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●インタビュー「ABT:プリンシパル アンヘル・コレーラ」

アンヘル・コレーラ/1975年11月8日生まれ、29歳。スペイン・マドリード出身、身長178センチ。パリ・国際バレエ・コンクールでグランプリと金賞を同時受賞

―――ABTに入る前に、パリ・国際バレエ・コンクールで受賞したときのことを聞かせてください。

コレーラ「19歳の時に、パリの国際バレエ・コンクールに出て、グランプリと金賞を受賞しました。 これは、プロフェッショナル用の国際コンクールで、モスクワ、ニューヨーク、パリの3箇所であります。 当時、僕はバレエをやめようかと考えていて、やめる前にコンクールに出てみようと思い、気楽な気持で出ました。 もともと僕は、順番をつけるコンクールとかはあまり好きじゃないのです。バレエを辞めて、ちょっとした日曜大工になろうかなと悩んでいた時のことです。 大工よりも、もうちょっと細々したものを作る仕事です。もともと、大工仕事も大好きなのです。バレエをやめるつもりでコンクールに出たのに、 ほら、何が起こったことか! なんとグランプリと金賞を受賞してしまいました。 それで、現在のABTの芸術監督のケビン・マッケンジーが呼んでくださって、ニューヨークに来て、ABTに入りました」

―――バレエをやめようと考えていたなんて! やめる気で出たらグランプリと金賞を受賞するなんて、あなたにとってバレエは運命だったのでしょうね! やめてはいけなかったのですよ。バレエはどんな学校で何歳くらいから学び始めたのですか?

コレーラ「バレエは8歳から習い始めました。コルメナール・ビエッホという学校で、週3回のレッスンでした。もともと、男の子だからということで、母親は僕に空手を習わせましたが、稽古場で少年が鼻を折って鼻血を出しているのを見て、恐ろしくなってすぐにやめました。そして、姉のカルメン(同じくABT所属バレリーナ)が習っているところに、僕は母親とレッスンを観に通っていました。それで、レッスンの様子をジーッと観察して見つめていました。ある日、僕はレッスン場でバレエの回転(ピルエットなど)をやってみると、いきなり最初からクルクルと見事に回ることが出来たのです。それを観た先生がびっくりして、「この子は一体、何? 習わないのに回転が出来るなんて、この子は天才に違いないわよ!」と言ったのです。それがきっかけで、僕もバレエを習い始めたわけです。僕の姉もABTにいます、すごく背が高い人」

―――お姉さんのカルメンは、そんなに背が高いのですか?

コレーラ「高いよ! 僕と同じ身長だもの。178センチ。姉はモデルになることも周りに勧められていたけれど、彼女はバレリーナになりたかったのです。モデルとバレリーナの両立は不可能です」

―――ところで、スペインでは、男の子たちは、皆サッカーをしますよね? マッチョな国なので、男の子なのにバレエをやっていたら、変な目で見られませんでしたか?

コレーラ「はい。僕は実はね、17歳になるまで友人が一人もいなかったのです。男の子でバレエをやっている人がなかったので、一人だけ浮いていました。いつも、近所の男の子たちが大勢、僕に石を投げてきました。だから僕は毎日、石にぶつからないように、学校から家まで走って帰らなければなりませんでした。でも、僕はバレエが大好きだったので続けました。僕の唯一の表現方法なのです。母はバレエやオペラが大好きだったので、僕がバレエをやっていることをとても喜んでいました。父は、やめてほしかったようでした」

―――そこまでつらい思いをしてまでバレエを続けていたのですか? 友達だちが一人もいなくて、寂しい思いはしませんでしたか?

コレーラ「一人の人間が、最初からあるものを持っていない時、それを持つことがどんなに素晴らしいかとかは、分からないものなのです。それを持っていて、ある日失ったら悲しいかもしれないけれど。僕の場合は最初から友だちが一人もいなかったので、それが当たり前なので寂しくなかったのです。毎日バレエに打ち込んでいました」

―――壮絶な子供時代ですね。それでバレエのクラスに通った後、どこかのバレエ・スクールに入ったのですか?

コレーラ「マドリッドにあったヴィクトール・ウリャーテというバレエ・スクールに、11歳で入学しました。ここには18歳まで通いました。今はもう無い学校です。当時、スペインにはいいバレエ学校が、マドリードとサラゴサにありました。寮に入って親元から離れて勉強している学生が多かったけれど、僕はマドリードの近くに住んでいたので、自宅から通いました。朝から4時までバレエ学校で授業を受けて、夜8時から通常の学校に通いました。それはとても大変で、きつかったです。毎日ヘトヘトでした。このバレエ・スクールのカンパニーに14歳で入団して、19歳でやめました。当時は僕たち家族はマドリード近郊に住んでいましたが、両親はその後バルセロナに引っ越してもう7年になります。だから、今の僕の帰省先はバルセロナです。両親は、バルセロナにバレエ用品の店を開いたのです。ホテル・リッツの側。その店がとても成功したので、今ではマドリードのテアトロ・レアル(レアル劇場)の近くにももう1軒お店をオープンしました」

―――バルセロナはいい所ですよね。私がスペインで一番好きな場所です。芸術的な街だし、食べ物も美味しいですよね。ユーロで統合されたから、今後はヨーローッパの中心的な街になるでしょうね。フランスもイタリアもすぐ近くですしね。

コレーラ「はい。バルセロナはとてもいい所です。 ガウディーの建築物が街中にあるしね。芸術を応援する雰囲気が好きです。実はね、進行中の僕のプロジェクトがあるのです。 バルセロナの近くで、1時間くらい離れたフランス国境の近くのサン・フェリウという街に、バレエ・スクールを創立する予定なのです。 「ラ・エスクエラ・デ・アンヘル・コレーラ」というような、僕の名前を付けたスクールで、名前はまだ決定していないけれど、実はもう土地を買ってあります。 最初はまず、4年前に、僕の財団を作りました。スペインにはバレエ団が一つも無いので、僕はぜひ、スペインにバレエ団を創りたかったのです。 そのために、素晴らしいバレエ学校を創りたいのです。パリのオペラ座やイギリスのロイヤル・バレエ・スクールをモデルにした本格的なバレエ学校を目指しています。 バレエ教育だけでなく、演劇、化粧、批評など、トータルな授業を行いたいです。そして、学校と共に、バレエ団も創設したいです。バレエ団の名前もまだ決まっていません。 「ロイヤル・バレエ・デ・エスパーニャ」とか、「コンパ二―ア・インテルナシオナル・デ・アンヘル・コレーラ」などを考えています。 それを実現させるため、市長など多くの人に働きかけて支援していただき、資金も集めました」

―――すごいですね。感動しました。あなたは熱意に満ちた、熱い男ですね!

コレーラ「そうです。母国のスペインに何かをしてあげたいと思います。僕は去年の9月から、ローレックスの新しいイメージモデルになりました。スペインの学校とバレエ団が出来る前に、一時的な自分のカンパニーを創りましたが、ローレックスがスポンサーになってくれました」

―――良かったですね、すごいじゃないですか、ローレックスのイメージモデルだなんて。あなたは、バレエ人生でも今が旬ですね。 35歳くらいまでは、現役で踊っていてほしいですが、引退したらスペインのバレエ学校とバレエ団のディレクターとして力を入れるのですか?

コレーラ「はい。ダンサーにとって、30から35歳は黄金期です。20代のような体力は無いけれど、精神面では成熟してきている年代だから、表現が深まる時です。だから、僕は気をつけながら、36歳くらいで現役を引退しようと考えています。そしてスペインに戻って、自分の創ったバレエ学校とバレエ団のディレクターとして活動します」

―――好きなバレエ作品は何ですか?

コレーラ「それ、いつも聞かれますが、答えるのが難しい質問です。3人の子供のうち、誰が一番好きか答えるのと同じようなものです。それぞれの作品に良さがあるから。僕はほとんどの有名な振付家の作品を踊りましたから。ロメオもいいし、ドン・キホーテもいいし。今後踊ってみたい作品は、オランダ人振付家のハンス・ファン・マーネンと、マッツ・エックのものです。最近観た作品で好きなものは、ニューヨーク・シティー・バレエの、ウィールドン振付の、『アフター・ザ・レイン』です」

―――踊っている時は、どのように感じていますか?

コレーラ「僕自身が、僕の精神とコネクトしている状態です。身体のことは全く感じなくなります。まるで身体が無くなったかのように何も感じないのです。その時は、僕の魂(霊魂)だけを感じています。いつもすべて忘れて、忘却の境地で踊っています。バレエは、僕にとって「僕が誰であるか」を表現する、一番いい方法なのです」

―――日本のファンに一言お願いします。

コレーラ「日本は縁が深くて、毎年1か2回行きます。日本でのショッピングが大好きです。日本人は、能率よく動くので好きです。それは、スペイン人には無い面ですから(笑)。ところで、7月か8月にまた日本に行く予定ですが、『ドン・キホーテ』や『ライモンダ』を踊る予定です。皆さん、ぜひ観に来てください」