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アンジェラ・加瀬 text by Angela Kase 
[2013.11.11]

アコスタ版 新『ドン・キホーテ』金子扶生、高田茜がキトリ、平野亮一がエスパーダ、アクリ瑠璃、山本雅也も踊った

The Royal Ballet 英国ロイヤル・バレエ団
”Don Quixote” Production & Choreography by Carlos Acosta after Marius Petipa 『ドン・キホーテ』カルロス・アコスタ演出・振付(マリウス・パウティパによる)

英国ロイヤル・バレエは9月30日にアコスタ版の新『ドン・キホーテ』全幕で新シーズンの幕を開けた。
世界初演当日はガラ公演で、コベントガーデンのロイヤル・オペラ・ハウスは、煌びやかなロングドレスにタキシード姿の裕福なバレエ愛好家が優雅にシャンパンやワインを傾ける姿が見受けられ、立見や天井桟敷は思い思いのファッションでやって来た熱心なバレエ・ファンであふれた。
会場の正面玄関や最も高価な席のある2階のグランド・ティアとフォワイエに続く階段や、最上階に向かうエレベーター付近は、カーネーションやガーベラなど深紅の花とブーケで飾られたいへん華やかな雰囲気に満ちていた。
この作品の全幕公演や世界のトップ・ダンサーによるパ・ド・ドゥを目にする機会の多い日本のバレエ・ファンは意外に思われるだろうが、イギリスではこの作品を観るのは稀である。
イギリスの主要バレエ団がこの作品を上演演目として持たないため、公演されることがまずない。英国ロイヤル・バレエは、かつて吉田都・熊川哲也在籍中のアントニー・ダウエル芸術監督時代に『ドン・キホーテ』全幕を新制作し上演したが、人気を博すことなく再演されずに終わっている。また日本のように世界の有名ダンサーがパ・ド・ドゥを披露する趣向の公演が少ないこと、バレエ・コンクールも盛んではないことから、有名なグラン・パ・ド・ドゥやバジルやキトリのソロすら目にする機会がほとんどないのだ。観る機会があるとすれば3、4年に1度、ボリショイやマリィンスキー、ミハイロフスキーの来英公演時に全幕を観るぐらいである。
そういう意味ではアコスタ版の新『ドン・キホーテ』全幕の新制作と上演はビッグニュースであったし、
チケットもまた早くから良く売れた。

london1311a_14.jpg (C) Angela Kase by kind permission of
the Royal Opera House

ガラ当日はドン・キホーテをクリストファー・ソーンダース、サンチョ・パンサをフィリップ・モーズリー、バジルをカルロス・アコスタ、キトリをマリエネラ・ヌニェズ、キトリの父ロレンゾにギャリー・エイヴィス、ガマーシュをベネット・ガートサイド、エスパーダを平野亮一、街の踊り子をラウラ・モレーラ、ドルシネア姫をクリスティーナ・アレスティス、アモーレ(キューピッド)をエリザベス・ハロッド、森の女王をメリッサ・ハミルトン、キトリの友人を崔由姫とベアトリス・スティックス・ブルネルがつとめた。
同キャストは日本を含む世界の映画館で上演された10月16日の公演と同じ配役であるため、彼らの熱演をご覧になった読者も多いことだろう。
アコスタ版の目新しい部分は、旅に出るまでのドン・キホーテとサンチョ・パンサの姿がしっかり描きこまれている冒頭に始まり、1幕に挿入されているバジルのソロ、2幕にキトリとバジルがジプシーの野営地にたどり着いた直後に、2人が『ラ・バヤデール』の曲の一部にのって踊るデュエット、ジプシーの野営地にギタリストが現れ、アコースティック・ギターを演奏したり、群舞のダンサーが叫び声を上げたり、3幕ではガマーシュとドン・キホーテが決闘で剣を交えた後、ドン・キホーテのアドバイスによりガマーシュが居酒屋で働くウエイトレスと結婚することにより、フィナーレには2組のカップルが現れ大ハッピー・エンディングになることなど。

9月30日のガラ、ヤナ・サレンコ客演2度目の10月8日、金子扶生のキトリ・デビューの10月25日の3公演を観た。
アコスタ、ヌニェズ組のファースト・キャストは9月27日の舞台写真家のためのドレス・リハーサルに登場。その後、9月30日の世界初演ガラ・プレミア、10月11日、16日の映画館ライブ、26日の4公演を主演した。
アコスタは王子など高貴な役も様になるが『リーズの結婚』のコーラスのように、明るい全幕作品の
「貧しいが元気な若者」というのも、またはまり役である。
今回のプロダクションは、主演に指導に振付に、と大車輪の活躍。ソロでは軽々とジャンプして舞台上の空間に浮かび上がり、狂言自殺の場面では満場の観客を大いに沸かせ、一本腕でヌニェズを高々と掲げるリフトなどのサポート技術でも未だに世界最高の男性ダンサーの1人であることを関係者や観客に強く印象付けた。

london1311a_15.jpg (C) Angela Kase by kind permission of
the Royal Opera House

美貌と演舞に優れながら、なぜか既存の古典バレエ作品の主役、特に姫役がしっくりこないヌニェズも、スペインの宿屋の娘というおきゃんな役どころは大いに似合い、アコスタと共に作品を大いに盛り上げた。
先シーズン末のアリーナ・コジョカルのあまりにも突然な退団により、パートナーを失ったスティーブン・マックレーのため、バレエ団はベルリンから小柄で技術に優れたヤナ・サレンコを招聘。10月5日、8日の2度に渡り、サレンコ、マックレーというロンドンではたいへん珍しい顔合わせが実現した。この2人は全幕共演デビューに先立つ9月28日の公開ドレス・リハーサルに登場。ゲネプロを観る権利を持つコベントガーデン友の会のメンバーの間では「若さ」と「闊達さ」で、世界初演のアコスタ・ヌニェズ組より作品に似合うのでは? という前評判が上がっていた。
サレンコは3幕のグラン・パ・ド・ドゥで豊かなバランスを見せ、グラン・フェッテに2回転、3回転を織り交ぜる美妓を披露し、コベントガーデンの観客から盛んな喝采を浴びた。
残念だったのは2人の間に「結婚を大反対されながらも相思相愛の恋人同士」らしいホットな雰囲気が希薄であったことか。
カルロス・アコスタという世界最高の技巧派男性ダンサーによる振付改定版にもかかわらず、ロイヤルの新『ドン・キホーテ』は男性主役が超絶技巧を披露する振付が少ない。
また今回の作品では、バジル役のダンサーはほとんど舞台メイクをしないような決まりごとでもあるのか、マックレーも10月25日の男性主役のティアゴ・ソアーレスも、かなり素顔に近い状態で舞台に登場。黒髪でスペイン的な風貌のソアーレスはともかく、色白で自身の髪の毛や睫毛の色が淡いマックレーの場合、もう少し強い舞台メイクをしたほうが、明るい照明の中で踊るこの作品の主演者としてより絵になったのではないだろうか?
ガマーシュやジプシーの男性たちなど相当強いメイクをしているだけに、主役男性のメイクの薄さが気になった。

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(C) Angela Kase by kind permission of the Royal Opera House

10月25日の金子扶生とティアゴ・ソアーレス組は、共にスペイン人役が似合い、かつ恋人同士の雰囲気に満ちていた。またヌニェズ、アコスタ組が結婚前の若者というには、やや落ち着いて見えたの対し、金子とソアーレスは実年齢では年が離れているにもかかわらず、この作品での共演はたいへん良く似合った。
金子は演技も巧みで、浮気なバジルや彼との結婚に大反対の父親にムクれてみせたり、しつこいガマーシュにスネてみせたりと、良く変わる表情が魅力的で、登場より観客の目を奪った。舞台の上の存在感は大したもので関係者にも観客にも「20代初めの新人」とか「バレエ団とのキトリ役全幕デビュー」とは感じられなかった。
特に2幕の夢の場面で白いチュチュを纏い銀のティアラをつけて登場した際は、スター性の大きさでコベントガーデンの舞台に君臨。関係者や観客に「このバレリーナをたくさんの作品の主役として観てみたい。」と思わせる魅力があった。
本人によると夏に(旋回技を披露する場合の軸足となる)左足の甲を痛め5週間バレエを休み、その後は全く一からバレエをスタートせねばならなかったのだというが、グラン・パ・ド・ドゥのフェッテには2回転を複数織り込むなど、観ている者には怪我から復帰したばかりとは一切感じられなかった。
ソアーレスはマネージュの際に膝が伸びきらず、技術的にこの作品を主演するにはやや苦しい。相手役としても第1幕の金子とのデュエットで、金子のピルエットのサポートのタイミングをはずし、金子の軸足のかかとが床に落ちてしまうハプニングを誘い、その直後は奮起したものの、舞台の終盤でまたピルエットのサポートに破綻し、金子を難儀させた。
ただバルセロナのいなせな若者の風情に満ち、キトリの友達にちょっかいを出した後に悪びれぬ姿も様になり、狂言自殺のシーンもコミカルでいながら男らしい。
男性的な風貌とは裏腹におセンチなところのあるソアーレスは、たとえば『オネーギン』のような大役を主演したり、マクミラン振付の『グローリア』といった感動的な作品を踊った後、カーテンコールで1人目頭を熱くして立ちつくしているのだが、25日も全出演者とのカーテン・コールで1人落涙。若い金子による素晴らしいキトリ・デビューを心からねぎらい、大きな拍手を贈る姿が見受けられた。

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(C) Angela Kase by kind permission of the Royal Opera House

登場人物の多いこの作品では、クリストファー・ソーンダース、ギャリー・エイヴィス、ウィリアム・タケットらによるタイトル・ロール、ソーンダースとエイヴィスによるキトリの父ロレンゾ、ベネット・ガートサイドのガマーシュ、平野とヨハネス・ステパネクらによるエスパダ、トマス・ホワイトヘッドとイッツァー・メンディザバルによるジプシー、エリザベス・ハロッドのアモーレ(キューピッド)、崔由姫の森の女王とキトリの友達などバレエ団の様々なダンサーたちが大活躍。
日本人ダンサーは高田茜がアレクサンダー・キャンベルとマックレーを相手役にキトリを踊った他、蔵健太とアクリ瑠嘉が街の若者役で、今年のローザンヌ・コンクールの入賞者で秋からバレエ団と研修している山本雅也もワイン売りの若者として舞台に登場した。
タイトル・ロールを演じた3人については、ソーンダースの気品、エイヴィスが役に与える深み、タケットの包容力と、それぞれの個性が際立った。崔は私が観た公演ではサレンコ、マックレー組主演の10月11日に森の女王を踊り、繊細で品格高い立ち姿と優美なパフォーマンスで観客を魅了、夢の世界に誘った。ホワイトヘッドのジプシーの首領は男らしく野生的で、フィナーレのファンダンゴの中心ダンサーとしても絵になり、ステパネクのエスパダは布さばきが巧みで強い印象を残した。

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(C) Angela Kase by kind permission of the Royal Opera House

芸術監督ケヴィン・オヘアは新人の抜擢に積極的で、10月11日には入団2年目の群舞のバレリーナであるアナ・ローズ・オサリヴァンがアモーレを10月25日にはこれまであまり配役されることの無かったファースト・アーティストのヘイリー・フォスケットが街の踊り子を踊った。
ダウエル監督時代の『ドン・キホーテ』はミニマルな舞台装置で、バルセロナの街の雰囲気が感じかれなかったが、今回の作品は衣装・装置ともに潤沢な予算を使い、照明効果やアコースティック・ギターの演奏も相まってスペイン情緒が一杯。
スライド式に出入りする家や風車のセット、数々の賞を受賞し映画にもなった劇『ウォー・ホース』舞台版の馬の影響が感じられるドン・キホーテの愛馬の仕掛けも素晴らしい。青い空、真っ赤な夕焼けといった照明使いもスペインらしさを際立たせ印象的である。だが2幕の夢の場面は背景の花のセットの色がやや品性に欠け、振付についていえばアコスタが腕を奮った2幕のジプシーの踊りが、ダイナミックでありながらも稚拙に終わった。
ただ、マクミランのドラマティック・バレエに代表される大人の観客を対象にしたレパートリー中心で、近年家族客が楽しめる作品が少なかったロイヤル・バレエにとって、新『ドン・キホーテ』や『不思議の国のアリス』のような全幕作品の導入は必要不可欠であったのだろう。
残念だったのはパ・ド・ドゥに、バレエ・ファンが期待する主演ダンサー男女の名人芸の掛け合いを見ることが出来なかったことだ。ウラジミール・ワシリエフ、エカテリーナ・マクシモワ、ルドルフ・ヌレエフ、ミハイル・バリシニコフ、森下洋子、フリオ・ボッカ、ニーナ・アナニアシヴィリ、アンドレイ・ウヴァーロフ、ガリーナ・ステパネンコ、アンヘル・コレーラ、吉田都、熊川哲也といったこの作品を得意としたバレエ界のスーパー・スターの多くが、この作品を踊らなくなった今、それを求めるのは所詮叶わぬ夢なのだろうか。

アコスタの隣にヌニェズの姿を観るたびに「これがアコスタとタマラ・ロホであったらどんなに素晴らしい名人芸を披露してくれたことか」と思い、サレンコの客演を眼前にしながら「これがマックレーとコジョカルだったら」と感じたのは果たして私だけだったのか。今では絶滅的に少なくなったバレエ界のスーパー・スターたち。かつてロイヤル・バレエと活躍を共にし、キトリ役を踊って素晴らしいロホやコジョカルの姿は、今や永遠にロイヤル・オペラ・ハウスからその姿を消してしまったのである。
(2013年9月30日、10月11日、25日 舞台写真は9月27日のドレス・リハーサル)

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(C) Angela Kase by kind permission of the Royal Opera House