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斎藤 珠里 text by Julie Saito 
[2008.09.10]

BALLET DE L'OPERA DE PARIS パリ・オペラ座公演から
JOHN NEWMEIYER : LA DAME AU CAMELIA
ジョン・ノイマイヤー振付:『椿姫』

マニュエル・ルグリとデルフィーヌ・ムッサンが共演した『椿姫』


  私が大好きなオペラ座のレパートリーのひとつ『椿姫』は、これまで様々な組み合わせで観てきた。アバニャートとバンジャマン・ペッシュ、クレールマリ・オ スタとマチュー・ガニオ、ルテステュとエルヴェ・モロー。今回の再演では、スカラ座のロベルト・ボッレとアニエス・ルテステュの顔合わせがフィガロ紙で大 絶賛されたが、オペラ座の看板ルグリの評判はいまひとつ。自分の目でも確かめるべく7月10日、ルグリとムッサンの共演をガルニエ宮で観た。

 冒頭、マルグリット(ムッサン)の家では彼女が残した身の回り品がオークションにかけられている。そこへ、彼女の死を知ったアルマン(ルグリ)が 飛び込んでくる。後悔の念にとらわれた男の絶望感を、ルグリはやや型にはまった実直な演技で見せる。ペッシュにもその嫌いがあったが、モローとガニオはし なやかな体の線から透けてみえる悲しさが初々しく、登場した瞬間からアルマン像を見せつけたことが記憶に新しい。

 ムッサンはその点、マルグリットそのものだった。妖艶でエレガントながら影があり、快活さには不自然ささえのぞかせる。第一幕で『椿姫』の悲劇を 伏線的に暗示する劇中劇仕立ての『マノン・レスコー』を二人が観劇する場面でも、ムッサンは他人事ではないとばかりに一心腐乱に見入るが、アルマン役のル グリはムッサンや周囲にちらちらと視線を配り落ち着かない。ムッサンに一目ぼれしたはずではなかったのか・・・。この延長で、マルグリットの館に彼女を 追ってやってくるのだが、ここでも演技過多。彼女への思いを伝えるべく床の上に身を投げ出すシーンでは、そこに至るまでの感情の起伏が丁寧に表現しきれて いないから唐突で、滑稽にさえ見えた。

  とはいえ、ルグリの真骨頂は、デュエットにおけるサポートだ。長身の若手ダンサーたちに比べればルグリの身体条件は決して恵まれているとは言えないが、小 柄でないムッサンを伸び伸びと、大きな空間を使って踊らせる。ムッサンもルグリに絶大な信頼を感じて動けるから、感情表現にも余裕が生まれる。まさに女性 を、手の平の上で泳がせてしまっているのだ。他のダンサーとのパドドゥでも、ルグリは常にパートナーを立てている。ともすれば男性が目立つバレエ界の現状 にあって、ルグリの信条には打たれるものがあった。

 さらに言えば、ルグリの踊りは非の打ちどころがない。パからパへの移動で見せる完璧なプレースメント、手先や足先に張りつめた緊張感---。動き の完成度を追及することにダンサー人生を投じている、といっても過言でないだろう。ただ、読者からの反発を甘んじて受ける覚悟で言えば、職人肌ともいえる ルグリのアプローチでは表現の幅は固定され、意外なエスプリを爆発させる「遊び」は生まれないのかもしれない。

 最終幕の、マルグリットが死の床でアルマンを想って回想録をつづる場面。舞台の袖では、その回想録を彼女の死後に読み返しているアルマンの姿が同 時進行で重なる。ショパンの曲が時間軸の異なる二人の心を結び付けるというノイマイヤーならではの演劇的な手法だ。それぞれのソロを観客がシンクロさせて 見るわけだが、この場面では何といってもモローの演技が忘れられない。踊るわけでもなく、回想録を読みふける姿を晒すだけなのだが、舞台中央で演技するマ ルグリットの心の動きと絶妙に呼応していた。それに対してガニオもペッシュも勝手に動いていただけ。ルグリに至っては、ほぼ何もしていない、というほど動 いていなかった。一緒に踊るだけがデュエットではないということを、この作品は問いかけている。