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アンジェラ・加瀬 text by Angela Kase 
[2012.02.10]

小林ひかると高田茜が踊ったロイヤル・バレエ『くるみ割り人形』

The Royal Ballet 英国ロイヤル・バレエ団
The Nutcrackerr by Sir Peter Wright ピーター・ライト振付『くるみ割り人形』

ロイヤル・バレエは、12月3日〜1月18日までピーター・ライト版『くるみ割り人形』を上演。今シーズンは小林ひかる、高田茜、メリッサ・ハミルトンが金平糖の精で、ネマイア・キッシュ、デイヴィッド・トルーゼンスミルヒが王子役デビューした。小林、高田、ハミルトンの舞台を観る。

london1202a02.jpg Photo/Angela Kase

コベント・ガーデンのロイヤル・オペラ・ハウス(以下ROH)といえばヨーロッパを代表する大人の社交場。元はイギリスの上流階級の憩いの場として一般市民にはたいへん敷居が高かった。階級制度がだいぶ薄れた今でも国で最も格式が高い劇場であることには変わりがなく、オペラ、バレエのチケットも高価だ。『くるみ割り人形』の場合、子供は半額チケットを入手できるが、1, 2階の舞台がすべて見える良席はマチネの子供料金でも40ポンドを超える。親子でバレエを観るのに100ポンド以上というのは一般市民には大変な出費である。子供たちに「格調高く優れた舞台芸術を見せたい」という富裕な上流階級でもないと親子でロイヤル・バレエを観るのは難しい。
バレエ団の演目も『マノン』や『マイヤリング』など、大人向けの作品が多いため、バレエ公演でたくさんの家族客を見かけるのは、年末年始の『くるみ割り人形』『ベアトリクス・ポターの世界』『ピーターと狼』といった作品が上演される時ぐらいである。
今回、小林と高田のデビューはクリスマス前の日曜日の昼であったため、客席には優しいお父さんやお母さんに手を引かれ、年に1度のバレエ公演のためめいっぱいお洒落をした小公女・小公子たちがたくさん集まっていた。むずかったり、騒いだりすることなく、主人公クララの一挙手一投足やロイヤル・バレエ・スクールの生徒たちが演じ踊る1幕のクリスマス・パーティの招待客や、ねずみの王様に率いられるねずみ軍、くるみ割り人形に率いられ戦うおもちゃの兵隊たちに目を輝かせ、バレエの魅力に言葉を失い感動している子供たちの姿を見るのは何とも微笑ましい。

12月11日の小林ひかるの金平糖の精デビュー公演を観る。相手役はヴァレリー・フリストフ。ともに優美で品良く絵になるペアである。
2幕の最後で小林が登場すると舞台がひときわ明るく華やぐ。小林は腕の運びや足の入れ替えにエレガンスを振る舞い、コベント・ガーデンに集った家族客にデビューとは思えない充実したパフォーマンスを見せた。『眠れる森の美女』のオーロラもそうだが、クラシック・チュチュを着た彼女は日本人離れした美脚が強調され眩しいほどの魅力を放つ。フリストフはダンスール・ノーブルらしい節度と優しさに満ち、客席の子供たちに夢を与えた。
この日はクララがエマ・マグワイアー、ハンス・ペーターとくるみ割り人形がアレクサンダー・キャンベル、ドロッセルマイヤーにクリストファー・ソーンダースと主要キャストもまたたいへん充実していた。
マグワーアーはここ2シーズンほど何を踊っても素晴らしい。クララ役も夢見る少女らしさ、十分な演技力と確かなダンス技術で今回私が観たクララの中でも群を抜いた存在だ。小柄だが容姿にも恵まれた美しいバレリーナである。
キャンベルも若者らしさと包容力、確かなパートナーリングでマグワイアーとは似合いのペアである。またこの2人の共演では、クララとハンス・ペーターの中に生まれ育まれる初恋にも似た感情がくっきり描かれるのもまた味わい深かった。
この日はまた1幕でハーレクイン人形を演じたジェイムス・ウィルキー、コロンビーヌ人形のサビーナ・ウエストコム、兵隊人形の蔵健太、ヴィヴァンデール人形のロマニー・パジャックも優れたパフォーマンスを見せ作品を大いに引き締めた。

当日の指揮者はドミニク・グリアー。2010年年3月に『マノン』の指揮でバレエ団と共演デビューを果たした若手である。終演後、小林が語ってくれたところによると、ダンサー思いの指揮者で個々のダンサーの好みのテンポに合わせてくれようとするのだが、何分経験不足のため、ダンサーと「あ・うん」の呼吸を築くまでには至っていない様子。当日も小林にとっては遅いテンポの指揮になってしまい、ソロを踊るにあたって音楽を待たねばならなかった、という。当日ロイヤル・オペラ・ハウスに集い小林のデビュー公演を楽しんだ批評家やバレエ・ファン、家族連れには、思いもよらない苦労があったようだ。

london1202a03.jpg Photo/Angela Kase

怪我のため昨年秋『眠れる森の美女』の初日を降板し、イギリスのバレエ・ファンを嘆かせた高田茜だが、『くるみ割り人形』は予定されていた12月18日の日曜日に無事デビューを遂げた。クリスマス前の週末の公演であったことから、チケットは早くから完売。当初、高田とトルーゼンスミルヒは1度主演するのみであったため、熱心なファンは冬の早朝にオペラ・ハウスのチケット売り場の外に並び、朝10時から売り出しの当日券を入手して、1階の左右端の立見エリアや天井桟敷後方などから高田のデビューを見守り応援した。
年明けまもない1月初旬、18日に諸般の事情で当日券を入手できず落胆していたバレエ・ファンにまたとない朗報がもたらされた。予定されていたペアの降板により1月7日の土曜日昼に高田とトルーゼンスミルヒが再度共演することになったのである。

高田は08年のローザンヌ国際バレエコンクールで研修賞とオーディエンス賞をダブル受賞後、ロイヤル・バレエで研鑽を積み、09年に正式入団。入団直後より数々の抜擢を受けた入団3年目、芸術監督モニカ・メイスン期待のバレリーナである。トルーゼンスミルヒは88年ポーランド生まれの23歳。ロイヤル入団直後よりダンス技術とラインの美しさで群舞にあっても観客の目を奪った関係者期待の男性ダンサーであった。
2人は若手らしいフレッシュな魅力にあふれながら、芸術性高く、舞台人として老成したところも備えた大人びたペアで、登場直後より観客に「この2人なら破綻なく良い舞台を見せてくれるに違いない」と感じさせるものを持っていた。
あくまでも優美な高田と、東欧出身の男性ダンサーらしい節度で相手役の高田を立てながらも、自らのソロのマナージュでは胸のすくような跳躍の連続を見せたトルーゼンスミルヒ。今後さらなる共演が待たれる。高田については『眠れる森の美女』のような華やかな全幕古典作品に、再度挑戦するチャンスに一刻も早く恵まれることを願ってやまない。
この日のクララ役はリアン・コープ、ハンス・ペーターとくるみ割り人形をポール・ケイ、ドロッセルマイヤーはクリストファー・ソーンダース。当日は主要キャストのコープやケイよりも、ロシアの踊りを熱演したトリスタン・ダイアーとケヴィン・エマートン、花のワルツの群舞のうち4人のリーディング・フラワーを踊ったメリッサ・ハミルトン、あし笛の踊りのサビーナ・ウエストコムらの好演が光った。

london1202a01.jpg Photo/Angela Kase

去年はクリスマス・イヴの24日が土曜日であったため、イギリスのほとんどの会社員にとってクリスマス前の仕事納めは23日の正午頃であった。その後、多くの勤め人が、包装を終え、リボンをつけたたくさんのクリスマス・プレゼントを持って実家への道を急ぐ頃、ロンドン市内や近郊で仕事を終えたバレエ・ファンは一路ロイヤル・オペラ・ハウスを目指した。14時からメリッサ・ハミルトンのデビュー公演を観ようとしてのことである。相手役はセルゲイ・ポルーニン。
先シーズンの『不思議の国のアリス』『女王陛下の舞踏会』での共演に続き、現シーズン開幕以来『マノン』と『眠れる森の美女』というロイヤル・バレエを代表する全幕作品でローレン・カスバートソンとセルゲイ・ポルーニンを観た。だが明るい微笑みを見せるカスバートソンと翳りのあるポルーニンのペアに、どこかしっくりこないものを感じていた。そして先シーズンの『オネーギン』でのオリガとレンスキー役の共演を思い出し、ふとポルーニンにとって最も絵になり、持ち味的にも似合いのパートナーはメリッサ・ハミルトンなのではないか?と考えるようになっていた。そして23日、ハミルトンとポルーニンの登場場面で、自分の思いが正しかったことを痛感した。美しいがどこかミステリアスな魔を持つハミルトンとポルーニンは、視覚的にも体格的なバランス、個々の持ち味が似合いで互いを引き立てあうのだった。
 
だが今回このペアに感心したのは登場場面だけに留まった。主役では『くるみ割り人形』の王子を最も数多く踊っているはずのポルーニンの相手役ハミルトンへのサポートが目も当てられない状態だったのだ。サポートの基本中の基本である女性のウエストを上手に掴むことができず、ハミルトンの金平糖の精デビューを散々なものにしてしまった。
そのせいかイレク・ムハメドフ夫人でやはりボリショイ・バレエの団員であったマーシャ夫人の個人レッスンでバレリーナとして大成したハミルトンの、美しく音楽性豊かなアームスや脚の運びがうかがえたソロも不完全燃焼に終わってしまった。
ポルーニン自身には大きな成長の後がうかがえた。この役でデビューした当時、ファンの間で「地味かつ翳があるため、役に似合わない」と評されていたのが、ソロで腕をひとふりしてシャンジュマンのような小さな跳躍と脚の入れ替えを見せるだけで、芸術性が高く、踊り手としての潜在能力の類まれなる大きさがうかがえ、明るい照明の中にあってコベント・ガーデンに集まったファンの視線を一身に集める魅力があった。
だがそれだからこそ相手役ハミルトンへのパートナー技術の拙さが強調される形となった。先シーズンあたりからパートナーリングにも成長の後がうかがえ、破綻がほとんどんなくなっていただけに、今シーズンのポルーニンの舞台によっての出来・不出来のあまりの違いに、私は何やら不穏なものを感じ取っていたのである。

当日は金子扶生が天使役で登場、大舞台と美的なセットに負けない存在感を見せた他、ドロッセルマイヤーのアシスタントのジェイムス・ウィルキー、クララのパートナーのヴァレンティーノ・ズケッティの5番ポジションの美しさや基本の充実、若さに似合わぬ自然で巧みな演技力、ハンス・ペーターとくるみ割り人形のルドヴィック・オンデヴィエラの舞踊・マイムにおける品性の良さと若者らしい甘い魅力と、若手の健闘が光っただけにポルーニンのサポートの拙さ、ハミルトンの不完全燃焼が何とも残念なパフォーマンスであった。
美貌とプロポーションに恵まれながら、バレエを始めたのが遅かったため、一重に努力と研鑽の日々の果てに今の地位を築いたハミルトンは、劇場近くに一人住まいで、ボーイフレンドも持たず、すべての時間をバレエに捧げ、それで幸せだと語る。アーティストとして大きな成長の後をうかがわせながら、バレエのみに生きることができず、規則正しい生活や日々のレッスンを怠り、相手役に多大な迷惑を及ぼし、1月24日突如バレエ団を辞めてしまったポルーニン。美的な調和があるとはいえ、バレエに対する想いや心構えがあまりにも対照的な2人と、日々の精進なしでは大成もありえないバレエという芸術の厳しさを思い知った1日であった。
(2011年12月11日(昼)、23日(昼)、1月7日(昼)ロイヤル・オペラ・ハウス。12月1日最終ドレス・リハーサルを撮影)

london1202a04.jpg Photo/Angela Kase london1202a06.jpg Photo/Angela Kase
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●写真に登場するダンサー
サラ・ラム/金平糖の精
ティアゴ・ソアーレス/王子
クララ/イオナ・ルーツ
リッカルド・セルヴェーラ/ハンス・ペーターとくるみ割り人形
アラビアの踊り/メリッサ・ハミルトン
あし笛の踊り/高田茜