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アンジェラ・加瀬 text by Angela Kase 
[2009.02.10]

タマラ・ロホ&カルロス・アコスタ、シルヴィア・アッツォーニと&イワン・プトロフが会場を沸かせた、ロイヤル・バレエのマカロヴァ版『ラ・バヤデール』

THE ROYAL BALLET NATALIA MAKAROVA : LA BAYDERE ロイヤル・バレエ団 ナタリア・マカロヴァ振付『ラ・バヤデール』

 英国ロイヤル・バレエ団は1月13日~2月7日まで、マカロヴァ版『ラ・バヤデール』を上演した。
チケット発売当初、初日13日に主役を踊る予定であったのは、ロベルタ・マルケスとイヴァン・プトロフ。その後、マルケスが故障からの復帰が遅れている コジョカルの代役を務めるためヨハン・コボーと組むことになり降板。そして初日直前になってプトロフの名前も配役から消え、カルロス・アコスタとタマラ・ ロホ主演に変更になるという大番狂わせがあった。

 バレエ団は今シーズン開幕直前よりスター・ダンサー多数の故障のため、既に数え切れないほどの配役変更を余儀なくされた。年会費を払い、会員優待 先行予約で早くから特定のダンサーを見るべくチケットを購入する「コベント・ガーデン友の会」会員や、一般売り出し当日の朝早くからチケット売り場に並び チケットを購入する熱心なロイヤル・バレエ・ファンの落胆は大きく、購入していたチケットを売り場に戻し、新たに別の配役の公演のチケットを買い直すと いった混乱がそれに続いた。
ここ10年来最もファンを混乱させた今シーズン、今度は怪我をしていないプトロフまでが初日を降板するとはいったいどうした理由からなのか? 初日直前の噂ではロホとアコスタ組で『ラ・バヤデール』のDVD収録を行うため、同ペア主演予定の2度の公演に初日の13日を加えて、3公演にカメラを入 れる必要があるからだという。
主演予定を1度失い、また通常のパートナーであるマルケスをも失ったプトロフは、急遽ハンブルグ・バレエ団のシルヴィア・アッツォーニと初共演し、残りの2度の主演日に舞台に立つことになった。

 昨年のブノワ賞最優秀バレリーナ賞受賞により、世界的知名度の増したアッツォーニだが、イギリスではこれまで踊るチャンスがなく、プトロフとの初 共演の1月16日がコベント・ガーデン・デビューとなった。そんな背景からロンドンのバレエ・ファンは彼女についての知識を殆ど持たず、またバレエ団広報 も彼女のデビューにあたって特別なプロモーションを一切しなかったことから、アッツォーニの客演に色めき立ったのは、ほんの一握りの熱心なファンだけに留 まった。

Photo/Angela Kase

 アコスタ・ロホ主演の初日1月13日と、アッツォーニのコベント・ガーデン・デビュー公演を鑑賞した。

 ロホ、アコスタといえば現在ロイヤル・バレエ団で最も人気の高いペア。この2人主演公演チケットは、友の会のメンバーの優待先行予約の段階で完売 になってしまうことも少なくない。今回の『ラ・バヤデール』も当初2人が踊る予定であった2公演は早くからチケットがソールド・アウトになっていた。
それが売れ行きの芳しくなかった初日13日も2人が踊るとあって、チケット争奪戦に出遅れたファンや、公演近くまで仕事のスケジュールがはっきりしないファンにとっては、入手不可能であった公演チケットを直前に購入できるまたとないチャンスとなった。
当日会場に脚を運んでみるとまた配役変更があり、アレクサンドラ・アンサネッリがガムザッティを踊るという。『ラ・バヤデール』でこの3人が組むのは初めてのことであり、期待に胸を膨らませた。

 冒頭でアコスタ扮するソロルが虎の前に威風堂々と立ち、「これこそは私がしとめた虎」というお馴染みマイムを見せるとコベント・ガーデンの観客が沸いた。
肉体美と類稀なる身体能力を誇るアコスタには、スパルタクスやソロルといった「闘う男」や「戦士」、豊かな肉体を惜しげもなくさらし武器を手にして踊るアクティオンのような役柄が最もよく似合う。
ロイヤル移籍直後に踊ったヌレエフ版『ライモンダ』のジャン・ド・ブリエン役(十字軍の騎士)も非常に似合い、有名な跳躍の場面では往時のヌレエフを髣髴とさせる跳躍の高さと滞空時間の長さに、ロンドンのバレエ・ファンが皆息をのんだものである。
だがヌレエフ版『ライモンダ』が結婚場面のみの1幕仕立ての作品であること、ボリショイ・バレエに客演し、モスクワとロンドン、パリで踊り大好評を博し た『スパルタクス』も本人が「肉体的にきつすぎる」という理由で既に封印してしまった今となっては、全幕作品で戦士役のアコスタを観られるのは『ラ・バヤ デール』ただ一つ。日本と違いアコスタ人気の非常に高いイギリスでは、アコスタ主演の『ラ・バヤデール』となれば、バレエ・ファンにとっては「必見」、ア コスタ・ファンにとっては「何度でも観たい」作品なのである。

 アコスタのソロルに対して行者マグダヴェーヤ役を踊ったのは蔵健太。ニキヤとソロルの禁じられた恋の橋渡し役として、また跳躍技の数々を披露する 技巧派ダンサーとして、貴公子役もキャラクター役も踊るドミ・キャラクテールの蔵は、『女王陛下に捧ぐ』の火の精、『オンディーヌ』の海神テレニオに続 き、自らの個性の刻印を作品にくっきりと刻む活躍を見せ、作品を大いに引き締めてみせた。

 ヴェールをとられ美貌と魅力を観客の前に露にしたロホ扮するニキヤには、大僧正が僧籍を失っても我が物にしたいと懸想し、執着するだけの美しさと、女性らしい曲線を描く肉体美で、ほの暗い寺院の前で朧に白い輝きを放っていた。
聖なる火を前に愛を誓うソロルと、それを止めながらもソロルとの愛に酔いしれるニキヤ。
美貌と香り立つ女らしさで抜きん出た存在感を見せるロホ、ソロル役が最も似合いのアコスタの2人に、ギャリー・エイヴィス、蔵健太という芸達者2名がか らみ、作品の第1場は、「これぞ第1キャスト」という豪華にしてその後の展開に手に汗握るパフォーマンスとなった。それは1幕第2場でアンサネッリ扮する ラジャの娘ガムザッティが登場することにより、さらにパワーアップすることになる。
アンサネッリといえば、NYCB出身のバレリーナとしてバランシン作品に秀でているが、ロイヤル移籍後は演技にも大いに開眼。艶やかにして愛らしい魅力 を『田園の出来事』や『オンディーヌ』といったアシュトン全幕作品のヒロインとして昇華させ、現在ロイヤル・バレエになくてはならないバレリーナに成長し ている。

Photo/Angela Kase

 ロホとアコスタという世界最高峰のペアとの競演に触発されたのであろうか、当日のアンサネッリは、ラジャの美貌の娘ガムザッティとして、驕慢だ が、男性なら誰もがその魅力に屈しひれ伏してしまうであろう愛らしさと華やかな微笑みをふりまいて、観客にこの役を良く踊るラウラ・モレーラやマリネラ・ ヌニェズを一瞬にして忘れさせてしまった。
ラジャの館でソロルをめぐりくり広げられる美貌の女性二人の争い。続く婚約披露宴の場面で、幸せの頂点に立つガムザッティがソロルと踊るパ・ド・ドゥと 絢爛豪華なパ・ダクションの群舞を従え踊るソロ、それに対して哀しみに沈むニキヤが深紅の衣装に身をつつみ一人踊る花かごのソロ。
ロホとアンサネッリという演舞に優れスター・オーラをふりまく女性二人の魅力のぶつかり合い、インドの戦士という役が良く似合うアコスタのダンス技術と カリスマ。当日はまばゆい光芒を放つ三大スターの魅力と技巧の掛け合いが、コベント・ガーデンの観客を大いに興奮、熱狂させた。

 2幕の「影の王国」のパ・ド・ドゥで、アコスタはロホをサポートしてピルエットさせる部分の最後で、ロホのウェストから両手を離して相手役の旋回技の強さを観客にアピールしてみせた。
これと同じウルトラCは、ボリショイのフェッテの女王ステパネンコとウヴァーロフも日本のガラ公演でよく披露したものである。旋回技に強いカリスマ・バレリーナと、巧みなサポート技術を持つ男性舞踊手が組んだ時にのみ可能になる美技である。
「影の王国」の3人のソリストは、崔由姫、ヘレン・クローフォード、ローレン・カスバートソン。崔由姫の優美なポール・ド・ブラ(腕の使い方)と見事なバ ランス、ロシア人教師アナトーリ・グレゴリエフに師事していただけに、まるでロシアのバレリーナのようなカスバートソンの細やかなパ・ド・ブレが強く印象 に残っている。

 第3幕、婚礼衣装に身をつつんだガムザッティとソロルは、婚礼が行われる寺院の前でキャンドルを手にした踊り子たちに囲まれ佇む。最も幸せである はずの日に、アンサネッリ扮するガムザッティは、今やソロルの愛を勝ち得ることが不可能であると悟って悲痛な面持ちを浮かべる。この3人による『ラ・バヤ デール』では、ニキヤ、ソロル、ガムザッティ3人それぞれが、夢見ながらも手にすることのできない一つの愛の犠牲者であった。

Photo/Angela Kase

 初日の3人による『ラ・バヤデール』は、私が80年代後半以来コベント・ガーデンで観ている同作品の中でも、1・2を争う白熱した舞台であっただ けに、1月16日のアッツォーニ、プトロフ組がそれにどこまで迫った公演を見せてくれるのか、アーティストとしての2人を良く知る私もあまり自信が持てず にいた。だがそれは全くの杞憂となった。
逞しい体躯のアコスタに戦士役が最も似合うのに対して、華奢で20代後半の今も甘い少年の面影を残すプトロフにとって、ロミオやデ・グリューといった若くロマンティックな役こそ似合うが、戦士ソロルは最も努力して演じ、踊らねばならない。
だが従者に虎を担がせ、夜の寺院前に現れた16日のプトロフ=ソロルは、いつもよりアイラインを一段と濃く引き、男性的で凛とした面持ちと戦士らしい所作で観客の前に姿を現した。

 アッツォーニは、ハンブルグ・バレエ団の踊り手中、キーロフ・バレエから移籍してきたアンナ・ポリカルポヴァと共に最も古典作品に強いバレリーナであり、『人魚姫』でのブノワ賞受賞が裏付る通り、非常な演技力の持ち主として、振付家ノイマイヤーを触発している。
華やかな技巧とスター・オーラで観客を圧倒したロホとアコスタに対して、アッツォーニとプトロフ組は、よりロマンティックにして繊細。16日の公演には ニキヤとソロルの甘く切ない愛があふれ、技巧以上に物語を語ることに重点を置いた2人によって、観客はこのバレエのロマンティックな一面に開眼させられた のであった。

  16日のプトロフは演技に技巧に己の持つ全てを奮い、芸術性の非常に高い踊り手ながら、時としてスター性の欠如を指摘される彼と同一人物とは思えぬほどの 渾身のパフォーマンスを見せ、コベント・ガーデンに集まったファンを驚かせた。一体何が彼をここまで変えたのであろうか。
身体的バランスからパートナーを組むことの多いマルケスとプトロフは、コケットリーと技術、観客へのアピール強いマルケスに対し、芸術性に秀で繊細で儚 いプトロフという異質のペアである。対してアッツォーニは、身体的にプトロフとバランスが良いだけではなく、プトロフと同じ儚さや善良さを持っており、ペ アとして視覚的・芸術的に非常によくなじむのである。当夜のプトロフの好演は、コベント・ガーデンの舞台で初めて似合いのパートナーを得、演技に巧みな アッツォーニに触発されてのことだったのかもしれない。
もう一つ考えられるのは初日をアコスタに奪われたプトロフが一大奮起したのかもしれないということである。

 2年半前の夏、ボリショイ・バレエがロンドン公演を行った。『スパルタクス』3回公演のうち2回にアコスタが客演し、ロンドン・デビューすること が非常な話題となっていた。史上最強のスパルタクスと言われたアコスタに挟まれ、中日に1晩だけタイトル・ロールを踊ったのは、デニス・マトヴィエンコ。 肉体的にも技巧的にもアコスタの敵ではない、と噂された公演であった。
ところがふたを開けてみると技巧だけで演技が伴わないアコスタに対して、人間性を剥奪された剣奴の苦悩を全身に滲ませ、反乱軍を率いてアッピア街道を天駆けローマ軍に反旗を翻す英雄を踊り観客を感動・涙させたのはマトヴィエンコだったのである。
現在世界最高のスター性と技巧で知られるカルロス・アコスタに対する時、男性ダンサーなら誰でも自らの実力の200%を持って闘うしかない。そんな状況が今回のプトロフに一世一代のソロルを踊らせたのかもしれなかった。
惜しむらくは1幕や2幕の「影の王国」のパ・ド・ドゥで、パートナーリングにやや乱れが見られたことか。ベテランのアッツォーニは英国デビューにナーバスになるどころか、自らの体をコントロールすることで、パ・ド・ドゥに難儀するプトロフをよく助けた。

 アッツォーニのニキヤは儚くも慈愛に満ち、大僧正ハイ・ブラーミンに激しい思慕を寄せられていることを知り、驚きながら彼の愛を拒むが、その後に 彼を見つめる眼差しには深い哀れみの色が宿る。またラジャの館でガムザッティに向き合う場面では、高慢なラウラ・モレーラのガムザッティと、神に踊りを捧 げる巫女であるニキヤの身分の違いが手に取るように理解できたし、死して幻となった3幕のニキヤにもソロルへの豊かな愛を感じさせるなど、ニキヤとしての 一挙手一投足に演技達者で人間性豊かな彼女の魅力があふれていた。
アッツォーニとプトロフの2人には、ラジャや大僧正、ガムザッティといった権力者の強欲に対して、純粋で高潔な人間性が香り、ゆえに仲を引き裂かれ、死 した2人が天上界で結ばれる最終場面は、これまでに私がコベント・ガーデンで観た他のどんなペアよりも清らかにしてロマンティックであり、観客の胸を感動 で熱くさせたのであった。
 

Photo/Angela Kase

(2009年1月13日、16日 ロンドン・ロイヤル・オペラ・ハウス。
ロホ、アコスタ、モレーラ舞台写真は1月9日の同配役ドレス・リハーサルを撮影。
プトロフ舞台は2007年10月撮影の写真)