常任振付家アリス・トップに愉快そうに語っていた。トップは、既に舞台から退いているオーストラリア・バレエ団のかつてのダンサー12人を加え、60人が踊る作品に仕上げた。『パラゴン』とは「規範」や「鑑(かがみ)」を意味する。12のパートには、<直観><微光><輝き><郷愁><振動><季節><家族>などのタイトルが付けられていた。

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The Australian Ballet "Paragon"-Identity Fiona Tonkin and Adam Bull Photo Daniel Boud

まるで芳潤なダンスの絵巻物を観ているようだった。クリストファー・ゴードンが新たに作曲した楽曲はどこかノスタルジックで、どこか古き良きハリウッド映画を想い起させるようだった。
後方スクリーンにオーストラリア・バレエ団の歴史を彩ってきたダンサーたちが次々と映し出された。ヒューストン・バレエの芸術監督スタントン・ウェルチの両親、ガーシュ・ウェルチとマリリン・ジョーンズ(第4代目芸術監督)のカップルの写真に、スタントン・ウェルチ振付の『マダム・バタフライ』と『シルヴィア』の映像が流れた。『パラゴン』の制作にはバレエ団の50万枚のアーカイブから285点のプロジェクションが使用された。
白の巨大布がドレープになって垂れ下がり、そこにダンスが映写された。白の布は、国内外の公演で成功を収めたグレアム・マーフィー振付『白鳥の湖』で用いた、オデットのウエディングドレスのテールを暗示している(*)。海外公演でもジークフリート王子を演じたスティーブン・ヒースコートとアダム・ブルが、コール・ド・バレエのランクのアダム・エルメスに「布」を託した。肩を組んで去ってゆくヒースコートとブル。エルメスの驚きや戸惑いの複雑な表情が印象的で、バレエ団の遺産を未来につなぐシーンだった。<直観>

一転して創立当時の建物が映し出されると、誕生して間もないカンパニーの、若さがほとばしるダンサーたちが躍動する。ダンサーのタイツの色と形が60年代の雰囲気を感じさせた。希望に満ち溢れたダンスにはセピア色の写真を眺めるような懐かしさを感じた。<微光>
作品に付けられた12のタイトルのうち5つはパ・ド・ドゥだった。その中でとりわけ強く印象に残ったのが、バレエ団の副芸術監督フィオーナ・トンキンとアダム・ブルのデュエットだった。現在62歳のトンキンのダンスは美しく、少女のように瑞々しい。彼女の踊りはダンスを愛し続けた人の結晶のよう。<郷愁―その愛は残存するー>
2018年にオーストラリア・バレエ団が新制作した『スパルタクス』を想起させる、豪快な跳躍で登場した現役男性ダンサーたちの勇壮な群舞。その中心でデヴィッド・マカリスター前芸術監督はピルエットを描き、高く胴上げされた。彼の引退はコロナ禍の最中となり、20年間務めた芸術監督を舞台で見送ることは叶わなかった。このシーンはカンパニーからマカリスターへ贈られた3年遅れのギフトなのだろう。<振動>

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The Australian Ballet "Paragon"-Identity David McAllister photo Daniel Boud

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The Australian Ballet "Paragon"-Identity Jessica Thompson photo Daniel Boud

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TAB "Paragon" Samara Merrick & Jake Mangakahia Photo Daniel Boud

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TAB "Paragon" Fiona Tonkin and Adam Bull Photo Daniel Boud

真っ白な衣装をまとったアンバー・スコットとアダム・ブルのカップル。このペアのダンスはいつ見ても優雅。アームスが描く弧の中に、二人の視線は様々な過去のシーンを見つめているようだ。鳥の飛翔や生け贄の乙女のようなポーズのスコットを、ブルは頭上高くリフトして歩いた。「引退にふさわしい作品、これは "ラストダンス"」とカンパニーが公開したビデオの中で、間も無く引退の時を迎えるブルは言っていた。バックスクリーンに、"繋がれた手"と"抱擁する腕"の写真が映され、スコットを背で回したり、逆さにしたスコットの脚を支えてくるくると廻したり、たくさんのなめらかな円は、このペアの22年間の様々な軌跡を思い起こさせた。<季節>
最終場面はバーを設置したカンパニーのスタジオだった。ダンサーの日常風景が舞台に現れると、満席の劇場は期せずして喝采に包まれた。<家族>

ライリーは抽象的に、トップは具象的にそれぞれの「アイディンティティー」を探求し、舞台と観客をつないた。60周年を祝うダイヤモンド・ジュビリーにふさわしい、心に響くプログラムだった。
(*マーフィー版『白鳥の湖』はイギリス王室で起きた故ダイアナ、チャールス、カミラの三角関係をモチーフにしており、ロイヤルウエディングから物語が始まる)

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The Australian Ballet "Paragon" Amber Scott and Adam Bul Photo Daniel Boud

(2023年5月2日 シドニーオペラハウス)

ダブルビル「アイデンティティー」IDENTITY
"THE HUM"
振付:ダニエル・ライリー(Daniel Riley)
音楽:デボラ・シータム=フレイロン(Deborah Cheetham Fraillon)
衣装:アネット・サックス(Annette Sax)
装置・照明:マシュー・アディ(Matthew Adey)
ダンサー(5月2日)
ココ・マティソン(Coco Mathieson)/ジル・オガイ(Jill Ogai)/イヴィ・フェリス(Evie Ferris)
キャサリン・ソネキス(Katherine Sonnekus)/リラ・ハーヴィ(Lilla Harvey)
カラム・リネイン(Callum Linnane)/ネイサン・ブルック(Nathan Brook)
ティモシー・コールマン(Timothy Coleman)/ロハン・ファーネル(Rohan Furnell)
ジョセフ・ロマンスウィッツ(Joseph Romacewicz)/ドゥリュー・ヘディッチ(Drew Hedditch)
ブリアナ・ケル(Brianna Kell)/セバスチャン・ゲイリングス (Sebastian Geilings)
カーラ・ナム(Karra Nam)/ゾエ・ウォズニアック(Zoe Wozniak)
ザカリー・ロペス(Zacary Lopez)/パトリック・オルラナイ(Patrick O'Luanaigh)

"Paragon" 『パラゴン』
振付:アリス・トップ(Alice Topp)
音楽:クリストファー・ゴードン(Christoper Gordon)
衣装:アレシャ・ジェルバート(Aleisa Jelbart)
装置・照明:ジョン・バスウェル(Jon Buswell)
映像編集:アーロ ディーン・クック(Arlo Dean Cook)
ダンサー(5月2日)
<Shimmer/Vignettes>
ベネディクト・べメイ(Benedicte Bemet)/ブレット・チノーウェス(Brett Chynoweth)
近藤亜香(Ako Kondo)/チェンウ・グォ(Chengwu Guo)/ジェイド・ウッド(Jade Wood)
ジャレッド・マデン(Jarryd Madden)/イモジェン・チャップマン(Imogen Chapman)
ジョセフ・ケーリー(Joseph Caley)
<Sentience>
スティーブン・ヒースコート(Steven Heathcote)/アダム・ブル(Adam Bull)/アダム・エルメス(Adam Elmes)/オーストラリア・バレエ団ダンサー(Artists of The Australian Ballet)
<Glow>
ルシンダ・ダン(Lucinda Dunn)/マデリン・イーストー(Madeleine Eastoe)
セーラ・ピアス(Sarah Peace)/カースティ・マーティン(Kirsty Martin)
ジェシカ・トンプソン(Jessica Thompson)/レイチェル・ローリン(Rachel Rawlins)
オーストラリア・バレエ団ダンサー(Artists of The Australian Ballet)
<Home>
リアン・ストジェべノフ(Leanne Stojmenov)and クリストファー・ロジャー=ウィルソン(Christopher Rodgers-Wilson)
<Saudade>
フィオナ・トンキン(Fiona Tonkin) and アダム・ブル(Adam Bull)
<Quake>
デヴィッド・マカリスター(David McAllister) and ポール・ノブロック(Paul Knobloch)
オーストラリア・バレエ団ダンサー(Artists of The Australian Ballet)
<Sehnsucht Couple>
マデリン・イーストー(Madeleine Eastoe) and マーカス・モレリ(Marcus Morelli)
<Vogue>
ジェシカ・トンプソン(Jessica Thompson)/ポール・ノブロック(Paul Knobloch) and サイモン・ダウ(Simon Dow) オーストラリア・バレエ団ダンサー(Artists of the Australian Ballet)
<Seasons Couple>
アンバー・スコット(Amber Scott) and アダム・ブル(Adam Bull)
<Lake Couple>
カースティ・マーティン(Kirsty Martin) and スティーブン・ヒースコート(Steven Heathcote)
ニコレット・フレイロン指揮(ゲスト) オペラオーストラリア交響楽団
(Guest conductor Nicolette Fraillon conducting Opera Australia Orchestra)

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