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三崎 恵里 text by Eri Misaki 
[2017.12.11]

マシュー・ボーンの巧みな演出、優れた音楽性が見事だった『赤い靴』、ゴメス、メアーンズの表現力と存在感が際立った

Matthew Bourne/New Adventures, マシュー・ボーン/ニュー・アドベンチャー
“The Red Shoes” by Matthew Bourne
『赤い靴』 マシュー・ボーン:振付、製作

『赤い靴』という映画をご存じだろうか。1948年に発表されたイギリス映画で、アンデルセン童話の「赤い靴」をテーマに、初めて本格的にバレエを取り入れた映画とも言われる。この映画を、『白鳥の湖』『くるみ割り人形』『眠れる森の美女』など古典バレエの画期的な解釈で知られるマシュー・ボーン(Matthew Bourne)が舞台化したものがニューヨークで公演された。踊ったのはボーンのカンパニー、ニュー・アドベンチャーだが、主役を同カンパニーのプリンシパルのアシュリー・ショウ(Ashley Shaw)とドミニク・ノース(Dominic North)とアメリカ人バレエダンサーのサラ・メアーンズ(Sara Mearns、ニューヨーク・シティ・バレエ)とマルセロ・ゴメス(Marcelo Gomes、アメリカン・バレエ・シアター)とが分け合って上演された。イギリスでは連日満員御礼だったというこの舞台、さてニューヨークでは?

ny1712b_02.jpg Ashley Shaw 'Victoria Page'.
Photo by Johan Persson

ドラマチックな音楽と共に舞台の奥から緞帳が前にせり出してきた。少し開かれた幕の間で黒いレオタードと黒いタイツに赤いポアントを履いた女性が踊る。彼女の顔は見えず、赤いポアントにのみ照明が当てられている。彼女が消えると同じ幕からプリマ・バレリーナのイリーナ・ボロンスカヤ(ミケラ・メアッザ/Michela Meazza)が現れて踊り出し、あるバレエ団の公演となる。時は1940年代、ロンドンのコヴェント・ガーデンの舞台。大げさな表情の演技が20世紀半ばのバレエを再現している。バレエが進むうちに巧みに舞台の前後が替わって、ステージの背景が客席となり、そこにパトロンとヴィクトリア・ページ(アシュリー・ショウ、サラ・メアーンズ)が座っている。カンパニーのパトロンである叔母ネストン夫人に連れられて、夢を追うような表情で舞台に上がってくるヴィクトリア。あっという間の舞台セットの転換で、舞台の後のレセプションの場となる。このレセプションでネストン夫人は、姪を何とかこのバレエ団に入れるためにサプライズ・オーディションを仕組んでいた。興行主のボリス・ラーマントフ(サム・アーチャー/Sam Archer)は緑色のロングチュチュで現れたヴィクトリアを見て、サプライズ・オーディションと知って席を立とうとするが、ネストン夫人になだめられて渋々とヴィクトリアの踊りを見るうちに、その美しさに惹かれる。しかし、それを他人には見せず、その時にピアノを弾いていたピアニストのジュリアン・クラスター(ドミニク・ノース、マルセロ・ゴメス)に名刺を渡して去る。

翌日、劇場でのリハーサルの中に、ヴィクトリアとジュリアンは居た。ヴィクトリアはコール・ド・バレエに混じり、ジュリアンは昨夜貰った名刺を手にラーマントフに会いに来たものの、いきなりカンパニー・ピアニストとしてリハーサルの伴奏をさせられていた。ヴィクトリアは不安げに一人で練習し、ジュリアンは興行主に会えぬまま振付家に虐められ、慌ただしいリハーサル中にありながら、インスピレーションを得て自分なりに構想を練っていた。そんな二人をそれぞれ、ラーマントフは何も言わずに見ていた。それを見て気落ちしたボロンスカヤは、コール・ドの一人とぶつかり怪我をしてしまう。
モンテカルロに到着した一行は、ダンサーたちが水着姿でヴァケーションを楽しむ一方で、新作『赤い靴』に取り掛かった。呼び出されたヴィクトリアは主役に抜擢されたことを知る。そしてジュリアンは新作の音楽を任される。場面はそのまま『赤い靴』のリハーサル風景に移り、そしてそのまま本番となる。

ny1712b_03.jpg  Ashley Shaw 'Victoria Page'.
Photo by Johan Persson

『赤い靴』は真っ赤なダンスシューズに魅せられた少女の物語。恋人と街に遊びに来た少女は、ふと見た赤い靴に魅せられ、靴屋と一緒に行ってしまう。恋人が町中を彼女を捜す中、少女は赤い靴を履き、赤いガウンのドレスで現れ、活き活きと踊る。やがて、足が言うことを聞かなくなり、彼女は振り回される。靴屋が背後で踊り狂う。苦しむ少女は恋人と会いたくても会えない。疲れ果て、途方に暮れた彼女は靴屋に助けを求めるが相手にされない。教会の葬列に行き合い、牧師に救いを求めてやっと靴を脱がせてもらう。少女はほっとしたようにその腕の中で息絶える。
観客からの拍手喝采に大成功したことを知るヴィクトリアは、既に恋人関係となっていたジュリアンと抱き合って喜ぶが、そんな二人の姿を見て、ヴィクトリアに思いを寄せていたラーマントフは呆然とする。嫉妬したラーマントフはジュリアンに辛く当たるようになり、二人はカンパニーを去る。
6ヶ月後のロンドンのイーストエンドで、ジュリアンとヴィクトリアは安っぽいギグに出演していた。レベルの低いダンスパートナーや、ちょっかいをかける他の出演者、小さすぎる衣裳などにイライラするヴィクトリアは観客席にラーマントフを認めパニック状態に陥る。
しかし、ラーマントフは主要ダンサーを失ったことに苦しんでいた。劇場の緞帳が半回転すると、赤いローブを着て自室でイライラするラーマントフが現れる。更に緞帳が半回転すると、ヴィクトリアとジュリアンの部屋となる。夜中に起きて作曲を始めるジュリアン。ヴィクトリアはそんな夫を受け入れてはいるが、自分自身の道を歩む決心をする。トランクの中から赤いポアントを取り出し、それを履いてジュリアンに相対する。妻の決意を止めようとするジュリアン。愛と夢とのジレンマに夫婦は泣く。そしてある日、ヴィクトリアはラーマントフの前に現れる。
舞台いっぱいにダンサーたちのモダンダンスが展開する。赤い靴を持っている靴屋は実はラーマントフ。赤い靴の虜になったヴィクトリアは既に赤い靴に赤のガウン姿になっている。 『赤い靴』の舞台に似せて、人間の夢が織りなす悲劇が描かれる。名声が忘れられないダンサーのヴィクトリア。劇中劇の恋人の立場に立つのはジュリアンだ。再び赤い靴を履いてしまったヴィクトリアは二人に助けを求めるが、ラーマントフは立ち去り、ジュリアンは締め出される。夫を追ううちにヴィクトリアは列車に轢かれてしまう。通りかかった牧師に救い上げられ、駆け付けたジュリアンに赤い靴を脱がせてもらい、夫の腕の中で息絶える。ヴィクトリアを殺してしまった踊りの魅力と名声への憧れ。赤い靴を両手に持って号泣するラーマントフの姿を最後に終わる。

ny1712b_04.jpg Dominic North 'Julian Craster'.
Photo by Johan Persson
ny1712b_05.jpg Marcelo Gomes 'Julian Craster'.
Photo by Lawrence Ho

非常に詳しい舞台の説明となったが、これほどに詳細に物語を伝える舞台であった。舞踊劇であると同時に、芝居としても丁寧に演出されており、見れば見るほどに内容が伝わってくる。そうしたことがダンス愛好家のみならず、一般客を多く呼んだと思われ、2週間の公演の間に観客はどんどん増えて、上演したシティ・センターは通常二階席までしか開けないのだが、最終日には最上階の四階まで満席になっていた。アメリカでも満席御礼が実現したと言える。

しかしながら、踊りとしてこの舞台を観た場合は、正直なところ首を傾げる点が多かったと言わなければならない。まず、ボーンのカンパニー、ニュー・アドベンチャーのダンサーのレベルである。正直なところダンサーの体形と技量は、ショーとしては通用するレベルには達しているものの、バレエとして見るとなんとも物足りない。今回はニュー・アドベンチャーの、アシュリー・ショウとドミニク・ノースが主演する舞台とアメリカ人のサラ・メアーンズ(NYCB)とマルセロ・ゴメス(ABT)の主役の舞台を観たが、私個人としてはアメリカ人の主演の方が格段に良かった。なんといっても、テクニック、表現力、存在感のレベルが全く違うと思われた。ショウとノースはともすれば他のキャストと同等のレベルに留まってしまい、舞台の上で誰が主役なのか、何が起こっているのか、分からなくなってしまう場面が多かった。その点、アメリカ人ダンサーの場合は、特にゴメスが著名な存在であることも大きく影響したが、メアーンズのテクニックの強さと肢体の美しさ、ゴメスの威厳のある演技と強い存在感で物語が克明に、印象強く語られた。二人とも見ていて思わず「旨い!」「良い!」と言わせるものがあった。メアーンズはNYCBの舞台ではあまり印象に残らなかったダンサーだけに、その表現力の豊かさに驚いたが、一番驚いたのは彼女自身ではないかと思われた。私が見たアメリカ人ダンサーのキャストの最後の舞台のカーテンコールでは、メアーンズは涙が止まらない様子であった。

ny1712b_06.jpg Sam Archer 'Boris Lermontov' and The Company.
Photo by Johan Persson
ny1712b_07.jpg  Sara Mearns 'Victoria Page' and company.
Photo by Daniel Coston

ボーンの製作の面から見た時、土台となった映画に非常に忠実に作っているが、それが却って邪魔をしている部分もあったと言える。この映画を知っていれば、ショーの随所に込められたジョークや微妙なニュアンスが理解できるが、映画を知らない若い世代や見たことがない人には、強烈なストーリー・バレエであるにもかかわらず、何が起こっているか分からない、という印象を抱かせた。例えば最後に汽車が登場してヴィクトリアが大怪我をしてしまうのも、映画を見ていれば、夫を追って走るヴィクトリアが列車に気づかず飛び込んでしまったと分かるが、見ていなければ何故いきなり汽車なのか、チンプンカンプンだったと思われる。また、抽象作品びいきのアメリカ人の中には、「ツー・マッチ・ストーリー(ストーリーに傾きすぎる)」と冷ややかに見る向きもあった。
ただ、全体にしっくりかたまっているのは、ボーンの無難な振付(無理な冒険がない)と、優れた音楽性、巧みな演出の成果と言えるだろう。特に音楽には非常にこだわったようで、一つの場面のストーリーを一つの曲の中にぴっちりとまとめ上げ、無理なく芝居と踊りがブレンドされて、音楽が終わった時その場がぴたりと終わる。そして小気味良い場面の展開。どこにもだれたり、必要以上に引き延ばしたところがなく、しかも随所にジョークを挟んで観客を爆笑させる。さくさくと踊りと物語が進んでいくのだ。唸ってしまったのはセットの素晴らしさ。豪華絢爛でもなく、時に抽象的なセットを使い、振付の中でダンサーたちがどんどんセットを動かして次の場面に繋いでいく。特に緞帳のセットは終始使われ、頭の良い操作で一つのセットがいくつもの場面を作り出した。一つやられたと思ったのは、劇中劇の『赤い靴』が終わった時に、会場の観客から出た拍手に音響の割れんばかりの拍手を重ね、いかにも劇場が拍手喝采に湧いているように見せて、観客がさらに拍手を続けるように仕向けられたこと。ボーンの茶目っ気たっぷりの演出である。

バレエとしては決して満足できる舞台とは言えなかったが、例えばブロードウエイ・ショーとして、主役をとっかえひっかえバレエのスターを起用すれば、それが話題にもなれば観客も呼んで、ロングランの可能性があると思われた。流石はマシュー・ボーンのしたたかな制作であった。
(2017年10月26日、11月5日夜 New York City Center)

ny1712b_01.jpg THE RED SHOES. Ashley Shaw 'Victoria Page' and Sam Archer 'Boris Lermontov'.
Photo by Johan Persson