岸 夕夏 text by Yuka Kishi 
[2016.12.12]

ノイマイヤーの『ニジンスキー』がオーストラリア・バレエ団で上演、スタンディング・オべ−ションで迎えられた

AUSTRALIAN BALLET  オーストラリア・バレエ団
“NIJINSKY” choreographed by John Neumeier
『ニジンスキー』 ジョン・ノイマイヤー:振付

2000年に、ハンブルグ・バレエ団の芸術監督、ジョン・ノイマイヤーが振付け、自ら舞台セット、衣装、照明デザインも制作した全2幕バレエ『ニジンスキー』が、今年とうとうオーストラリア・バレエ団の演目に加わった。オーストラリア・バレエ団のデイヴィッド・マカリスター芸術監督はこの作品の公演権を手に入れるのに15年を費やし、公演プログラムの中で「夢が実現した」と記している。
ノイマイヤーの『ニジンスキー』が上演されたのは、ハンブルグ・バレエ団以外では最初にカナダ国立バレエ団、次いでオーストラリア・バレエ団となる。主役のニジンスキーのキャスティングは、ダンサーのランクは全く考慮せずノイマイヤー自身が行ったと、初日公演数日前の公開トークでマカリスターは語っている。ノイマイヤーはコールド・バレエのランクから2人を選び、プリンシパルのケビン・ジャクソンに、ハンブルグ・バレエ団のプリンシパル、アレクサンドル・リアブコをゲストダンサーとして加え、タイトルロールは4人が踊った。そのシドニー初日公演を観た。

ab1612_0221.jpg AB "Nijinsky" Kevin Jackson,  photo by Wendell Teodoro

誰もが知るような馴染みのある作品ではないため、あらすじをご紹介させていただく。
第1幕―ニジンスキーが「神との結婚」と呼んだ生涯最後の公演が、1919年スイス、サンモリッツのホテルで行われようとしていた。ニジンスキーは、観客の中にかつてメンターであったディアギレフの幻影を見て、バレエ・リュスで踊った『ハーレクイン』『レ・シルフィールド』の詩人、『シェヘラザード』から黄金の奴隷、『薔薇の精』などの思い出がよみがえる。そしてニジンスキーの妻になるロモラとの出会い、後に振付家となるニジンスキーの妹、ダンスを学んでいた子どもの頃から精神に障害の兆しをみせた兄への悲しみなどが、いく層にもなって幻影が交錯する。さらに彼が振付けた『牧神の午後』『遊戯』『春の祭典』『ティル・オイレンシュピーゲル』の回想と、ロモラの姿が幻のように交わっていく。南米公演への船中で出会った二人は結婚して、ディアギレフの逆鱗に触れバレエ・リュスを解雇されたのだ。

ab1612_0344.jpg Chengwu Guo & Kevin Jackson, photo by Wendell Teodoro

第2幕。ニジンスキーの精神は悪化していく。子どもの頃、マリインスキー劇場時代の記憶と第一次世界大戦、妻ロモラの不貞が錯綜する。大騒動となった『春の祭典』の初演と第一次世界大戦勃発の不穏な空気、兄の死などが次々と起こった。ロモラはニジンスキーの困難な時期をともに過ごしたのである。

物語は、ニジンスキーの最後となる再現舞台から始まる。初日公演のニジンスキー役は、プリンシパルのケビン・ジャクソンだった。巻き毛を耳の上から刈り上げ、短いストレートな髪にしてニジンスキーに扮したジャクソンは、白い布を身体に巻き付け、何かに取り憑かれた表情で、その瞳には常人の光りはない。踊りの中で、横たわりこぶしを口の中に執拗に押し込もうとする様は狂気そのものだ。
初日公演のディアギレフ役はプリンシパルのアダム・ブルだった。ノーブルな貴公子がはまり役のブルが、ディアギレフにキャスティングされたのは意外な感もあったが、ダークな役もこなせる高い演技力を印象づけた。ディアギレフがニジンスキーをリフトするパ・ド・ドゥがある。ディアギレフのニジンスキーへのまなざしは愛情にあふれ、ニジンスキーの表情には戸惑いがある。それを見つめるロモラの深い悲しみを湛えた瞳は印象的だ。同夜のロモラ役はプリンシパルのアンバー・スコットだった。
回想の中で様々な役を踊るニジンスキーには、別の男性ダンサーがニジンスキーの分身として踊った。『千夜一夜物語』をイメージしてリムスキー・コルサコフが作曲した『シェヘラザード』は、主題となる独奏バイオリンのエキゾチックで憂いあるメロディーが、回想の中で繰り返し奏される。立ち昇るような官能美を放つ「黄金の奴隷」。そして船中でロモラとの出会いのパ・ド・ドゥは、ニジンスキーの生き生きとした表情と躍動的な跳躍が『シェヘラザード』の音楽と見事に相まって、分裂されていく精神の病と鮮やかに対比し、心に残る美しいシーンだ。

ab1612_1203.jpg arryd Madden, photo by Wendell Teodoro ab1612_1442.jpg Kevin Jackson & Amber Scott, photo by Wendell Teodoro

ノイマイヤーは様々なカップルを見つめるひとつの視線で、天才ダンサーの壊れていく心の深淵を映し出す。ロモラとの結婚式に現れるディアギレフの幻影に、ニジンスキーは茫然とし、最後にはディアギレフの手を取る。それを見て絶望してうずくまるロモラ。ニジンスキーを抱きかかえたディアギレフが彼を振り落とすと、凍りついたように愕然と立ちつくすロモラ。ニジンスキーとディアギレフと『遊戯』の若い男のパ・ド・トロワで、ディアギレフが若い男を選んだ時のニジンスキーの哀しみと失望。立てかけてある壁がピストル音とともに一枚、一枚倒れていき、それに怯えるニジンスキーは、彼の心が一つ一つ引き裂かれていくのを象徴するようだ。

ab1612_2225.jpg François-Eloi Lavignac, photo by Wendell Teodoro

ニジンスキーの兄、スタニスラフが精神病院で死に至るまでの第2幕の冒頭場面では、家族の心の叫びがあるのみで、どこにも救いはない。ニジンスキーの妹役、ブロニスラヴァはプリンシパルの近藤だった。水兵の上着を着た溌剌とした兄妹3人での踊り、バレリーナとして成長していく姿、2幕で全身肌色のタイツで狂ったように激しく踊る近藤は、ニジンスキー役のジャクソンと呼応するように観る者の心を揺さぶる。大勢のコール・ド・バレエが横たわる中に、ポツンと立ちつくすニジンスキーと彼の分身、ぺトルーシュカの姿は、深い孤独の闇に包まれ終焉を暗示する。
ニジンスキーがあたかも水に飛び込むような場面がある。ステージの床に2回前のめりに身を投げ、そして次に背中から思いっきり倒れたときに、客席から無音の悲鳴が上がったのを感じた。

ab1612_akokondo.jpg Ako Kondo  photo by Kate Longley

舞台は最後に最終公演のホテルに戻っていく。ショスタコーヴィチの交響曲第11番(副題の「1905年」はロシアで起きた「血の日曜日事件」を題材にしている) が終楽章に向かってクレッシェンドしていく中で、ショーツと上半身だけの軍服をまとったダンサーたちは、戦争の狂気におかされたように歓声を上げ乱舞する。軍服の群舞の中を、ロモラに引かれた台車にうずくまって通り過ぎていく、ニジンスキーの空っぽの抜け殻のような姿は余りにも痛ましい。                  
ノイマイヤーは、時代に翻弄された繊細な天才ダンサーの心の闇から光を抽出し、凄愴でありながら哀しく渾然と輝かせた。そしてダンサーたちはその魂を壮絶なまでに体現した。筆者は25年間オーストラリア・バレエ団のシドニー公演を欠かさず観てきたが、シドニー・オペラハウスの観客全員がスタンディング・オベーションをするのを見たのは初めてだった。観客の怒涛の拍手とブラヴォーが今公演の素晴らしさを評価したのは言うまでもない。

 

 
ab1612_1833.jpg Kevin Jackson, photo by Wendell Teodoro

(2016年11月11日 シドニー・オペラハウス)

『ニジンスキー』全2幕バレエ
音楽:ショパン、プレリュード20番 (Prelude No.20 by F. Chopin)
シューマン、ウィーンの謝肉祭の道化(Carnival Scenes from Vienna by R. Schumann)
リムスキー・コルサコフ、シェヘラザード(“Scheherazade” by Rimsky-Korsakov)
ショスタコーヴィチ、ビオラとピアノのソナタ
(Sonata for viola and piano by D. Shostakovich)
ショスタコーヴィチ  交響曲11番 (Symphony No 11 “The Year 1905” by D. Shostakovich)
振付:ジョン・ノイマイヤー (John Neumeier)
装置・衣装、照明:ジョン・ノイマイヤー (John Neumeier )
ニコレット・フレリオン指揮 オーストラリア・オペラ・バレエ交響楽団
(Nicolette Fraillon  conducting Australian Opera and Ballet Orchestra )

配役
ニジンスキー:ケビン・ジャクソン (Kevin Jackson)
ロモラ(ニジンスキーの妻):アンバー・スコット  (Amber Scott)
ブロニスラヴァ(ニジンスキーの妹):近藤亜香  (Ako Kondo)
スタニスラフ(ニジンスキーの兄):フランソワ-エロイ・ラビニャック (François -Eloi Lavignac)
ディアギレフ: アダム・ブル (Adam Bull)
ニジンスキーの母:ディミティ・アズーリ  (Dimity Azoury)
ニジンスキーの父:ジョセフ・チャップマン  (Joseph Chapman)
バレリーナ:ナターシャ・クーシュ  (Natasha Kusch)
マシーン:クリストファー・ロジャース・ウィルソン (Christopher Rogers-Wilson)
「ダンサー/ニジンスキー」
『ハーレクイン』『薔薇の精』チェンウ・グオ  (Chengwu Guo)
『遊戯』の若い男:クリストファー・ロジャース・ウィルソン  (Christopher Rogers-Wilson )
『牧神の午後』『黄金の奴隷』:ジャレッド・マデン  (Jared Madden)
『ぺトルーシュカ』:アンドリュー・キリアン  (Andrew Killian)