パリ・オペラ座に誕生した新しいエトワール、トマ・ドッキールに聞く
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ワールドレポート/パリ
三光 洋 Text by Hiroshi Sanko
トマ・ドッキール=インタヴュー
――エトワール昇進、おめでとうございます。任命からかなりの時間が経ってしまいましたが。

© Julien Behhamou/Opéra national de Paris
トマ・ドッキール 6月21日でしたから、もう2ヶ月半も前の遠いことですが、同時に昨日のことのようにも思われます。
――最年長エトワールのドロテ・ジルベールと一番新しいエトワールのロクサーヌ・ストヤノフという二人の女性の間にいて「夢のような時だった」と語っておられますね。
トマ・ドッキール ええ、ドロテのポスターはナンテール(パリの西の郊外)のパリ・オペラ座バレエ学校寄宿舎の部屋に貼っていましたし、ロクサーヌのエトワール任命の時は同じ舞台にいました。エトワール任命という人生に一度しかない瞬間に、これ以上望めないようなダンサーたちに囲まれていました。ドロテは私がものごころついた時からのオペラ座バレエ団のスターですから、彼女と踊ってエトワールになれたのは大きな幸運でした。ロクサーヌは友人であり、今まで何度もパートナーとして踊ってきた人です。私の最初の大役は『ドン・キホーテ』のバジリオでしたが、その時、彼女も初めてキトリを踊ったのです。『パキータ』でも一緒で、彼女がエトワールになりましたから、今回、横にいてくれてよかったです。
――6月21日のマチネ公演は本来ならばユゴー・マルシャンが予定されていましたが、二日前に怪我で降板してしまいました。本番までほんの僅かな時間しかなかったわけですが・・・
トマ・ドッキール ソロルの代役として、シリーズの後半の7月12日(ニキヤはホアン・カン、ガムザッティはクララ・ムーセーニュ)に出演することになっていたので、少し練習をしていました。でも、金の偶像も踊ることになっていて、ソロルのアダージョは全く準備なしでした。ヴァリエーションを少しやっただけで、ドロテ、ロクサーヌとは全くリハーサルはなく、二日間だけ3人で練習して本番に臨みました。
――ストレスが大きかったのではないでしょうか。
トマ・ドッキール 確かにストレスはありましたが、こういう形で踊ったのは初めてではありません。代役での舞台はストレスがあると同時に、意欲を掻き立てられます。自問自答している暇はなく、ストレスを意識する時間もありません。「うまくできるだろうか」といったことを考える時間はないのです。舞踊監督のホセ・マルティネーズから「おはようトマ。二日後にソロルを踊ってくれる?」と言われたら、目標に向かって直進するだけです。「できる限りうまく踊ろう」と思いながら精一杯、脇目も振らず進むだけです。舞台に可能な限り最良の状態で上るために、やらなければならないことがたくさんあります。「全力を尽くすだけだ、失うもの何もない」と思った途端、代役の機会はチャレンジの場になります。「突き進むのみ」です。もちろん、二日間は短い時間で、精神的に強靭でなければできません。運がよかったのは、今回が初めての大役ではなかったことです。それまでに別のヌレエフ作品を踊っていたことが助けになりました。こうした状況に適応できる用意が整っていたのです。
――『ドン・キホーテ』のバジリオを代役として踊った時は、当日の午後3時に出演が決まったそうですね。
トマ・ドッキール この2024年の出来事は生涯忘れないでしょう。その時はロクサーヌを相手にすでに2回、バジリオを踊っていました。「よし、終わった。リラックスしよう。」と思って、外出したり、友達に会ったりして、2ヶ月の準備期間中は飲めなかったお酒も飲みました。ですから、1週間の間、全くバジリオの練習はしていませんでした。問題の日は、朝のレッスンにも行かず、腿肉のトレーニングをスポーツジムで1時間たっぷり行いました。「十分トレーニングができたから、ご褒美にハンバーガーを食べよう。」と思ってレストランに行き、ビールも飲みました。それで疲れてしまったので、友人宅で休憩していた15時過ぎに電話が鳴って取ると、「トマ、代役ができるかね」というホセ・マルティネーズの声が聞こえました。「嫌です(Non)」という返事はありえません。「Non」と言いたいけれど、「Oui」と答えました。「ちょっと困ったことになったんだ。今晩、エロイーズ(・ブルドン)と踊るバジリオ役がいないんだ。エロイーズと踊れる?」。私は「OK」と返事しました。その日の公演会場はバスチーユ・オペラでしたが、私の荷物はガルニエ宮にありました。友人宅を飛び出して、ガルニエ宮で荷物を取ってバスチーユに向かい、ウォーミングアップをしてからメークをし、開演30分前に幕の後ろに行ってエロイーズとパ・ド・ドゥを試しました。この時もストレスを感じる暇はなく、舞台に立ちましたが、結果はそのシリーズで3回あったバジリオ役で最高の演技になりました。直前の代役は私に何度も幸運をもたらしてくれたのです。

「ドン・キホーテ」ヌレエフ振付
© Yonathan Kellerman/Opéra national de Paris

ガルニエ宮開場百五十周年ガラ公演「白鳥の湖」ヌレエフ振付
© Maria Helena Bucklery/Opéra national de Paris
――トマさんはもうエトワールですから、代役はもうありませんね。
トマ・ドッキール 普通にはないですね。代役がないのでこれからは安心できます。もっともエトワールが別のエトワールの代わりに急に舞台に出ることはありますが・・・。エトワールになったことで時間をかけて、心穏やかに役を準備できるのはプラスです。
――踊りたい役を選ぶこともできますか。
トマ・ドッキール 役は舞踊監督との話し合いで決まりますから、全部が自分の思うようにはなりません。監督には「この役をやらせたい」という意向があり、ダンサーの側には「この役をやりたい」という希望があります。もちろんエトワールになれば、話し合いで希望も聞いてもらいやすくなるでしょう。
――トマさんは幅の広いレパートリーを持っておられますね。まだコリフェだった7年前(2019年)にすでに『白鳥の湖』のロットバルトを踊っておられます。
トマ・ドッキール ええ、私は運がよかったのです。オーレリー・デュポン舞踊監督(当時)がロットバルトの代役に20歳の私を選び、怪我したダンサーの代わりに出演しました。それが決まったのは当日の午後3時ではなく、3週間前でした。(微笑)オーレリーの執務室に呼ばれ、ドロテとユゴーと踊ることになりました。二人の印象は強烈で、本当に緊張しましたが、初めてのソリスト経験になりました。若い時にソリストの役がもらえるとより早く進歩できます。広い地平が開けるのです。

「白鳥の湖」ヌレエフ振付
© Anne Ray/Opéra national de Paris

「ロメオとジュリエット」ヌレエフ振付
© Julien Benhamou/Opéra national de Paris
――トマさんがエトワールに任命された日に、エトワールのリュドミラ・パリエロ(註1)は「トマの才能、練習、人間的資質、対話能力はエトワールにふさわしい」とツイートしましたし、パートナーのロクサーヌ・ストヤノフは「トマは信頼できる安定したパートナーで、素晴らしい跳躍を見せてくれます」と賛辞を送っています。
ダンサーにはいろいろなタイプの人がいますが、トマさん自身はどのようなダンサーを目指しておられるのでしょうか。
トマ・ドッキール 確かに「パートナーとして優れている」とよく人から言われます。私が特に好きなのはクラシック・バレエのパ・ド・ドゥです。パートナーとのやりとりし、二人で場面を作っていく作業です。一方、ソロのヴァリエーションは舞台全部を自分がしめることになり、ショーのようで心を高揚させます。しかし、パートナーと一緒にダンスを分かち合うパ・ド・ドゥは、踊っていて一番貴重な瞬間で、最高の思い出となります。特に昨年踊ることのできたヌレエフ振付の『ロメオとジュリエット』のような作品では、相手の女性ダンサーと出会い、彼女と時を共有しながら役の人物を作っていきます。それが私にとってはダンスの最高の形です。私の役目はパートナーの相手が安心して、最良の状態で踊れるようにすることです。二人が揃って最高だと思えた時に最も美しい舞台が生まれます。
――トマさんはバレエのドラマとしての側面、人物に留意されているようですね。もちろん、バレエには高度のスポーツという面はありますが、クラシック・バレエには筋書きがあり、ダンサーは人物を描くことになります。
トマ・ドッキール その通りです。私は演劇的な役柄を踊りたいのです。特に文学作品に触発された作品に惹かれています。『マノン』のデ・グリュー、『椿姫』のアルマン、『オネーギン』の主人公といった人物はまず何よりも劇の登場人物であって、ダンスは物語を語るためにあります。例えば、オネーギンは優れた技術も必要ですが、一番必要なのは優れた俳優であることです。テクニックの点でもきわめてむずかしい作品ですが、最も重要なのは演劇的な面、人物の感情の表現です。エトワールになった今、今まで以上にこうした登場人物に命を吹き込んでいきたいと思っています。

「マノン」ケネス・マクミラン振付
© Svetlana Loboff/Opéra national de Paris

「マノン」ケネス・マクミラン振付
© Svetlana Loboff/Opéra national de Paris
――トマさんが魅力を感じるダンサーはどういったタイプの人でしょうか。
トマ・ドッキール 好きなダンサーはたくさんいます。少年時代一番好きだったのはニコラ・ル・リッシュでした。俳優のような演技、男性的な雄々しさが魅力的でした。それにホセ・マルティネーズも好きでした。若い世代ではマチアス・エイマンとマチュー・ガニオです。マチューはダンサー、俳優、アーティストとしてだけでなく、特に本当の優しさを持った人だからです。自分の前にいるのがどんな人であっても、常に優しく、親切です。ダンサーであることを超えて、人間としてマチューは会うたびに強い印象を残しました。
――マチュー・ガニオさんはバレエの会場だけでなく、何度もコメディ・フランセーズのような劇場でお見かけしました。優れた俳優の演技を見てきたからこそ、彼の演技が可能だったのではないかと思います。
トマ・ドッキール 舞台上のマチューを見ると、そうした積み上げがあったことが感じられますね。演技をやりすぎない、常に繊細な動きによって役の人物像を描いていきました。真率で、的確な演技です。マチューはインスピレーションを与えてくれるダンサーです。
――同世代や若手のダンサーでトマさんが注目している人はいますか。
トマ・ドッキール 若いダンサーには才能を持った人がたくさんいます。

「ラ・バヤデール」ヌレエフ振付
© Yonathan Kellerman/Opéra national de Paris
――先ごろ、『ラ・バヤデール』を見ました(6月29日)。第3幕第2場「影の王国」はホアン・カン(第1ヴァリエーション)、イネス・マッキントッシュ(第2ヴァリエーション)、ビアンカ・スクダモア(第3ヴァリエーション)という若手のプルミエール・ダンスーズ3人が次々に登場して、技を競っていました。
トマ・ドッキール 昨年の昇級試験を見ましたが、どの階級でもレベルの高さに驚かされました。バレエ団は実に高い水準にあると感じました。もちろん、全員が昇級できるわけではありません。誰が抜きん出るかは時間が経てばわかるでしょう。キャリアの成否はチャンスが回ってくるかどうか、にかかっていると思います。昇級試験や日々のスタジオでのトレーニングも大事ですが、プレッシャーのかかる実際の舞台で役を演じた時にダンサーの実力は開花します。自分がどんなダンサーで、どんなふうに踊るかを見てもらえるからです。
――今回の『ラ・バヤデール』では残念ながらトマさんのソロルを見逃してしまいましたが、金の偶像を見ることができました。その二日前に別配役でも見ましたが、わずか数分の短い時間の中でも、トマさんには安定感、存在感があって、一つの見せ場になっていました。
トマ・ドッキール 金の偶像は前にも踊っていて、経験を積んでいたのがよかったのでしょう。その数ヶ月前にはロメオがありましたから・・・金の偶像を踊るときは、今でも緊張します。3分しかないけれど、「全力を尽くそう」、と自分を信じて踊ります。前に踊っているおかげで、舞台に入る時に落ち着いて平穏な気持ちで臨めます。舞台経験を長い年月をかけて重ねてきたことで、落ち着いて踊れるようになりました。

「ラ・バヤデール」ヌレエフ振付
© Yonathan Kellerman/Opéra national de Paris

「ラ・バヤデール」ヌレエフ振付
© Yonathan Kellerman/Opéra national de Paris
――トマさんが金の偶像を踊ることはもうないのでしょうか。
トマ・ドッキール わかりませんね。エトワールになっても、この役を踊ったダンサーはいましたから。「脇役」と言われているような役でも、好きなものはこれからも踊ることがあるでしょう。例えば、来シーズンの開幕のケネス・マクミラン振付『マノン』ではデ・グリューではなく、レスコーを踊ります。好きな役です。
――レスコーは物語の中で要となる役ですね。
トマ・ドッキール もちろんそうです。
――悪役を踊るのが楽しいのでしょうか。
トマ・ドッキール 悪役が大好きなのです。20歳で初めて踊ったロットバルト(註2)は、それ以来何度も踊ってきました。パリだけでなく、日本ツアーでも踊っていいます。次回の『白鳥の湖』でもまたロットバルトになるかもしれません。もちろんジークフリートが回ってくるかもしれませんが、二役をやるかもしれません。不可能ということはありません。舞踊監督から「金の偶像を踊ってくれる」と言われたら、踊ります。それでいいじゃないですか。
――トマさんは柔軟な考え方をされますね。

「ラ・バヤデール」ヌレエフ振付
© Yonathan Kellerman/Opéra national de Paris
トマ・ドッキール 私は金の偶像はとても素敵な役だと思います。エトワールになったことはプラスアルファということです。そのために主役でなくても自分に踊りたい気持ちがある役を諦める必要はありません。「主役でないからエトワールの役ではない」とは思いません。まあ、様子を見てみましょう。どんな役でも提案があれば引き受ける、開かれた気持ちを持っていたいのです。
――主役以外に魅力的な人物が出てくることは、バレエだけでなくオペラでもあります。数年前にパリ・オペラ座でのマスネ作曲の『マノン』では、レスコーに存在感があって、デグリュー役の歌手の影が薄くなってしまったことがありました。
トマ・ドッキール マクミラン振付のバレエ『マノン』のレスコーは、パ・ド・ドゥの数は主役より少なく、踊る時間はより短いですが、お話の展開の鍵を握っているのはデグリューではなくてレスコーです。ロットバルトもある意味でレスコーと同じです。彼が周囲の人々を皆、操っていきます。こういう人物たちが大好きなのです。
――トマさんの生い立ちを振り返らせてください。
1998年2月14日、ベルギーのナミュール州、スターヴ村の生まれですから、今28歳ですね。人口830人のスターヴ村は2024年にサンブル川沿岸の周辺7つの村と合併してサンブルヴィルになっています。
トマ・ドッキール ええ、スターヴは州都ナミュールに近い小さな村です。
――12歳の時にパリ郊外ナンテールにあるオペラ座ダンス学校の寄宿舎に入って、それからはパリ暮らしですが、故郷との結びつきは強いようですね。
トマ・ドッキール 来週末は故郷に帰省します。2025年には「ワロン地方特別賞」(註3)をいただきました。
――10年前にこの賞を受賞したのがリーブラモン出身で、欧州で広く活躍したソプラノ歌手、ジョディー・デュボスでした(2024年乳癌で病没)。ソプラノ歌手のアンヌ=カトリーヌ・ジレも同じ町の生まれです。ナミュール出身者にはコメディー・フランセーズのベテラン俳優、チェリー・アンシスもいます。こうした、舞台芸術家が多く輩出している地方ですね。
トマ・ドッキール 私がダンサーになれたのは、最初に習った時に手解きをしてくれた先生のおかげです。エトワールまで導いてくださった方だと思っています。ミッシェル・ドゥ・コニンクさん(Michèle de Conninck)がクラシック・バレエの男性クラスを開いた年にクラスに入りました。ですから、最初のレッスンは男子だけのクラスでスタートしたのです。このクラスが一年しか続かなかったのは、続けたかった生徒が私一人しかいなかったからです。最初のレッスン日から彼女は両親に「息子さんには大きな潜在能力がある」と言ってくれました。彼女の翼に乗ってたくさん練習しました。両親がバレエレッスンのために小学校まで来られない時は、先生が16時に校門まで私を迎えに来てくれたのです。先生からは4年間、レッスンを受けました。それからのことが可能になったのは、最初に彼女がいたからです。エトワール任命の公演にも来てくれました。
――エトワールに任命される予兆があったのですか。
トマ・ドッキール そうではありません。ミッシェルと母の二人は私が初役の舞台を踏むたびに、毎回見に来てくれたのです。もちろん、「任命されたらいいな」という希望が念頭にあったかもしれませんが、予告は誰からもなかったのです。完全なサプライズでした。最初の先生と家族が任命の場にいてくれて、本当に幸いでした。二人がこの瞬間に立ち会えたことは二人と私へのかけがえのないプレゼントでした。

「眠れる森の美女」ヌレエフ振付
© Agathe Poupeney/Opéra national de Paris

「眠れる森の美女」ヌレエフ振付
© Agathe Poupeney/Opéra national de Paris
――任命の一年少し前にベルギーに行ったとき、テレビが当時プルミエール・ダンスールだった(註4)トマさんの特集番組を放映していました。すでに、そのころから任命への期待が本国ベルギーでは高まっていたようです。
トマ・ドッキール プルミエール・ダンスールになった時も、ベルギー人として初の「快挙」と報道され、みんなが誇りに思ってくれました。エトワール任命後も、マスコミはベルギーにとって名誉なことなので、大きな扱いをしてくれています。ベルギーの人々が誇りに思っているので、とてもしあわせです。
――トマさんにとって故郷の魅力はどんなところにあるのでしょうか。
トマ・ドッキール ベルギーは私のルーツです。どんな人にとっても、家族のいる、幼年時代の思い出のある育った場所には特別な愛着があるでしょう。ベルギー人は心の温かい人たちで、お客さんを歓待します。ベルギーの田舎から出てきた私にとって、パリは騒音の大きい、人の多い街で、生活していてテンポが全て速く感じられます。ベルギーの実家に戻ると、本当に静かです。家のある通りには農家や畑もあります。「静かで心休まるところ」というイメージが少年時代の思い出もあいまって、ベルギーと結びついていて、できる限り戻ることにしています。もっとも実際にはなかなか行けないのですが・・・。パリから近いので、金曜日に出れば車に乗ってから3時間で実家に着いて、週末を過ごすことができます。オペラ座の外国人団員には地球の反対側から来た人もいて、週末に帰ることはできないのを考えると、自分は恵まれています。
――私もパリの外国人ですが、ベルギーというとまず(作曲家の)セザール・フランクや有名なヴァイオリン奏者だったイザイの名前が浮かびます。子供のころに読んだ『青い鳥』や戯曲『ペレアスとメリザンド』を書いたモーリス・メーテルリンクや、幻想的な小説『死都ブリュージュ』の著者ローデンバッハもいます。この二つの作品はオペラにもなっています。こうしたベルギーの芸術を振り返ると、霧に包まれたような神秘性のある国が目に浮かんできます。ベルギー人は控えめな性格ですが、それでいて日々の生活を楽しみ、他者に対して温かみがあるように感じています。
トマ・ドッキール ベルギーはまさにそういう国なのです。ベルギー人は謙虚で優しく、生活を楽しんでいます。ベルギーのレストランに座ると本当に心地よいです。

「パキータ」ピエール・ラコット振付
© Maria Helena Bucklery/Opéra national de Paris

「シルヴィア」マニュエル・ルグリ振付
© Maria Helena Buckerly/Opéra national de Paris
――ダンスに話を戻させてください。42歳の定年まで、トマさんには14年間という長い時間がありますね。
トマ・ドッキール アデューの日は遠いようでいて、すぐにやってくるでしょう。28歳で任命されたのは幸運です。エトワールに任命されのに一番良い年齢です。任命される前にコール・ド・バレエの一員として鍛えられて進歩し、自分への自信もつきました。若過ぎる年齢でエトワールになると、役の重さにおじけ付いてしまうおそれがあります。「自分はエトワールに値するだろうか。任命が早すぎたのではないか」といった疑問が湧いてくるでしょう。コール・ド・バレエでの10年間によってダンサーとしての自己形成ができました。今、28歳なのでエトワールの使命を果たす心身の準備ができています。エトワールであることは、今までやってきたことへのごほうびであると同時に、大きな責任を引き受けたことになります。早めの任命なので、ストップウィッチで時間が刻まれ流ような感じで「ああ、やっとエトワールになれたけれど、もう4・5年しか時間がない」と嘆くこともないのは素晴らしいことです。自分にとって適切な時期にやりたい役を踊れます。役の中にはこれから年齢を重ねて一層成熟しなければ踊れないものもあります。「全てを今すぐ踊ろう」と欲張るのではなく、一歩一歩歩みを進めていきたいと思いますが、そういうテンポで取り組める歳月が私にはあります。すでに踊った役でもう一度やりたい役はあります。
――例えばどんな役ですか。
トマ・ドッキール ヌレエフ振付のロメオです。ただし、いつまでも踊ろうとは考えていません。身体的に非常に負担の大きな役なので、40歳になって踊れる自信はありません。子供の時から踊りたかった役で、これから数年は踊りたいと思います。『ドン・キホーテ』のバジリオも大好きな役ですし、『くるみ割り人形』の王子&ドロッセルマイヤーもまたやりたいです。スジェの時に踊ったジェローム・ロビンズの『イン・ザ・ナイト』もぜひまた踊りたい作品です。ヌレエフはもちろんですが、それ以外の振付家の作品も踊りたいです。
『オネーギン』は今まで踊ったことのない役の中でぜひ踊りたい役ですが、良い時期に取り組みたいのです。オネーギンを踊る前にレンスキーを踊った方が上手くいくと思います。オネーギンはダンサーとしての成熟、経験がないと本来の人物らしさが出ないでしょう。14年間ありますから、これからダンサーとしてずっと成長していきたいです。

「ノートルダム・ド・パリ」ローラン・プティ振付
© Yonathan Kellerman/Opéra national de Paris

「ノートルダム・ド・パリ」ローラン・プティ振付
© Yonathan Kellerman/Opéra national de Paris
――オネーギン、ロメオといったロマンチックな役柄に惹かれておられるのですね。トマさんのダンスの滋養となっているのは、読書でしょうか。それとも・・・
トマ・ドッキール 旅が大好きなのです。時間があるとすぐ旅に出ます。特に一人旅が好きなのです。パリでの生活はあまりにもダイナミックですから、そこを離れて一人になり自分を見つめ直す時間は貴重です。数年前から夏休みにはいつも一人で旅に出ています。今年は上海のガラ公演で踊った後に、日本へ向かいました。大阪に着陸し、京都で5泊して、城崎、小さい漁師町の伊根、天橋立、高野山に行きました。岡山経由で直島を見てから、伊豆半島へ足を伸ばし、最後は東京でした。日本での2週間の休暇を満喫しました。日本は大好きな国で何度も行っていますが、バカンスは初めてでした。日本でのガラ公演に参加すると滞在は会場のある東京でした。行きたい場所をゆっくり訪れる時間はありません。休養日があっても、一日中歩いて疲れてしまったら、翌日の公演にひびきます。今回はダンスを離れて、日本発見の旅ができました。
――日本では何回踊っていますか。
トマ・ドッキール 4回です。最初に行ったのは京都バレエ団で、そのあとは2020年のコロナ禍前の『オネーギン』と『ジゼル』のツアーに参加しました。『ジゼル』ではぶどう摘みのパ・ド・ドゥ、『オネーギン』ではコール・ド・バレエの一人でした。それから2023年のグラン・ガラにドロテ・ジルベールとマチュー・ガニオと行きました。2024年の『白鳥の湖』ではロットバルトを踊っています。今年の夏は5度目の訪問でした。
――次回は。
トマ・ドッキール 未定ですが、早くまた行きたいです。
――トマさんは読書をよくされるようですが、好きな作家は誰でしょうか。
トマ・ドッキール ミラン・クンデラが大好きです。中でも2年ほど前に友人が勧めてくれた『存在の耐えられない軽さ』は何度も読み返している小説です。読むたびに、その時の気分や状況によって読後感が違うのです。家族や友人たちにこの本をプレゼントしています。村上春樹の『海辺のカフカ』も大好きです。
最近はエッセーや哲学書も読んでいて、昨日、ブリュノー・パティーノの『人間が廃れた時代』(Bruno Patino, »Le Temps de l'obsolescence humaine » Grasset社刊行) を買いました。まだ、読んでいませんが、AIや液晶画面によって人間が脅かされている現代社会についての考察が書かれているようです。私たちが今生きているのは、どんな社会なのかを考えてみたいと思ったのです。
――トマさんのこれからのエトワールとしての活躍に期待しています。
(2026年9月10日 ガルニエ宮)

「ロメオとジュリエット」ヌレエフ振付
© Julien Benhamou/Opéra national de Paris

「ロメオとジュリエット」ヌレエフ振付
© Julien Benhamou/Opéra national de Paris
註1 リュドミラ・パリエロも2012年3月22日の『ラ・バヤデール』で、怪我をしたドロテ・ジルベールの代役としてガムザッティ(ソロルはジョシュア・オッファルト、ニキヤはオーレリー・デュポン)を踊ってエトワールに任命されている。
註2 「若いトマ・ドッキールは影のある不気味なロットバルトだった。演劇がダンスを導いていたのだ。」(「フィガロ紙」2019年2月21日付、アリアーヌ・バヴリエ記者)
ちなみに、トマ・ドッキールはローラン・プティ振付『ノートル・ダム・ドゥ・パリ』でも主役のカジモドではなく、フロロの演技で高く評価された。「スラリとしたシルエットを持つフロロ役のトマ・ドッキールは陰影のある優美さと高い跳躍で観客を魅了した。」(日刊紙「ラ・クロワ」、2025年12月16日付、エマニュエル・ジュリアーニ記者)「トマ・ドッキールにはフロロらしい風格があった。」(日刊紙「レゼコー」2025年12月15日付、フィリップ・ノワゼット記者)
註3 「ワロン地方特別賞」(Wallonie de l'année)ベルギーのフランス語圏のワロン地方が前年に活躍した人を表彰する特別賞。
註4 トマ・ドッキールは2024年にベルギー人として初めてのオペラ座のプルミエール・ダンスールになった。
トマ・ドッキール略歴
1998年2月14日、ベルギーのナミュール州、スターヴ村の生まれ(28歳)。父のマルク・ドッキール(故人)はアマチュアのヴァイオリン奏者。母のエレーヌ・マスカールは少女時代にクラシック・バレエを習っていた。15ヶ月年下の弟アントワーヌがいる。
2006年 8歳 ナミュールのアドルフ・サックス音楽・舞踏学院の分校、イヴォワールYvoirのジンヌ・アカデミーに創設されたミッシェル・ドゥ・コロニック指導の男性クラシックバレエクラスに入る。
2007年 9歳 ディナン国際ダンスコンクールで1等賞
2010年 12歳 パリ・オペラ座バレエ学校に入学
2015年 17歳 コール・ド・バレエの一員となる
2016年 コリフェ
2019・2020年度 パリオペラ座振興会賞(AROP賞)
2020年 スジェ
2024年 プルミエール・ダンスール
2026年6月21日 エトワール
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