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アンジェラ・加瀬 text by Angela Kase 
[2008.01.10]

ボリショイ・バレエ イタリア トリノで公演

ボリショイ・バレエは12月6日から23日まで、『海賊』『ドン・キホーテ』『ジゼル』の全幕3作品を持ってイタリアのトリノで公演を行った。
主要ダンサーではアレキサンドロワ、ルンキナ、オシポワ、アラシュ、フィーリン、ツィスカリーゼ、ベロゴロフツェフ、マトヴィエンコ、メルクーリエフ、ワシリエフが出演し、各演目の配役発表前からチケットは完売であった。

ツアー終盤の22、23日と、バレエ団の新星ナターリア・オシポワが『ジゼル』のタイトル・ロールを踊るというので、トリノに飛んだ。
オシポワは、04年にボリショイ・バレエに入団。05年のモスクワ国際バレエコンクール銅賞受賞者である。元は体操選手を目指していたが背中の故障によ りバレエに転向したという。容姿やプロポーションにこそ恵まれてはいないが、華やかな跳躍と技巧、明るい個性と演技力で、若手の中ではアレキサンドロワと 共に、非常にボリショイ的なバレリーナといえよう。
私がこれまで観た中では、昨年夏のバレエ団ロンドン公演の『ドン・キホーテ』全幕が圧巻で、1幕のカスタネットのソロに見せる情熱と激しさは、若かりし頃のマイヤ・プリセツカヤを髣髴とさせながらも、若きオシポワ独自のキトリであった。
1幕終了後のロイヤル・オペラ・ハウスのフォワイエで、彼女のキトリに驚嘆した人々が口々に賞賛のコメントを叫んでいた様子が今も忘れられない。今やボ リショイでキトリと言えば、フェッテを得意とするヴェテランのステパネンコか、<時分の花>で見せるオシポワの二人につきるであろう。

そして今年夏、1年ぶりにロンドンの観客の前に姿を見せた彼女は、演技面でもまた一回り大きな成長の後を伺わせ、『明るい小川』のクラシック・ダンサー役でも、アレキサンドロワと人気を二分してみせたのである。
現芸術監督のアレクセイ・ラトマンスキーには、早くよりその才能を愛でられ、ワークショップで発表される小品から、『ボルト』『明るい小川』『カルタ遊び』『海賊』『ミドル・デユオ』といった彼の作品に、必ず抜擢されるダンサーとしても知られている。

オシポワは、11月22日にバレエ団の本拠地であるモスクワ、ボリショイ新劇場で『ジゼル』デビューしたばかり。トリノでの公演がロシア国外デビューとあって、ヨーロッパのバレエ関係者や熱心なファンが早くより注目していた。
現在ボリショイ・バレエ団は2つの異なるヴァーションの『ジゼル』を有しており、11月にオシポワが踊ったのはグレゴローヴィッチ版だが、トリノではワ シリエフ版が上演された。11月、12月共に相手役はマリィンスキーから移籍して2シーズン目のアンドレイ・メルクーリエフがつとめた。

華やかな技巧を披露する作品を得意とする弱冠21歳のオシポワが、古典バレエの代表作であり、1幕で「動」、2幕では「静」というコントラストを際立た せなければならない『ジゼル』に、入団3年目で抜擢されたということは、私にとっては驚き。彼女がこの役を今現在どのように演じ、踊るのかに大いに心惹か れたのである。

世界遺産に指定されている王宮が建つ、王宮広場の一角にある王立劇場(レッジョ劇場)は、火災で焼け落ちた後、近年になって再建されたモダンな作りの建物で、どの席からも舞台が非常に見やすい作りになっている。
『ジゼル』のポスターは、グレゴローヴィッチ版の青い衣装をまとったオシポワの舞台写真が使われていた。同劇場は開演1時間前から当日券30枚を売り出す というが、私が観た最終日23日の朝は、底冷えする天気にもかかわらず、開演4時間前の11時の時点で、現地の熱心なバレエ・ファン25人ほどが話題の公 演を何としても観ようと列をなしていた。

1幕、優美でノーブルなメルクーリエフ演ずるアルベルトがドアをノックする音を聞き、跳躍で登場するオシポワは初恋に心躍らせる村娘そのものであった。
バレリーナの明るい個性は、恋する乙女ジゼルに思いの他良く似合い、恥らいや、花占いの場面で花びらの数を数えて初恋の行く末を憂う様子、踊っていて胸が苦しくなる演技もすべて自然で好感が持てた。
バロネの連続で舞台を対角線上に移動する場面も、技巧派バレリーナであるオシポワにとってはわけもないことで、バランスや上体の返し方も安定しており、安心して見ていることができた。

11月22日のモスクワでのデビューを観ていたバレエ関係者によると、デビュー当日は1幕の演技が過剰で目に付いたという。そのあたりを見直したのか、トリノでの最終日は、狂乱の場面も静か過ぎるほどであった。

トリノ公演は、現地のオーケストラをボリショイのパーヴェル・クリニチュクが指揮した。
ワシリエフ版は1幕に、ハンスがタンバリンを持って村人を率いて踊る場面や、村の若い男女8名が踊る形象美に優れた「パ・ダクション」など見所が多い。
今回トリノ公演で「パ・ダクション」を踊った男性4人は、いまだ新人ながらも、非常に緩やかなテンポで指揮するクリニチュクの音楽によくのって、4人が一列に並び跳躍の連続を見せる場面でも、息の合ったところを見せて見事であった。


2幕、ミルタ役をマリア・アラシュ、ミルタのお付きの2人のウィリをネッリ・コバヒゼとオルガ・ステブラツォワが踊った。この3人をはじめ、ボリショイ・バレエ団の世界最高峰ともいえる女性群舞のアンサンブルの見事さに、観客から大きな拍手が送られた。

オシポワのジゼルはミルタに導かれて登場した直後の旋回技に冴えを見せ、浮遊感にあふれた跳躍と共に、この幕でも登場直後より観客の関心を一身に集めた。
当日のハンス役は、若手技巧派のユーリ・バラノフ。蒼白く非情なウィリの群れに命尽きるまで踊らされる場面での跳躍の数々が白眉で、必死に命乞いをする様も緊迫感に満ち、女性アンサンブルと共に作品後半を大いに盛り上げてみせた。

メルクーリエフ演ずるアルベルトには、ジゼルを想う優しさや誠があふれ非常に好感が持てた。身分の違う村娘に心惹かれ、愛しく想いながらも、貴族であることが明らかになり、娘を死なせてしまった事実に苦悩するアルベルト役は、メルクーリエフに非常に良く似合う。
気品ある佇まいや所作、演技のすべてが自然であり、また当日も観客に努力を見せずして、女性バレリーナを最も美しく見せるリフトやパートナーリングを駆使していた。
ミルタの命ずるままに、くりかえし見せるブリゼやジュテ・アントラルセなどの跳躍の数々も音楽性に優れ、どんな時でも気品を失わない。
オシポワは、精霊となってからもアルベルトを救おうという気持ちの強い健気なジゼルを演じ、パ・ド・ドゥではメルクーリエフの優れたリフト技術によっ て、また一人で見せる跳躍の数々においても体重を感じさせず、宙に浮かんでいるように見え、着地においても足音をたてず見事としかいいようがなかった。


当日のオシポワは、『ジゼル』を踊るにあたって相当なプレッシャーを感じていたようで、団員クラスにも姿を見せず、早くよりメイクとヘアを済ませ1幕の 衣装を着け、誰一人観客のいない客席を前に、たった一人ほの暗い舞台に立って気になる部分を何度も踊りこんでいた。また、1幕ではバロネなどの技を駆使す るため、2幕では跳躍からの着地で足音を立てぬよう、トゥ・シューズのつま先の部分をかがったり、シューズに相当な工夫を凝らしていた。

  踊り終わった後は、当日の自らの演舞に納得がいった様子で、カーテン・コールでも明るい笑顔がこぼれ、幕が下りてからも、恩師のコンドラチェーワから言葉をもらって嬉しそうであった。

オシポワ、メルクーリエフ共に、トリノでは全行程・全演目に出演する忙しさで、特にメルクーリエフは、やはり全演目に出演予定であったシュピレフスキー が、『海賊』に出演しただけで、帰国してしまったため、『ドン・キホーテ』の闘牛士トレアドール役を全6公演、『ジゼル』もアルベルト役を、21,22、 23と連日踊る超過密スケジュールであった。

オシポワは、1月5日から行われるバレエ団のパリ公演2日目の6日に『海賊』のメドーラ役でデビューが予定されており話題であったが、トリノ公演の疲れが災いしたのであろうか、帰国後に膝の痛みを訴え、パリでのメドーラ・デビューを延期にしたという。
この若き才能あふれるバレリーナの一刻も早い復調を祈りたい。