サティのミニマルなピアノの調べと坂口安吾の詩的世界が溶け合ったNoism0+Noism1 『私は海をだきしめていたい』

ワールドレポート/東京

香月 圭 text by Kei Kazuki

Noism0+Noism1

『私は海をだきしめていたい』、改訂版『春の祭典』金森穣:演出振付

Noism Company Niigataの夏公演は、カンパニー芸術総監督の金森穣が、戦後の日本文壇で活躍した作家、坂口安吾の短篇に想を得たメランコリックな舞踊詩『私は海をだきしめていたい』、そして2020年初演の『春の祭典』の改訂版の二部構成だった。
今年は坂口安吾の生誕120年、エリック・サティ生誕160年の節目にあたる。安吾の文学や世界観を後世に伝える活動をしている市民団体「安吾の会」が2年前、安吾を題材にした舞踊作品を金森に依頼。金森は安吾とエリック・サティとの接点に注目した。アテネ・フランセの学生だった安吾は1931年、同人誌『青い馬』のためにコクトーによるサティ論を翻訳した。ワーグナーを頂点とする19世紀ロマン派のドラマチックで重層的な音楽に対するアンチテーゼとして、極限まで無駄をそぎ落とした新機軸の音楽を提示したサティのスピリットに、安吾も多いに共感したとされている。
劇場ホワイエには、安吾が原稿に向かっている有名な写真が掲示されていた。2年間片付けなかったという、書類が床に散らばった書斎で、正面を強く見据える彼の目線からは、文壇の異端児ならではの強烈なエネルギーを感じた。

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『私は海をだきしめていたい』左から、山田勇気、坪田光、中尾洸太/撮影:松橋晶子

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『私は海をだきしめていたい』前列中央、春木有紗、左奥 太田菜月、糸川祐希、右奥、山田勇気/撮影:松橋晶子

サティのシンプルなピアノ曲が開演前からホワイエと客席に流れるなか、客席後方からシルクハットに黒いロングジャケットに身を包み、黒いコウモリ傘を差した金森がゆっくりと歩き、舞台下手に乗った。上手奥には、赤いドレス姿の井関佐和子が客席に背を向けて、ゆっくりと上体を揺らしているのを金森はじっと見つめる。金森と同じ黒い衣裳の男たちが現れると、向かい合って鏡のように共に動く。別の男性ペアのデュエット、その次の男性二人組のユニゾンなど、男性だけの静かなパートが続く。彼らは安吾自身と、自身を客観的に見つめる作家としての安吾だろうか。男性たちの服装は、サティが好んだものでもあり、画家シュザンヌ・ヴァラドンとのごく短い恋愛以外は孤独だったという、サティの人生も投影されているかもしれない。
照明が明るくなると、複数の男女ペアのパ・ド・ドゥが繰り広げられる。女性の赤いドレスからのぞく白い脚が何とも艶っぽく、男に手を引かれた女たちが裾を翻しながら踊る様は、実に魅惑的だった。女たちはこうした煽情的な衣裳の効果を熟知しているような風情ではあるが、一様に無表情で、相手の男たちと視線をほとんど合わせない。男たちは、女たちが何も感じないことに苛立っているようでもあるが、この関係が今後も変わらないであろうと諦めているようにも見える。それでもまた、男たちは女たちの魅力に負けて、つい手を差し伸べ、女たちは彼らの手を取って再びデュエットに興じる。不毛な愛が延々と繰り返される毎日を、サティの静かなピアノ曲が演者たちに静かに寄り添っていた。ダンサーたちが紡ぎ出す美しいデュエットだが、心が通わない状態がこんなにも虚しい印象を与えるのかと、どこか釈然としない思いを抱きながら舞台に見入った。女たちが男たちの頭から取った帽子を被り、男たちの傘を掲げる仕草には、男たちに対する親近感や独占欲が感じられた。
最終場面では、新潟の海の映像が背景に映し出され、潮騒の音が聞こえてきた。腕や背中を波のように揺らす井関は、海から現れたヴィーナスのようだ。金森は井関の温もりを得ようと彼女の肩に顎をもたげるが、井関は決然と金森から身をかわし、二人は再び同じシークエンスを繰り返す。打ち寄せては引く波のように、二人は再び寄り添っては袂を分かつという切ない営みを続けていくのだ。女性のイメージを水や海、波に重ねていく安吾のシュールな詩的世界に、ウィットに富むサティの音楽が見事に溶け合った珠玉の一作であった。

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『私は海をだきしめていたい』前列左より、太田菜月、松永樹志、庄島さくら、左奥 金森穣/撮影:松橋晶子

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『私は海をだきしめていたい』庄島すみれ、中尾洸太/撮影:松橋晶子

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『私は海をだきしめていたい』金森穣、井関佐和子/撮影:松橋晶子

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『私は海をだきしめていたい』金森穣、井関佐和子/撮影:松橋晶子

同時上演された金森穣演出・振付の改訂版『春の祭典』は、2020年コロナ禍時の大規模な初演版から少人数編成へ、舞台装置も複数の椅子のみ、照明もシンプルになった。椅子や演者たちがバラバラに横たわってた状態から起き上がった集団は、白いシャツ、顔に白粉をはたき、必要以上に漂白されているような、病的な雰囲気を醸し出す。彼らは、前方を向いて怯えている。横一列に座り、ストラヴィンスキーの楽譜を写し取るように、一人一人が飛び上がって各楽器のリズムを体現するシーンは壮観だ。個々の不安な表現も様々で、興味深い。怯えの感情が周囲の人に伝染し、恐怖の感情のエネルギーが増幅していく。椅子取りゲームのようなシーンでは、生存競争への焦りや、自己防衛が最優先されて他者への警戒が強まる様子も伺える。集団の和が崩れると、誰かを除外することで自分のポジションを保持しようとする人間の本能が炙り出される。一人の生贄に襲い掛かる群舞の迫力も大きく、集団のパワーに圧倒された。下手奥から忍び寄る危険(スモーク)を検分に行った男性陣を見送った女性陣が、椅子を積み上げてバリケードを作り、男たちを排除する場面もあった。個々の様々な感情が束ねられて形成される、集団心理の複雑なメカニズムが少数精鋭の力強い群舞に凝縮していた。
(2026年7月25日 彩の国さいたま芸術劇場 大ホール)

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『春の祭典』前列左より太田菜月、井関佐和子、後列 糸川祐希/撮影:松橋晶子

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『春の祭典』撮影:松橋晶子

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『春の祭典』撮影:松橋晶子

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『春の祭典』中央左より庄島さくら、庄島すみれ/撮影:松橋晶子

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『春の祭典』撮影:松橋晶子

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『春の祭典』撮影:松橋晶子

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