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アンジェラ・加瀬 text by Angela Kase 
[2013.06.10]

気鋭の新進振付家、リアム・スカーレット初の全幕バレエ『ヘンゼルとグレーテル』世界初演

The Royal Ballet ROH2 英国ロイヤル・バレエ
ROH2 Production "Hansel & Gretel " by Liam Scarlett
ROH2プロダクション『ヘンゼルとグレーテル』リアム・スカーレット振付

本拠地ロイヤル・オペラ・ハウスでの2012・13シーズンを6月15日に締めくくるロイヤル・バレエは、5月に2つの新作の世界初演を行った。
1つはシーズン初めに新芸術監督ケヴィン・オヘアの指名を受け、26歳の若さで現役を引退し、アーティスト・レジデントとして創作活動に専念することになった振付家リアム・スカーレットの『ヘンゼルとグレーテル』、もう1つは常任振付家ウェイン・マクレガーの新作『レイヴン・ガール』(次号にてご紹介予定)である。
『ヘンゼルとグレーテル』はスカーレットが手がける初の全幕作品。グリム童話の代表作をタイトルにした新作に対するファンの関心は高く、またROHでも大劇場ではなく客席数が少ない中劇場リンバリー・スタジオ・シアターで5公演と上演回数も少なかったことから、チケットは早くから完売。チケット優待予約のトップ・プライオリティーを持つコベント・ガーデン友の会会員の多くですらチケットが取れなかったという曰く付きの作品であった。
世界初演は5月8日。その数週間ほど前から何度かに分けて何の前触れもなく全公演日に少数のリターン・チケットが登場。バレエ・ファンのサイトで話題になると、直後にすべて完売になるという現象が繰り返された。
バレエは同名のグリム童話を基にしながら場所と時代を20世紀のアメリカに移している。

london1306a01.jpg 父と通いの家政婦
photo/Angela Kase
by kind permission of the Royal Opera House

1950年代のアメリカの地方都市。仲の良い姉と弟ヘンゼルとグレーテルは森の近くの家に父と3人で住んでいる。母は昔に亡くなり、貧しい父は通いの家政婦に誘惑され体の関係を持ってしまう。家政婦(継母)は父を支配下に置き子供たちにも辛くあたる。
ある夜、ヘンゼルがテディ・ベアを相手に一人で遊んでいるとキッチンの冷蔵庫のドアが急に開いて、中から不思議な生き物、砂男(サンドマン)が這い出してくる。ヘンゼルと同じぐらいの身長の砂男は、等身大の人形のような姿で、動き方もどこかぎこちない。友だちのいないヘンゼルは砂男に魅了され、彼に導かれて森に向かう。それに気づいた姉のグレーテルも懐中電灯を持ってヘンゼルの後を追う。砂男の導きで暗い森に入っていった2人は小さな家にたどり着く。その家の地下室には人形やぬいぐるみにしか心を開かない引きこもりのような男性(グリム童話の魔女)が住んでいる。当初ヘンゼルとグレーテルが現れても、興味を示さなかった男性だが、砂男の不思議な力により、子供たちに心を開き共にままごと遊びをする。

london1306a02.jpg 突然冷蔵庫から砂男が現れるlondon1306a03.jpg 砂男に導かれある小屋に
london1306a04.jpg グレーテルは砂男人形の首にカミソリをあてるlondon1306a05.jpg 男はヘンゼルに執着を示す
photos / Angela Kase by kind permission of the Royal Opera House

父親はヘンゼルとグレーテルが居なくなったことに気がつき、狂ったように2人の痕跡を探し求める。家政婦は同行するが、子供探しには全く興味を示さない。家から森に向かう道でヘンゼルのテディベアの頭が見つかる。父と家政婦が森の奥深くに入ってゆくと、例の男性(魔女)が住む家にたどり着いた。父は子供たちの写真を見せるが男は「知らない」という。砂男のとりなしで4人は庭でひと時語り合う。父は子供たちが男の家の地下室に監禁されているとは知らずに家を後にする。その後、家政婦にうながされ、新天地での生活を夢見てわが家をも後にする。

london1306a06.jpg 父は森に向かい子供達を捜索する london1306a07.jpg 父、家政婦、砂男、男のお茶会 london1306a08.jpg 子供達が地下に監禁されている
photos / Angela Kase by kind permission of the Royal Opera House

森の家の地下室に監禁された姉と弟は顔に人形のようなフェイス・ペイントを施されている。数あるぬいぐるみや人形コレクションの中でも、砂男そっくりの人形を偏愛する男性(魔女)はヘンゼルに強い関心と執着を示す。グレーテルは庭の犬小屋に閉じ込められ、砂男に見張られている。 
その後ヘンゼルとグレーテルの奮闘により、2人は森の家から逃げ出し家に戻るが、父が引っ越した後の家はガランとしている。2人は父に見捨てられたことを知り呆然とする。森の家では男(魔女)が自ら命を絶つ。森の家の外では、男が大切にしていた砂男人形を抱いて人間たちをあざ笑う砂男の姿があった。

london1306a09.jpg 砂男とグレーテル london1306a10.jpg 家に戻った2人 london1306a11.jpg 砂男の高笑い
photos / Angela Kase by kind permission of the Royal Opera House

中劇場リンバリーは地下にあり観客は何度も階段を下りて着席する。振付家のスカーレットは「そうすることで、観客もまたこのバレエの主人公たちのように、魔女の住む小屋に入ってゆくのと同じ体験ができる。」と語っている。
中劇場は客席のみならず舞台スペースにも限りがある。今回はアーサー・ピタ振付の『変身』と同じように、舞台の前後に客席を設けた。また舞台の半分を上下に二分して、観客に魔女のえ住む小屋の入り口と地下室を見せる仕掛け。

2配役5公演で予定されていたダンサーの怪我により、一部配役に変更が加えられた。
世界初演キャストはヘンゼルをジェイムス・ヘイ、グレーテルをリアナ・コープ、父をベネット・ガートサイド、継母をラウラ・モレーラ、砂男をスティーブン・マックレー、男(魔女)をブライアン・マロニーがつとめた。マックレーの砂男の怪しさと心を病んだマロニーの演舞が白眉であった。またヘイとコープは子役がよく似合い、仲の良い姉と弟らしさがいっぱいでショッキングなバレエを見ていても一縷の救いがあった。

london1306a12.jpg ヘンゼルとグレーテル
photo/Angela Kase
by kind permission of the Royal Opera House

9日と11日(昼)はヘンゼルをルドヴィック・オンデヴィエラ、グレーテルをエリザベス・ハロッド、父をヨハネス・ステパネク、継母をクリステン・マックナリー、砂男をドナルド・ソム、魔女を平野亮一が踊った。このバレエは砂男と魔女を表現力のあるダンサーが踊らないことには作品が締まらないのだが、平野、ソムともに熱演で、特に平野は憑き物がついたような演舞背筋が寒くなる思いであった。9日は家政婦が父の頭をビール瓶で殴る場面で、瓶が粉々に割れてしまい破片がステージ前方に飛び散った。その直後に砂男役のソムが、ガラスの破片が散乱する舞台の上を這い出て来るのだから、観客はダンサーの安全を思い気が気ではなかった。また当日は客席にスティーブン・マックレーの姿もあった。妻であるエリザベス・ハロッドのグレーテル役デビューを観に来たのであった。
スカーレットは既に大劇場で2つの作品を発表しているが、まだ新人ゆえイギリスのバレエ関係者もファンも、彼の作品の傾向を読める者はほとんど存在しない。そのため『ヘンゼルとグレーテル』についても、どんな作品になるか全く未知数であった。グリム童話のタイトルを持ちながら、蓋を開けてみれば12歳以上を対象にした大人のバレエ。童話のタイトルに惹かれてチケットを購入した家族客やティーン、高年齢層の観客は、50年代を舞台にしたショッキングな内容のこのバレエに大変驚いていた。奇しくもこの作品が世界初演される前の週に、アメリカの地方都市で10代で誘拐された少女たちが、10年近く監禁されていた家で発見される、という事件があったばかり。これまでたくさんのマクミランやマクレガー作品を観ることでショックには慣れっこのロイヤル・バレエ・ファンにとっても、EUの崩壊、なかなか下がらない失業率、誘拐・殺人と暗いニュースが続く毎日を送りながら、夜もまた暗い現実を描いたバレエを突きつけられ、重い気持ちを引きずって岐路についた者も多かったことと思う。中劇場は実験的な作品発表の場所であることを思えば、振付家が観客に媚びる必要もないのかもしれないが。
(2013年5月8、9日 ROH リンバリー・スタジオ・シアター。5月8日午後撮影)

london1306a13.jpg 男は砂男に支配されている london1306a14.jpg ヘンゼルは男に砂男人形を返す london1306a15.jpg 砂男と砂男人形
photos / Angela Kase by kind permission of the Royal Opera House

写真に登場するダンサー
ヘンゼル:ジェイムス・ヘイ
グレーテル:リアナ・コープ
父:ベネット・ガートサイド
継母:ラウラ・モレーラ
砂男:スティーブン・マックレー
魔女:ブライアン・マロニー