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アンジェラ・加瀬 text by Angela Kase 
[2013.07.16]

マクレガーがアメリカの女流作家の小説を基にした物語作品『レヴイン・ガール』

The Royal Ballet 英国ロイヤル・バレエ
"Raven Girl" by Wayne McGregor
『レイヴン・ガール』ウエイン・マクレガー振付

バレエ団は5月24日〜6月8日までレジデント・コレオグラファーであるウェイン・マクレガーの新作『レイヴン・ガール』とバランシンの『シンフォニー・インC』を7公演。『レイヴン・ガール』は、処女作「きみがぼくを見つけた日」が有名なアメリカの女流作家オードリー・ニッフェネガーによる原作を元にマクレガーが振付けた作品。これまで短編の抽象バレエを振付たマクレガーによる初の物語作品で24日が世界初演であった。
レイヴンとは日本のカラスを一回り大きくした鳥(ワタリガラス)のこと。イギリスや北米に多く生息する。原作は美大出身のニッフェネガーによるエッチングの挿絵付の現代のおとぎ話ともいうべき物語である。

london1307c05.jpg photo/Angela Kase

<バレエのあらすじ>
郵便配達夫は街のはずれで一人静かに暮らしていた。ある日ワタリガラスの巣に1通の手紙を届けに行くと、巣から落ちて震えているワタリガラスのヒナを発見し、保護して家に連れ帰る。その後、郵便配達夫と成長したメスのワタリガラスは恋に落ち結婚。愛の結晶である卵から生まれたのは人間の姿をした女の赤ん坊(レイヴン・ガール)であった。だが一見五体満足な人間に見えたレイヴン・ガールは少女になっても言葉を話せず、鳥のように鳴き声を上げるだけ。また鳥のように空を飛ぶ事に憧れ、懸命な努力を重ねるも羽のない彼女はその夢を現実の物にすることができないでいた。成長したレイヴン・ガールは両親の元を離れ上京し、大学で進化生物学を専攻する。同期生の若者が彼女に恋するがシャイな彼は気持ちを打ち明けることができない。ある日、医師がキメラについての講義を行う。レイヴン・ガールは医師に「自分に空飛ぶ羽を与えるキメラ(接合)手術を施してくれることができるのか」たずねる。「できる」という医師の答えに狂喜乱舞した娘は自らの身を医師の執刀手術にゆだねるのだが。。。

london1307c01.jpg photo/Angela Kase london1307c02.jpg photo/Angela Kase london1307c03.jpg photo/Angela Kase

ゲネプロは郵便配達夫をエドワード・ワトソン、彼の妻となるワタリガラスを高田茜、レイヴン・ガールをメリッサ・ハミルトン、彼女に恋をする若者をアレクサンダー・キャンベル、レイヴン・ガールとデュエットを踊るレイヴン・プリンスを平野亮一、医師をベネット・ガートサイドが踊った。29日は郵便配達夫をフェデリコ・ボネッリが踊った他、主要な配役はゲネプロ当日と同じである。
マクレガーとニッフェネガー、さらにスコアは映画『イングリッシュ・ペイシェント』で音楽を担当、アカデミー音楽賞受賞のガブリエル・ヤード。ダンスと文壇の鬼才によるコラボレーションは、たいへんユニークでイマジネーション豊かなバレエを作り上げた。

london1307c04.jpg photo/Angela Kase

ミニマルな舞台装置と(ワタリガラスが飛来する場面などには)一部映像も用いて、ダンサーのパフォーマンスに映像によるダイナミズムを添えた演出が素晴らしい。キメラ手術後、羽を得たレイヴン・ガールはギリシャ神話のイカロスを思い出させる美しい姿である。ただ顔に大きなマスクをつけてレイヴン・ガールを見つめる街の人々は不気味で、暗黒舞踏の踊り手たちを彷彿とさせ、キメラについての講義の場面で登場する異形の動物たちの絵は猟奇的だ。ユニークで一部に美しい場面があるとはいえ、終盤をのぞいて息詰まるような暗さが漂う作品である。ごく一般の人々の持つバレエのイメージから程遠いこの異色作を受入れ、愛すことの出来る観客は、ここロンドンにも限られた数しか存在しないのではないだろうか。
イギリスのバレエ関係者やファンは5月第2週に中劇場のリンバリーで少年少女の監禁・虐待をテーマにしたリアム・スカーレット振付『ヘンデルとグレーテル』を見たばかり。ロイヤル・バレエの演目には暗く衝撃的な作品が多いため、古参のファンやバレエ関係者は何を観ても驚かない。だがスカーレット作品の2週間後にマクレガーによる暗く猟奇的な『レイヴン・ガール』を観させられた時は「またか」という諦めの気持ちに襲われたものだ。

london1307c06.jpg photo/Angela Kase

マクレガーの抜擢を受けたダンサーたちはそれぞれが演舞に好演。ワトソンは真面目で孤独な郵便配達夫が似合いで「メスのワタリガラスと恋に落ち結婚する」という摩訶不思議なストーリーの中にあっても違和感がなかった。ボネッリの郵便配達夫は優しく父性愛に満ち、暗い作品の唯一の救いとなったが、彼のような魅力的な男性がカラスのヒナを保護するまで「孤独に独身を貫いている」というのは信じがたい。黒いショートヘアのカツラをかぶったハミルトンは、美しく両性具有的な魅力に輝き、この新作に君臨した。人間の姿で生まれながら空を飛ぶことに憧れる様子は哀しく、男性の庇護欲をそそる。冒頭で郵便配達夫が保護するワタリガラスのヒナと、高田茜演ずるヒナから成長し郵便配達夫と結婚するワタリガラスや鳥たちの群舞はみんな顔を黒いマスクで覆い、身体にも現代的なデザインの黒い衣装を着けている。そのため、観客からは高田の顔や表情は一切見えないのだが、彼女ならではの音楽性の良さが際立つパフォーマンスを見せた。若者役のキャンベルは爽やかな魅力で観る者の心をつかみ、レイヴン・プリンス役の平野亮一は長身のハミルトンとの並びが美しく、節度あるステージ・マナーと巧みなサポートが見る者に強い印象を残した。

london1307c07.jpg (C) BBC News

新芸術監督ケヴィン・オヘア就任後のロイヤル・バレエは、開幕以来どの演目も早くからチケットが完売。中劇場リンバリーでの実験的なプロジェクトである『変身』や『ヘンデルとグレーテル』ですらチケットの入手が困難で、観客動員にたいへんな強さを見せた。そのバレエ団が唯一苦戦したのが『レイヴン・ガール』とバランシンの『シンフォニー・インC』によるダブルビルで、公演前に広報活動を繰り広げるても本拠地を満席にすることはできなかった。私が作品を観た29日は1階席の後方にバレエ関係者でもファンでもないグループが招待されて来ていたが『レイヴン・ガール』の1幕だけを観て帰ってしまう者もいたほど。
5大新聞の舞台評を待つまでもなく、今ではツィッターなどで発信者の情報が瞬時に地球を駆け巡る時代である。関係者やファンを熱狂させる話題作は初演以降チケットの売行きも火がつくのだが『レイヴン・ガール』にその奇跡は起こらなかった。
バレエとは関係ないが、イギリスにとってレイヴンは国の守護神として重要な鳥である。17世紀の昔、ロンドン塔に住み着いたレイヴンを時の国王チャールズ2世が駆除しようと考えた。すると占い師が「レイヴンがいなくなれば、ロンドン塔は崩れイギリスも滅びるだろう。」と予言。以来ロンドン塔ではレイヴン・マスターという役職の王室近衛兵により(ロンドン塔から飛び去れないよう羽を切られた)一定数のワタリガラスが飼育されている。