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アンジェラ・加瀬 text by Angela Kase 
[2009.02.10]

イングリッシュ・ナショナル・バレエ ロンドン・シーズン『マノン』

ENGLISH NATIONAL BALLET : MANON イングリッシュ・ナショナル・バレエ『マノン』

  イングリッシュ・ナショナル・バレエ(ENB)の冬のロンドン公演は、12月中旬よりトラファルガー広場近くのコロシアム劇場にて3週間に渡って行われ た。演目は『眠れる森の美女』、『くるみ割り人形』と、同団体が今シーズン初挑戦したケネス・マクミラン振付の『マノン』であった。
『マノン』といえば、マクミランが英国ロイヤル・バレエ団のために振付けたドラマティック・バレエの最高傑作の一つ。世界のトップ・ダンサーたちが最も踊 りたがる作品の一つであり、ロイヤル・バレエ以外にもABTやマリインスキー・バレエ団、ウィーン国立バレエ団、日本の新国立劇場バレエ団といった世界の 著名バレエ団の上演演目になっている。

 ENBの現芸術監督はウェイン・イーグリング。日本の若いバレエ・ファンもフェリとイーグリング共演の『ロミオとジュリエット』のDVDは見ておられるかもしれない。元ロイヤル・バレエのプリンシパルで、バレエ団のほとんどの演目の男性主役を踊っている。
イーグリングは今回『マノン』をバレエ団の演目に取り上げるにあたり、
「バレエ団のダンサーに挑戦しがいのある役を与えたかった。またロイヤル・バレエが国内公演を行わないイギリスの地方都市を公演することで、地方在住の観客にこの素晴らしいバレエを知ってほしかった。」と語っている。
マノン役を踊るバレリーナへの指導には、世界初演時にマノンを踊ったアントワネット・シブレーを招聘。男性プリンシパルとゲストのフリーデマン・フォーゲルおよびズデネク・コンヴァリーナのデ・グリュー役指導についてはイーグリング本人が担当した。

  今回ENBが上演した『マノン』はデンマーク・ロイヤル・バレエ版プロダクション。舞台セットや衣装は、英国ロイヤル・バレエ団のオリジナル版とは大きく 異なっていた。セットや衣装を担当したのはミア・ステンスガード。当時のパリの時代がかった雰囲気や香りに満ちた第1幕の華麗な衣装が秀逸で、観客を一挙 に作品世界に誘う魅力を持っている。また第3幕、ニュー・オリンズの船着場に女囚となったマノンやデ・グリューを乗せた船が到着する冒頭の部分も、大きな 船の船首部分の影絵のセットが、北欧らしいミニマリズムに貫かれスタイリッシュで目をひいた。

 ENBは10月~11月にかけて、 ブリストル、サウス・ハンプトン、マンチェスターといったイギリスの地方都市でこの作品を上演。今シーズンで現役引退する予定のバレエ団の看板ベテラン・ バレリーナ、アグネス・オークスと私生活のパートナーであるトマス・エデュールの作品デビューや、フリーデマン・フォーゲルのデ・グリュー役デビューが熱 心な英バレエ・ファンの間で、話題になっていた。

 ENB版『マノン』がロンドンで披露されたのは1月2~11日まで。ダリア・クリメントヴァとフリーデマン・フォーゲル組と、アグネス・オークスとトマス・エデュール組という話題の2組の舞台を鑑賞した。

  エストニア出身の夫婦ペア、アグネス・オークスとトマス・エデュールがENBに入団したのは90年。バレエ団の「顔」として活躍を続け早18シーズンであ る。2人は長年の活躍が信じられぬほどの若々しい容姿の持ち主。04年の冬に夫君のエデュールが日本で小林紀子バレエ・シアターの『くるみ割り人形』に客 演し、アキレス腱を切る大怪我をして再起不能を噂されたが、その後見事に舞台復帰。エストニア時代より古典バレエが殊のほか似合いの美男美女かつ理想的な パートナーシップで、国際的にまた英国内でも稀代のパートナーシップを評価され「ベスト・カップル賞」や「パートナーシップ賞」を授与されている。

 1月7日、ENBのゴールデン・カップルによるロンドン・シーズン最後の『マノン』を鑑賞した。
修道院に入る前に兄のレスコーに一目会おうと馬車をおりてくるマノンは、穢れを知らぬ純粋無垢な少女そのものであった。輝くブロンドと青い瞳、愛らしい微笑みのオークスによるマノンには誰もが魅了されるほかない。
一方、本を片手に舞台に登場するエデュールのデ・グリューは、貴族の子息そのものといった上品で知的な神学生である。初めは手にした本の世界に没頭しているが、美しい少女マノンに気がつき本の世界から現実の世界へ呼び戻される。

私は今シーズン、英国ロイヤル・バレエ団とENBの『マノン』を計5キャスト、男性主役についてはイヴァン・プトロフ、フェデリコ・ボネッリ、フリーデ マン・フォーゲル、トマス・エデュールの4人で観たわけだが、それぞれが全く異なるデ・グリューなので非常に興味深かった。
プトロフについていうと、このバレエを世界初演したアントニー・ダウエル直々の指導を受けてのデビューということで、特にソロにおいてダウエルの影響が 非常に色濃くうかがえた。一方ENBのエデュール、ゲストのフォーゲルはソロでもパ・ド・ドゥでも、ダウエルの幻影からは全く自由であり、それぞれが自分 なりのデ・グリューを創り上げていたのである。
フォーゲルが1幕のソロで柔軟な四肢を奮って男性離れした忘れがたくも美しいラインを描き、3幕の看守殺害後のソロで大いなる苦悩と若さの迸りを見せれ ば、エデュールは1幕のソロで熟年ダンサーらしい落ち着きと気品に溢れた静謐なソロを見せたし、幕が進み愛ゆえに何もかも失い追いつめられても最後まで上 品さを失わない姿は、ダンスール・ノーブル(貴公子ダンサー)そのもので、誠にあっぱれというしかなかった。

 オークス・エデュール組は駆け落ち後の「寝室のパ・ド・ドゥ」でも、ベテランの夫婦ペアならではの、無敵のパートナーシップを見せ、ソロにデュエットに優美で何ともロマンティック。コロシアムに集まったロンドンの観客のため息を誘った。
当日のレスコーは前日に続いてドミトリー・グルジェーエフ。幕開けの登場シーン、ソロ、駆け落ちしたマノンとデ・グリューの寝室に貴族GMを招き入れ、 妹の魅力を誇示させながら3人で踊る場面、酔いどれのソロ、GMに惨殺される最後まで、所作の一つ一つが大きく豊かで華があり、包容力に長け、演技力も たっぷり。主役の二人と同等、時にはそれ以上の魅力を放って観客をがんじがらめにする「色悪レスコー」を何とも輝かしく演じ踊ってみせた。
オークスは寝室のパ・ド・ドゥの後でGMを誘惑するシーンも小悪魔的で、熟年男性などは全くひとたまりもなく彼女の魅力の虜になってしまう。GMに愛さ れるようになり、パリの夜の社交界に君臨するようになってからは、女性らしく優雅にして、だが簡単に異性になびかない風情が魅惑的で圧倒的なまでの存在感 を見せた。

  ENB版で女囚としてニュー・オリンズに流されたマノンが着せられている囚人服の背中には、人間性を剥奪され名前を失った囚人を認識するための番号が書き なぐられており、観客の悲哀を誘う。老若男女を魅了し、パリの夜に君臨したマノンのあまりにも哀れな最後である。髪の毛を短く刈られ囚人服を着せられても オークスのマノンは登場から看守の慰み者になるに充分の美しさを持っていた。
長年ENBと共にオークス、エデュールを観てきたロンドンのバレエ・ファンは、『眠れる森の美女』のオーロラ姫やデジーレ王子に代表される古典バレエの 中のエレガントな2人ばかりを見てきた。マクミランによるドラマティック・バレエの中で、運命に翻弄され、愛以外のすべてを失い零落する2人を見るのは全 くの初めてであった。観客はこの作品を観る事で、改めてこの2人が踊り手として、パートナー同士としていかに世界的な存在であったかを悟ったのである。

  英国ロイヤル・バレエ団の『マノン』を繰り返し見ている英国のバレエ・ファンの多くが、この2人の「沼地のパ・ド・ドゥ」には涙し、カーテン・コールでは 涙をぬぐったファンが次々に立ち上がり、自分たちに18年の永きに渡って感動を与え続けてくれたオークスとエデュール組に心からの感謝のスタンディング・ オベーションを贈ったのであった。

 前日1月6日にロンドン・シーズン最後の『マノン』を踊ったのはクリメントヴァとフォーゲル組 であった。オークス・エデユール組とは対照的な長身ペアで、昨年夏に『ガーシュイン』で共演しているものの、『マノン』の沼地のパ・ド・ドゥのような難解 なパートナーリングを交えた全幕作品を踊るのはこれが初めて。レスコーは現在ENBで最も優れたレスコー役のグルジェーエフだった。
クリメントヴァは登場シーンより可愛らしく、1、2幕での男性を翻弄する演技もコケティッシュ。オークス以上に役を練り上げているのが感じられた。
フォーゲルのデ・グリューは高貴な生まれゆえ神学生の道をたどってはいるが、「世間知らずのお坊ちゃま」といった風情。広場で少女マノンに目を留める と、手にした本は忘れてさかんに微笑みかけてはマノンにアピール。マノンと会話するきっかけを得ようと広場でぶつかる場面も、それが故意的であることがわ かる。

  192cmという長身とギエムさながらの柔軟な四肢を生かしてのソロは、観客に大きな鳥が飛来し羽ばたいているかのような美しい幻を垣間見せた。男性舞踊 手としては特異なまでに柔軟な四肢から繰り出すアラベスクと、それをキープした後に尚も背中をそらせ手足を高く上げてみせるその後のエクステンションの優 雅さ、ピルエットにみせるバレエの教習本から抜け出たかのような理想的なポジション。コロシアムに集まったロンドンの観客は、この類稀な芸術性を備えたダ ンサーの一挙手一投足を十二分に味わおうと静まり返った。
第2幕、マノンの愛を取り戻すべく懇願する様、第3幕で看守を殺めた自分に驚きおののき苦悩する様、マノンの死に号泣する様子は、静謐であくまでも上 品、乱れないエデュールにたいして、若さと情熱を迸らせる渾身の演舞である。ENB新旧2大ダンスール・ノーブルのあまりにも対照的なデ・グリューは、2 人を観ることでそれぞれの個性がより明らかになり胸に残った。

  クリメントヴァ・フォーゲル組に何らかの問題があるとすれば、充実の演舞を見せながらもクリメントヴァの容姿が、「老若男女を魅了し、高級娼婦になる絶世 の美女」という役に似合わぬことである。「またデ・グリューを踊るためなら、世界のどこにでも踊りに行く覚悟」と語ったフォーゲルに似合いの理想のマノン は、一体どこにいるのであろうか?
1月6日当日の舞台は、部分的にクリメントヴァのテレビ・ドキュメンタリーに反映されるべく収録されたという。
(2009年1月6日、7日 ロンドン・コロシアム劇場)