ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

From London <ロンドン>: 最新の記事

From London <ロンドン>: 月別アーカイブ

船引怜美 text by Remi Funabiki 
[2004.06.10]

●ロイヤル・バレエ、ケネス・マクミラン 悲劇バレエ『アナスタシア』

ケネス・マクミランの悲劇バレエ『アナスタシア』が、1971 年の初演以来3回目で96年以来8年ぶりに、4月21日から5月12日まで上演となりました。ロシア帝国ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世の第4皇女ア ナスタシアと、生存していたアナスタシアと考えられていたアナ・アンダーソンを描いた全3幕です。


マクミランはこの作品を、ロイヤル・オペラハウスの営利的意向と彼の芸術的意向の対立が原因で、ベルリン・ドイツ・オペラ・バレエの舞踊監督に転出してい た1967年に、第3幕のみの1幕作品として発表しました。ロイヤル・バレエの芸術監督に復帰した後の1971年、ロイヤルのレパートリーとして第1・2 幕が追加され初演(リン・シーモア主演)されました。ニコライ一家の悲劇的最期、謎に包まれるアナスタシアの生存説とアナ・アンダーソンの出現から、この ミステリアスな物語はインングリット・バーグマン主演映画『追想』やディズニー映画などにも描かれています。1990年代半ばに行われたDNA鑑定では、 アナ・アンダーソンはアナスタシアではないとの判断が下されましたが、その鑑定結果に異議を唱える研究報告もあり(2004年3月)、いまだに論争の収ま らない問題です。バレエ『アナスタシア』は、歴史的事実より、悲劇の皇女アナスタシアとアナ・アンダーソンに共通する“アイデンティティーの喪失”がテー マとされています。

第1・2幕のチャイコフスキーの交響曲(No1, op13 &No3, op29)に振付けられたネオ・クラシックなスタイルからは、『マノン』や『マイヤリング』に共通する彼独自の振付構成を、コール・ドのフォーメーションなどからはクランコ作品が連想されます。
第1幕、ロマノフ家のヨット上でのピクニック・シーンでは、4人の仕官を演じていたフェデリコ・ボネリ、佐々木陽平の安定したテクニックが大変印象的でし た。ウィリアム・タケット演ずるニコライ2世からは、的確な人物描写(皇帝としての弱さや愛妻家であったという溢れる愛情)を観ることが出来ませんでし た。アナスタシアを演ずるマーラ・ガリアッツィの快活で鮮明なムーブメントは、お転婆な少女アナスタシアを的確に表現しています。

第2幕のアナスタシアが社交界入りする舞踏会で、ニコライ2世のかつての愛人だったバレリーナのクシェシンスカがパ・ド・ドゥウを披露します(「チャイコ フスキー没後100年記念ガラコンサート・ウィンター・ガラ(1993年)」でヴィヴィアナ・デュランテ&ブルース・サンソンが初演のシブレー& ダウエルの姿を呼び起こすようなパ・ド・ドゥウを踊っています)。ジェイミン・タッパー演ずるクシェシンスカは技術的には完璧ですが、ニコライ2世との関 係を示唆する魅惑的な雰囲気や未練などはまったく見られません。パ・ド・ドゥの後、クシェシンスカ、ニコライ2世、アレクサンドラ皇后、ラスプーチン間の 入組んだ不倫の人間関係、それを目撃するアナスタシアの複雑な心理が描かれますが、ダンサーそれぞれの人物の心理描写はあまり明らかではありませんでし た。


『アナスタシア』第1幕


『アナスタシア』第2幕


『アナスタシア』第2幕
 


『アナスタシア』第3幕


『アナスタシア』第3幕


『アナスタシア』
 
第 3幕、革命から数年後のある精神病院。ボフスラフ・マルティヌーの交響曲第6番『交響的幻想曲』に電子音や会話(ロマノフ家の親戚の声として)が加えら れ、編曲された音楽が使われています。グレーの壁に囲まれた舞台に病院ベッドが一つ、寒々とした空気が漂います。舞台上には皇帝一家、皇女アナスタシア、 革命時の歴史映像が映し出され、歴史的事件に心が痛みます。映像と斬新な音楽の使用、そして重苦しい空間が含蓄するメッセージからはドイツ表現主義、コン テンポラリーダンス(因習的な古典作品ではない)の要素が感じられます。アナ・アンダーソンを演ずるマーラは、子・夫の死、発作的に蘇る悪夢(ロマノフ家 の過去)に苦悩する姿を彼女の持ち味である強さで好演しました。

第3幕では、アナはラスプーチンの存在に大いに苦しめられますが、ラスプーチンがロマノフ家に与えた影響(歴史的事実)が十分に描写されていない第1・2 幕からは、この展開を理解するのが困難に思えました。マクミランは亡くなる直前の1992年にその重要性を見直し、イレク・ムハメドフのためにラスプーチ ン役を改定し、96年のニュープロダクションからはデボラ・マクミランの監修により上演されるようになったと言われています。しかし、その部分的な改定が 矛盾の原因であるのかもしれません。

ボブ・クロウリーによる舞台美術はオペラの舞台に見られるような奥行き、立体的な空間を強調するデザインで大変迫力があります。第2幕の斜めに吊り下げら れた巨大シャンデリアは、ロマノフ王朝の煌びやかさと同時に迫り来る劇的な終焉を予感させ、この評価されにくい作品に命を吹き込んでいるように思われま す。

セカンドキャストでは、全体を通してダンサーの表現力の乏しさが感じられ、まるで紙芝居を見ているような感覚を覚えました。観客を悲劇的な世界に引きずり こむ十分な迫力がなかったように思われます。一方ファーストキャスト(1996年上演時から踊っている)、リアン・ベンジャミン(アナスタシア)、イレ ク・ムハメドフ(ラスプーチン)、クリストファー・サンダース(ニコライ2世)、吉田都(クシェシンスカ)の好演は各紙でも評価されました。(5月4日、 ロイヤル・オペラハウス、ロンドン)
※画像をクリックすると別ウィンドウで大きな写真がご覧になれます。