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アンジェラ・加瀬 text by Angela Kase 
[2011.09.12]

マリインスキー・バレエの来英50周年公演『アンナ・カレーニナ』ほか

Mariinsky Ballet 50th Anniversary London Season
マリインスキー・バレエ団来英50周年記念公演
Marius Petipa & Lev Ivanov "Swan Lake" Mikhail Fokine / Homage to Fokin "Chopiniana " "The Firebird " "Sceherazade" Balanchine & Robins George Balanchine "Scotch Symphony" " Ballet Imperial " Jerome Robbins "In The Night "
Alexei Ratmansky "Anna Karenina" Marius Petipa, Revised by Ponomarev & Chabukiana " La Bayadere"
プティパ、イワノフ『白鳥の湖』フォーキン小品集『ショピニアーナ』『火の鳥』『シェヘラザード』バランシン・ロビンズ小品集『スコッチ・シンフォニー』『バレエ・インペリアル』『イン・ザ・ナイト』
アレクセイ・ラトマンスキー『アンナ・カレーニナ』プティパ、復元=ポノマレフ&チャブキアーニ『バヤデルカ』

7月25日から8月13日まで、マリインスキー・バレエ団が2年ぶりのロンドン公演を行った。
マリインスキーの前身であるキーロフ・バレエ団が、ヴィクター・ハッハウザーの招聘により、1961年に初めてロイヤル・オペラ・ハウスで公演を行って以来の50周年を祝う記念公演であった。
古典バレエの代表的全幕作品である『白鳥の湖』『バヤデルカ』『ドンキホーテ』、バレエ・リュッスゆかりの「フォーキン小品集」、ネオ・クラシック・バレエを満喫する「バランシンとロビンス小品集」から、昨年アレクセイ・ラトマンスキーが振付けた全幕新作『アンナ・カレーニナ』まで、6演目9作品を持っての来英である。

メンバーはロパートキナ、ヴィシニョーワ、テリョーシキナ、ソーモワ、コンダウーロワ、オブラスツォーワ、ゼレンスキー、イワンチェンコ、コルスンツェフ、コールプ、マトヴィエンコ、シクリャーロフという日本でもお馴染みのプリンシパルとソリストに、3年前にエイフマン・バレエから移籍したユーリ・スメカロフ、さらにはABTとの日本公演を終えたばかりのデイヴィッド・ホールバーグのコベント・ガーデン・デビューあり、去年ロイヤル・バレエの群舞からマリインスキー・バレエに移籍し、現在コリフェの踊り手として活躍するイギリス人男性ダンサー、アレキサンダー・パリッシュが『白鳥の湖』のパ・ド・トロワや『ショピアーナ』のマズルカを踊って故郷に錦を飾るなど、連日の配役がたいへん魅力的で、イギリスおよびヨーロッパから集ったバレエ関係者、ロンドンやイギリス国内、しいては米国や日本からオペラ・ハウスに集った世界のファンを熱狂させた。
6演目9作品中、5演目7作品を複数の配役で鑑賞した。

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『白鳥の湖』
8月25日、50周年記念公演の幕を開けたのはロシアの至宝ウリアナ・ロパートキナであった。
相手役はダニーラ・コルスンツェフ。ロットバルトは長身のセカンド・ソリスト、アンドレイ・イェルマコフ、道化にアレクセイ・ネドヴィガ、パ・ド・トロワはヤナ・セーリナ、ヴァレリア・マルティニュク、マクシム・ジュージン、4羽の白鳥は前述のセーリナ、マルティニュクとマリーヤ・シリンキナ、スヴェトラーナ・イワーノワが踊った。

幕が開くと宮廷の若き男女が踊り戯れている。バレエ人口の激減に悩むロシアで、今でもアカデミックなバレエ教育を受け、素晴らしいプロポーションを持った若手男女を集められるマリインスキーというブランド力とバレエ団のラインナップに目が覚める思いがした。
ロパートキナは、秋からのシーズンが入団20年目というが、その美貌とラインの美しさは昔のままであり、また芸術性や演技面では日々進化の歩みを止めない。
ロシア、そして世界の頂点に立つバレリーナとしての自信と誇りが可能にさせたのだろうか。最近ではバレエ団とともに来英しても数えるほどしか舞台に立たなかったロパートキナが、この夏は5演目に出演。夜の公演のみならずマリインスキー・トラストのメンバーや舞台写真家を招いてのゲネプロも『白鳥の湖』『イン・ザ・ナイト』『アンナ・カレーニナ』『バヤデルカ』と4作品に登場。7月25日のロンドン公演初日も、午後1時からゲネプロで『白鳥の湖』の1幕を通しで踊り、夜は全幕に主演。シーズン後半にも8月10日に『アンナ・カレーニナ』を全幕主演した翌日の午後に『バヤデルカ』のゲネプロに登場して1幕を踊るなど、過酷とすらいえるスケジュールをこなした。
初日の『白鳥の湖』はコルスンツェフを相手役に、美しいラインをつむぎ完璧ともいえる舞台を見せ、ロイヤル・オペラ・ハウスに集った関係者やバレエ・ファンを魅了した。

2日目、7月26日は、ヴィクトリア・テリョーシキナとウラジミール・シクリャーロフが登場。
若い頃より黒鳥オディールに定評のあったテリョーシキナだが、バレリーナとして大成しつつある今は白鳥オデットもたいへん魅力的になっている。シクリャーロフは、芸術性豊かな踊りの中に若者らしい勢いもあり、また演技面での成長が著しく、湖畔に赴く前に青い一条のスポットライトを浴び、腕ひとふりする姿1つで、観客の心惹きつけるスター性が備わった。相手役のサポートについても一切破綻がなく、現在世界で最も将来を期待されるダンスール・ノーブルの1人であることを観客に深く印象付けた。
当日のパ・ド・トロワはシリンキナとアナスタシア・ニキーチナ、男性はロイヤル・バレエより移籍したパリッシュであった。
長身に長い手脚というプロポーション、ロイヤル・バレエ・スクール出身らしくパートナーリングではバレリーナの引き立て役に徹する英国紳士的節度の持ち主であるパリッシュは、ロイヤル・バレエ時代からマリインスキーが男性ダンサーに求める2大要素を十分に備えていた。よって移籍のニュースには驚きこそすれ、彼の踊り手としての資質を持ってすれば、マリインスキー・バレエにも充分溶け込めることを信じて疑わなかった。実際、移籍直後に『ショピアーナ』を踊るなどサンクトペテルブルクでも頭角を現しつつある。移籍から1年半が過ぎた今では、ロシア人ダンサーの中にあっても全く違和感がない。本人は相当緊張していたようだがパートナーリングにも不足はないし、同じように長身・細身で少年の面影を残す王子のシクリャーロフと並んでもなかなか絵になった。

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28日は、ディアナ・ヴィシニョーワとイーゴリ・コールプが主演。
これこそイギリスのバレエ関係者とファンが心待ちにした公演であった。というのも、かつてはバレエ団のロンドン公演には必ず名を連ねていたヴィシニョーワだが、05年にABTに客演するようになってからは個人のプロジェクトも含めて多忙となり、何と6年もの間ロンドンを留守にしていたからである。
関係者とファンが固唾を呑んで見守ったヴィシニョーワとコールプによる『白鳥の湖』全幕ロンドン・デビューは、待ったかいあってわれわれの期待を大いに上回るものであった。
湖畔での出会いからオデットとジークフリートの間に芽生え、育まれる愛が何とも優しくロマンティックで観客を夢見心地にさせたのである。美しい容姿とライン、アカデミックな技巧で『白鳥の湖』を踊るマリインスキー・バレエのペアが多い中にあって、ヴィシニョーワとコールプは何よりもオデットとジークフリートの「愛」に焦点をあてた役作りで、観客を唸らせた。演劇性に富み、感動を呼ぶ2人の役作りは、イギリスのバレエ関係者やファンが最も尊ぶスタイルであったから。
1幕、囚われの身を嘆くヴィシニョーワのオデットが白眉であった。対するコールプの王子ジークフリートはあくまでも優しい。静かに高まる愛、2人の練り上げられたパートナーシップ。これまで何度となく『白鳥の湖』を観ているファンが、ヴィシニョーワとコールプの演舞に心揺さぶられ、2人のつむぐ愛の物語の豊かさに言葉を失った。
筆者自身1幕終了後の幕間に「コベント・ガーデンでこのように感動的な『白鳥の湖』を観るのは一体何十年ぶりだろう?」と物思いにふけった。

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黒鳥オディールに欺かれ、ロットバルトに絶望的な闘いを挑むジークフリート。愛する王子が悪魔を倒してもなお、ヴィシニョーワ扮するオデットの心は悲しみに閉ざされている。すると駆寄ったコールプのジークフリートが、悪魔の呪いが解け白鳥から人間に戻ったオデットの姿に気付き、愛するオデットに手でそれを示唆する。2人の愛の成就と共にバレエは幕となり、ヴィシニョーワとコールプによるオリジナリティ豊かな舞台は満場の観客に大きな感動を残した。
この日は、ヤナ・セーリナ、ヴァレリア・マルティニュクとフィリップ・スチョーピンの3人によるパ・ド・トロワもまた素晴らしかった。
スチョーピンは2年前のロンドン公演時22歳でバランシンの『シンフォニー・インC』の第3楽章を踊って話題になったダンサー。小柄だが音楽性に優れ、作品や役柄を良く理解し、役ごとに自らの様々な側面を披露するソリストだ。パ・ド・トロワではセーリナとマルティニュクという2人の相手役と豊かに心を通わせ、それぞれを巧みにサポート。女性の後ろに控えているだけでも観客の目を惹きつけてやまないスター性、豊かな音楽性と高い芸術性の中に見え隠れする確かなダンス・テクニックは、私にルジマートフやアスィルムラートワと共に初来日した頃の若きセルゲイ・ヴィハレフを思い出させた。

8月6日土曜日の夜はヴィクトリア・テリョーシキナとデイヴィッド・ホールバーグが主演した。
ホールバーグは09年3月にABTのロンドン公演で、マッケンジー版『白鳥の湖』を踊っている。貴公子のオーラを纏うホールバーグには、ABT版よりプティパ、イワーノフによるマリインスキー版が良く似合った。情熱的なシクリャーロフのジークフリートとは対照的な、内省的で静謐な魅力に満ちた王子で、現在演舞に非常な充実を見せるテリョーシキナとともに、湖畔での出会いからロマンティックで夢のある舞台を紡いでコベント・ガーデンの観客を酔わせた。 
ホールバーグは中1日休みをはさんで8日にはエカテリーナ・コンダウーロワとも共演。相手役をリフトすることの少ないマリインスキー版『白鳥の湖』は、長い間肩を悪くしているホールバーグにとって続けて踊ることのできる数少ないヴァージョンなのかもしれない。
今回のロンドン公演は、ソリストについていうと若手中心のメンバー構成で、かつてならロットバルト役に存在感をみせたイリヤ・クズネツォフや、道化で超絶技巧を披露し満場の観客の喝采をさらったアンドレイ・イワーノフ、パ・ド・トロワに美貌と音楽性を奮ったイリーナ・ゴールプらの姿が見られず淋しいことしきり。だがセーリナ、シリンキナ、スチョーピンらに加え、スヴェトラーナ・イワーノワや「ナポリの踊り」を連日踊ったワシリー・トカチェンコ、「ハンガリーの踊り」を連日踊ったカレン・ヨアンンニシアンら新人の活躍が見られ、ロシア・バレエの将来に夢を繋ぐことができた。
(2011年7月25、26、28日、8月6日夜  ロイヤル・オペラ・ハウス)

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フォーキン小品集『シェヘラザード』
今回のロンドン公演では、ロパートキナの5演目主演に加え、ヴィシニョーワも『白鳥の湖』『シェヘラザード』『アンナ・カレーニナ』『バヤデルカ』と4演目に登場し、ファンを歓喜させた。特に「フォーキン小品集」では、今やこの2人とともにマリインスキー・バレエを牽引するスターに成長したテリョーシキナ、様々な役に個性の刻印を押しブノワ賞、ゴールデン・マスク賞、ゴールデン・ソフィット賞など華麗な受賞暦を誇るコンダウーロワが『シェヘラザード』のゾベイダを踊るという何とも豪華な配役。熱心なファンはコベント・ガーデンに日参した。
7月30日マチネのコンダウーロワとコールプ組、そして最終日のテレショーキナとシクリャーロフ組はそれぞれが異なるストーリーを紡ぎたいへん心に残った。
コンダウーロワのゾベイダは、若く品格高く優美な魅力に満ち、儚げなその姿は男性の保護欲をかき立ててやまない。
コールプの黄金の奴隷は扉が開くと共に、大きな跳躍で舞台に躍り出し、空に美しいラインを描いて見せた。コールプの役ごとの豹変ぶりについては日本のファンが最もよく知っていることと思う。以前はキワモノに近い役を踊ってもどこか生真面目さが見え隠れした彼に、今では大人の男の色気や、確かな肉のぬくもりさえもが備わったのだからこの作品は見ごたえがあった。また大人の色香を漂わせながらも清廉な魅力の持ち主であるコンダウーロワと共演したせいか、<シェヘラザード>を踊りながら、観客に非常に精神性の高い愛を感じさせたことも興味深かった。
主人のいないハーレムで、許されたごく僅かな時だけ互いの姿を見、愛を確かめ合う2人。逢えずに過ごす孤独な時間が多いからこそ、互いを夢見、崇拝するのだろうか。観る者にそんなことすら想像させた忘れがたい舞台であった。
テレショーキナ、シクリャーロフ組は、よりオーソドックスな解釈に貫かれていた。テレショーキナはスルタンの愛妾らしく威厳と存在感に満ちている。だが、その心はスルタンにはなく、心密かに若く美しい黄金の奴隷と彼との逢瀬の時をうかがっている。少年の面影を残すシクリャーロフに「黄金の奴隷」は無理なのではないか、と心配したファンも多かったが、これが素晴らしかった。登場からたいへん情熱的で若さを迸らせ、高い跳躍と中性的な容姿、香る芸術性は関係者やファンにニジンスキーその人を想わせてやまなかった。
(2011年7月30日昼、8月1日  ロイヤル・オペラ・ハウス)

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バランシン・ロビンス小品集『スコッチ・シンフォニー』『イン・ザ・ナイト』『バレエ・インペリアル』
今年はロイヤル・ウェディングに国民もそして世界も沸いたものの、イギリスはいつ終わるとも知れない不景気にあえいでいる。かつては発売とほぼ同時に完売になったロシアの著名バレエ団の公演チケットも演目によって売れ行きにかなりのバラつきが出るようになった。今回の公演については『白鳥の湖』が全公演完売、そして新作で2公演のみの『アンナ・カレーニナ』が続いて完売となったが、一般人に馴染みのない小品によって構成されたバランシン・ロビンス小品集はチケットが売れず、特チケが出てROHのチケット窓口の係員が公演直前まで忙しく対応に追われていた。

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2日目の5日にバランシンの『スコッチ・シンフォニー』を踊ったのはシリンキナとホールバーグ。この日がホールバーグのコベント・ガーデン・デビューであった。
イギリスのバレエ・ファンは大きく2つのグループに分けられる。1つはロイヤル・バレエを中心に、ロンドンや国内を訪れる海外の有名バレエ団の公演や現代作品までくまなく観るグループ、そしてもう1つは「バレエはロシア」の信念の元、マリインスキー・バレエやボリショイ・バレエといったロシアの最高峰のバレエ団の来英公演や、ロシアの有名ダンサーの客演公演しか観ないグループである。そのため後者はこれまで何度もロンドンで公演し、今年2度目のロンドン公演に訪れたホールバーグについて予備知識を持たない。特に在英ロシア人のファンは「マリインスキー・バレエには長身の素晴らしい男性プルミエ(プリンシパル・ダンサー)が何人もいるのに、どうしてアメリカ人の若手を起用するの」と憤る者すらいた。
英「ダンシング・タイムス」誌7月号のホールバーグのインタビューによると、昨年マリィンスキー・バレエに客演したことがロンドン公演客演に繋がったようだ。ホールバーグ自身は、バレエ団の芸術監督ユーリ・ファティーエフの指導に開眼したという。実際ホールバーグのROHデビュー当日の午後に行われたゲネプロでもホールバーグがファティーエフのアドヴァイスを請い、それに従って練習を繰り返す姿が見受けられた。
キルト姿の男性群舞を従えシリンキナと共に踊ったホールバーグは、音楽を御しROHの大舞台を優雅な跳躍で移動する好演でコベント・ガーデン・デビューを飾った。シリンキナとのパートナーシップも自然で、バレエ団と十分な一体感を保ちながらも主役ダンサーらしいオーラで舞台を見事に引き締めてみせた。

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ロビンズ作品『イン・ザ・ナイト』は、瑞々しい初恋を育む若いカップル、しっとりと落ち着いた恋愛関係を静かに反芻する男女、反目し別離すら考えながらもやはり別れられない男女と3組3様の恋愛模様が描かれている。初日に3組のカップルを踊ったのは、オブラスツォーワとスチョーピン、ソーモワとイワンチェンコ、ロパートキナとコルスンツェフ。2日目はアナスタシァとデニス・マトヴィエンコ、コンダウーロワとイワンチェンコ、テリョーシキナとスメカロフ。
初日の3組も良かったが、2日目に反目しあうカップルを踊ったテレショーキナとスメカロフ組の雄弁にして節度のある演舞とシャープなダンス・テクニックも心に残る。スメカロフはエイフマン・バレエで若い頃から長身のバレリーナと踊ってきたせいかパートナーリングが非常に巧みで、この作品に見られる難解なパートナーリングをいとも簡単にクリアし関係者を驚かせた。

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『バレエ・インペリアル』は初日の4日をテレショーキナとシクリャーロフが、2日目をソーモワとコールプが踊った。それぞれ甲乙つけがたかったが、音楽性と鮮やかな身体表現を見せたテレショーキナとバランシン作品を非常に得意とするシクリャーロフ組に軍配を上げたい。
バレエ団関係者とダンサーは初日前日の3日に、サンクトペテルブルクで病に臥せっていたバレエ・マスターで元プリンシパルのセルゲイ・ベレジノイが亡くなったことに大きな衝撃を受けていた。ベレジノイといえばクルガプキナ、コムレワ、コルパコワ、シーゾワらの相手役として一世を風靡したキーロフ・バレエの元プリンシパル・ダンサー。指導者としてはボリショイ・バレエに移籍したロブーヒン、イングリッシュ・ナショナル・バレエのプリンシパルのドミトリ・グルジェーエフ、入団当初のシクリャーロフを始め、ジュージンやネドヴィガを教えていた。昨年初演されたラトマンスキーの新作『アンナ・カレーニナ』でカレーニンを世界初演するなど、バレエ団にとってたいへん大きな存在である。夜の公演には一切影響は見られなかったものの、4日午後のゲネプロ前に全団員が数分の黙祷を行った他、初日直前までゲネプロのスケジュールに大きな乱れがみられた。
(2011年8月4, 5日  ロイヤル・オペラ・ハウス)

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ラトマンスキー振付『アンナ・カレーニナ』
今回のロンドン公演で最も話題を集めたのはラトマンスキー振付の新作『アンナ・カレーニナ』であった。
高名な政治家と愛のない結婚に倦み、美しく情熱的な青年将校ヴロンスキーとの情事におちるアンナ。愛する息子と引き離され、自らが属していたサンクトペテルブルクの社交界からもつまはじきにされ、鉄道自殺を遂げる美女を描いたレフ・トルストイの不朽の名作は全3巻。アンナとヴロンスキー以外に、アンナの兄のスティーヴァ、スティーヴァの義理の妹キティや、スティーヴァの親友でトルストイの分身とされる地主貴族のリョービンなど様々な登場人物を描いた長編小説である。
映画やバレエ化される場合は、上演時間の関係からアンナとヴロンスキー、アンナの夫カレーニンの三角関係に焦点を絞って描かれることがほとんどだ。ラトマンスキーの新作もキティやリョービンは舞踏会の場面にほんの少し登場するのみであった。
ロンドンでは2公演で、初日の9日はヴィシニョーワ、2日目はロパートキナがタイトル・ロールを踊った。ヴロンスキーとカレーニンは両日スメカロフとバイムラードフが、キティは初日をオブラスツォーワ、2目はイワーノワが、リョービンは初日がアレクセイ・ティモフィーエフ、2日目はスチョーピンがつとめた。 
バレエはアンナの葬儀から回想形式で始まる。モスクワの駅でのアンナとヴロンスキーの出会い。サンクトペテルブルクまで帰るアンナを追って列車で旅する2人の姿とペテルブルク駅での出来事。アンナの愛のない結婚生活と舞踏会でのヴロンスキーとの再会。上流階級の名士の妻として母として貞操を守ろうとするも、ヴロンスキーとの情熱の嵐に身を任せるまでを描く1幕。
皇帝ご臨席の馬術大会で始まり、病に伏せるアンナやヴロンスキーの自殺未遂事件、2人のイタリアへの逃避行、ロシアに戻った後、劇場にオペラを見に行き、社交界の皆に背を向けられるアンナと、主人公の鉄道自殺で終わる2幕。
原作のアンナに近かったのは初日のヴィシニョーワか。初めはカレーニンとの暮らしにも満足しており、夫や子供を愛している。だが仕事で忙しい夫が自分に目を向けてくれないことに淋しさを覚え、ヴロンスキーと道ならぬ関係に落ちてしまう。虚偽に満ちた社交界の住人でありながら、その純粋さゆえに自ら命を絶つことになる、運命に翻弄される佳人といった趣き。
一方、ロパートキナは自分の美と魅力に自信を持った自我の強いアンナを演じた。カレーニンとの夫婦生活は形だけのもので冷め切っている。出会いの後、ヴロンスキーを翻弄したかと思えば、舞踏会での逢瀬では自らの社交界での名声に傷がつくのを恐れている様子を演じ、馬術大会で落馬したヴロンスキーへの愛に取り乱す場面では、その時点で既にアンナが精神の均衡を崩しやすい女性であることをはっきり観客に伝えていた。
初日のヴィシニョーワはヴロンスキーに激しい愛をぶつけられ戸惑う様子や、イタリアに移ってからも息子と愛する男性のとの板ばさみに苦悩する様子、オペラを聴きに行き社交界の冷たい仕打ちにショックをうける様子を細やかに描いて印象深かった。2日目のロパートキナは前述の馬術大会の場面、そしての何もかも失い鉄道自殺をする場面の鬼気迫る演技が圧倒的であった。
女性の観客はヴィシニョーワ扮するアンナのほうにより感情移入できるのだが、ロパートキナのクライマックスの真に迫った演技には、観る者に初日のヴィシニョーワのアンナ像を淘汰し忘れさせるほどの力を持っていた。

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スメカロフは愛に殉じる青年士官ヴロンスキーがたいへん良く似合い、世界のバレエ・ファンの胸に長らくこの役柄と共にその名を刻まれることであろう。イスロム・バイムラードフも冷徹非情なカレーニンを好演。キティ役は演技達者なオブラスツォーワが見事に自分の役にしていたし、内気ながらキティを熱愛し、意を決して結婚を申し込むも断られる苦悩の地主貴族リョービンは2日目のスチョーピンの好演が印象に残った。また往年の名バレリーナ、リュボフィ・クナコワがキティの母シェルバツキー公爵夫人役を演じて話題となった。
作品についていうと若い頃から『マノン』や『マイヤリング』『ザ・インビテーション』『別の鼓手』といった、ケネス・マクミランの描く情念渦巻くドラマティック・バレエの洗礼を受けているイギリスのバレエ・ファンには、ラトマンスキーの作品は、3人の登場人物の苦渋に満ちた原作をさらりと描きすぎているように感じられた。特に初日の配役だけを見た関係者やファンの場合、その感想が顕著であったであろう。2日目についていうとロパートキナの演技が際立ち、よほど冷静に自らを御せる者以外は作品云々といった細かな粗探しをすることを忘れさせてしまったのだから。
印象的な場面をちりばめ、長編小説を短くまとめた手腕は評価できるが、マクミランの『マノン』の寝室のパ・ド・ドゥや沼地のパ・ド・ドゥ,クランコの『オネーギン』の舞踏会の場面や別れのパ・ド・ドゥのような、美しく印象に残る振付やダンス・シーンは見当たらなかった。
帝政ロシア時代の衣装は美しく再現されたが、時代物バレエ作品の衣装に重厚な素材を使うロイヤル・バレエとは対照的に、『アンナ・カレーニナ』ではアンナの冬の外套や男性の夜会服も薄手の透ける素材を使用していることに驚いた。薄手の生地を使っているとはいえ、客席からは充分豪華に美しく見える。薄手で軽い素材はダンサーにとっても踊りやすいだろうし、海外公演など移動にも便利で、実用的だ。縫製も楽だろうし、製作・ツアーのための移動時のコスト削減にもつながる。
セットについても、カレーニン家の書斎や舞踏会場の背景他に映像が多用され場面転換を容易にしていた。唯一の大掛かりなセットは列車で、サンクト・ペテルブルグに帰るアンナと彼女に恋をしたヴロンスキーが隣同士の車両に乗ってモスクワから旅する様子、途中の停留所で車外に出たアンナにヴロンスキーが恋を告げる場面に使われ、告白の場面では舞台上手に停車した列車となり、それ以外では吹雪の中をモスクワに向けて走ったり、舞台上で大きく動いて観客に車内でくつろぐアンナをはじめとする旅客の姿を見せるなどした。
(2011年8月9, 10日  ロイヤル・オペラ・ハウス)

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『バヤデルカ』
バレエ団最高の布陣で望んだ今年のロンドン公演は、英5大新聞の舞台評や、公演直後に世界に発信される21世紀のメディア情報によって日を追うごとに人気が高まり、少数残っていた『バヤデルカ』の公演チケットも結局、全日完売となった。
ロンドン公演最後の演目の初日を任されたのはテリョーシキナとシクリャーロフ、ガムザッティ役はアナスタシア・マトヴィエンコが踊った。
黒髪にスリムな肢体のテリョーシキナには舞姫ニキヤがよく似合った。またこの作品では花かごの踊りで軸足ポアントからルティレ・パッセを通って見せるアラベスクや「影の王国」でのピケ・ターンなどに強靭な身体能力を発揮して見せた他、婚約披露宴の場面では愛するソロルをガムザッティに奪われるわが身の運命を嘆き悲しむ演技が見事であった。
アナスタシア・マトヴィエンコは今回のロンドン公演では『白鳥の湖』全幕や『イン・ザ・ナイト』などを踊ったが、ガムザッティ役が最も良く似合った。
シクリャーロフは影の王国のパ・ド・ドゥのソロのマナージュに若さを迸らせ、ロンドン最後の公演を魅力たっぷりに締めくくってみせた。

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12日はヴィシニョーワとゼレンスキーが主演。ロンドンのバレエ関係者やファンが、長いこと「ロンドンでは、もう観ることは叶わないだろう」と諦めていた顔合わせであった。
この日は早くから戻りのチケットを求めるファンがチケット売り場向かいに列をなし、その中にはメイナ・ギールグッドの姿もあったほど。1階や3階バルコニー中央の条件の良い立ち観エリアには古くからのロシア・バレエ・ファンが駆けつけ、それだけで関係者やバレエ・ファンのこの配役への関心の強さがうかがえたものである。
ゼレンスキーがグラン・ジュテで疾風のようにROHの舞台に登場した時から奇跡のパフォーマンスの火蓋が切って落とされた。今年42歳のゼレンスキー演じる戦士ソロルの威厳と存在感、舞姫でありながら1人の女としてソロルとの熱愛に生きるヴィシニョーワのニキヤ。2大スターの競演に観客が熱狂した。個性的な役の解釈、美しい腕や足の運び。今回のロンドン公演でヴィシニョーワが最も輝いたのが『バヤデルカ』であり、ゼレンスキーもまた然り。本来であればこの2人がロンドン公演の千秋楽を踊るべきだったのではないかと感じた。

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13日ソワレの千秋楽を踊ったのはロパートキナとコルスンツェフ。
3幕「影の王国」のロパートキナの役の解釈と演舞に興味をそそられた。この幕のニキヤは本来は幻であるはずだが、ロパートキナは人間的で表情豊かなニキヤを踊った。まるで自分の運命を受け入れ、ニキヤを死なせた事実に苦悩するソロルを許すかのようなその姿は、阿片を吸ったソロルが夢見た涅槃の情景なのであろうか。
またこの日は、ベテラン・キャラクター・ダンサーのポノマーリョフが『シェヘラザード』に続いて素晴らしい存在感をみせた他、「影の王国」の第2ソリスト踊ったセーリナとシリンキナ、壺の踊りのマルティニュクがたいへん魅力的であった。また連日「太鼓の踊り」を踊ったオレグ・デムチェンコとアナスタシア・ペツシコワの熱演あり、千秋楽に品格高いゴールデン・アイドルを踊ったスチョーピンの好演もあった。入団3年目にしてこの演目2日目のゴールデン・アイドルに抜擢されたワシリー・トカチェンコなど、プリンシパルからソリスト、群舞に至るまでが一丸となって作品を忘れがたいものにしていた。
まだ正式な発表こそないが、マリインスキー・バレエは、来年春にも全幕作品とバレエ団初演作品を持って1週間のロンドン公演を行う予定だという。来年の日本公演前にまた充実したロンドン・レポートをお届けできるよう頑張りたい。

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(2011年8月11、12、13日夜 ロイヤル・オペラ・ハウス。『イン・ザ・ナイト』8月4日、『アンナ・カレーニナ』9日、『バヤデルカ』11日最終ドレス・リハーサルを撮影)