孤独な天才振付家、ジョン・クランコの芸術と人生をシュツットガルト・バレエ団のダンサーたちが鮮やかに踊って演じた
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関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi
『ジョン・クランコ バレエの革命児』ヨアヒム・A.・ラング監督

『ジョン・クランコ バレエの革命児』という映画が3月13日より公開される。
ジョン・クランコは、マリウス・プティパなどが19世紀のクラシック・バレエを帝政ロシアの支配下で創ったのに対して、ドイツの地方都市を拠点として20世紀の息吹を吹き込んだ斬新なバレエを次々と発表し「シュツットガルトの奇跡」を起こした。しかし1973年、アメリカからシュツットガルトに帰る航空機内で急死。45歳だった。早逝した天才である。
その後、シュツットガルト・バレエ団の芸術監督は一時、グレン・テトリーが務めたが、1976年からはクランコのミューズだったマリシア・ハイデが受け継ぎ、クランコ芸術の継承に努めている。
シュツットガルト・バレエ団は、1984年に11年ぶりに二度目の日本公演を行ない、クランコ振付『じゃじゃ馬馴らし』『ロメオとジュリエット』、ウヴェ・ショルツ振付『ヴァリエーションー(マイナス)』イリ・キリアン振付『回帰』を上演している。この年の8月に私は編集長としてダンスマガジンを創刊しており、マリシア・ハイデとリチャード・クラガンが踊った『じゃじゃ馬馴らし』を観ることができた。そしてその舞台の鮮烈な印象は心に焼き付いており、決して忘れることはない。
『じゃじゃ馬馴らし』は、滅法気の強いじゃじゃ馬娘カタリーナ(マリシア・ハイデ)を豪放磊落なペトルーチオ(リチャード・クラガン)がさまざまな手立てを使って飼い馴らし、ついにはお似合いのカップルとなるまでを、カタリーナとペトルーチオが踊る3つのパ・ド・ドゥを中心に描いている。ハイデのカタリーナはベタ足で腰を歪めるようにして歩き、突然、脚を広げて尻餅を突く。クラガンのペトルーチオはカタリーナを脇に抱えて振り回す。蹴る、殴りかかる、お互いに思いっきり足を踏みつけ合う、羽交締めにする・・・。およそ、クラシック・バレエではあり得ない身体的応酬が交わされながら、次第に愛を育んでいくという見事な舞台だった。バレエで使われるお約束のマイムは使っていないが、登場人物たちの心の動きは、卓越した表現力により、まるで手にとるように観客は伝わった。当時はすでに離婚していたがハイデとクラガンは実生活で結ばれていたこともあり、お互いを知り尽くしており、息の合った当意即妙の演技と大胆不敵な踊りに会場は爆笑につぐ爆笑だった。クランコが亡くなって既に10年が経過していたのに、まるで創作者が舞台裏で見つめているような存在感が感じられて、他では見ることの出来ない、素晴らしいカンパニーの一体感を深く印象づけられた。

「ロミオとジュリエット」の振付シーン、左/ジョン・クランコ(サム・ライリー)、右/ユゲン・ローゼ

シュツットガルト州立劇場
『ジョン・クランコ バレエの革命児』は、ヨアヒム・A・ラングが監督し脚本も書いている。A・ラングは映画監督として『ゲッペルス ヒトラーを演出した男』『MACK THE KNIFE・BRECHT'S THREEPENNYFILM』などに携わったほか、テレビや長編ドキュメンタリーなど多くのキャリアを重ねており、テレビ番組でシュツットガルト・バレエ団の取材を長く続けたほか、DVDなどの収録も行っているそうだ。
この映画の製作は、クランコ芸術監督時代の主要なダンサー、スタッフたち、シュツットガルト・バレエ団、州立劇場、州立管弦楽団の全面協力のもとで行われた。そして主役のクランコ役にはイギリス人俳優のサム・ライリー(『コントロール』『ブライトン・ロック』『レベッカ』など)、支配人のシェーファー役にハンス・ツィッシュラーほかが出演。しかし、ダンサー役には全てシュツットガルト・バレエ団の現役ダンサーが出演してクランコ作品を踊り、実在の人物を演じている。まず、ハインツ・クラウス役はフリーデマン・フォーゲル、マリシア・ハイで役はエリサ・バデネス、ビルギット・カイル役はロシオ・アレマン、レイ・バーラ役はジェイソン・レイリー、リチャード・クラガン役はマルティ・バイシャ、エゴン・マドセン役はヘンリック・エリクソンだった。こうしたキャスティングがこのカンパニーの伝統の継承を表し、映画の成功をもたらした大きな要因の一つとなっている。

ハインツ・クラウス(フリーでマン・フォーゲル)、クランコ

マリシア・ハイデ(エリサ・バデネス)、クランコ、ハインツ・クラウス
クランコがシュツットガルト行きの飛行機に乗り込むところから『ジョン・クランコ バレエの革命児』は始まった。当時のクランコは、サドラーズウェルズ・バレエなどに作品を提供し、その才能に注目が集まっていたが、同性愛の疑惑をかけられイギリスに居られなくなっていた。そんな時、シュツットガルト・バレエ団の芸術監督を務めていたニコラス・ベリオゾフから声がかかり、クランコが振付けた『パゴダの王子』を上演するために、この町にやってきたのだ。『パゴダの王子』を推挙したのはサドラーズウェルズ・バレエのプリマでベリオゾフの娘、スヴェトラーナ。そして『パゴダの王子』の上演は成功し、イギリスに居場所のなかったクランコは、結局、シュツットガルト・バレエ団の芸術監督に就任することとなった。
こうした事実に基づいたナラティヴをA・ラング監督は、タクシーの運転手との会話やカンパニーの支配人、スタッフとの出会いなどのシーンによりうまくまとめている。同時に、才気に溢れているがどこか独善的で孤独の影を持つクランコの人物像を、バレエダンサーたちが描く幻想シーンや幼い頃の回想などを混じえて浮かび上がらせている。

クランコ、ビルギット・カイル(ロシオ・アレマン)

映画はほぼ時系列に進行していく。芸術監督に就任したクランコは「三年前にベリオゾフ振付版を上演したばかりだから」と言う支配人の反対を押し切り、『ロメオとジュリエット』の上演を押し通す。クランコは1958年にミラノ・スカラ座バレエ団に『ロメオとジュリエット』を振付けており、成功させる自信があったのだろう。(ちなみにこのスカラ座版には若き日のカルラ・フラッチが出演していたと伝えられる)
さらにリハーサルでは、ステップに頼ることなく劇中の登場人物として生きて踊るように、と指摘するクランコに対してプリマバレリーナのクセニアは「私はバレリーナです。女優ではありません」と拒否する。それでは「役を代わってもらおう」とクランコ。そして新たにクェヴァス侯グラン・バレエで踊っていたマリシア・ハイデをスタッフの反対を押し切ってプリマバリーナとして採用し、ジュリエットを踊らせることとする。実際、後年、マリシア・ハイデは「女優バレリーナ」として名声を縦(ほしいまま)にしたのだから、クランコの眼力には、今更ながら驚かされる。
また、『ロメオとジュリエット』のマキューシオの死の振付を創るシーンを、まるでミュージカルの1シーンででもあるかのようにして、新たに舞台装置を担当させるユルゲン・ローズに見せる演出は、この映画のハイライトシーンの一つである。道化の衣裳を着けた旅芸人たちの群舞とともにクランコは、原作のシェークスピアの表現を詩を口ずさむように呟きながら、ティボルトと剣を交えて深傷を負い、しかしかすり傷ででもあるかのように踊りながら死んでいくマキューシオ(クラガン)の死を演出し、「彼は人生を愛していた」と言って悲しむ。また、「文学史上最も美しい愛のシーンを演じる」と、バルコニーのシーンを演出する場面は、後にクランコのダンサーとして大活躍するクラガンとハイデの出会いの時でもあった。そして、『ロメオとジュリエット』の寝室のシーンでは、ロメオのレイ・バーラとジュリエットのハイデと話し合い、恋人たちの最後の夜に現れる「死の感覚」を表す仕草を発見する。
傑作として後世の演出にも大きな影響を与えた『ロメオとジュリエット』の制作過程を通して、クランコが鮮烈な詩情溢れる画期的バレエ表現を、ダンサーたちとともに創造していくありさまが、実にヴィヴィッドに描かれている。
クランコ版『ロメオとジュリエット』の初演は、シュツットガルトの観客の感涙を誘い、ハイデにはフラワー・シャワーが浴びせられる大成功を収めた。

ニューヨーク公演後、舞踊評が届く

クランコとアルテュス
クランコはチャイコフスキーのオペラ『チェレヴィチキ』の音楽に魅了され、新しい創作のイマジネーションは、プーシキンの『エヴゲニー・オネーギン』へと進展し、傑作バレエ『オネーギン』の構想が練られていく。だがクランコは、タチアナとオネーギンの愛の悲劇を演出・振付けしていく中で、芸術を理解する新しい「恋人」アレクザンダーとの悲しい別れと向き合わなければならなかった。『オネーギン』の有名な鏡のシーンでは、タチアナの背後に恋するオネーギンが幻影が現れて鏡に映るのだが、クランコがその振りをやってみせるとアレクザンダーの姿が浮かぶ・・・。現実と幻想の愛が交錯していく中で、手塩にかけて育てたハイデは、クラガンと愛を育んでいることにも気付かされる。孤独感が深まり、いっそう酒とタバコに耽溺して、『オネーギン』を中止するとまで口走る。「私が許しません」と言うハイデの愛情のこもった慰めもあってなんとか回復することができた。
そしてクランコは愛犬アルテュスを連れて、スタジオに元気な姿を見せる。しかし今度は、芸術監督に就任以来ともにバレエを創り続けてきたレイ・バーラがリハーサル中に大怪我をすると言う悲劇が待っていた・・・。代わりにハンブルクから地元シュツットガルト出身のクルト・ハインツを呼び寄せることとなった。
クランコとシュツットガルト・バレエ団はさまざまな障害に遭遇したがなんとか乗り越えて、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場に向けて、世界の檜舞台に立つためにシュツットガルトを出発する。
ニューヨーク公演は大成功を収め、ニューヨーク・タイムズの舞踊批評家クライヴ・バーンズに、有名な「シュツットガルトの奇跡」と言う賛辞を受ける。そして帰国した空港には、マスコミがカメラの砲列を並べおり、歓迎の大きな花束がクランコとバレエ団のメンバーたちに贈られた。このニューヨーク公演の成功によりクランコには、新しい環境が与えられ次の作品創りに向かい、さらに2回目のアメリカ公演が行われることとなる・・・。

アレクザンダーとクランコ

ニューヨーク公演を終わって
ジョン・クランコは1927年8月15日に南アフリカ共和国のルステンブルクに生まれ、アパルトヘイトの残酷な現実を見せられている。ヨアヒム・A・ラング監督は1959年ドイツ生まれで、シュツットガルトで学んだ経験もある。劇中、クランコがナチスの組織的暴力を告発する演劇を観て演出家と話し合うシーンもあり、ドイツで仕事をすることの重さを実感している。そしてクランコは、ナチスの強制収容所をテーマにしたバレエ『痕跡(トレース)』をシュツットガルトで上演するが、ドイツ人の観客の大ブーイングを受ける。アペルトヘイトや強制収容所を生み出すようなそこ知れぬ暴力の印象が、クランコの人生にはついて回っており、それがダイバーシティの一員である彼の心に殊更に影を落とし、救いようのない孤独感をいっそう募らせていたのではないか、とA・ヨアヒム監督は言っているのだろう。
また、最も印象に残ったのは、マリシア・ハイデを演じたエリサ・バデネスの演技だった。クランコが深く癒し難い孤独に苛まれている時、愛情深く見守り心から励まし、創作にはインスピレーションを与えていたのだがいつも一定の距離を保って、ともに溺れることなく接していた。まさに絶妙のバランス感覚だったが、ただ一度、クランコの思いもかけない不慮の死を知った時、心底からの絶叫が出た。クランコの劇的生涯をあたかもキリストに寄り添ったマグダラのマリアのように支える存在感を演じた。そして、最後は、マリシア・ハイデとともにクランコの墓に献花をささげたのである。
『ジョン・クランコ バレエの革命児』は早世した天才振付家の毀誉褒貶の姿を描きながら、その孤独な魂の底に流れる、人間の如何ともし難い暴力や苦悩する愛情、得難い熱い共感、芸術の深奥に触れる喜びなどを訴えかける感動的な映画であった。
ただ敢えて言うのであれば、イギリスのマーガレット王女が3回も観たと言うミュージカル『クランクス』のこと、また、ニネット・ド・ヴァロワが「ウィットとイマジネーションに富んだ若い振付家だった」と言って、シュツットガルトに移ることを惜しんだ、と言うクランコのウィットや、『じゃじゃ馬馴らし』でみせたたくまざるユーモアなどについても少し触れてほしかった、などと勝手なことも思ってしまった。

アメリカ公演にて

『ジョン・クランコ バレエの革命児』ヨアヒム・A.・ラング監督
2026年3月13日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー
© 2023 Zeitsprung Pictures GmbH
配給:アット エンタテインメント
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