パリ・オペラ座ダンサー・インタビュー:オルタンス・ミエ=モーラン

ワールドレポート/パリ

大村 真理子(在パリ・フリーエディター) Text by Mariko OMURA

Hortense Millet-Maurin オルタンス・ミエ=モーラン(スジェ)

3月15日から4月1日までオペラ・ガルニエで公演が行われた『リーズの結婚』。リーズ役に6名が配され、そのうち4名はスジェのダンサーだった。これはシーズン2023/24の昇級コンクールでは実験的に、スジェからプルミエについては任命方式をとったからだろう。4名の中で最も若いスジェは2005年生まれのオルタンス・ミエ=モーラン。コーラス役のアントワーヌ・キルシェールを相手にリーズをフレッシュに表情豊かに踊っただけでなく、エレオノール・ゲリノーが第一幕で怪我をした公演では、彼女がリーズ役で舞台を続けるという使命もしっかりと果たした。昨年11月に行われたコンクールでコリフェからスジェに上がったばかりだが、様々な経験を積んで成長しているようだ。2022年に入団し、たった1年半で主役を任されるほど芸術監督やメートル・ドゥ・バレエに信頼されているオルタンスは、将来が楽しみなダンサーの一人といえる。

2月の来日公演『白鳥の湖』では、アリス・カトネ、オーバーヌ・フィルベール、ジェニファー・ヴィゾッキといった先輩ダンサーと共に4羽の小さな白鳥を踊ったオルタンス。その前はオペラ・バスチーユの『くるみ割り人形』で妹ルイザ役に配役されていた。2022年に参加した最初のコンクールでは、難題のピエール・ラコット振付の課題曲を綺麗なポワントワークで緊張も感じさせずに踊る舞台姿が印象的だった。彼女は1988年に『くるみ割り人形』でエトワールに任命されたエリザベット・モーランの長女で、弟のゴーティエはオペラ座バレエ学校で第3ディヴィジョンの生徒だ。


Q:『リーズの結婚』のリーズ役に配役されたのを知った時、どのような気持ちでしたか。

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© Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

A:小さい時に母に連れられてオペラ座で見て以来、私のお気に入りの作品でした。ダンスを知らない子供にも近づきやすい作品で、これを見て私は真剣にダンスを学びたいって、母に告げたんです。だからリーズ役を踊ると知った時は、喜びが爆発したような感じでした。

Q:ソリストとしての初舞台。上手くできる! というような確信がありましたか。

A:いいえ、先ずは稽古をしっかりとしてから、そう思いたいと・・・。だから配役を知った時点では何も考えませんでした(笑)。おそらく主役のデビューとしては良い作品でしょうけど振付、ステップ、呼吸・・・といった面でこの役は結構難しいんです。でも、そうですね、ソリストとしてこの作品から始められたのはうれしいことでした。

Q: あなたの母親エリザベット・モーランが今回の『リーズの結婚』の、ゲスト・リハーサルコーチを務めました。

A:そう、私は母とリハーサルをしたんです。母に仕事を見てもらうのは、学校の試験など小さい時から慣れていること。私は彼女を信頼していて、自分以外の視線が必要な時常に母にそれを求めています。今回はオフィシャルに彼女と仕事ができて、良い時間を過ごしました。私の直すべき点を彼女はよく知っているので、とても上手くゆきました。

Q:エリザベット・モーランも『リーズの結婚』を現役時代に踊っていますか。

A:はい、でも私たちが踊ったフレデリック・アシュトン版ではありません。何れにしても、私は彼女のステージを見たことは一度もないんです。私が2歳の時に彼女は踊るのをやめてるので、私の子供時代の母の記憶はダンサーではなくダンス教師なんです。

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La Fille mal gardée (Frederick Ashton), Hortense Millet-Maurin, Antoine Kirscher ©Benoite Fanton /Opéra national de Paris

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La Fille mal gardée (Frederick Ashton), Hortense Millet-Maurin, Antoine Kirscher© Benoite Fanton /Opéra national de Paris

Q:これは演劇面での仕事も求められましたね。

A:はい。でも19歳の私は少しだけ年上だけど年齢的にもリーズに近いので、ごく自然に自分を重ね合わせられる役だったと言えます。どのように演じるかという点については、むしろ母親やアランといった他の登場人物との関係について考えることが必要でした。

Q:リーズ役は3月25日の1公演の予定だったところ、エレオノール・ゲリノーの怪我で公演回数が増えたのですね。

A:エレオノールはしばらく怪我で休んでいて、これが回復後の復帰舞台でした。でも、彼女の初日となる3月30日の公演で第一幕のほぼ半ばで怪我をしてしまって。その日コール・ド・バレエで踊っていた私が、リーズ役を彼女に代わって続けるということになりました。何日か前にリーズを踊ったとはいえ、このように公演の途中で主役を踊るというのは恐ろしいこと。とりわけ、主役を踊るための体の準備など何もしてなかったし、メークにしてもコール・ド・バレエなので軽めという状態だったので・・・パニックでした。あああ、メンタル面で何も準備してないし、何も熟考してないのだから全てを取り戻さないと、と。ステージに出る前に一度全てを頭の中でビジュアライズして、集中をしてというのが私の習慣ですけど、この時はそんな時間はなくって。でも結果的には上手くゆきました。公演前に十分に稽古を積んでおくことの大切さを、この体験でつくづく実感しました。突然のリーズ役をこなせたのは、しっかりとしたベースを築いてあったからなんです。

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La Fille mal gardée (Frederick Ashton), Hortense Millet-Maurin, Antoine Kirscher ©Benoite Fanton /Opéra national de Paris

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La Fille mal gardée (Frederick Ashton), Hortense Millet-Maurin, Antoine Kirscher ©Benoite Fanton /Opéra national de Paris

Q:エレオノールのパートナーは最初に予定されていたマティアス・エイマンの降板で、この晩のコラス役はあなたがリーズ役を踊った時のパートナーだったアントワーヌ・キルシェールでした。

A:はい。これはとても幸運なことでした。 もしアントワーヌでなかったら? 安心感は彼ほどはなかったかもしれないけど、やるしかないという状況ですから・・・。エレオノールが踊る予定だった4月1日も私が踊りました。舞台数が増えたのは私には喜ばしいことだけど、別の事情でそうあって欲しかったですね。

Q:このバレエではリボンの扱いも重要な仕事のように思えます。

A:そうなんです。リボンは大きな役割を占めていて、コーラス、リーズ、そしてリボンの3人で踊ってるという感じなんですよ。第一幕の色々な場面に登場しますね。最初はいったいどっちの方向に行ってしまうのかなどが掴めず、リボンを''飼いならす''必要があって、これはなかなかのチャレンジでした。どうリボンを結ぶか、どう左右の長さのバランスをとるかなど、稽古あるのみ。もし1箇所上手くゆかないところがあると、その後の跳ね返りが大きいのでストレスもありました。

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La Fille mal gardee (Frederick Ashton), Hortens e Millet-Maurin ©Benoite Fanton /Opéra national de Paris

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La Fille mal gardée (Frederick Ashton), Hortense Millet-Maurin, Antoine Kirscher ©Benoite Fanton /Opéra national de Paris

Q:『リーズの結婚』の前、12月の『くるみ割り人形』の妹ルイザ役が初めてのドゥミ・ソリストとしての舞台でしたが、その直前にギリシャのガラに参加していますね。

A:そうなんです。アテネでガラが2晩あって、ジェレミー=ルー・ケールと『くるみ割り人形』のパ・ド・ドゥを踊りました。彼と踊ったのはこれが初めて。私はオペラ座でルイザ役に配役されて、さらにクララの代役でもあったのでクララ役についてもリハーサルがしてあったのです。

Q:ギリシャから戻って、その日にルイザ役をオペラ・バスチーユで踊りました。身体面の管理などが必要だったのではないですか。

A:はい、いかに怪我をすることなく力を発揮するのか、エネルギーのコントロールするかなど体の管理について学ぶ機会となって、おかげで1つの良い経験ができました。

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La Fille mal gardée (Frederick Ashton), Hortense Millet-Maurin, Antoine Kirscher ©Benoite Fanton /Opéra national de Paris

Q:ダンスを始めたきっかけを話してください。

A:ダンサーだった母ゆえに、この世界は子供の頃から身近な存在でした。ダンスは4歳半の時に''目覚め'' クラスから始めていました。ダンスを含め、私はスペクタークルの世界にとても興味があって、小さい時はとりわけサーカスの世界に憧れていたんです。空中ブランコや曲芸などに驚嘆して! とにかく身体を動かしたくてたまらない子供だったし、それにプロジェクターによる強い照明とかにも魅了されて、サーカスの芸を学ぶことにしました。でも、日常的に学べる学校というのがサーカスにはなく、夏のバカンス中に研修に参加して、という程度。ダンスはそんなサーカスに比べ身近で定期的にレッスンが受けらます。それで教室に通い始めたところ、ダンスがとても気にいり、7~8歳の頃にダンスだけに習い事を絞ったんです。サーカスで学んだ綱渡りや曲芸は、ダンスにも役立ったと思います。2015年にオペラ座のバレエ学校に入学しました。

Q:子供がダンスをしたいというと、ダンサーの母親の多くは仕事の厳しさを説いて諦めさせることがあると聞きます。

A:そうですね。私の母はそういうことはなかったけれど、ダンスをしなさいとも言わなかった。扉を開いてくれて、もし私が続けたければ付き添いましょう、と。確かにこの仕事の難しさ、厳しさなどについては前もって話してくれていました。ダンスは情熱でする仕事なので、ダンスを選んだのであればメンタル面も強くなければならない、と母によく言われました。

Q:母親がダンス教師というのはダンスを学ぶ子供には利点ですね。

A:私は通学生だったので、パリの自宅から高速地下鉄でナンテールの学校に通っていました。毎日学校から帰って、母から良いアドヴァイスをもらえたというのは恵まれてますね。母はいつも私をサポートしてくれていますけど、でも利点ばかりではないんですよ(笑)。入学当時は学校内で自分の位置を見つけるのがちょっと複雑でした。というのは、確かにモーランの娘だけど、私はオルタンスなのよ! って。誰もがオペラ座の学校には入りたいし、競争の世界でもあるので、どうしても''の娘'' という視線が向けられて・・・。でも人々は公正に私を扱ってくれたので、心をひどく痛めるようなことなく過ごせました。

Q:学校時代の良い思い出は何でしょうか。

A:公演です! 毎回舞台に上がるたびに、それがたとえ学校のレッスンのデモンストレーションであっても私には素晴らしいことでした。複数の学校公演に参加しましたが、最高の思い出は第一ディヴィジョンの時に主役を踊ったバランシンの『La Somnambule(夢遊病の女)』。2022年です。これは私にとって初の重要な舞台体験となりました。

Q:2022年に入団し、11月に行われた昇級コンクールで2019年に入団したルナ・ペーニュと二人でコリフェに昇級しました。

A:第一ディヴィジョンを終えたのは2021年だけど、私はその年の入団試験に受からなかったので、次の年にもう第一ディヴィジョンをやり直したんです。その間に3ヶ月間の契約を得てオペラ座でニジンスキーの『春の祭典』の公演に参加。その後、また学校で学び、そして2022年の入団試験に受かって入団しました。他の同時入団者は11月のコンクール前に5ヶ月を過ごしていないのでコンクールに参加できなかったけれど、私は『春の祭典』の3ヶ月契約がカウントされたことによってコンクール参加資格があったのです。

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Photo Svetlana Loboff/ Opéra national de Paris

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Photo Svetlana Loboff/ Opéra national de Paris

Q:カドリーユのコンクールのトップバッターだったにも関わらず、課題曲の『パキータ』のヴァリエーションでは複雑なステップも落ち着いてこなし、自由曲のリファールの『Variations』は何となく物語を感じさせる素晴らしいパフォーマンスでした。コンクールの準備はどのように進めましたか。

A:母に見てもらいました。でも私はリュドミラ(・パリエロ)とも多く仕事をするんですよ。彼女は私のプティット・メールではないけれど、入団以来いつも私の傍にいて指導してくれています。彼女とはよく話すので、コンクールの自由曲選びとかも・・・。ダンサーの模範とする一人です、リュドミラは。私、素晴らしい人々に囲まれてるんです。

Q:2022年に入団し、2024年にスジェという昇級の速さです。これは自分で思い描いていたスピードでしょうか。

A:よく言われます、速いって! 私にしてみると全てが猛スピードで進んだので、じっくりと考えるという時間がなくって・・・与えられるものを手にし、仕事に励むばかりで考えている時間がないんです。スジェに上がり、主役も踊れて・・・素晴らしいチャンスに恵まれ、とても幸せです。

Q:楽屋はスジェの二人部屋にもう移りましたか。

A:20名くらいが一緒のカドリーユの楽屋のままです。もしスジェの楽屋を提案されても、もう少し今のままで、と返答すると思います。友達と一緒の楽屋で、周りに彼女たちがいるというのは私にはとても心地よいので。

Q:来シーズンのスジェのコンクールは従来の方式に戻るのと、今シーズンのトライアルの任命式とどちらが良いと思っていますか。

A:それは配役の具合によるでしょうね。コンクール前にスジェのみんなが配役されるなら、コンクールで見せる必要がない。でももしコール・ド・バレエばかりなら、コンクールがある方がいいです。

Q:2024/25のプログラムが発表されました。踊りたい作品は何でしょうか。

A:クラシックならどの作品も興味があります(笑)・・・まだどれ、と具体的にはあまり考えていないけれど、クラシック作品が多いことはとても幸せです。コンテンポラリー作品も結構あって、良いシーズンだと思います。

Q:キャリアにおいてオペラ座のレパートリーの中で絶対に踊りたいのは。

A:私が夢見ているのは『ロメオとジュリエット』!!  今のところ、次のシーズンのプログラム入りするといった噂もなくって・・・。踊りたい作品は他にもたくさんあります。『ジゼル』もそう!

Q:5月3日から始まる『ジゼル』では、何を踊りますか。

A:収穫のパ・ド・ドゥを踊ります。パートナーですか?  アンドレア・サーリと。そして2名のウィリスも。 その次の『白鳥の湖』は日本と同じように、4羽の小さい白鳥を踊ります。普通スジェの場合24羽の白鳥も踊るのですけど、今回私は4羽の小さい白鳥だけのようです。

Q:コール・ド・バレエの仕事で『白鳥の湖』が最もハードだと聞いたことがあります。

A:24羽の白鳥ですね。確かに! とりわけ床に伏している間が長くてハードなんです。ラインもきっちり揃ってなければならないし。『ジゼル』だってラインの仕事があるけれど、『白鳥』ほどは難しくない。幸いなことにチャイコフスキーの音楽が素晴らしいので、『白鳥の湖』のハードな仕事は音楽に大いに助けられるのです。

Q:2月のオペラ座ツアーが初の来日でしたか。

A:はい。とても気に入りました。また行きたい! って思ってます。人間同士の関係がとても快適で・・・。私は『リーズの結婚』のリハーサルがあったので『白鳥の湖』を踊った後すぐにパリに戻ったので、『マノン』の公演のあったコール・ド・バレエのダンサーたちのように2つの作品の間の休日はなかったけれど、でも何もない日が5日くらいあったのでフルに活動しました。

Q:公演後に劇場前でサインを待つ観客の行列に驚いたのではないでしょうか。

A:はい。でもこれはとても心を打たれることです。公演が観客に気に入ってもらえたのだということがわかるし、アーティストにとってこうしたことは満足感を得られることです。驚いたことは、良い意味でですけどオーガナイズについて。電車を待つ人の規則に沿った整列ぶり!!! こうしてきっちりとオーガナイズされると状況がシンプルになって、快適です。なんでパリもこうしないのだろうって思ったくらい。

Q:和食も気に入りましたか。

A:大好き! 食べ物だけのためでも、日本で暮らせると思うくらいに(笑)。何を食べても美味しい。私は幸運なことに食べ物に気を使わねばならない体ではないので、食べたいものは何でも好きなだけ食べられるんです。

Q:外部のガラ公演に参加することはありますか。

A:はい。まだ大規模なガラではないですが。誰と踊るかはオーガナイザーによるので決まっていません。私はイタリア人ではないけどアレッシオ・カルボーネの''パリ・オペラ座のイタリア人''のグループ公演では、アレッシオがパートナーや演目を選びます。踊ることが多いのはマニュエル・ルグリの『ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ』。そしてイヴォン・ドゥモルとジェニファー・ヴィゾッキの''Incidence Chorégraphique''のグループにもよく参加するんです。ここではコンテンポラリー作品も多く踊られるけど、私はクラシック作品です。ガラでパ・ド・ドゥを踊るのは、経験を積むという点でとても良いこと。だからガラの参加というのはオペラ座の仕事の助けとなって、大切なのです。

Q:クラシック以外の作品に配役されたことはありますか。

A:今シーズンの最初、クリスタル・パイトの『Seasons' Canon』を踊りました。これは素晴らしい体験でした。彼女自身はパリに来なかったので残念ですけど、これはグループの仕事をする機会となりました。グループで踊るということは気に入りました。良い経験・・・入団してまだ2年に満たないので、今の時期は何もかもが新しく学ぶことばかりなんです。

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