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アンジェラ・加瀬 text by Angela Kase 
[2010.09.10]

『ジゼル』競演、ニクーリナ、ヴォルチコフ、カプツォーワ、スクフォルツォフ

Yuri Grigorovich:Giselle
ユーリ・グリゴローヴィチ振付『ジゼル』
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ロンドン公演2週目はバランシンの『セレナーデ』とグレゴローヴィッチ版『ジゼル』で開幕。
チケット売り出し時にザハロワとツィスカリゼが踊ると発表されていた初日は、ザハロワの降板によりオシポワとスクフォルツォフがつとめることになった。
日本のバレエ・ファンは、これまで新国立劇場やガラ公演で、毎年のようにザハロワの舞台に接する機会に恵まれていたことと思う。だがロンドンでは「ザハロワのすべて」のような公演も行われてはいないし、ガラ公演そのものが少ないため世紀の舞姫の舞台を観るチャンスは稀だ。
今年は春のヌレエフ・ガラでメルクーリエフと『トリスタンとイゾルデ』『ブラック』を踊ったとはいえ、全幕主演は3年ぶりであったから関係者やファンの落胆は大きかった。
熱心なボリショイ・ファンは初日のザハロワ、2日目に予定されていたオシポワのロンドン『ジゼル』デビューのチケットも買っていたが、どちらか一人を楽しみに早くから高価なチケットを買っていたファンは泣きの涙であった。
今年はこれまでのロンドン公演と比べるとチケットの売れ行きが鈍く、完売になった公演はほんの一握り。バレエ・ファンにとって一晩にバランシンと古典の名作の2つが観られるお得感の強いはずの『セレナーデ』と『ジゼル』の3公演のチケット・セールスがなぜか奮わず、4階席を中心に空席が目立った。
完売にならない公演のチケットを売り場に戻すのは難しい。ザハロワによる初日を楽しみに高価なチケットを購入していたファンの多くが、オシポワを観ることになり、オシポワのロンドンでの『ジゼル』デビューを楽しみにしていたファンの多くが、別の配役の舞台を見ることになった。
オシポワの『ジゼル』についてはデビュー直後のイタリア、トリノでの公演を、08年1月号でたくさんのオリジナル写真と共にご紹介しているため、今回は2日目と3日目の公演を鑑賞した。

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7月27日、アンナ・ニクーリナのロンドンでの『ジゼル』デビュー公演が行われた。相手役はアレクサンダー・ヴォルチコフである。
清純で可憐、優し気な雰囲気のニクーリナにはジゼルが良く似合う。1幕の登場でアルブレヒトを探す様子、花占い、アルブレヒトへの憧れと恥じらい。狩のため村におりてきた宮廷の人々に接する様子も初々しく、バチルドの美しいドレスに驚く姿も愛らしい。演技のみならず技術的にも安定しており、危なげがなかった。今年5月のイタリア公演でもスクフォルツォフと共にパルマとモデナで『ジゼル』を主演しており、演舞ともに既に自分のジゼル像を作り上げているようだ。
ヴォルチコフのアルブレヒトは、村で宮廷生活では味わえない自由を謳歌し、戯れの恋を楽しむ貴族の若者であった。うぶなジゼルをからかい楽しんでいるが、ジゼルのことはそれなりに愛しているし、悪意もない。まさか狩の一行とバチルドに村での姿を見とめられ、ジゼルを失うことになるとは夢にも思っていない。

これは昔から不思議なのだが、ボリショイ・バレエにはグレゴローヴィッチ版とワシリエフ版、2つの『ジゼル』があり、それぞれ頻繁に踊られている。06年の英国地方公演ではワシリエフ版が、今回のロンドン公演ではグレゴローヴィッチ版が披露された。大きな違いは1幕、収穫の祭りの村人たちの踊りにある。グレゴローヴィッチ版は村の若いカップルがペザント・パ・ド・ドゥを踊るが、ワシリエフ版では男女各4名がパ・ダクションを踊る。
ゲネプロと27日のペザント・パ・ド・ドゥは、ダリア・コクロワとアンドレイ・ボローティン。ボローティンが素晴らしい踊り手であることはロンドンのバレエ・ファンの間ではすでにおなじみだ。新人のコクロワも小柄で容姿に恵まれ、エレガントで今後が楽しみなバレリーナであった。
ニクーリナのジゼルは1幕も十分素晴らしかったのだが、2幕の演舞がより心に残っている。精霊になってもなお人間の心を強く残しており、ヴォルチコフの巧みなサポートと共に浮遊感あふれるパフォーマンスを見せながらも、アルブレヒトを救おうという健気気さが観る者の心を打った。特に朝を告げる鐘の音が聞こえた後、愛する人との永久の別れを前に悲痛な面持ちでアルブレヒトの手を握り続けるニクーリナの様子が哀れで涙したファンも多かったと聞く。
現在、スクフォルツォフと共に次期ウヴァーロフ世代のダンスール・ノーブルとして内外で活躍するヴォルチコフは、1・2幕ともに健闘したが、2幕のパ・ド・ドゥのソロの着地で破綻し観客を冷やりとさせた。

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2日目のニクーリナ、ヴォルチコフ組のフレッシュな魅力も捨てがたいが、パフォーマンスの完成度の高さでは3日目のカプツォーワとスクフォルツォフ組に軍配を上げたい。
3年ぶりに観たカプツォーワは表現力にますます磨きがかかり、技巧をひけらかさずとも芸術性と演技力で観客の心をつかんで放さなかった。
今回のロンドン公演では、『スパルタクス』のフリーギア、『ジゼル』『パキータ』のソリスト、『ペトルーシュカ』のバレリーナ人形、『海賊』の奴隷の踊りとほとんどの演目に出演したが、それらすべてが素晴らしく踊り分けも見事で心に残った。
ロンドン入り当初より足を痛めていたというが、舞台を見る限り悪いところを持っているようには微塵も見えなかった。
『ジゼル』では1幕のソロが味わい深かった他、貴族やバチルドに対する立ち振る舞いを見ているだけで観客に身分の違いをはっきり意識させることに成功していたし、2幕ではミルタとアルブレヒトの間にふわりと入りこみ、愛する人を守ろうと体で十字架を作る姿に強い意志と大きな愛がうかがわれ、ミルタとウィリ(精霊)たちとは、全く違った種類の空気をまとっているように見え大変興味深かった。

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スクフォルツォフ演ずるアルブレヒトは、ヴォルチコフとはあまりにも対照的であった。ジゼルに対する愛は真実のもので、花占いの結果を気に病む恋人を励ます姿や、体の弱いジゼルを心配し思いやる様子は限りなく優しい。
通常アルブレヒトは花占いの場面で、ひな菊の花びらを1枚ちぎって「2人の愛は必ずかなう」とジゼルを安心させた後、花を投げ捨て、笑顔の戻った恋人と腕をからませあい踊る。だがスクフォルツォフのアルブレヒトは、花を捨てず手に持ったままジゼルと踊る。宮殿の広間に飾られる種類の花ではない。村のそこかしこに咲いている野の花であるひな菊。
宮廷に帰らねばならない定めのアルブレヒトには、村でジゼルと過ごす時間と恋人を思い出させる品はすべてが宝物であるかのように。
スクフォルツォフは昔から打つパが得意で、『ファラオの娘』のタホールのソロでも見事なフットワークを披露してくれるのだが、2幕のソロのカブリオールは両のつま先をきちんと揃えたシングルにとどめ、ダンスール・ノーブルらしい品性の良さアピールした。

ボリショイの男性プリンシパルは、アルブレヒトの2幕の衣装に自分独自のデザインや色あいのものを着用するのも興味深い。今回の2人についてはヴォルチコフが紫のチュニックにグレーのタイツ、スクフォルツォフは黒に胸元がグレーの上衣である。
当初、ザハロワの降板に大きな衝撃を受けたイギリスのバレエ・ファンも、結局はみんなニクーリナやカプツォーワ、オシポワの中に新しいお気に入りを見つけたようだし、ペザント・パ・ド・ドゥのコクロワも気に入った様子。スクフォルツォフとヴォルチコフの優美な佇まいや優れたアーティストシップ、一糸乱れぬパフォーマンスを見せる2幕の群舞に大いに満足し、家路についたのであった。
(2010年7月27・28日 ロイヤル・オペラ・ハウス 26日午後の最終ドレス・リハーサルを撮影)

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撮影:Angela Kase
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