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守屋光嗣 text by Koji Moriya 
[2006.09.10]

マリインスキー・バレエ・ロンドン公演

昨年の夏に続いてロンドン公演を行ったマリインスキー・バレエ(ロンドン・コリシアム劇場)。今回はオペラとともに来英した。芸術監督のワレリー・ゲルギ エフの方針によって、すべてのプログラムが、今年生誕100年になるドミトリ・ショスタコーヴィチが作曲したものを使うということで、バレエ作品は馴染み のないものばかりだった。
公演を前にしたメディアによる特集記事の多くは、ボリショイ劇場との対決や、今回のマリインスキー劇場のロンドン公演が実現に至った裏話に終始し、肝心 の作品を詳しく紹介していなかった。馴染みの無い作品ばかりの上に予備知識を得る機会も少ない、さらにバレエ作品のすべてがロシアの近・現代史に深く根ざ していて親近感を持ちにくかったようにも思う。半ば予想していた通り、商業的に大成功とはいかなかったようだ。また、各新聞のバレエ・クリティックも、彼 らの言葉の端々から、どこに視点を置いて批評すればよいのか迷っていたのではないかと感じた。

ミックス・ビル(『レニングラード・シンフォニー』、『ザ・ベッドバグ』、『ザ・ヤング・レディ・アンド・ザ・フーリガン』)は都合があわずに観にいけ なかったのだが、かなり手厳しい評価を受けていた。唯一、『レニングラード・シンフォニー』に出演したユリアナ・ロパートキナの存在感と、彼女の作品解釈 に高評価が集中していた。
筆者が観にいった『ザ・ゴールデン・エイジ』はショスタコーヴィチが1929年に、初めてバレエ用に発表した曲。オリジナルの振付がどのようなものだっ たのかは寡聞にして知らないが、今回ロンドンで上演されたものは、ノア・ゲルバー(Noah Gelber)による振付。ゲルバーは、ウィリアム・フォーサイスがいた頃のハンブルク・バレエで踊っていた経歴を持つ。マリインスキー劇場での彼の振付 の初演は今年の6月28日。初演からひと月のうちにロンドンで上演されたことになる。

物語は、2000年、ヨーロッパのある都市で偶然の再会を果たしたフランス人女性のソフィーとロシア人のアレキサンダーが、二人が初めて逢った1930年のことを回想する、という形式で進む。
1930年、西ヨーロッパのある都市を、ソヴィエトのサッカー選手が訪れる。アレキサンダーは選手の一人で、チーム・メイトともに競技場で練習をしてい る。そこに体操選手のソフィーも居た。二人はお互いに惹かれあう。その後、パーティー会場で二人は再会する。ソフィーは両親に言いつけにそむいて、アレキ サンダーの元にとどまる。
場面は現代に戻り、予想していなかった再会によってもたらされた衝撃で、ソフィーは気を失ってしまう(第1幕)。

病院で手当てを受けるソフィーは、若かった頃の記憶を思い出している。サッカーの練習試合でアレキサンダーは足をいためる。他の選手が去った競技場で、 ソフィーは彼の手当てをする。言葉によるコミュニケイションは難しかったが、二人の間には深い理解が芽生えていた。
翌日、サッカーの本試合があった。ソヴィエト・チームと、西ヨーロッパのチームとの間には、何かしらの心理的衝突があるのが誰の目にも明らかだった(第2幕)。

廃墟となった競技場のそばに、ソフィーは子供たちといた。子供たちを慰めようとしたソフィーの友人、フォン・クラインが突然倒れ臥し、死んでしまう。彼の死に呆然とするソフィー。
刑務所に投獄されたアレキサンダーと彼の友人ウラジミールは、次々に死んでいく仲間たちを前になす術がない。深く傷ついているウラジミールは、それでも 何とかアレキサンダーを生き延びさせられるが、ウラジミールは力尽き死んでしまう。アレキサンダーの慟哭が響き渡る。
場面は2000年に戻り、ソフィーのベッドの脇で、疲れきったアレキサンダーが眠り込んでいる。目覚めたソフィーは過去の記憶におびえるが、傍らにアレキサンダーを認め、これから生きていく喜びを彼と分かち合う(第3幕)。

主役を踊ったダリア・パヴレンコとミハイル・ロブーヒン、更にコール・ドのダンサーすべてが、観客がマリインスキー・バレエのダンサーに期待していたで あろう高い水準の技術をいくつかの場面で披露した。パヴレンコは、自身が演じる役を充分に理解していたようで、テクニックを抑え目にしつつ、表情、所作か ら運命に翻弄される若きソフィーを自然体で演じていた。また、第2幕終盤のサッカーの場面での20人近い男性コール・ドによる複雑なフォーメイションには 思わず身を乗り出して見入ってしまうほど。
しかし、この振付がマリインスキーのダンサーにあっているかどうか、マリインスキー・バレエを観にきた観客の期待に応えていたか、と問われれば、正直な 所、返答に困ってしまう。物語の構成という点でも、舞台で進んでいる物語の時代背景が限定的で、背景を知らない観客の心をがっちりとつかむ普遍的な要素 は、希薄だった。極端な例えかもしれないが、マシュー・ボーンが演出しました、といわれても納得してしまったかもしれない。
振付以上に困惑したのが、舞台セットの一つとして何度も使われた映像。錯綜する時代設定と、背景を説明するために多用したのだろうが、逆に与えられる情 報量が多くて集中力がそがれた。例えば第2幕の冒頭、病院のベッドに横たわり、医師から手当てを受けているソフィーの憔悴しきった表情を、巨大スクリーン で観客に知らせる意味があったのだろうか。
芸術監督としてこれをイギリスの聴衆に見せたかった、というゲルギエフの熱意は伝わるが、今回はその熱意が空回りしてしまったようだ。