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船引怜美 Text by Remi Funabiki 
[2005.03.10]

●ギエム/コープ、バッセル/ボッレ、ロッホ/アコスタの『マノン』

アシュトン・イヤーでアシュトン作品が主に上演されているロイヤル・バレエ(RB)2004/5シーズンの中、 ケネス・マクミランの全幕作品『マノン』が2月3日から3月1日までに7公演行われました。 今回の公演では<シルヴィ・ギエム&ジョナサン・コープ><ダーシー・バッセル&ロベルト・ボッレ><タマラ・ロッホ&カルロス・アコスタ>というRBでも最も人気の高いトリプルキャストで上演され、 それぞれのキャストのアプローチが大変注目されました。

まず特筆すべきはシルヴィ・ギエムのマノンでしょう。 今回シルヴィの演じたマノンはまさに原作に描かれている修道院入りするためにパリに出てきた16歳の何も知らない少女。 馬車から兄レスコーに手を振りながら飛び降りてくる登場シーンで見せた満面の笑みとその初々しさは、G.M.、デ・グリューのみならず観ている者もマノンに一目惚れするほど衝撃的でした。 近づいてくるG.M.や物乞いに脅え、目にするものすべてに感動する純粋無垢で好奇心旺盛な役作りは、誰も疑うことが出来ないほどに愛らしい穢れのない少女でした。 1幕出会いのパ・ド・ドゥでは、猫背気味の脅える姿から徐々にしなやかになっていく上体やアームスに、デ・グリューと心が打ち解けていく過程が見えてきます。 天まで届きそうなア・ラ・スゴンの高さにはマノンの感情の高まりそのものが見えてきます。ベッドから大あくびをしながらモソモソと起き上がり手紙を書いているデ・グリューに甘える姿、 寝室のパ・ド・ドゥ後のベッドへのダイブ、G.M.が差し出した豪華な毛皮に飛びついた時の表情など、一瞬たりとも彼女がシルヴィと見えた瞬間はありません。 デ・グリューを裏切り、彼女をG.M.の元へ引き寄せたものは純粋に富への憧れ。まさにジゼルがバチルド嬢のドレスに思わず手を伸ばしてしまうように理性を保つことの出来なかった故の行動、 純粋さ/無知であること故の出来事でした。この非常にストレートなシルヴィの解釈は、 私自身今まで『マノン』を観ていて理解するこことの出来なかったマノンの心理とこの悲劇の筋道をとてもクリアーなものにしました。

ギエム(マノン)
コープ(デ・グリュー)

ジョナサン・コープ演ずるデ・グリューも聖職者を目指す17歳の生真面目で純真な青年そのもの。その心の清らかさとマノンへの一途な想いはアラベスクやパッセのクリアーなラインから伝わってきます。 1幕/2幕共にマノンをひたすら見つめながら舞台を歩き回るその姿は物静かながらも存在感は非常に強く、その立ち姿からも伝わってくるマノンへの強い想いはマノンだけでなく観ている者の心にも突き刺さります。 2幕のマノンの裏切りに苦しむソロ、その悲痛感あふれる姿に悲鳴を上げたくなるほどに胸が引き裂かれる思いを覚えました。


バッセル(マノン)
シルヴィとコープのパートナーシップは、二人の動きが「バレエ」として見えた瞬間は一瞬たりともありません。 会話以上に自然な流れはこの世のものとは思えないほどに素晴らしく、自分がどの世界に存在しているのか見失うような錯覚を覚えました。 1幕の出会いのパ・ド・ドゥ、デ・グリューの頭上にアラベスクでリフトされたマノンが空を自由に飛ぶ小鳥のように舞い降りてくるクライマックスでは、 飛行機の着陸を思わせるほど精密に計算されコントロールされた2人の神業としか言いようのないパートナーシップに息を呑みました。 二人が40歳というダンサーとしての年齢的問題に直面していることを考えると、このまま時が止まってくれればいいのに…と思います。

完全無罪な天使的マノンを演じたシルヴィに対して、ダーシー・バッセル、タマラ・ロッホはまったく異なる役解釈を見せました。 セカンドキャスト、ダーシー演ずるマノンでは、マノンの人物像でも最も悪魔的な部分が強調されました。 愛と富に溺れる甘い生活、その蜜の甘さをすでに知っているかのように自らG.M.に迫るその官能的な姿が非常に印象的でした。 そのイメージは少女というよりは成熟した女性を思わせます。ダーシーの悪魔的なマノン像に対し、ロベルト・ボッレは曲がったことを許さない厳格さ/誠実さ、 そしてマノンへ対する激しい情熱溢れるデ・グリュー演じました。ボッレの絵に描かれたように美しい容姿とテクニックはデ・グリューのまっすぐさを強調しました。 第3幕沼地のパ・ド・ドゥでは、人形のように力なく空中に投げ出されるダーシーの身体が磁石で引き付けられるようにボッレの手に確実に受けとめられる度に、 運命的に定められていた2人の関係とすべてを捧げたにもかかわらず報われることのなかったデ・グリューの悲劇的人生が鮮明に描き出されました。

サードキャスト、タマラ・ロッホは計算高く、自分の美しさを知り尽くしている悪女的マノンを演じました。 しかし16歳の少女であることは決して忘れさせない愛くるしい表情やしぐさは、そのマノンという人物の最も罪である部分を強調しました。 第2幕のソロでは、その場に居る者を催眠術にかけるような魅惑的なアームスとフットワークが非常に印象的でした。 アコスタは演ずるデ・グリューからはマノンに遊ばれているような感、どこか情けなさが見られました。 その役作りは『ラ・フィーユ・マル・ガルデ』のコーラスを思い出させる部分があり、デ・グリュー像としてはしっくり来ない気がしました。 さらに、いつも超人的なテクニックで観客を魅了するアコスタですが、2月22日の公演では怪我を押して踊っているのではないかと思われる部分 (ほとんどのピケやルルベアップをア・テールで踊るなど)が多く見られ非常に心配されました。


ロッホ(マノン)

ロッホ(マノン)
アコスタ(デ・グリュー)

ロッホ(マノン)
マーティン(レスコー)

マノンの兄レスコーにはシアゴ・ソアレス/ リカルド・セルベラ/ ホセ・マーティンがキャスティングされ、それぞれのマノンと密接な関係を持つ3人3様のレスコーが見られました。レスコー初挑戦となったソアレスは若さ故 の無知な姿を強調したシルヴィのマノンと共に、若気の至り的無分別さを強調したレスコーを演じました。シルヴィ、コープそしてアンソニー・ダウエル (G.M.)という大ベテランに囲まれたシアゴの演技は多少オーバーアクティングな部分はあったものの、エネルギー溢れる踊りで見事にデビューを果たしま した。セルベラはダーシー演ずるマノンと共犯者的/悪人的なレスコーを演じました。セルベラの魅力である目の覚めるような動きの切れはレスコーの頭の切れ を見るようでした。酔っ払いのソロでは冷や冷やさせるような危ういオフ・バランスや完全に酔っているとしか思えないようなコントロールを失ったピルエット など、そのテクニックと表現力の高さに目を見張りました。ホセ・マーティンは自分の美しさを楯に自由気ままに生きるタマラのマノンと共に、自由なエネル ギー溢れるマキューシオ的三枚目レスコーを演じました。

アンソニー・ダウエルは立ち姿からも威厳と権力が見える非常に存在感の強いG.M.を演じました。マノンに迫るシーンやレスコーを銃殺するシーンでは、あ まりにもその強いキャラクターに恐ろしさを感じました。その他、セカンドキャストでレスコーの愛人を演じたラウラ・モレラは目に焼きつくようなステップの クリアーさとレスコーとの関係を非常に色濃く描き出した表現力の豊かさがとても印象的でした。

シルヴィ自身がRBの『マノン』について、1999年RB日本公演プログラムに「幕が上がり、閉じるまで、“ダンサー”を目にする場面は一時たりともない でしょう。出演者は全員が、“役者”なのです。」という言葉を寄せています。まさにその言葉通り、主演ダンサーのみならず、舞台上すべてのダンサーにそれ ぞれのドラマを見ることが出来ました。『シンデレラ』、『ラ・フィーユ・マル・ガルデ』などアシュトンのおとぎ話的作品に対して、人間の内面的な部分やリ アリティーの強いドラマを描き出すマクミラン作品、それぞれにはまったく異なる表現力/演技力が求められます。その両方を柔軟に演じ分ける現在のRB、そ のカンパニー全体的な実力の高さを確信することの出来る『マノン』でした。
(2月3, 17, 19, 22, 25日、ロイヤル・オペラ・ハウス)