ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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三光 洋 Text by Hiroshi Sanko 
[2010.06.10]

デュポン、ジルベール、ル・リッシュの比類ないロマンティックな夢幻的世界

Ballet de l’Opera national de Paris
パリ国立オペラ座バレエ団
Rudolf Nureyev :LA BAYADERE
ルドルフ・ヌレエフ『ラ・バヤデール』
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『ラ・バヤデール』を1877年にサンクトペテルブルグ大劇場で初演したマリウス・プティパの没後百周年を記念し、パリ国立オペラ座バレエ団が1992年にヌレエフが死の直前に完成させた版を再演した。ヌレエフは1961年23歳の時にパリ・オペラ座で『ラ・バヤデール』の第3幕を踊り、早くから作品の完全上演を夢見ていたが、その夢は人生の最後の最後で実現したことになる。(第3幕第2場はカットされれている)92年10月8日のプルミエにはラング文化大臣(当時)をはじめとするパリの著名人が駆けつけたが、終演後は通常のお祭り気分とは程遠い雰囲気で、椅子に座った死期の迫ったヌレエフにダンサーたちが次々に墓参りをするように跪いて挨拶していたという。(フランスのバレエ評論家ジャックリーヌ・チュイユー談)

幕が上がると、イタリアの装置家エジオ・フリジェリオ考案のはりぼての巨大なインドの寺院を模した装置が舞台を圧する。第2幕は王の宮殿、第3幕は第1場がソロルの寝室、第2場が霊界(影の王国)となる。
第1幕では寺院の入り口で聖なる火が焚かれている。その周囲で爪先立って踊るバヤデールたちや僧侶たちの色鮮やかな衣装が異国情緒をかきたてる。ちょっと気になったのは、火の印象が薄かったことだった。聖なる火を守るのがバヤデール(踊り子)の特性であり、かつヒロインのニキヤの情熱を象徴しているのが火であるだけに、生の火とそのゆらめく炎が見えないのには物足りなさを覚えた。
ニキヤの登場で舞台の空気が一転した。ヴェールをまとい、滑るようになめらかに動く。大僧正がヴェールを取り奴隷に渡すと、それを顔に押し当てる。匂い立つようなニキヤの色香がこの奴隷の仕草から濃厚に感じられた。大僧正の執拗な求愛をきっぱりとはねつけるデュポンの涼やかな眼差しと、相手を突きのける手と腕のきっぱりとした動きに、ニキヤの潔癖さが明瞭に視覚化されていた。いったん寺院の内部に退場してから水がめを手に戻り、奴隷に飲ませるところの一転した優しい眼差しが、鮮やかな対比をみせた。大僧正の無念さはリシャール・ウィルクの表情にありありとうかがわれた。
フルートのソロに乗り、水がめを左肩にのせてのソロ。そして舞台を右手奥から左手前まで一直線に駆け抜けソロルの腕の中に飛びこむニキヤは、まさに恋する女性の喜びが、視線や表情だけでなく身体全体からあふれていた。二人のデュオの場面では、二度、寺院の中から姿を現した大僧正のすくんだような立ち姿には嫉妬の想いが結晶していた。
 

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暗転して第2場。ラジャ(王)の宮殿。王はソロルと王女ガムザッティとの結婚が企てる。ニキヤと将来を誓い合っているソロルは戸惑うが受け入れざるをえない。この婚約を寿ぐために踊るように王から求められたニキヤが踊る、白いヴェールを纏ったアダージョには、ヒロインの絶望がありありとみえた。大僧正が王にこの禁断の関係を密告する。ここで大僧正の目的はソロルを陥れるためで、自分が横恋慕しているニキヤを死に追いやることに気づいていない。これが、今回の舞台ではどうにもはっきり伝わってことなった。
これに対し、結婚の企てに障害があることを知った王の怒りはエリック・モナンのこわばった顔つきにはっきりと刻まれていた。
王と大僧正の話を立ち聞きし、自分の相手に恋人がいることを知ったガムザッティが恋敵に未来の夫の肖像(椅子の背に描かれている)を示していたぶり、挙句の果てには平手打ちを加えるが、この姫の権高さ、小憎らしい感じをドロテ・ジルベールが余すことなく演じ切っていた。
オーレリー・デュポンの演じたニキヤは、姫への憎しみからというよりも、胸が張り裂けるような絶望のあまり、我知らず刀を振り上げてしまったという印象を観る人に与えた。侍女に取り押さえられたライヴァルを憎憎しげに見下ろすジルベールの視線は実に生々しかった。
第1幕第2場でドラマが一気に盛り上がっただけに、第2幕になってからの婚約の祝宴はどうしても冗長の感をぬぐえなかった。確かにソロルが巨大な象に乗ってあらわれるデフィレや、扇のダンス、鸚鵡のダンス、バレエ学校の生徒が色つきタイツをはいて黒人の子供に扮したダンスとさまざまな踊りが繰り出されるのだが、ドラマの展開とは一切関連がない。長く感じられた最大の理由は音楽だ。ルートヴィヒ・ミンクス(1826-1917)は「19世紀の後半にチャイコフスキーと並ぶバレエ音楽の作曲家として重要な役割を果たした」/「新訂標準音楽辞典」音楽の友社)と記述されているが、実際に聞くとチャイコフスキーからは程遠い、平板の極みの音楽で、二流のハリウッド映画音楽の水準なのに驚いた。
1866年にパリでミンクスが『泉』を共作したレオ・ドリーブ(『コッペリア』の作曲家)と比べても、精彩に欠けること著しい。ケヴィン・ローデスの指揮がコロンヌ管弦楽団をきちんとまとめていただけに、これは演奏の問題ではない。
祝宴の最中にニキヤが招待客の前で踊らされる。どう視線を逸らそうとしても、どうしても目がソロルとガムザッティとが並んで座っている方に向いてしまう。視線を感じて、何度も立ち上がろうとするソロルをガムザッティが引き戻す。この場面の女性二人の葛藤は対照的なドロテ・ジルベールとオーレリー・デュポンによって余すことなく描き出された。
ガムザッティのヴァリエーションは、ドロテ・ジルベールの切れのよい動きに拍手が沸き起こった。
デュポンはチェロの独奏をバックにしたヴァリエーションをほとんど目を閉じ、祈るような表情を浮かべて踊った。その後このガムザッティの侍女から受け取った花籠に入っていた毒蛇に噛まれ、大僧正が差し出した解毒剤を放り出して死を迎えるが、淡々と、平静そのものにヒロインを演じていた。この部分は見所十分だった。
第3幕はいよいよ「影の王国」。32人のダンサーが舞台奥右手の棕櫚が茂った森から傾斜を一人、また一人と降りてくる。ゆったりとした動きが繰り返されるのを見ているうちに、ダンサーの背の高さ、すらりとした首の長さ、体型がみなほぼ同じである。白い影が整然と浮かび上がるロマンチックな夢幻の世界を表現するさいの効果は比類がなかった。
フルートとハープの音にのってニキヤが登場し、高音のヴァイオリンソロとともにソロルとのデュオとなる。その後、ヴェールを手にし、一方の端をソロルが引っ張る形でのデュオはデュポンの肢体ののびやかさに誰もが目を奪われる場面だった。群舞とソロとが交互に配置され、最後には32人のバヤデールの輪に二人が囲まれて幕が下りた。

見所がいくつもありながら、もう一つ高揚感がなかったのはプティパの作品そのものが、スクリーブの台本でオーベールが音楽を付けたオペラ・バレエ『神とバヤデール』のリメークにすぎないという理由では説明できないだろう。やはり先ほど指摘した全体の構成上のマイムによるドラマの進行と筋とは無縁の場面とのバランスがとれていないことと、ミンクスの音楽に魅力がなさ過ぎるというのが問題だ。それでも、ファンの人気は上々でガルニエ宮が満席だった。異国情緒の香りと神殿に仕える女性と勇士との禁じられた恋というベッリーニの『ノルマ』とも重なるテーマには観客を夢に誘う独自の魅力があるのだろう。
(2010年5月18日 ガルニエ宮)

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photos(C)Sébastien Mathé/Opéra national de Paris
photo(C)Jacques Moatti/Opéra national de Paris
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音楽/ルドヴィク・ミンクス
振付・演出/ルドルフ・ヌレエフ(1992年)
装置/エジオ・フリジェリオ
衣装/フランカ・スカルピアーノ
照明/ヴィニチオ・ケリ
ケヴィン・ローデス指揮、コロンヌ管弦楽団

配役
ニキヤ/オーレリー・デュポン
ソロル/ニコラ・ル・リッシュ
ガムザッティ/ドロテ・ジルベール
托鉢僧(ファキール)/アリスター・マダン
大僧正/リシャール・ウィルク
王(ラジャー)/エリック・モナン
アイヤ/マリー・イザベル・ペラッキ
奴隷/ヤン・ブリダール
金の偶像/アレッシオ・カルボネ
マヌーの踊り/シャルリーヌ・ジザンダネ
第3幕ヴァリエーション1/サブリナ・マレム
同2/マチルド・フルステー
同3/マリ=ソレーヌ・ブレ
上演時間/2時間14分