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説得力があった<ハンブルク・バレエ>の『ニジンスキー』

  2月19日から22日まで4回のみ、シティーセンターで、ハンブルク・バレエの『ニジンスキー』の公演が行なわれました。 1973年から現在まで、振付、芸術監督はジョン・ノイマイヤーが務めています。彼はミネソタ州ミルウォーキー生まれ で、幼少時からダンスのトレーニングを受け、やがて本格的にコペンハーゲンとロンドンの英国ロイヤル・バレエ・ス クールでバレエを学びました。その後、ウィスコンシンの大学で、英文学と演劇を学び、学士を取りました。1978年に は、スクール・オブ・ハンブルク・バレエを創立しています。

 道理で納得、インテリの彼だからこそ作り上げることが出来た、当時の第一次戦争の時代背景と、同性愛、結婚、妻、ニジンスキーが狂っていった複雑な原因を織り交ぜた文学的な作品だったのです。その上、テロの仕返しや戦争を仕掛けた現代のこのアメリカに、しかも9.11テロがあったニューヨークに、ナチとヒトラーが出たドイツからこの内容を持って来たということは、仕組んだようにタイムリーでミラクルです。ドイツのバレエ団が演じているので余計に説得力があります。それに、バレエを観劇する層は必然的に経済的に余裕のある人達ですので、ニューヨークでの観客はジューイッシュが多いのです。ナチの出たドイツからやってきたバレエ団が、ナチに迫害されたジューイッシュの多い観客に向けて、戦争がテーマの作品を、戦争を仕掛けているアメリカに示したのです。同性愛についてもサンフランシスコではアメリカで初めて、まだ合法的に承認されていないとはいえつい数日前から市が同姓婚を認める証明書を発行していて、 3000組以上の同姓カップルが結婚したことは話題になっています。まだまだゲイについての情報は社会から隠されていて、一時的な病気や悪習慣だと思い込まれていますが、生まれ付きそういう人達もいるのだということを当たり前に受け容れる社会が早くやってくれば、みんな仲良く屋っていけると思います。観た直後はノイマイヤーについて知らなかったのですが、同行した友人と私は、「この作品を作った監督は、頭で論理的に理解してこんな深い作品を生み出したのか、それとも論理は分からないけれども無意識で感覚的に作り上げたのか、どちらなんだろう?」と講じていました。おそらく前者でしょう。

 ニジンスキーは、1889年キエフ生まれの伝説的ダンサーで、ロシア・バレエ団を率いる団長であるディアギレフに見出され、1909年のパリ公演に出演します。そして瞬く間にパリで時代の寵児になり、文化人達はニジンスキーの才能の虜になりました。画家ピカソや詩人ジャン・コクトー達はニジンスキーと親しく、ピカソは彼のために衣装をデザインしたこともあります。バルセロナのピカソ美術館で、ピカソがデザインしたニジンスキーの衣装を観たことがあります。彼は1919年1月が最後の舞台になり、精神病を発病し、次第に狂っていって、1919年から1946年までずっと病院に閉じ込められていました。そして1950年にイギリスで亡くなりました。ニジンスキーの名前は、私が師と仰いで尊敬するコクトーの周辺でよく出てきていたので、ずっと憧れていました。現代のダンサー達にも多大な影響を与えた人です。デヴィッド・ボウイが無名時代に弟子入りしたロンドンの伝説的ダンサーであるリンゼイ・ケンプも、ニジンスキーに憧れていたほどです。そんなニジンスキーを題材にしたバレエが現代に蘇るなんて、絶対に見逃せないと思って観に行きました。

 一人の日本人のソリスト、ハットリ・ユウイチさんが出演していました。彼は小柄ですが、それをよく生かした、目立つ役柄と振付でした。
作品は2幕からなり、もう今回は振付自体が気にならないほどに、内容のほうが目立って訴えかけてきました。昔の映画のシーンのように、背景の一部として後ろのほうでダンサー達が動いていることが多かったので、観ているほうはそれを絵としてとらえました。ニジンスキーの最後の舞台となった1919年1月19日のスイスのホテルでの公演の様子から舞台は始まり、次第に彼の記憶を辿っていく構成です。ロシア・バレエ団の団長であるディアギレフと、彼の愛人だったニジンスキーという設定で、求愛するディアギレフをニジンスキーは受け容れたり、逃げようとしたりをくり返し、彼ら2人の葛藤と、だんだん親しく恋人になっていく様子と男色を第一幕では描いていました。後に彼の妻となったロモラと、恋人ディアギレフの間を行ったり来たり葛藤を続けるニジンスキー。

 第2幕では、ニジンスキーの子供時代、家族、学校の記憶と、第一次世界大戦のビジョンを織り交ぜて重ねていました。大勢の兵隊(ミリタリーの上着と下着状のパンツ)がでてきました。お兄さんの死も。妻のロモラはニジンスキーと、悪くてつらい時期を一緒に過ごしました。ニジンスキーの内部がドロドロに壊れていき、精神がおかしくなっていく様子が描かれていました。ハットリ・ユウイチさんは、ニジンスキーの精神の狂気の部分の分身を踊りで表現していた様子です。
 全体に、迫力のある激しい踊りが多かったです。最後は、ニジンスキーの最後の公演の踊りのシーンに戻り、終わりました。