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守屋光嗣 text by Koji Moriya 
[2007.08.10]

フィリップ・ドゥクフレの『ソンブレロ』

スポルディング監督にインタビューした日は、偶然にも、フィリップ・ドゥクフレの新作、『ソンブレロ』の初日。サドラーズの入り口横にあるカフェでは、フランス語が盛んに飛び交っていた。

これより前にドゥクフレの作品を観たことはなかった。新作のタイトル、『ソンブレロ』から何かしらメキシコをテーマにした振付だと思っていた。だが、こちらの期待は軽く蹴散らされた。

舞台が始まると、俳優(Christophe Salegro)と女優(Aurelia Petit)が、フランソワとフランソワーズのメキシコへの旅行の話を始める。彼らの背後には、前身黒ずくめ、顔も手も真っ黒に塗りたくったダンサーが影 のように寄り添っている。その一人はドゥクフレ自身。じきに舞台に、女性、男性のダンサーが一人づつ現れ踊り始める。舞台を横切りながら、女性が何度も男 性の肩によじ登る、というもの。このシークウェンス、どこかで観たことがあると思ったら、マリファントの『PUSH』のでだしのパロディになっていた。


『ソンブレロ』

舞台に置かれた傾斜のある白い台にダンサーが立つ。その足下には例の黒塗りのダンサーが横たわる。ダンサーの動きをまるで影のように追う黒塗りのダン サー。が、やがて影は主の元から離れ、他の影と踊りだす。プログラムによると、『ソンブレロ』のテーマの一つは、「Everyone has a shadow, if not several shadows」、とのこと。
やがて舞台は事前にプログラミングされたビデオ、舞台下から同時進行で撮影される映像を交えて、まるでカレイド・スコープの中でダンサーたちは踊ってい るようだった。個人的には、ダンスの場で映像が多用されるのは好みではないのだが、ドゥクフレの映像処理のセンスはこれまで観てきたものと一線を画してい た。思うに、彼は映像を舞台セットの一部とは捉えず、映像そのものに「ダンサー」の役割をあてがっていたからではないかと感じた。また、残像の処理の仕方 が、マース・カニンガムの手法に似ていると思ったら、ドゥクフレはカニンガムと共同作業の経験があるとのことだった。




『ソンブレロ』


『ソンブレロ』
  最後は、男性ダンサーが大きなソンブレロをかぶり、ロデオ・マシーンにまたがり、その背後のスクリーンに彼の正面、背後の映像が何重にも映し出される。全 体を通して明快なストーリーはないが、まるでロード・ムーヴィを見ているような終わり方だった。また、趣は全く異なるが、エイゼンシュタインの『メキシコ 万歳』を思い浮かべた。
ダンサーの技量は、ドゥクフレ本人を含めて、ダンス・バレエの基本がしっかりしていて、純粋な踊りだけを見せる演目でないながらも、各ダンサーの動きは見応えがあるものだった。
さらに、舞台を極めてユニークなものにしたのが、Christophe Salegroの存在。プロフィールによると、元はモデルで、正式なダンスのレッスンは受けたことがないそうだ。ヒョロッとしていて、体型は全くダンサー のものではない。にもかかわらず、他のダンサーに混じったときの存在感は、全く引けを取らないものだった。例えるなら、フランス版MrBean、もしく は、英マンチェスター・ブームをご存知の方には、ハッピー・マンデイズのベズ、と言った所だろうか。
不幸なことに、全く同じ時期にバービカン・シアターで上演されたマーク・モリスの公演に隠れてしまったうえに、フランス物を受け付けない傾向にあるイギ リスの批評家からは、あまり好意的な評価はされなかったようだ。しかし、サドラーズにいた観客は、「美は乱調にあり」を地でいくこの演目を体の芯から楽し んでいたようだ。
プログラムから得た情報では、ドゥクフレは、何度も日本にいっているとのこと。この『ソンブレロ』を日本で観る機会はすぐに来るのではないだろうか。ち なみに、観終わって筆者が思い浮かべた、『ソンブレロ』から感じた他のキー・ワードはウルトラQ、明るい21st century schizoid man、歪んだアラベスク、人を幸せにする意思、黒塗りのロビン・ウィリアムズといったところだ。