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船引怜美 Text by Remi Funabiki 
[2005.08.10]

●アダム・クーパー、『危険な関係』のロンドン公演

日本での世界初演から6ヶ月、ロンドンのバレエ・ファンにとって待ちに待ったアダム・クーパー最新作『危険な関係』が7月21日に幕を開け、 サドラーズウェルズのサマーシーズンとして8月14日までの約3週間半上演されています。

『オン・ユア・トーズ』、『雨に唄えば』、ミュージカル『グランド・ホテル』と次々に振付家として大活躍するアダムの最新作としてもファンの高い注目と期待を集めましたが、 イギリスバレエ・ファンにとっては、アダムとサラ・ウィルドーの主演によりサラの踊る姿を観ることができると言う点でも注目され、公演前には数多くの新聞でサラとアダムのインタヴューが掲載されました。

2001年9月に突如ロイヤル・バレエ(RB)を去り女優へと転身、ミュージカル『コンタクト』や『オン・ユア・トーズ』でサラの踊る姿を見ることは出来ましたが、 女優バレリーナと言われた彼女の魅力を十二分には味わうことは出来ませんでした。 しかし今回、『危険な関係』という恋愛悲劇でのアダムとサラの共演は、RBでは観ることのできなかった2人の劇的パートナーシップを観ることができるチャンスとして多くのファンが待ち望んだ公演でした。

アダム・クーパー


サラ・ウィルドー
バレエとカテゴライズするのではなく、ダンスを言語とした芝居であると言われるこの『危険な関係』はその言葉どおり、 演劇的要素が非常に強く、劇的バレエの巨匠マクミランの作品を上回る濃厚なドラマ性が感じられました。 ダンスのヴォキャブラリーやムーブメントを通しての感情表現という点では、アダムとサラがRB時代のマクミラン作品から受けた影響が非常に色濃く見られますが、 作品全体の重苦しいほどのドラマ性は戯曲の濃厚さだけではなく、アダム独自の作品アプローチとレズ・ブラザーストンによる舞台美術がバレエの域を越える舞台を創り上げました。

レズの美術は遠近法を生かした立体感が観客をその空間に吸い込みます。 マシュー・ボーン『Swan Lake』や『ザ・カーマン』、ウィル・タケットの『兵士の物語』でも観客は第3者としてその舞台を鑑賞するのではなく、 自分も登場人物の一人としてその舞台に存在するような錯覚を覚えさせる魔力があります。 今回も決して観客として舞台を見ているのではなく、あのヴォランジュ夫人の館で働くメイドの一人としてその場に存在し自分の目の前でドラマが繰り広げられていくような感覚を覚えました。

鳥肌がたつほどにミステリアスでセクシーなアダム演ずるヴァルモンは、完全に舞台を支配します。 セシルを襲う第1幕の最終シーンの迫力と緊迫感、そして恐ろしさは夜眠るのが恐ろしくなるほど。 トゥールヴェル夫人を訪ねるシーンで、ヴァルモンとわかった瞬間にトゥールヴェル夫人がドアーを閉めヴァルモンの腕がドアーに挟まった状態でも、 その肘から指先の存在感とその腕から伝わるイメージからはホラー映画を見ているような怖さを覚えました。 しかしトゥールヴェル夫人との激情溢れるパ・ド・ドゥウは自分がいまどの世界に存在するのかわからなくなるほど、時の経過を忘れるほどに魅惑的で感動的でした。 サラ演ずるトゥールヴェル夫人も座っている横顔を見つめているだけでも心情の変化やセリフが伝わってきます。

「自分はもうダンサーではない」とサラはインタヴューに答えていますが、彼女の感情のそのものの表れとしか見えないムーブメント、 そしてそのムーブメントが空間に描くラインの優美さとムーブメントのやわらかな質感はため息が出るほどに美しく、このまま時が止まってくれれば…という思いに駆られました。 そしてこの2人のパ・ド・ドゥウを見つめていると、アダムとサラの『マノン』や『オネーギン』を観ることでできればいいのに…という、もう今では叶わぬであろう願いが悲しく胸に残りました。

その他、観客の肌に突き刺さるような強い目線が今でも鮮明に思い出されるサラ・バロンのメルトゥイユ夫人、非常にデリケートで愛らしいヘレン・ディクソン演じたセシルもとても印象に残りました。 『オペラ座の怪人』を思い起こさせるハープシコードによるミステリアスな音楽も非常に効果的で、振付・演出、美術、音楽、そして役者(ダンサー)、 すべての点で非常に高い完成度をおさめた大成功作品と言えるでしょう。
(2005年7月21日、サドラーズウェルズ劇場)