ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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亀田 恵子 text by Keiko Kameda 
[2012.11.12]
From Nagoya -名古屋-

忘れ去られよとする芸能舞台を資源とした農村舞台アートプロジェクト

金魚(鈴木ユキオ)
『揮発性身体論 TOYOTA REMIX』鈴木ユキオ

「農村舞台アートプロジェクト2012」のファイナルとして、鈴木ユキオと金魚による『揮発性身体論 TOYOTA REMIX』が上演された。開催地は愛知県の北部に位置する豊田市藤岡町。明治28年に、神社の境内に立てられたという地狂言のための舞台は、一本柱の虹梁(梁の一種で、虹のようにやや弓なりに湾曲した形状に由来、コウリョウと読む)と、景観をそのまま借景として利用した構造が特徴的な野趣あふれるものだ。折りしも晩秋の夜、虫の音とともに空には上弦の月も顔を出しはじめていた。
この一風変わった趣向の屋外パフォーマンスの舞台となった愛知県豊田市は、自動車産業で知られたモノづくりの街だが、実はその約7割が森林という自然豊かな一面も併せ持つ。また、点在する農村舞台は市内に78棟を越え、この地域に舞台芸能を愛する土壌があったことを知らせているが、今は時の流れとともにほとんどの舞台が忘れ去られようとしているという。『農村舞台アートプロジェクト』では、この忘れ去られようとしている舞台の数々を、新たな文化創造の資源として活用するものだ。

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上演された作品、『揮発性身体論 TOYOTA REMIX』は、2012年2月に東京のシアタートラムで初演された『EVANESCERE』(鈴木ユキオのソロ)と『密かな儀式の目撃者』(安藤嶺菜緒ら女性メンバー4人)の2作品(約90分)からなるものを、1本(約40分)に集約したものになっていた(今回の女性参加メンバーは3人)。
シアタートラムでは、前半を鈴木、後半を安藤ら女性メンバーという構成で上演したが、TOYOTA REMIXでは、それぞれが交互に作品のピースを繋いでいく流れ。2つの作品の時間と空間が文字通り “REMIX”され、より凝縮された内容になっていたように思う。
また、今回の公演には再演・RENIXといっても、少し異なる要素が新たに追加されている。公演に先駆け、鈴木らメンバーは地元の演劇経験者(大人)と子どもたちに「自分たちの言葉をゼロからつくってみよう」というテーマを沿えてワークショップを開催、子どもたちには本公演の前に約20分のショーイングにチャレンジしてもらうという試みを盛り込んだのだ。ワークショップに参加した6人の子どもたちの中には、バレエやヒップホップ、演劇などを経験した子もいるが、全員がコンテンポラリー・ダンスの体験は初めて。鈴木らのスピード感あふれる動きや、キレ味鋭い身体コントロールに初めは戸惑ったようだが、ワークショップで体験した紙を使った遊びや、互いの動きを真似る動きを徐々にダンスに立ち上げいく様子からは、戸惑いを超えたイキイキとした躍動を感じた。 
本編は鈴木のソロからスタート。白い七部丈ほどの丸首シャツに、グレーのスパッツ、サンドカラーでややエスニック調のパターンが描かれたショートパンツというラフな衣装の鈴木は、子どもたちといっしょだった先ほどとはまったく異なる表情・・・というより、どこか得体の知れない無表情で動き出した。両腕はゆっくりと上げられたかと思うと次の瞬間には鋭く何かを振りほどくように空を斬る。両足は小さくジャンプしても床に着地するときには無音のまま。踊っているのはヒトではなく、何か別の生き物のようである。

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鈴木の次に登場した安次、堀井、赤木の3人は緑のワンピースや真っ赤なシャツが目に鮮やかで、一見すればどこにでもいる可愛い女の子といった印象だが、少し様子がおかしい。舞台左奥(舞台下)からふわりと現れるが、遠くにいる何かを伺うように客席の向こう側を凝視し、何かに不意打ちをくらって突き飛ばされたり、床に放り出されたりといった動きをくり返しているのだ。
アフタートークで鈴木は「自分が動くのではなく、何かに動かされることで生まれる動きの可能性」について語っていたが、彼女たちの動きはまさにそのような動きだった。自分の意思に関わらず動かされることへの不安や恐怖や怒りなど、そんな感覚を覚える動きだった。
クライマックスといえる鈴木の最後のソロパートでは、長いコードに繋がれた3つの裸電球が舞台上の床にぼわりと灯った。温かみのある光をそっと手に取り、様子を伺うように接していく鈴木。その姿は、暗い世界に生まれたぬくもりを慈しむようにも、戸惑いながら他者とのコンタクトを試みるようにも感じられる。やがて鈴木は、電球の1つを静かに床から取り上げると、コードを持ってゆっくりとまわし始める。鈴木の周りを輝きながら回転し続ける電球は衛星のようにも見え、舞台上に広がる世界の中心に彼がいるかのようにも感じられる。鈴木と女性メンバーの動きを交互に眺めることで、2つの作品が1つの意味を持って見えてくるから不思議だ。舞台上に広がる奇妙な世界の中心で、得体の知れない生き物の戯れが、ヒトには恐怖や不安と受け止められてしまうすれ違いの構図が浮かび上がって消えて行く。互いに理解出来ないまま、それでも成立している奇妙な世界は、実は私たちの暮らす世界とも共通する事実なのかも知れない。

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作品のタイトルとなった“揮発性”について改めて調べてみると、興味深いキーワードが浮かび上がってくる。文字通りの意味は液体などが常温のもとで気化してしまう性質をさすが、“揮発性メモリー”というものがある。これはコンピューターで使われる記憶装置の一種で、電源が供給し続けられないと記憶した内容が消えてしまうものをさす。農村舞台を地域文化の記憶装置とするなら、その記憶を伝えて行くためにはエネルギー源が必要であり、子どもたちやこの場所に関わる人たちの存在が、まさに記憶を継続するための電源になる。
鈴木は、この公演について「(前略)異質なものが出合うとき、今まで見えなかった構造の仕組みが見えてきます。私たちはこれを農村舞台の化学反応と呼んでいます(後略)」と書いているが、農村舞台が地域文化伝承における揮発性メモリーであることを浮き彫りにしたことが、その反応の1つかも知れない。鈴木によって再起動のスイッチを押された農村舞台。今後の活動に不断のエネルギーが供給されることを願いたい。 
(2012年10月21日 豊田市藤岡飯野・秋葉神社)