ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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 今年のニューヨークは涼しく、冷夏の様子です。暑い日は今まで数えるほどしかありません。自宅ではまだクーラーは使っていない状態です。日本は猛暑で大変だそうですね。 さて今月は、2000年にローザンヌ賞を受賞して注目されたアメリカン・バレエ・シアター(ABT)の加治屋百合子さんに、インタビューをしました。とてもやさしい感じで、気さくで率直な方です。今後の活躍も楽しみです。陰ながら応援しております。また現在、インターナショナル・ダンス・フェスティバルが1ヶ月間に渡って開催されており取材続行中なので、こちらは来月にレポートをいたします。そして、ブレイクダンスとヒップホップの発祥の地サウス・ブロンクスのハンツ・ポイントで、ヒップホップダンスとブレイキングのクラスを受けてみました。全米で最も危ないとされていた地域で、夜は歩けません。でも、これぞ本物のヒップホップを習ってみたかったのでチャレンジングに行ってみました! 感想は・・・体がきつかった!!! また時々行ってみます。

●加治屋百合子さん(ABT)インタビュー

―――バレエを始めたきっかけはなんだったのですか?
 私立の大きな幼稚園に通っていた頃、鼓笛隊で踊る女の子になりたかったのに私は指揮者になってしまって、その頃から踊りに興味がありました。
園長先生が私の両親に、「バレエをやらせたらどう?」と薦めてくださって、母親も私にいろいろな事を体験させたいと考えていたので、バレエを習い始めました。
その頃から私は踊ることが大好きでした。
小学校の時は、お琴、塾、ピアノなど習い事をたくさんしていて、バレエは週1回だけのお遊びのようなものでした。


―――日本ではなく、中国・上海の舞踊学校に行ったいきさつは?

 10歳(小学校4年生)の時、父が上海に転勤になりました。
その時に父が「小さいうちから自分の専門分野を追求して極める人生はいいかもしれない、上海にいい舞踊学校があるからそこに入学するのはどうだろうか?」と提案してくれたので、私も父と一緒に上海に付いて行って、上海市舞踊学校に入りました。
でも結局父は1年で帰国したので、それから後は、私は一人で上海に残りました。

中国の舞踊学校の学生は、何千人という大勢の子供の中から選ばれるので、もともと才能や体格がバレエに向いているエリートばかりなのです。
私は留学生だったから無条件で入学したので、入ってからが大変でした。
先生が親に、「この子は1ヶ月もたない思う。辞めたほうがいいのではないか」と言っていたのですが、
私は負けず嫌いだったので途中で帰りたくはありませんでした。
入って3ヵ月後に母が「帰ってきたほうがいいと思う」と私を止めに来ましたが、私は、それでは自分が負けたことになる気がしたので「ここに残りたい」と言いました。
「やり始めたことは最後までやりとげる」という自分の考えが強かったからです。

それからは自分との戦いでした。
周りの選ばれた学生たちに比べて体格にハンディーがある分は、練習の量と努力で補いました。
朝は人よりも早く起きて行って、夜は人より遅くまで残って練習し続けました。

―――学生生活はどんな様子でしたか?
 10年前の上海は何もありませんでした。
例えば学校では、手で洗ったり洗顔や歯磨きをする水を、4階の自分の部屋まで汲んでこなければならないし、ネズミも出るし大変でした。今の自分にやれといっても不可能です(笑)。
中国の舞踊学校へ入った時点で、最初からプロになるための教育がされます。
先生も棒でたたいて教えて回る、とても厳しい教え方をします。
私はプロになるという意識が強くありました。幼い頃からしっかりしていたし、精神的にも強かったです。
学校の中に寮があるので、週末までは外に出られません。授業は朝の6時半から夜までです。
学校は10歳から16歳まで6年間通いました。

―――ローザンヌ国際バレエコンクールに出た時はいかがでしたか?
 ローザンヌは、各学校から4人までしか出ることが出来ません。
私は努力が実って、13歳から学校代表で中国のコンクールに出始めて最優秀賞も受賞していたので、卒業の年に「ローザンヌに出たい」と学校に申し出ましたが、最初は「ダメだ」と言われました。
学校側としては,中国人を出させたかったからです。
とうとう学校の生徒の中でローザンヌ出場の選抜会をすることになり、先生達の審査の結果、私は4人の中の一人に入ることが出来ました。
コンクール前は、朝6時半から夜9時くらいまで、毎日練習に明け暮れました。
ローザンヌは毎日楽しかったです。
始まる前はどんなものか不安でしたが、第1次審査が終わった後、だいたい周りの雰囲気がつかめて、自信が出てきました。
あれだけ努力してきたのだから大丈夫だという自信です。
第2、第3次審査の時は全く緊張しませんでした。そしてローザンヌ賞を受賞できました。
その審査員の一人が、現在のABTの団長のケヴィン・マッケンジーです。
まだ人生始まったばかりですが、この人生の中で、「どれだけ努力すればどれだけ返ってくるか」ということを学びました。

―――ずっと先の将来は、振付家や指導者として転向することは考えていらっしゃいますか?また、クラシックだけでなく他のダンスの分野にも興味はありますか?
 できるだけバレリーナとして現役で長く踊りたいと考えています。
まだ若いので、将来の転向までは見えていません。
今までにコンクールに出場する15歳前後の人に特別指導をしたことはありますし、オフシーズンはバレエスクールで小さな子供にも教えています。
バレエ用品のモデルもしています。
もちろん、コンテンポラリーも踊る機会はあります。
去年のシティーセンターの公演では、マーサ・グラハムの作品で主役を踊りました。

加治屋百合子さんプロフィール
1984年6月25日名古屋生まれ
上海市舞踊学校卒

2000年にローザンヌ賞を受賞後、スカラシップを得てカナダのナショナル・バレエ・スクールに1年間留学。

2001年にABTのスタジオカンパニーに入り、
2002年6月のシーズンからABTに正式に入団。