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三崎 恵里 text by Eri Misaki 
[2016.08.10]

マーサ・グラハム・ダンスカンパニーが試練を乗り越えて「これからの90年」へ向かう公演

Martha Graham Dance Company マーサ・グラハム・ダンスカンパニー
"The Next 90" performed by Martha Graham Dance Company.
マーサ・グラハム・ダンスカンパニー90周年記念公演「これからの90年」

モダンダンスはイサドラ・ダンカンがバレエシューズを脱いで裸足で踊りだしたときに生まれた。それを世界的なダンススタイルにしたのがマーサ・グラハムだった。そのグラハム・カンパニーが創立90周年を迎え、記念公演を行った。グラハム・カンパニーというと、一番強烈な記憶が、グラハムが亡くなった直後に起こった遺産相続権訴訟事件だった。そうした深刻な問題を乗り切って90周年記念を迎え、「Next 90」と銘打って公演を行った。

公演はまず、「90 Years in 90 Seconds (90秒で見せる90年)」と題して、1分半で90年のグラハム・カンパニーの舞台の軌跡を見せた。つまり、1秒で1年を見せたわけだが、どの写真も確かにグラハムの舞台の鮮明な記憶で、私の様なグラハム作品の追っかけにとっては、懐かしくも貴重な場面が走馬灯の様に走り、感慨深かかった。

ny1608c01.jpg 『Appalachian Spring』Photo by Brigid Pierce

この日は『Appalachian Spring(アパラチアの春)』でスタートした。アーロン・コープランド(Aaron Copeland)の同名の名曲に振付けられたグラハムの秀作で、かつては花嫁をグラハムが、花婿を後に彼女と結婚したエリック・ホーキンス(Eric Hawkins)が踊った。ホーキンスは軍役から帰ってからグラハムと踊るようになったのだが、元々バレエダンサーで、従ってこの作品はバレエの影響を感じさせる要素が多い。
アパラチア山脈の未開拓地で、結婚したばかりの若いカップルが新居を構え、新生活を始める様が描かれたこの作品は、花嫁、花婿のほかに、牧師とその信者(4人の女性群舞)と赤いドレスを着た象徴的なパイオニア・ウーマンによって踊られる。パイオニア・ウーマンは堂々とした女性像として登場するが、実際にグラハムの心中に合ったのは、アメリカ開拓に携わった人々の揺るぎない開拓精神を意味していたのかもしれない。また、牧師とその信者のスーパースターとそのファンの様な関係は、何かと不安要素が多かった当時、宗教が人々の大きな心のよりどころだったことを物語っている。
今回の舞台は、イサム・ノグチによる素朴な家のセットを背景に、牧師(アリ・メイジック/Ari Mayzic)に続いて赤いドレスのパイオニア・ウーマン(コンスタンティーナ・シンタラ/Konstantina Xintara)、花婿(ロイド・メイヤー/Lloyd Mayor)、そして少し遅れて美しく質素な花嫁(シャーロッテ・ランドリュー/Charlotte Landreau)が出てくる。愛し合っている二人は家に手を当て、人生を夢見るかの様だ。牧師の信者4人のコーラスはコミカルな動きながら、洗練されたグラハム・テクニックで踊る。メイヤーは愛する妻と、これから一生懸命人生を切り開くぞ、という覚悟を見せるかのように踊る。それに応じるように、ランドリューも子供をもうけ、幸せと希望に満ちた人生を夢見るかのように、見事なピッチターンを見せながら踊る。しかし、牧師のメイジックが開拓人生は甘くないことを諭す。不安を隠せない若夫婦に、パイオニア・ウーマンのシンタラが割って入り、威厳を持った踊りで苦難を乗り越えて人生を切り開く勇気を持つことを教える。メイヤーはそれに応じるかの様に素晴らしいジャンプを見せながら勇ましく踊って、不安を隠せない妻を勇気づける。やがて妻も今あることを感謝して生きていくことを決心する。若い二人が覚悟を決めた様子で家の中に納まって作品は終わる。花嫁役のランドリューの艶やかで豊かな表現力が印象的だった。

ny1608c02.jpg 『Appalachian Spring』Photo by Brigid Pierce ny1608c04.jpg 『Axe』Photo by Brigid Pierce
ny1608c05.jpg 『Axe』Photo by Brigid Pierce

次に上演されたスウェーデンの抽象バレエ振付家マッツ・エク(Matx Ek)の作品『Axe(斧)』は、疲れた夫婦関係を描く作品。エクが製作したダンスフィルムを舞台ヴァージョンにしたもので、映画では年老いたヴェテラン・ダンサーたちが演じているが、これを若いグラハム・ダンサーたちのために、エクは振付を足したという。背景の幕を全て上げた裸のステージで、男(ベン・シュルツ/Ben Shultz)が黙々と薪を割っている。見事に割り続けるが、一つ木を薪割り台に置いて考え込む。トマソ・アルビノニ(Tomaso Albinoni)作曲の哀調に満ちた音楽が流れると、女(ペイジュ・チェン・ポット/PeiJu Chien-Pott)が横向きに傾いたような奇妙なステップで踊り出てくる。終始うつむいて抽象的な動きを踊り、男に直接呼びかけるわけでもなければ、男の方も女を無視して、ただ薪を割り続ける。女は斧に注意を向けたり、薪を割る音にびくっと反応したり、男が振り上げた斧を男の頭の後ろでつかんだり、或いはデュエットになる場面もあるが、二人の間にコミュニケーションはない。しかし、女がどうしようもない苛立ちを感じているのは事実だ。最後に無表情な男の腕に女が薪を積むと、男はそれを持って退場する。そして女も斧を持ってその後について立ち去る。
日本語で言うならば腐れ縁というところだろうか。元々愛し合っていた二人が、何十年もを経て空気のような存在になり、それも通り越して居ても居なくても同じ存在になり、出口のない関係となる。女はそれに対して苛立ちを覚えてもがいているが、男は変化を嫌って現状維持を決め込む、、、。これからこの二人はどうなるのだろう、と思わせる作品だ。これほどまでにデフォルメされた動きで何かを表現しようとするマッツ・エクの勇気と創造性は素晴らしい。と同時にグラハム・ダンサーの幅広さをも物語る作品だ。

『Night Journey(夜の旅)』はギリシャ悲劇を題材にしたグラハム・クラシックの代表作の一つ。古代ギリシャのテーバイの国王オイデプスは奇異な生い立ちから、そうとは知らず自分の父を殺し、母親のイオカステを妻としていた。それを知った時の二人の混乱と悲劇をこのダンスは描いている。しかしグラハムの場合、主役はイオカステだ。夫を殺したのが実は自分の息子であり、しかも今の夫であったというおぞましいい物語を女の立場から描いている。抽象的かつ象徴的なイサム・ノグチのセットと、これもグラハムの独創性の一つである布を自在に使って踊られた。ダンスはイオカステが真実を知って愕然とし、オイデプスとの出会いを回想する場面から始まる。イオカステをペイジュ・チェン・ポットが、オイデプスをロイド・ナイト(Lloyd Knight)が踊った。シン・イン(Xin Ying)率いる6人のコーラスがクロウと呼ばれる、引っかくように指を折り曲げた手を使った振りで、おぞましさを表現するように踊る。溌剌とイオカステの前に現れ、彼女を激しく魅了するオイデプスとの官能的な踊りは、グラハムならではだ。チェン・ポットは非常に艶やかなイオカステ、ナイトは赤銅色の見事な筋肉質の体で、グラハム独特のセックスを描写するような場面が見事に芸術として表現された。盲目の預言者が現れて、オイデプスが産まれる前にした予言を再度伝えると、真実に思い当たったイオカステは自らの首を絞めて死ぬ。オイデプスはイオカステの胸のブローチの針で自らの目を突いて盲目となり、彷徨い去る。抽象的な振りでありながら、しっかりと物語を伝えるのは、グラハムの天才というしかない。

ny1608c06.jpg 『Night Journey』Photo by Brigid Pierce ny1608c07.jpg 『Night Journey』Photo by Brigid Pierce
ny1608c03.jpg 『Echo』Photo by Brigid Pierce

『Echo(エコー)』は、水に映る自分に恋をしてしまうギリシャ神話に登場する美少年ナルシスをテーマにした、アンドニアス・フォニアダキス(Andonias Foniadakis)の作品。ジュリアン・タリード(Julien Tarride)の曲に振り付けられている。しかし、この作品は物語を描くものではなく、自分自身に恋してしまうことの盲目性を描いているといえる。
スモークのかかった舞台の右奥から光がさす暗いイメージの中に、スカートの様に長い布を腰にまとった男(ロイド・メイヤー)が現れる。照明で浮き上がる、床に横たわっていた男性(ロレンゾ・パガーノ/Lorenzo Pagano)に覆いかぶさるようにして、男性二人のデュエットとなる。やがて美しい女性(シン・イン)が加わってトリオとなる。ドラマチックな音楽で、女はナルシスの気を逸らそうとするかのように踊る。しかし、男二人の美しいデュエットは、彼女に入り込む余地を与えない。上からスモークが降りて、ユニゾンの様でユニゾンでない踊りが展開、なんとも言えない、不思議な美しさだ。やがて男女のダンサーが加わって群舞となる。そして、まるで女がナルシスを取り返そうとするかのようなデュエットとなるが、やはり自分の影の虜になるかのように、ナルシスの上に影が乗って終わる。物語性は殆どなく、華麗というしかないダンスが連続する。何となく終わりのない堂々巡りをも思わせる作品だ。

私としては久しぶりに見たマーサ・グラハム・カンパニーの舞台だったが、冒頭に書いた裁判の後にも、巨大ハリケーンの被害にあい、貴重なセットや衣裳がダメージを受けるなど、紆余曲折を経てきたにもかかわらず、最盛期に劣らぬ非常に洗練された製作のレベルを維持していたことに感銘を受けた。当然、ダンサーたちの世代も交替しているが、美しいラインと洗練されたテクニックで世界レベルを維持している。更に新しい振付家の作品もどんどん取り入れ、アメリカの国宝ともいえるグラハム作品の維持に留まらず、将来に向けて発展していることを印象付ける舞台であった。
(2016年4月15日夜 New York City Center)