ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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●「コウ & エッジ Co.」

10月6日から8日まで、舞踏家の室伏鴻が、若手ダンサー目黒大路・林貞行・鈴木ユキオを率いて結成したユニットKo&Edge Co.で、『美貌の青空』を、ジャパン・ソサエティーで上演しました。室伏鴻は、暗黒舞踏の大駱駝鑑の創設メンバーです。常に舞踏において、肉体と表現のEdgeに立つことを追求してきました。

室伏は、70年代後半からフランスを本拠地に活躍する女性舞踏グループ・アリアドーネ(カルロッタ池田:主宰)の、指導者、創作者で、その後世界に名を知られた舞踏家です。なぜそんなに舞踏が世界で受け入れられていったのか、以前から大変興味がありました。舞踏は特異的で、日本から生まれたコンテンポラリー・ダンスとして、世界中に広まっていきました。前に、大駱駝鑑の公演を見たときに、「これは、とても日本的で、日本からしか生まれてこないダンス創作だ。日本らしい湿っぽいエログロだ」と感じて、びっくりしてしまいました。日本が誇る、世界に通用する、独自のダンスの文化だと思います。オリジナリティーが強いです。

初めて室伏の舞踏を拝見しましたが、彼は、長年、舞踏の猫背の姿勢をやりすぎたためかどうかわかりませんが、かなり猫背の方でした。多分、毎日毎日、舞踏のやり続けたせいではないかと感じました。それほどにまで彼は舞踏に没頭していたのでしょうと思うと、それだけで感動を覚えました。舞台にたたずんだだけで、存在感があふれている方です。

振付は、ダンスのテクニックは全くと言っていいほど使っていないし、難易度の高い踊りではないですが、痙攣したり、苦しそうな表情をしたり、たたみのような大きさの重たい真鍮板を持って動いたりしていました。人間の苦悩、悲しみを表現しているようでした。観ていて楽しくなったり気持ちが良くなったりする楽しめるダンスとは対照的で、観ていると気分が悪くなって、どこか自分の隠れた感情をかき回されるような不快感がこみあげてきます。

舞台後の、室伏のインタビューがとても興味深くて面白かったです。アメリカ人の観客たちは様々なことを彼に質問していました。観客の反応や受け取り方も面白かったです。その模様をすべてメモしてきたので、まとめて書きます。


―――舞踏とは何ですか?クラスはどのように学ぶのですか?また、どのように振付をするのですか?

室伏:舞踏は、50年の歴史があります。ジェネレーションは、3から4世代になっています。特徴は、テクニックを持たないことです。実は、テクニックなしで踊るのは、至難の業なのです。方法なき方法は、多分、最も難しいことです。そのため、舞踏に関して学校はありません。今では、舞踏には様々な流れ、流派があります。私は、単独で、学校はありません。流派によって、それぞれのグループで、しっかり学校のようにやっているところもあります。あるところは、訓練の一環として畑を耕しているし、あるところは神秘主義みたいなことをやっています。

―――気分が悪くなって、座って見ていられませんでした。あまりにも奇妙なので。公演場所によって、観客の反応は違いますか?

室伏:ニューヨークは率直な反応ですね。日本のお客のほうが、とてもおとなしいです。ルーティンワークを外すという行いが、ダンスにはとても重要だと思います。

―――舞踏すべてに共通することは何ですか?


室伏:実験的精神を欠いてしまってはいけないと思います。同じことの繰り返し、システムになってしまっているものも多いです。私の意見では、(舞踏と呼ばれているもののうち)ごく少数のものを舞踏と認めます。

―――舞台とは? あなたにとってどんなスペースなのですか?

室伏:踊るためのスペース。ボディーランゲージで、体を通じてコミュニケーションする場所。

―――選曲が面白かったです。

室伏:舞踏にとって、音楽は重要です。現代は音楽から拒絶されてしまっていると感じます。なぜなら、ポップミュージックはみんな同じ、アフリカでも全く新しい音楽がないでしょう?舞踏では、音楽はとても自由です。

―――真鍮板は、重たくないですか?


室伏:真鍮板は、とても重たいです。それを持って、即興で動いてみたりして、振付けました。

―――どうやって振付けるのですか?

室伏:私は、振付の形よりも、体そのものが動きを要求しているということが分かる表現に、向かってきました。ダンスは体でやるものなので、とても正直でダイレクトなものです。いくら着飾ってかっこよく見せようとしても、お客さんに見ぬけられてしまいます。ブロードウェー・ミュージカルを観に行くお客さんとは違う人たちが、私たちのお客さんであります。舞踏の先輩たちである大野や土方らは戦争を体験していますが、私は戦争を体験していません。舞踏でも、時代が変わってきています。世代を超えて、身体というものは抑圧を受けます。抑圧が過剰なものが肉体です。その過剰なものを、「どうしたらいいんだい?」というのが、ダンスなのだと私は思います。だから、時代が違っても、肉体というものは変わっていないと思います。