パリ・オペラ座ダンサー・インタビュー:ポール・マィエラス

ワールドレポート/パリ

大村 真理子(在パリ・フリーエディター) Text by Mariko OMURA

Paul Mayeras ポール・マィエラス(2023年度入団、試用期間中)

6月30日にパリ・オペラ座バレエ学校の最終学年プルミエール・ディヴィジョンの生徒を対象にした内部試験が開催された。その結果、男子生徒の中で唯一ポール・マィエラスだけが2023年度の入団決定者だった。彼は第二ディヴィジョン時代、学校公演でバランシンの『La Somnonbule(夢遊病の女)』で主役を踊っている。フレッシュなオーラを放ち、高い音楽性と芸術性で目を奪うものがあった。エリザベット・プラテル学校長から高い評価を得ている生徒だったようで、最終年のトリプルビルの学校公演のでは『Ma Mère l'Oye( マザー・グース)』の創作に参加し、またプログラム内の『Cencerto』『ライモンダ』の全てに配役されていた。
8月28日に入団。4か月間の試用期間中なのだが、彼は9月23日から始まったシーズン開幕公演のトリプルビルの1つであるクリスタル・パイトの名作『The Seasons' Canon』に配役され、全公演日を踊った。幸先の良いスタートを切った彼に学校時代のこと、そしてバレエ団での最初の体験を語ってもらった。自分の仕事に誇りを持ち、さらなる進歩を求める謙虚な17歳の彼は、いつか『眠れる森の美女』を踊れることを夢見ている。来年2月の来日ツアーには、コール・ド・バレエの一員としてツアーに参加するようだ。

Q:入団おめでとうございます。いつ、『The Seasons' Canon』の配役にされたことを知りましたか。

A:バカンスでギリシャにいたときに。入団したてのダンサーには珍しいことなだけに、これはすごく嬉しかった。素晴らしい体験です。これは45名のダンサーが踊る作品で、団員たちと知り合えるすごく良い機会となったのです。というのも大勢のダンサーたちと身体を癒着して踊る振付なので、お互いの間に絆を作り上げるには最高の時間だった。それに彼らの中には創作時にクリスタル・パイトと仕事をしたダンサーもいて、アドヴァイスをくれて・・・これも素晴らしいことです。一部ではなく、僕は作品の最初から最後まで踊れたのも幸運でした。

Q:この作品は知っていましたか。

A:過去に見ていて、踊れたら!と思った作品の1つなんです。コンテンポラリーでとてもインスパイアーされます。ヴィヴァルディの『四季』のリコンポーズド版の音楽も最高! クリスタル・パイトは凄い振付家ですね。今回オペラ座には来ておらず、僕たちは彼女のアシスタントのエリックと仕事しました。彼が動きをみせてくれたんです。とてもクリアで正確で・・・。振付も作品のエスプリも気に入りました。入団したてでこうした作品を踊れたことには、感謝の気持ちしかありません。僕のオペラ座人生がこうしてとても良い滑り出しだったのは、ジョゼ・マルティネス芸術監督のおかげです。『The Season's Canon』が踊られたガルニエのトリプルビルがあり、ジェローム・ロビンズの公演のリハーサルがあり、またエクサン・プロヴァンスのツアーもあってという時期で、彼は僕を信頼してこの作品に配役してくれたんです。

Q:この作品は顎から胸にかけてのブルーのメイクが印象に残ります。

A:そうですね、メイクのブルー、それにコスチュームも含め全てが素晴らしいけど、とにかく最高なのは配役されてるグループが作る雰囲気。大勢がグループで踊るアンサンブルのバレエで、階級に関わらず全員が一人づつプレイする場所を与えられています。例えば配役されているエトワールが僕と同じようにステージから見えにくい暗がりで踊る、という場もあって・・・。ヒューマンな作品ともいえます。誰もが踊ることを喜びに感じ、全力を尽くしたいって思う作品なんです。

Q:この後踊るのは『くるみ割り人形』ですか? この作品に学校時代に出演していますか。

A:次は『くるみ割り人形』です。学校時代に僕はこれには出ていません。同時入団したリザ・プティは『イヨランタ/くるみ割り人形』に子供の一人で出たんですよ。で、彼女とは僕、2021年にローラン・プティの『ル・ランデヴー』で愛し合う子供達役でガルニエのステージで踊りました。『くるみ割り人形』は小さい時からの憧れのクラシック作品なんですよ。なぜって、素晴らしさと驚きいに満ちて、夢をみさせてくれるから。チャイコフスキーの音楽にのせて、ワルツを踊れるなんて!! すごい体験ができるでしょうね。オペラ座に入って、クリスタル・パイトがありヌレエフがあって、いろいろなスタイルに接することができます。

右 Soirée Claude Bessy - Yondering (John Neumeier) - EdD©Svetana Loboff OnP -020.jpeg

『ヨンダリング』Photo Svetlana Loboff/ OnP

Q:クリスタル・パイトの作品から団員としてのキャリアを始めたのは、学ぶという点でとても良いことですね。

A:まさしくそうなんです。例えば『くるみ割り人形』からだったら、学校に入って以来学んできたクラシックのランゲージなので、それがどんなものなのか想像がつきます。コンテンポラリー、ネオクラシックの作品が興味深く、また僕を豊かにしてくれるのは、各振付家が異なるランゲージ、異なる表現法をもってるから。こうした動きを学ぶことは新しい音楽性、雰囲気、提案の発見となるのでとても面白い。僕がここで期待しているのは発見です。公演で『The Seasons' Canon』の前は、マリオン・モタンとシェ・シンの創作だったけれど、この2名とも名前も知らなかった。彼女たちどちらかの創作に入っていたら、それも発見となったことでしょう。いつかベジャールも踊ってみたいし、それに学校で『ヨンダリング』を踊ったのでジョン・ノイマイヤーの他の作品にも興味があります。

Q:ダンスを始めたきっかけを話してください。

A:7歳の時に始めました。僕の母はアートとコンテンポラリーダンスの歴史家で、当然ながら家にはバレエのDVDがたくさん。小さいときから信じられないほどの量のビデオを見てました。それもなんどもなんども繰り返して! 例えば『白鳥の湖』でケープをまとうと突然ロットバルトになる、という人物に変わるといったこととかに心をときめかせて・・・。それに僕、バレエを習い始めるより前から家では踊ってばかりいました。バレエ教室に通うことになったのは、当時の僕の''恋人''(笑)が習っていて、''来てみたら''と彼女にいわれたことからです。すぐに気に入りました。それに年末の公演の楽しいこと!! 衣装をつけて、キラキラのステージで。そして、舞台上で何かすると観客の視線が集まるということにとにかく魅了されてしまった。出身地のラ・ロッシェルのコンセルヴァトワールでバレエを習い、オペラ座のバレエ学校を目指すために本格的養成を受けなければ、と個人レッスンを受けるようになったんです。

Q:パリ・オペラ座のバレエ学校というのはお母さまからの提案だったのでしょうか。

A:いいえ。僕自身の願いでした。それまでにすでにオペラ座のバレエはガルニエでいくつか見ています。一番最初に見たのは『ジゼル』。おそらくレティシア・プジョルがジゼルだった。これは素晴らしかった。オペラ座のバレエ学校には第四ディヴィジョンから入りました。12〜13歳ごろです。僕が生まれ育ったラ・ロシェル界隈の出身者として、オペラ座にはマルク・モローとユーゴ・ヴィリオッティがいます。僕が入学前に受けた個人レッスンはレ島で。ユーゴと同じ先生の指導だったかもしれません。学校は落第もなく、素晴らしい4年間をすごしました。一度、腰を痛めてしまったのは辛かったけど。キネジセラピー、リハビリをしっかりと受けて良い結果がえられ、今は腰を守りながら踊っています。このことを除けば、家を離れて暮らすことが辛いというもなく、寮の暮らしも楽しくて本当に素晴らしいナンテールの日々でした。

Q:あなたのインスタグラム(@paulmayeras)によると、学校の同級生同士とても仲が良いように見えます。

A:そう、全員がしっかりと繋がれてるんです。これって素晴らしい! 聞くところによると、どの学年もそうというわけではないようですね。実は今日、以前の教師の個人レッスンを受けに学校に戻ったんです。今シーズン入団できず第一ディヴィジョンをもう一度やっている仲間に再会したら、このところ会っていなかったのにも関わらずまるで昨日別れたかのように話が弾んで・・・。ずっと彼らとコンタクトを保ってるけれど、彼らと一緒にカンパニーで踊れてたらなあ、っていうのが僕の本音です。

Q:一人だけ入団、という結果を知った瞬間はどんな気持ちでしたか。

A:すごく幸せに感じたのは確かですが、このときの気持ちはちょっと複雑なものでした。審査員、教師たちを前にしての試験で、クラスレッスンはとてもうまくいったのだけど、課題の『ラ・シルフィード』のジェームスのヴァリエーションは自分の満足のゆく出来ではなかった。この課題曲はとっても美しくて稽古するのがすごく楽しかった。だけどコンクールのときは稽古のときほど上手く踊れなくって、残念!!と。同級の仲間たちは僕よりずっと上手に踊っていたので、あああ〜という感じで。それでも僕が入団できたというのは、おそらく芸術面で他の候補者より興味深い何かを見せることができたからだろうと思います。テクニックはみんなそれなりに素晴らしいけど、芸術面も試験では左右しますね。試験の結果が張り出されたときの光景は、今でもよく覚えています。待つ間、自分の名前が見出せないこともあるだろうなって思っていました。全員が同じ報告に視線を向け、とにかく静寂そのもの。結果が出たら、誰も言葉を交わさず、張り紙にむかって歩みはじめて・・・。僕は自分の名前を一番上にみつけて、''え、嘘だろう???''って名前を見ながらちょっと佇んでしまいました。その後すぐに門の外で待っていたママのところに駆け寄り、僕もママも涙! 何しろ猛烈なストレスがあり、それから一瞬にして解放されたんだから、それも当然ですよね。そして、残念ながら入団できなかった仲間のところに行って、彼らに感謝の言葉を伝えました。僕たちはいつも一緒にいて、お互い支え合っていた。彼らと一緒じゃなかったら、僕にはとても難しいことだったと思うんです。彼らがいたからこそ・・・僕にとって同級生はライバルじゃなくて、友達なんです。

Q:バレエを職業にしようと思ったのはいつ頃ですか。

A:ダンサーになりたいというのは、7歳でダンスを始めたときから頭の中にプログラムされていたことなんです。両親にも、''将来ダンサーになったら''・・・というようにいつも話してました。もしもダンサーでなくても、芸術面の仕事についたでしょう。僕は作曲もするし、絵も描きます。パパはピアノを弾き、兄はプロのピアニスト。ママは若いときにコンテンポラリーのダンサーでした。マーサ・グラハムやピナ・バウシュといった時代ですね。こうした家庭環境で育ったんです。

Q:模範にしているダンサー、エトワールはいますか。

A:そうですね、マチアス・エイマンかな。彼は信じられないダンサーです。それからマニュエル・ルグリも。入団試験の課題の『ラ・シルフィード』の稽古のために、彼の映像を見直したんですが、彼のダンスから放たれるものはとても美しく、インスパイアーされます。他にもたくさん・・・とりわけ僕の学校の先生たち! 彼ら、最高です。ウィルフレッド・ロモリ、クリストフ・デュケンヌといった人たちを教師に持つことができたのは、素晴らしいことだ。

Q:第二ディヴィジョンのときに踊ったバランシンの『La Somnanbule(夢遊病の女)』では、あなたの芸術面での仕事もみることができました。

A:まだ若かった(笑)ときですね。バリシニコフが踊ったビデオを見ました。自分の名前と配役された役の詩人という言葉が並んでるのをみたときに、すでに役に入っていけ、芸術面は自然に任せました。この作品の夢の世界がとにかく好き。時間が止まったようで非現実的で・・。ヴェリーニの音楽も美しいですね。僕の中には常にポエジーがあり、それを見せることを大切にしています。僕の感受性と心をこめて踊ることを。プラテル校長が第二ディヴィジョンの生徒である僕を信頼して、この役を任せてくれたんですね。ちょうど腰を痛めた時期でもあったので、心理的にも良い効果がもたらされました。第一ディヴィジョンの生徒が普通は踊るこの役を踊れたことは自信にもつながり、誇りに感じました。ステージに出てゆくと音楽がやんで、全ての照明が僕に集中して、観客の視線が僕の上に集まって・・・これは忘れがたい最高の瞬間です。

La Somnambule (George Balanchine), Ecole de Danse de l'OnP © Svetlana Loboff OnP-284-.jpeg

『La Somnanbule』Photo Svetlana Loboff/ OnP

La Somnambule (George Balanchine), Ecole de Danse de l'OnP © Svetlana Loboff OnP-294-.jpeg

『La Somnanbule』Photo Svetlana Loboff/ OnP

Q:プティ・ペールはマチアス・エイマンですか。

A:いいえ、僕はプティ・ペールもプティト・メールもいないんです。第六ではなく第四ディヴィジョンで入ったせいでしょう。誰かに頼もうと思えばお願いできたのだろうけど、僕、少し恥ずかしがり屋だったので。でもプティ・ペールなしでも、一人でなんとか問題なく学校を終えられました(笑)

Q:今年4月に開催された学校公演は第一ディヴィジョンの生徒として、ポワントで踊る現代作品であるマルタン・シェの『Ma mère l'oye(マザーグーズ)』に配役されていました。

A:この創作に参加できたのは、素晴らしい経験でした。創作したマルタン・シェとスタジオで一緒に仕事をし、どのように作品が構成されてゆくのか進化に立ち会あえるという経験! それに役が僕にクリエートされるというのは、これはもうワォー!です。このバレエ、11月にオペラの『L'enfant et les sortilèges』との組み合わせで再演されます。第一ディヴィジョンをやり直している僕の親友のコーランタンとメイが僕に振付けられた役を踊るって、面白いですね。この学校公演はトリプルビルで、僕は3作とも踊れたんです。『Concerto en Ré』、そして『ライモンダ』の第三幕も。この機会にヌレエフ作品を稽古できたのは何よりです。『マザー・グース』は僕の一番の親友であるティフェンヌ(・ジェルヴェ)と一緒に踊れるチャンスがあり、これだけでも信じられないことだったのに。でも僕たち二人はすごく親しいので、いいたいことが相手に言えてしまう。これは時には簡単なことじゃない。でも、他のパートナーとはみつけられない結託力があるので、こうした役をお踊るときには役立つことでした。

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リハーサル 『Ma mère l'oye』Photo Svetlana Loboff/ OnP

Q:ナンテールの寮を去り、今はパリ暮らしですね。

A:はい。ラ・ロシェルに住んでいる両親が、毎週ではないけれどウィークエンドに会いに来てくれるんです。ここまで彼らはずっと僕を支えてくれました。最後まで果たしてたどり着けるかどうかわからない旅に送りだす、というのは家族にとっても難しいことのはず。彼らが僕にこのチャンスをくれたんです。両親ともにアーチストなのでオペラ座のダンサーとは何であるかがわかっています。彼ら、今とても満足しています。もっともナンテールかっらパリに来ても、実は僕はまだ学生なんです。というのも今シーズン末にBAC(バカロレア/大学入学資格)を受けるので、リモートで勉強してるんです。カンパニーで踊れるもはとても幸せなのだけど、勉強のための時間をみつけないといけないんです。

Q:入団し、想像もしていなかったことで驚いたことはなにでしょうか。

A:1日のオーガニゼーションですね。朝のクラスレッスンに加えて、午後のリハーサル。それも2時間枠が2つ続いて。僕はそれに公演前のクラスレッスンもとるので・・・。1日7時間のダンスってすごい仕事量です。特に入団したてなので、僕はすべてに全力で取り組んでいるので余計に。最初のころ、夜21時には倒れこむようにベッドに横になってしまってたのを覚えています。これほどハードだったのは、『The Seansons' Canon』があったことからのスケジュールですけど。

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学校のデモンストレーション
(2020年、右がポール・マィエラス)
Photo Svetlana Loboff/ OnP

Q:入団したら、しばらく代役として舞台裏の日々だと想像していたのではないですか。

A:そうなんです、まさしく僕の頭のなかではその通り・・・ところが、違った! これは最高だった(笑)。でも、もし代役続きで舞台裏の毎日だったとしても、僕は受け入れてたでしょうね。裏で自分なりに仕事をしたり、ステージを見たりして。他のダンサーを見るのはとても大切なことです。これも最高なことですよね。僕がとる朝のレッスンにときにエトワールがくることがあって・・・もうインスピレーションそのもの!  一度マチアス・エイマンの脇でクラスレッスンをとり、夢のようでした。彼がすることすべてを間近に見て、ああ、こうするんだと、自分でも試したり。彼から学びもインスピレーションも得られました。でも彼に限らない。他の大勢のダンサーたちも最高で、みんなからインスピレーションを得ています。入団できたと実感できるまで時間がかかったんですよ。僕、バレエ団に入るのが大きな夢だったので・・・で、ある晩、ママと一緒だったときに夜目が覚めて、彼女にこう言ったんです。「ママ、想像できる?  僕はこれから生涯ずっと踊り続けるってことが」って。ナンテール時代は学校が第一で、進歩することだけを考えてました。毎日同じことを繰り返して。それから今は解放されて、新しいテクニックを学んだり、新しいバレエを稽古して・・・と新しいことばかりなんです。もちろん以前と変わらぬ厳格さをもってだけど、解放されたという感覚!  自由を感じます。

Q:大勢が夢はエトワールダンサーになることだと語りますが。

A:確かに僕も場合もそうですが、でも少しそれには微妙なニュアンスが加わります。僕はたとえエトワールになれなくっても、人生における失敗とは思わない。自分がすることを満喫し、踊ることで喜びを得ることに意味があるからです。踊っている限り、それでいいんです。僕の目標は信頼を得たい人から信頼されて、そして観客が僕を見たいと思ってくれて・・・これが最高だと思うんです。

Q:学校最終年の5月に、数人の生徒と一緒に公演『モーリス・ベジャール』を見に来ていましたね。学校時代、公演を観に来ることはよくあったのですか。

A:はい。第二デヴィジョンから生徒たちは誰でも、希望の公演を観に行けるんです。僕は学年末にその仕組みを活用し、『モーリス・ベジャール』『シーニュ』『ジゼル』『白鳥の湖』などを観ました。こうして舞台を見ることでとてもインスパイアーされ、自分を豊かにできるんです。『ジゼル』はユーゴ・マルシャンとドロテ・ジルベールの回で。これは素晴らしい配役ですね。その翌朝のクラスレッスンの時、まだバレエが残っている僕の頭の中で蠢いていることがあって、いつもとは違うように踊りました。覚えておきたいのは、たとえ生徒でも踊るときはダンサーであること。僕が入団試験でみせたのはダンサーの仕事でした。基礎を学ぶのはとても大切なことだけど、あるところで自由に自分を発揮しなくては、と思うのです。

Q:時間に余裕があるとき、何をしますか。

A:楽しんでるのは作曲です(インスタグラム@paul_mayeras_composition)。主にバロックだけど、ついさっき少しロマンティックにマズルカを作り始めたところ。携帯のアプリを使って作曲するので、アイディア浮かぶとすぐに音符を打ちます。始めたのは1〜2年前と最近のことなんです。新型コロナ感染症対策の外出禁止の時期に独学でピアノを学んだんです。それ以前はあまり音楽を聴かなかったけれど、この時期にクラシック音楽をたくさん聴いて・・・僕には大発見でした。今はイヤフォンなしに外出することはありません。思い浮かぶものがあればすぐに携帯のアプリを開くのだけど、あいにくと、今はダンスに時間をかける暮らしなので・・・。もっと進歩したいし、レヴェルをアップしたいので朝のクラスレッスンを2つ取り、公演がある日は午後のクラスもとって。自分一人でバーレッスンをすることもあります。ステージに立つだけが大切ではない。これからやってくる年月により快適に踊れるように、可能な限りの厳格さでレッスンに向かい合います。僕には今後長いことやってゆけるという確信が必要なんです。

左 Démonstrations de l'Ecole de Danse 2022 - 1ère division Garçons ©Svetlana Loboff OnP-154-G.jpeg

学校のデモンストレーションより(2022年、左がポール・マィエラス)
Photo Svetlana Loboff/Onp

Q:好みの音楽ではないと踊り難いといいうことはありますか。

A:もし万が一音楽と振付が合っていない感じられることがあったら、それは不快でしょうけど、音楽が好みではないということはなく適応します。例えば『The Season's Canon』はマックス・リヒターによるヴィヴァルディの『四季』のリメイクが音楽だった。ヴィヴァルディの『四季』はバロックの美しい作品でアンタッチャブルです。リヒターのは別のバージョンで、異なるエネルギーがあってとても素晴らしい。僕はそれに自分を合わせるのです。もうじきガルニエで公演が始まるジェローム・ロビンズの作品は、音楽にステップが乗っていて、両者がぴったりと合っています。僕、かつてヴァリアションを踊ったときに音楽性について考えたことがあるんです。音楽とパーフェクトに合って踊ることができ、両者の調和に成功したらとても美しいだろうなって。

Q:マルティネス芸術監督と新入団員はどのような関係ですか。

A:あ、これは素晴らしいって思います。彼は入団が決まった僕たちとすぐに面談をしてくれました。これだけでも、とても気持ちよいことです。とにかく優しい人で、例えば同時入団をしたリザ(・プティ)の怪我に対して、「焦らないで時間をかけて、よくなるように必要なことをしましょう」って。威圧的なところは全然なく、毎晩公演の後に舞台裏に来て「ブラヴォー!ブラヴォー、若者たち!!」って声をかけてくれました。彼は学校ととても緊密に連絡をとりあっていて、生徒のリハーサルやレッスンを見に来ます。素晴らしい監督です。僕たちが自信を持てるようにと彼は努めてくれて・・・自分に自信を持てるとダンサーは、よりよく踊れるものなんです。彼が学校のために創作した『スカラムーシュ』を僕は踊っていないんです。これは残念だ!

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