バリシニコフと中谷美紀による"The Hunting Gun"(猟銃)がニューヨークの観客を魅了した

ワールドレポート/ニューヨーク

ブルーシャ 西村 Text by BRUIXA NISHIMURA

"The Hunting Gun" by François Girard

『猟銃』フランソワ・ジラール:演出、中谷美紀、ミハイル・バリシニコフ:出演

3月16日から4月15日まで、ニューヨークのオフ・ブロードウェイにあるバリシニコフ・アーツ・センターで、日本の女優、中谷美紀と伝説的なバレエ・ダンサー、ミハイル・バリシニコフが出演する演劇、"The Hunting Gun"(『猟銃』)の公演がありました。日本語で上演、英語字幕付きでした。
芸術監督は、カナダ人映画監督・脚本家・演出家のフランソワ・ジラール、原作は井上靖の書簡体小説『猟銃』です。2011年カナダ・モントリオールで初演され、日本でも上演されて大成功を収めました。ジラールは映画だけでなく、シルク・ドゥ・ソレイユやMET(ニューヨーク・メトロポリタン・オペラ)など、舞台、オペラ、演劇でも演出を行っています。
中谷美紀は1976年、東京生まれ、女優、歌手であり、多くのテレビ・ドラマ、映画、CM、舞台で活躍し続けてきました。日本アカデミー賞最優秀主演女優賞(「嫌われ松子の一生」)など受賞歴多数。1997年、"中谷美紀 with 坂本龍一"で発売した「砂の果実」は33万枚を売り上げました。2011年、初舞台であった『猟銃』でその演技が評価され、紀伊國屋演劇賞個人賞と、読売演劇大賞優秀女優賞を受賞。現在は一年の半分をオーストリアで生活し、国際的な活動をしています。
ミハイル・バリシニコフは世界的なバレエ・ダンサーであり、映画やテレビ・ドラマで俳優としても長く活躍してきました。1948年旧ソ連生まれ、ヴァルナ国際バレエコンクールのジュニア部門で優勝、モスクワ国際バレエコンクールで金賞受賞。キーロフ劇場バレエ団に在籍、1974年カナダ公演中にアメリカへ政治亡命し、同年にABT(アメリカン・バレエ・シアター)にプリンシパルとして入団、1978年にNYCB(ニューヨーク・シティ・バレエ)に移籍。1980年にABTに復帰し、1989年まで10年間、プリンシパル兼芸術監督を務めました。ABT退団後はポスト・モダン・ダンスに転向し、1990年から2012年まで、ホワイト・オーク・ダンス・プロジェクト(バリシニコフ・ダンス財団)を共同設立し、芸術監督を務めました。2003年にブノワ賞受賞、2017年に高松宮記念世界文化賞受賞。2005年にバリシニコフ・アーツ・センターを設立しています。バリシニコフは世界中の多くのダンサーに影響を与え、元NYCBプリンシパルで現スペイン国立舞踊団の芸術監督であるホアキン・デ・ルースは「バリシニコフの『ドン・キ・ホーテ』に憧れて "私はこれがやりたい!" と思い、ニューヨークに来た」と語っていました。
バリシニコフは75歳の現在もバレエの基礎練習を続けていて、現役アーティストとして活動し続けています。

今回の公演では「75歳のバリシニコフの生の演技を見たい」と思っていたのですが、舞台を見ると、中谷美紀の演技力の素晴らしさと迫力にも圧倒されました。中谷美紀はバリシニコフと同じ土俵で息の合った2人芝居をやり遂げ、圧巻の舞台でした。
原作の書簡小説『猟銃』を完全舞台化した休憩なしの約90分間でした。
バリシニコフは妻がいながら長年、不倫をしていた三杉穣介役をマイムで演じ、中谷美紀は三杉の愛人の娘(女学生・薔子)、妻(みどり)、愛人(彩子)の3役を1人で演じました。三杉に届いた3通の手紙(薔子、みどり、彩子より)によって、三杉の13年間の不倫が暴かれていきました。
中谷美紀は3通の手紙の内容を、年齢も立場も全く違う3役に扮し、舞台上で衣装や髪型も替えて演じました。約90分間も1人でしゃべり続けるという膨大な量のセリフでしたが、その大量の書簡を暗記して演技に落としこんでいて、全くセリフにつまることもなく、それぞれ性格の違う3人の女性になりきって感情や愛憎を見事に演じ切っていました。その大量のセリフを覚えるだけでも大変なことは想像つきますが、それだけでなく3名の女性を舞台上に出ているままで頭を切り替えていき、それぞれになりきって演じ分けていき、最後は涙を流し、完璧に演技に没頭しました。
井上靖の日本語の文体がとても美しく、中谷は良き日本語の美しい発音を完璧にマスターしていて、ニューヨーカーにもその日本語の美しい音のシャワーは届いていました。

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© Pasha Antonov

母(彩子)が自殺してお葬式の後、残された薔子は、叔母のみどりからわざと母が残した個人的な日記を手渡され、読んではダメよ捨てておいてちょうだいと言われ、余計に母の自殺した原因を知りたくなって、いけないと思いながらもこっそり読んでしまいました。母の日記には、薔子の叔父である三杉穣介との長年に渡る不倫について書かれており、罪、罪、罪・・・と大量に書きなぐってあったページもあり、まだ女学生の薔子は母の自殺の原因を知って驚愕して取り乱し、泣いたり怒ったり混乱してしまいました。
そして幼い頃からよく知っている叔父の三杉の裏切りを知り複雑な心境になり、事実を受け止められなくなり、もう今までのようには叔父様に接することが出来ないと、三杉にあてて手紙を書きました。まだ幼い薔子の心に、母と叔父の不倫は大きな傷跡を残してしまい、それからの人生は暗く引きずって、誰にも頼れずに生きていかなければならなくなりました。母が毒薬を飲んで自殺して息絶える間際に、薔子に、「これからは叔父さんの三杉を頼りなさい」と言われたにもかかわらず、もう薔子は今までとは同じように三杉のことを見ることが出来なくなってしまい、子供なのに孤独に陥りました。
みどりは三杉の妻であり、薔子の叔母でもあります。みどりは、自分が三杉と新婚当初の13年前に、姉の彩子と夫の三杉とが密会して不倫し始めた最初の日を目撃していたこと、その後も13年間ずっとその不倫が続いていたことをすべて知っていたこと、知っていても何も言わないで黙っていたこと、2人に対して何も知らないフリをしていたこと、自己卑下に陥っていたこと、自分達の夫婦関係はどうしようもなく完全に冷え切っていたことなどをつづった手紙を、三杉にあてて書いて送りました。それは、彩子が自殺した後はもう今までどおりには暮らせない、もう離婚したい、財産分与として不動産が欲しいと言う絶縁状でした。13年間ずっと何も言わずに耐えていたみどりは、姉の彩子と2人で話をしていた時に、彩子が三杉との不倫関係へ入った密会の初日に着ていた着物のことをよく覚えていて、その着物の話題になった時に、「私、最初からすべて見ていたの」と一言だけ言うと、彩子は顔面蒼白になり無言のままだったこと、その直後に遺書を書いて自殺したと知り、復讐をとげることが出来て高笑いをしている様子も三杉への手紙に書きました。

中谷美紀は、母の自殺の原因が不倫だったことを知り心に大きな傷を負ってショックを受けた幼い薔子の状態と、13年間も夫に姉と不倫され続けていて黙って耐え忍んでいたみどりがたった一言だけで姉の自殺のきっかけを作り、2人に復讐できて高笑いしている状態、そして13年間の不倫の罪が最初からすべてみどりが知っていて黙っていたなんて、もう生きてはいられないと遺書を書き服毒自殺した彩子の状態、それらの3名の愛と憎しみ、恋、喜び、罪、背徳、裏切り、怒り、悲しみ、絶望、孤独を見事に演じ分けました。
三杉と関わった3名の女性全員が不幸な人生を歩んだ結果になり、誰も幸せなハッピーエンドの女性がいないという絶望的な物語でしたが、自殺した彩子は三杉へあてた遺書の中では「愛されて幸せでした」という言葉を残しました。この一言は、絶望ばかりの物語の中に、ゆがんだ形のようでしたが少しだけ幸せを余白に加えられていて、さすが井上靖の才能を感じました。
バリシニコフは三杉穣介役を、薄く透けているスクリーンの奥に設置された、舞台後方の高めの段の舞台上で、同じく約90分間ノンストップで演じました。机、イスも使って立ったり座ったりしながら、手には大きな猟銃を持ちマイムにより、三杉の愛憎や苦悩の心のひだを静かに淡々と表現していました。
バリシニコフは素敵な雰囲気を持っていて、舞台上に立っているだけで独特の存在感がありました。ゆるやかな動きの範囲内での演技の中にも、鍛錬を積み続けてきたバレエ・ダンサーならではの安定した重心の取り方としなやかな肉体の動きがあり、すべての動作と姿勢がピタッと決まっていて、一つ一つの演技で体を動かすごとに必ず体の重心が安定していました。バレエは踊りだけではなく、役柄になりきって演じる演技の要素も大きいため、優れたバレエ・ダンサーは俳優としても演技力が秀でています。

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© Pasha Antonov

関わった3人の女性たちをすべて不幸な結果に追いやってしまった原因が、三杉から誘って彩子と不倫したことだったと知っても、三杉は最初から最後まで無表情で淡々としていて、感情を乱すこともないままでした。バリシニコフは、まるで自分には感情が無いかのごとくに冷徹な落ち着きを貫き通し、演技の中でその心の奥底では複雑な感情が抑えこまれているということを、猟銃を手に持って磨いたり扱ったりする動きでさりげなく表現していました。
思わず、ドキッとした場面がありました。静かな演技を続けていたバリシニコフが、妻みどりにじっと猟銃の銃口を向けて狙っていた時です。本当は、不倫相手の愛人彩子との関係が深まっていった一方、冷め切った関係であった妻みどりが邪魔だった時があって、みどりに対して殺意が芽生えていたことを物語っているようでした。それでも自分の感情も殺意も押さえ込んだままで、みどりとの冷め切った結婚という形態も続けていた様子を、バリシニコフは猟銃を手に持ち表現していました。
三杉が自分から誘って不倫へと引きずり込まなければ、もしかして彩子は家庭の主婦として薔子の母として普通に幸せな家庭を築いて暮らしていたかもしれないし、妻みどりもそれなりに幸せな主婦で母となっていたかもしれないし、薔子も幼くして母を自殺で失わなかったかもしれない・・・。それでも誰にも祝福されない関係を抑えきれず、続けてしまった男女2人の感情や弱さ、心に潜む業が呼び覚まされていった複雑な心情が、バリシニコフの静かな無言の演技から表れてきました。マイムだったからこそ、見る側の想像力をかきたて、運命の糸がだんだんからまっていった様子が表現できたのだと思います。
このような人間の未熟さ、内に潜む愛憎、抑えられない背徳感、罪と分かっていて踏み込んでいってしまうダークな面を、劇中のセリフでは「何種類かのトカゲ」の姿と色に置き換えて表現していました。これは、井上靖が小説の中で、一言でトカゲの姿を描写することによって多くのことを表現していて、深い詩的なセリフだったので感心しました。短い一言でズバッと言い表すことは、読者であれ観客であれ、想像力が増すので、この小説は同時に詩でもあると実感しました。
みどりの一言で彩子は自殺を決意して実行し、みどりが彩子の日記をわざと薔子に渡して読んでしまい、結果的にみどりは愛人彩子とその娘薔子の2人もろとも完膚なきまでに復讐したので、女性の内に潜んでいる業と憎悪も井上靖がこの小説の中で描いたのだと思います。

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© Pasha Antonov

今回の舞台セットも素晴らしくて、外国人の目から見た日本的な美が格好良く表現されていました。禅を意識していて、舞台セットのデザインは黒が基調で直線的でミニマムです。バリシニコフが演じていた舞台の手前に張られた薄いスクリーンには、小説の一説の日本語が映し出されていて、場面が変わるごとにその日本語の内容も移り変わっていきました。
舞台上の大きな面積が、薔子の場面では水が薄く張られていて池になっていて、ところどころに蓮の葉や花がありました。その池の水の上を右往左往して歩いて、取り乱した薔子の様子を中谷は演じていきました。
みどりの場面ではその池の水が引いていき、水の下に敷き詰められている黒っぽい濡れた丸石が表面に現れ、中谷は赤いドレスに早変わりして演じていました。
最後の彩子の場面では、池や黒っぽい丸石の上に細い幅の木の板がパタッパタッと出てきて倒れてかぶさっていき、床は板張りに変わり、衣装を白いワンピースに変えた中谷が彩子を演じました。途中、だんだんと遺書の内容が死ぬ場面へと進んでいくにつれ、舞台上方からワイヤーで吊られた薄い木の箱(着物ケースの桐箱)が下りてきて、中谷は舞台上でその箱を開けて中に入っている白装束の着物に少しずつ着替えていきました。
中谷は遺書の内容を語りながら、全身真っ白の白装束へと少しずつ着替えていき、中谷とバリシニコフの演技もクライマックスに近づいていきました。中谷は座って、髪を櫛でゆっくりととかしていました。バリシニコフはいつの間にかスーツのジャケットを着て正装になっており、立ち上がって前の中谷をじっと見つめていて、彩子の自殺の時が刻々と迫っていったので、どうなるのか目が離せなくなりました。

最後、それまで黒を基調にして薄暗かった照明が、毒薬の入ったビンの中身を飲んで自殺を決行した瞬間に、舞台上で天を仰いでいる中谷めがけて強く真っ白なスポットライトがバッと浴びせられ、客席からも真っ白で目がくらんで何も見えないくらいあたり一面が強烈なライトの光に包まれて、終わりました。
この終わり方の表現がすごかったので、それまでの抑えられた色調とライト、ミニマムなデザインの禅の世界のような舞台セット、2名の俳優を浮かび上がらせた演出と、クライマックスの強烈な真っ白な照明とのコントラストに圧倒されました。ミニマムなデザインの舞台セットに抑えて、光と影のコントラストを強めて、強弱を激しくして盛り上げることにより、2人の演技がより生かされていて、舞台全体が相乗効果で素晴らしく効果的に表現されました。見事な演出で、ジラールの才能を目の当たりにしました。
そして、またライトがついてカーテンコールとなり、バリシニコフも中谷と共に喝采を浴びました。客席は総立ちで拍手が鳴り止まなかったです。観客はニューヨーカーと外国人なども多かったです。
この公演を見てからずっとその衝撃と余韻が私の中に残って続いていました。バリシニコフと中谷美紀の演技力、ジラールの演出、井上靖の原作と日本語のセリフの素晴らしさを改めて実感していました。
(2023年3月23日夜 バリシニコフ・アーツ・センター)

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