ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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アンジェラ・加瀬 text by Angela Kase 
[2011.10.11]

少数精鋭のスタッフ、キャストが創ったダンス、カフカの『変身』

The Royal Ballet 英国ロイヤル・バレエ団
The Metamorphosis by Arthur Pita アーサー・ピタ振付『ザ・メタモルフォーセス 変身』

1980年代後半から90年代のサッチャー政権華やかなりし頃のロンドンでは、ロイヤル・バレエ団、バーミンガム・ロイヤル・バレエ団(旧称サドラーズ・ウェルズ・ロイヤル・バレエ)、イングリッシュ・ナショナル・バレエ団の3大バレエ団と、現代作品を上演していたランベール・ダンス・カンパニーなどと共に、リンゼイ・ケンプやパンク・バレエのマイケル・クラークといったダンス界や舞台芸術界のアンファン・テリブル(恐るべき子供たち)、マシュー・ボーン自身が踊っていた初期のアドベンチャーズ・イン・モーション・ピクチャーズ(AMP)などユニークな才能が百花繚乱に咲き乱れ、次は一体どんな作品が観られるのか、と、ダンス・ファンの心を期待で沸き立たせ、ケンプやクラーク、AMPが公演する劇場はダンス・ファンからトレンドに敏感な若者たちで溢れていた。
その後ここ10年ほどもロンドンには、バレエ・ボーイズと呼ばれたジョージ・パイパー・ダンシィズ(GPD)のウィリアム・トレヴィット(元RBプリンシパル)とマイケル・ナン(元RBファースト・ソリスト)が、ラッセル・マリファントら優れた新進振付家を発掘、2人に共鳴したギエムらも一時プロジェクトに加わり、次々と話題の新作を世に送り出しダンス界を活性化した他、クリストファー・ウィールドンのような大西洋の東と西で活躍する振付家やシルヴィ・ギエムらがサドラーズ・ウェルズ劇場を本拠地に興味深い作品を発表し、世界のダンス首都としてのロンドンの地位を揺るぎないものにしていた。
それがここ1、2年、40代となったトレヴィットとナンが、若手のダンサーをバレエ・ボーイズとしてフィーチャーして自分たちはプロデュースに周り、ウィールドンも自らのカンパニー「モルフォーセス」を手放すなどの出来事が続き、ロンドンから話題の現代ダンスの新作公演が激減してしまっていた。

london1110b01.jpg © Tristram Kenton

そんな中、9月19日にロイヤル・オペラ・ハウスの中劇場リンバリー・スタジオ・シアターで初日を迎え、1週間7公演された『ザ・メタモルフォーセス』は、かつてのロンドン・ダンス・シーンの異色作の数々を髣髴とさせるたいへんエキサイティングでユニークな作品であった。カフカの代表作『変身』を基に、ロンドンで現代舞踊を学んだポルトガル人振付家アーサー・ピタが振付、ロイヤル・バレエ団の男性プリンシパル、エドワード・ワトソンが主演した。この作品は、開幕直後に全席完売、この秋最もチケット入手が困難なダンス公演となった。

舞台は白黒テレビに蒸気機関車が走る時代のチェコ。布地のセールスマンであるグレーゴル・ザムザと両親、妹が住む一家の居間と、ザムザ自身の寝室がステージ上に再現されている。
朝早く目覚まし時計に起こされ、汽車で出張先へと向かう主人公。帰宅後は、母の用意した夕食のスープを飲み、しばし家族との団欒の時間を持つだけの日々。母はザムザや妹のグレーテの帰宅を待つ間にテレビの美容体操にいそしんでいる。そんなある日、突如、ザムザが人間から巨大な虫に変身。愛する家族に恐れられ、疎まれるようになる。社会や家族との絆を失い、人間であった時代の自らの寝室の中に囚われた虫となったザムザ。父の投げたリンゴで傷を負った彼は、ある日息絶え、残された家族は黒い喪服を着て死んだザムザを惜しむ、という内容。
出演者は7名。そのうち3人のダンサーが早変わりで1人3役をこなし、カフカの原作通りの登場人物をつむぎ出す。
ダンス・パートのほとんどは主人公グレゴール・ザムザを演ずるエドワード・ワトソンと、主人公の妹役で今回の作品ではバレエを習っているという設定のグレーテ(ロイヤル・バレエ・スクールの生徒ローラ・デイ)に集中している他は、1人3役をこなすグレイグ・クック、ベッティーナ・カルピ、ジョー・ウォルクリングの3人のダンサーがザムザの悪夢に現れる黒い人物として寝室の天井で蠢くのみだ。

london1110b02.jpg © Tristram Kenton

開演前、リンバリー・スタジオに入ると、すでに舞台下手のベッド・ルームの寝台で主演者のエドワード・ワトソンが眠っていた。舞台上手の居間の食卓上のテレビと舞台後方の壁には、バッタのような虫の白黒映像が映し出されている他、会場にはチェコ語でカフカの『変身』について語る音声が流れるなどチェコ情緒あふれ、観客を古き佳き時代のヨーロッパへと誘った。
リンバリー・スタジオ・シアターは客席400席強。今回はステージの後ろにも雛壇を作って客席を配し、舞台を客席が前後から挟む配置にしていた。舞台の四方は路地ほどのスペースで囲まれ、主演のワトソンが家から駅へ向かう場面、駅から汽車に乗って出張販売に出かけたり、帰宅する場面では花道となった。舞台下手後方の雛壇前では時に蒸気機関車が白煙を上げ、舞台前の花道中央には、時として駅のコーヒーや酒の売店が再現されるなどした。

振付・演出・音楽・照明がそれぞれ素晴らしい効果を醸し、少数精鋭のダンサーや踊る俳優・女優たちもまた良かった。
何よりも虫を思わせる衣装や着ぐるみなどを一切身につけず、己の肉体だけで観客に「人間から虫への変容」や「主人公の心のおののき」「虫として日常の姿」を見せるワトソンの柔軟な身体、ダンサーとして演技者としての充実に打たれた。跳躍のような派手な動き一切ないものの、虫に変身して以降のグロテスクなポーズの数々を保つには、日々の鍛錬や相当な筋力とスタミナが必要とされるはずだ。1人で連日7公演主演したワトソンはさぞ体力を消耗したことであろう。
舞台の片側で妹グレーテが見せる古典バレエのバーレッスン、その反対側でワトソンが見せる虫としての現代舞踊のムーブメントの対比も観客の目には興味深い。
低予算、限られた舞台スペース、少ない出演者でも、豊かな才能の持ち主が集まれば、優れた作品を作り上げることができることを証明したプロジェクトであった。
再演を期待したい。
(2011年9月21日 リンバリー・スタジオ)

london1110b03.jpg © ROH2